08 不安定な天秤の上で
聖域から戻った後は元の場所だった。
海で溺れていたレミィを回収し宿に戻った後は、疲労に身を任せるままに眠りについた。
そして、その夜。
想命石とやらをもらった影響なのか、その日の夜、アスウェルは妙な夢を見た。
切り替えはいつものように電源を入れたりするような味気ないものではなかった。
温かい何かに包まれるようにして、奇妙な安ど感と共に別の世界に放り出された。
また知らない場所にいる。
意識を失ったら別の場所に移動してしまう呪いでもかけられているのだろうか。
呪いの件はただの思い付きだったが、こうも続くとあながち間違いでもないかもしれない。……などという馬鹿な事を考えてしまった。
夢の中だと言う事はすぐに分かった。
だが、五感ははっきりしていて、現実味もあった。
まるで星の塔を訪れた時の様な感覚だ。
周囲を見回すと、緑の生い茂る大地があって空の中に浮かんでいるかのように見えた。見上げれば真っ青な空と白い雲。
何となく、星の塔の屋上から見た景色と似ているように、思える。形だけだが。
ただ草だけが生えているだけのようなそんなだだっ広い草原のど真ん中に立っていると、そこにレミィそっくりの白い髪の少女が現れた。
「お前は、レミィか?」
「違いますよ。間違えないでください」
髪の長さも、顔つきも、身長体格も全て同じ。
違うのは髪が白いという一点だけだ。
「まさか、いくら道具があると言っても真名も言わずにこの世界に来るなんて。どんだけ無茶な入場してくれたんですか? 治療中だって言われましたよね。余計な負荷がかかったらどうしてくれるんですか」
で、出会い頭にそいつは勇ましい口調で、荒っぽい言葉をアスウェルにかけてきた。
レミィの声と顔で、そんなぞんざいに喋られると違和感しかない。
「ふぅん……、ほーう、へーぇ……」
呆れたような表情をするそいつは、穴が開く様に……という比喩がぴったりに合いそうな様子で、無遠慮にこちらを眺めまわしてくる。
「ここはどこだ」
「レミィ・ラビラトリの心の中、心域です。聖域と似たようなとこですよ。親戚です親戚。クレファンが許可なく勝手に貴方と心を繋げたみたいですね。あー、もう説明面倒くさいです。どうせ貴方、人の心の中とか説明したって信じないでしょう。無駄です無駄無駄」
投げやりな態度でどこかへ去ろうとするので、髪の毛を掴んでみた。
「ひわっ、何すんですか。女の髪にする事じゃないですよ、乱暴反対」
早々に説明を放棄するからだ。偽物。
たった今レミィモドキと名付けたそいつは、アスウェルの事を胡乱気な目つきで見やりながら、気怠そうな雰囲気をまとわりつかせたままだ。
「貴方が来るのを許すなんて、レミィは懲りないですね。まあいいです、仕事するだけですし。はいはい、ここから見守ってるからレミィと触れ合ってばっちり治療してあげて下さいね、よろしく」
何もかもがぞんざいな少女はこちらの意向も確認せずに、会話を打ち切ってその場から忽然と姿を消す。
来るのが唐突なら、いなくなるのも唐突過ぎだろう。
正体が不明過ぎる。
あれはレミィの何なのか。
改めて周囲を見回してみるが何もない。
これでどうしろと。
しかし、草原に放置されて数分。
そんな人間を憐れんだのか、暇つぶしの対象にしたのか知らないが、一匹の緑の小さな鳥がやってきた。そして親しげな様子で、アスウェルの肩に止まる。
つぶらな瞳でこちらを見つめてくる鳥。
頭には、何か兎の耳を思わせうようなハネがあった。
顔を見つめれば呑気そうなのほほんとした、ような鳥面。
レミィにものすごく似ていた。
鳥のくちばしには木の実がくわえられていた。
その存在を示す様に、木の実をこちらに向けて上下に振った後、鳥は空へはばたき、木の実を投げては自分でキャッチする。
どうやら遊んでいるようだった。
しょうもない光景だ。
何がしたいのかと思って見ていると、しばらくして鳥が再び肩に降りて来た。
木の実をくわえて差し出す様にこちらに向ける。
人懐こい鳥だった。
遊んでくれとでも言っているのかもしれない。
相手をしてやる義理はないが、無視するほどやる事があるわけでもない。
アスウェルはしばらく鳥の相手をして遊ぶ事にした。
難しい事なぞ何も考えずに、無駄のような時間を過ごす。
まるで星の塔にいた時に戻った様だ。
懐かしさを感じるそんな夢はしばらくすればやがて、ゆっくりと霞んでいき消えはじめていく。
現実の朝の光を宿のベッドで見た時に、夢の内容を覚えていた事にアスウェルは果たしてなんと思ったか。色々な事を思った気がするが、詳しくは考えないようにした。
そんなわけで奇妙な夢を見たせいだろう。
昨日面倒をかけられた腹いせもある。
アスウェルは次にレミィと出会ったら、あの檸檬色の頭からヘアバンドをとって、玩具にして遊んでやろうと固く心に決めたのだった。
1月10日
数日の仕事の後鉱石採集が終わった後、アスウェル達は無事にウンディへと戻った。
治安は想像通り悪かったが運が良かったのか、アスウェルの力が必要になる事はほとんどなく、一名が海に溺れた以外、被害はまったくなかった。
凄し慣れてきた水晶屋敷へと戻って来たアスウェルは、不覚にも落ち着いてしまっている自分に気づいた。
これも良い事なのか悪い事なのか分からない。
その日、内心の変化にもやもやした心境で、特に訳もなく屋敷内をふらついていると、建物内で見慣れない人間が歩いているのを見た。
そういえば、戻ってきた時に使用人から聞いたのだった。
白衣をきたそいつは屋敷で雇っている医者だという。
ライズ・メトゥイス。
ボードウィンが屋敷に来た際にわざわざ新たに雇った人間だった。
その事実だけを見れば、レミィは屋敷に重宝されていると言ってもいいだろうが。便利な鑑定能力を持っているだけの、魔人にそこまでするものでもないだろう。医者を付けるのも、聖域で治療させるのも、やはりレミィが成功した人間だからか。
屋敷の廊下で出会ったライズは。自己紹介をこなす。
「貴方とはまだ挨拶をしていませんね。ライズ・メトゥスと申します。未熟ながらも医者としてこの屋敷に雇われている身ですよ」
「アスウェルだ」
必要以上の事は述べない。
別にこちらの事などわざわざ教えなくとも、お喋りな使用人たちがとっくに話しているだろう。
それに、まだこいつが敵か味方かどうか分からないのだから。
オリジナルの世界では、アスウェルは一週間でこの屋敷を離れたのだが、あの世界でも留まり続けていれば会っていたのだろうか。
「お医者様なんて呼ばれていますけど、まだまだ勉強中の身ですよ。至らぬ所があったら申し訳ありません。私は、レミィさんの為に雇われたようなものですが、たまに怪我をする者がいますのでそれも見ています。何かあった時は気兼ねなく声をかけてください」
柔和な表情で握手を求めてくる。
まさかこの段階で何かを仕掛けてくる事はないだろうと思い、仕方なく応じる。
これも使用人達から聞いた話だが、ライズと水晶屋敷で今までの期間で一度も会わなかったのは、アスウェルが護衛として雇われる前に、休暇をとって個人的な用事の為に屋敷を離れていたのが理由らしい。
「ここの主人には世話になっている。レミィは、あいつは医者が必要なのか」
クレファンの話では、体の傷の方は大丈夫みたいな話を聞いていたので、これは予想外だ。
「ええ、ちょうどその事でお聞きしたい事があったんですよ。立ち話もなんですので少し医務室に寄って行ってもらえませんか」
見た所怪しい所はまだ見受けられない。
そうやって怪しんで行った結果がレミィの事だったのは記憶に新しいので、心の内の罪悪感が刺激されるが、やはり敵地で油断するわけにはいかなかった。アスウェルは必要な警戒を怠れば、それはレミィ達に害が及ぶ事にもなりかねない。
「部屋は、こちらですよ」
この屋敷に医務室などという物があったのかと驚きながら案内されれば、その部屋は何でもない部屋にベッドと最低限の家具が置かれているだけだった。
どうやら名前だけの場所のようだ。
医薬品やカルテなど必要な物は必要以上に置いていないのだろう。
椅子に腰かけて向かい合い、ライズは紙きれやら筆記具やらを手元に用意する。
思ったよりも、本格的だった。
「レミィさんの様子は最近どうでしょう。何か変わった事はありますか」
「俺に聞くより他に適任がいるだろう」
あいつを常日頃構っている使用人達の方がよほど詳しいはずだ。
「目が多い方が把握しやすいでしょう?」
「変化はない。ドジを踏む回数が増えたくらいだ」
猫被りがはがれてきた影響で、アスウェルの目の前で失敗されると面倒になるという悪影響なら出たが。
「ふむふむ、多少の集中力の欠如……と」
「……極めて局所的な人見知りが改善されたぐらいだ」
真面目な顔でメモを取られそうだったので言い直した。
そんな大層な事は起こっていない。
「夜は眠れてるようですか?」
知らん。
目につく限りでは眠そうなそぶりを見せた事は暇な時しかなかった。
「居眠りする機会があったら俺が叩き起こしている」
「ふむ、睡眠状況は良好、と。あとは、ああ……一つあった。薬はちゃんと服用しているようですか?」
「薬?」
そんな物は今まで一度も見た事がないが。
レミィは薬の世話になっていたのだろうか。
あいつはまた余計な所で隠し事をしているようだ。
頭の出来は残念なくせに、無い頭を無理に使うからしなくても良い誤解をこっちがする羽目になる。
なぜにそういう事ばかり上手くこなすのか、レミィは。まるでいつもやり慣れてるみたいに。
「こちらでレミィさんの状態にあったものを特別に調合した薬を渡しているんです。何せ彼女は少々境遇が特殊ですので、色々と気を使わなければならないのですよ。奴隷契約の影響もありますし」
「知っているのか」
医者の判断で薬を処方するのも、プライベートな情報を開示するのもそういう物なのか、と思う。
そう言う医療の事に関しては、詳しくないから正解が分からなかった。
この場にいない友人……だた知り合いなら、何か分かるかもしれないが。
質問が終わった後は、ライズに念を押される。
「活動している所が見れないと言っても私は医者ですからね。ですが、くれぐれも彼女には奴隷契約の詳しい内容については言わないようにしてください」
それはどういう事だ?
「レミィは知らないのか」
聖域で治療を受けている様子だったのに、まさか自分が何の治療を受けているのか知らないとか、そんな事があるのだろうか。
それとも、知らない事を屋敷の人間には秘密にしている?
まさか。
いくら何でも、そんなややこしい事をあいつができるわけ……ない、と言い切れるだろうか。
「ええ、知りませんよ。奴隷契約の事を知って、レミィさんがショックを受ける……などという話ではなく、むしろ予想しえない事態が起きかねない。そういう危うさがあるのです。彼女の場合は奴隷契約がこの世界に存在している事自体忘れているようなので」
それは忘れているのではなく、壊れてしまったからだ。
この世界に生きる者ならよほどの子供でない限り知っている事。常識をレミィは知らない事がある。
不思議に思っていたが聖域で事情を聞いた後なら、記憶を忘れるのではなく、壊れたと言う事で納得できる話だった。
壊されたとは、思わないのかライズは。
いや、それが普通なのだろう。記憶を壊された人間があんな風に、喜怒哀楽を表せるわけが無いのだから。普通なら。
「だから、くれぐれも奴隷契約の事を本人に言わないように」
ライズの言わんとする事は分かる。
どうなるか分からないというのは、安定しているように見えて実は不安定なレミィに当てはまる事だからだ。
「きっとよほど辛い目にあったのでしょうね。他にも、この世界の常識がいくつか欠如している所が見られますので、下手に刺激しないようにしていただければいいかと。お願いします」
刺激するなというのはどうすればいいんだ。
まさか、何も教えるなという事か?
それは無理だ。
この世界で生きている以上、何も知らないでいられるわけはないのだから。
それでは不都合だから、レミィは勉強したいと言って、レン達があいつに教えているんだろう。
「……できる、範囲で気を付ける。それ以上は俺に望むな」
何となくだか、ここに連れてこられた理由をアスウェルは察した。
ライズはアスウェルに、レミィの保護者として可能な限り面倒を見ろと言ってきているのだ。
あきらかにこちらが扱える範囲を超えた厄介事だ。膨らみ過ぎだろう。どれだけあいつの周りの身辺状況は難解さが肥大化していくのだ。
望まれているような事などアスウェルにはできない。
復讐だけ追って生きてきた人間がしてやれる事など、ないだろうに。
聖域の主や、レン達の方がよっぽどうまくやるはずだ。