03 勉強会
結局、意味深な言葉を吐いて去った金髪の男は見つけられなかった。その代わり復讐のチャンスを手に入れる事は出来たが、放置して置く事になるのが少し気持ち悪い。
屋敷は後回しにするべきだったか? いいや駄目だ。レミィを助けなければ。
ボードウィンの屋敷を訪れ、世話になる事になってもう数日の時が経つ。
この数日で、色々と情報を得たがどれもこれもまともなものはなかった。
噂話の粋を出ないものや、距離感を間違えているとしか思えない鳴れ慣れしい使用人の戯言しか耳に入ってこない。
その中でも唯一最年少であるレミィには遠巻きに距離を取られていたが、アスウェルの行動の支障にはならなかった。アスウェルの記憶の、オリジナルの歴史の中での関係はこんな風ではなかったのが、少し気にかかるが……。
そんな風に過ごす屋敷の日々だが、その日は来客がやって来た。
屋敷の主人に……ではなくアスウェルに、だ。
「アイラって言う人になら確かに会ったわよ。スコットにもね」
「そうですか、元気そうですね。あのお二人も、教えていただきありがとうございます」
応接間で待っていてやれば、コニーに案内されてやって来たそいつが顔を出し、軽く片手をあげる。
それなりに会っている顔だった。
「やっほー。調子はどう? 元気にやってそうね。こんないい寝床見つけちゃって」
その人物は、かねてから情報屋として交流を持っていた人物……フィーアだ。
禁忌の果実の情報収集などで、大分世話になっている。
世話焼きでお節介、アスウェルの最も苦手なタイプの人間だが、腕は確かで人を見る目もある。
煩い、うっとおしい、馴れ馴れしいとアスウェルにとってはかなり嫌煙したい種類の人間であるのだが、情報屋としては右に並ぶ者がいないくらい優等性なので、縁を切れないでいる。
緑髪を片側でまとめた踊り子の様な衣装を着た、二十くらいの歳の女性は、何故だかこの間の町で起きた騒動の事を知っているようだった。
「この間、ウンディのホールで事件に巻き込まれたらしいわね。大変ねぇ」
「何しに来た。さっさと用件だけ言え」
「ほんっとアンタってつれないわね」
世間話に長々と付き合っている暇も時間もないので、さっさと話題に入って欲しかった。
「まあ、いいわ。今日はアンタを勧誘しにきたの。ホールの前でライトと……金髪の子と会ったでしょう? 覚えてる?」
あった。
怪しげな人間だった。あれは忘れようとしても、そう簡単には忘れられない。
フィーアの知り合いだったらしい。
「フィーアお姉さんからの、禁忌の果実関連でかなり有利になれる紹介よ。あの子にアンタの事教えてあげたら、かなりいい気になって会いに行ったんだけど、上手く行ったかしら」
ぜんぜんまったくの逆効果だ。
むやみに警戒させて、何がしたかったのだ。こちらを試してでもいたのだろうか。
「手土産に、魔人排斥派のトラブルに気を付けてって教えてあげたじゃない。何が気にくわないのよ」
あれは気を付けろの避難誘導ではなく、誘い込みの手口だった。絶対に。
長年情報屋をやっているだけあって、フィーアの人を見る目はかなりの精度を誇るらしいから、悪い人間ではないのかもしれないが……。
アスウェルとしては、無駄に振り回された苦労もあって、納得できない。
「悪い奴じゃないわよ、あいつは」
本当だろうか。
フィーアとライトとの間で、致命的な意思疎通ミスでもあるのではないのだろうかと思ってしまう。
「実はあいつを含めてあたし達はね、ネクトって言う組織に入っているの。その組織では禁忌の果実を追っているんだけど、結構いい情報入って来るのよ、これが。
ここまで言えば何を言いたいか分かるでしょ、みたいな顔をフィーアはこちらに向ける。
「……つまり今日は、勧誘の話をしにきたの。アスウェル、あたし達の仲間にならない?」
あの禁忌の果実の反抗組織の勧誘。
結構な会話内容にも関わらず、フィーアは身を乗り出して楽しげだ。
深刻な内容は、もっとそれらしい顔をして話すべきだろうに。こいつはいつでもこんな調子で、どうでもいい事から大変な事まで話すからやりにくい。
しかし、長い間世話になっている相手だが、まさかそんな組織の一員だったとは知らなかった。
聞いた事が無いし、初耳だ。
アスウェルが禁忌の果実を追っているのは知っていただろうに、今まで黙っていたのは、どういうわけなのか……。
「別に意地悪で黙ってたわけじゃないわよ。つい最近存在を知って加入したんだもの」
と、そんな具合にアスウェルが訝しめば、向こうは付け足すように言ってくる。どこまで本気でどこからか冗談や嘘なの分からなかった。苦手なタイプだ。
話はそれで終わりかと思ったが、だがそうはならない。
フィーアは屋敷の事に口を出し始めて、使用人達へ興味を持ち始めた。
「ここに来るまでに見たけど、庭に小っちゃい子がいたのよね。すんごく一生懸命で可愛いの。後ろから抱きついたら、ひゃわーっなんて可愛い声で悲鳴を上げちゃって……」
「レミィか」
想像は容易だった。
その時の光景が目に浮かぶようだ。
「レミィちゃんって言うのね、もっと困らせたくなっちゃったわ。今はどこにいるのかしら」
「お前はもう帰れ」
アスウェルじゃなくても迷惑だ、それは。
「なになに? 気になってるの? アンタの好みってああいうのだったんだ、ふーん」
「……」
叩き出そうかと思った。
だが、それで出て行ってくれるような可愛げのあるやつなら、困っていない。
要らぬ好奇心を発揮したフィーアは、屋敷を勝手に散策し始める。
かなり、ものすごく、とても放っておきたかったがアスウェルに来た客人である以上、そうするわけにもいかないだろう。何か迷惑をかけて、アスウェルが早々に屋敷を叩き出される……などと言う事になったら困る。
「ほんとに水晶屋敷なのね、この屋敷。いたるところに鉱石が飾ってあるわ。あ、メイド発見!」
「ふぇ!」
「自己紹介した? あたしはフィーアよ、よろしくねレミィちゃん」
「あの、あの……」
それで、運悪く偶然通りがかったレミィに絡み始めるのだから収拾がつかない。
捕まえたレミィを抱きしめたり、頬ずりしたりして好き放題だ。うらやまし……くはない。
「あの、ごめんなさい。私、講堂で勉強会があるんです。早く行かないと」
「何それ、面白そうね。アタシも交ざっていいかしら」
酒を飲んで泥酔したオヤジか、お前は。
はっきりいって懇親会の使用人たちより、馴れ馴れしくてタチが悪かった。
午後から勉強会がある、とレミィに言われて何を学ぶ事があるのかと思った。
だが想像に反して、本当に勉強会と呼ぶだけの事はしているようだった。向上心があった事に驚きだ。
こんな勉強会を催しているのに、一向に聡明そうな人間が屋敷に増える気配がないのは何故なのか。分からない。
「えっと、うんと……。イントディールの……この世界の一番最初の歴史は、毒姫がニエの世界に落とされたところから始まるんですよね」
講堂の中で、開け放った窓から風を浴びながら、レミィを中心に他の使用人達やフィーアがそれぞれ歴史について教えていっている。
「そうそう、偉いわねレミィ。ちゃんと復習してきたのね」
「まあ、それくらい当然だよな。じゃあちゃっちゃと次行こうぜ」
「レミィさん、ちゃんと説明しますから聞いていてくださいよ」
レンとアレスに左右を挟まれて、真正面には同年代の同僚のコニー。
そして背後にはフィーアの鉄壁の布陣だ。
知り合いであるよしみもあってか、フィーアがおかしなことを仕出かして迷惑をかけないように見張る義務があるアスウェルは、しかたなくそれらの集まりから離れた所に立って様子を見続ける。
「さあ、次行きますよ」
コニーが勉強内容を進め、次の内容へと移っていく。
中身は子供でも知っているようなこの世界の歴史についてだ。
帝国歴0年、毒姫がこの世界……イントディールと、対になる世界……ニエ=ファンデに堕とされて、世界に毒が満ちる。そして毒になれた魔人族。という新たな種族が登場する。
そんな誰でも知っている一般常識。
だが、レミィはまるで聞き覚えのない事を吸収しようとするかのように、真剣に耳を済ませて集中している。
帝国歴900年前後、世界は一旦統一される。神威という国によって、国や組織は一つにまとめられ、監視社会となる。この世界に生きとし生けるもの全ての生命が支配されるが、約1000年にレジスタンスによって壊され、人々の手に自由が戻る。
その後に紆余曲折があり、神威の残した研究資料によって医療技術が発達。聖域とこの世界の創造主であると噂される存在が語られ始める。
しかし、今現在帝国歴1500年直前に至るまでには、魔人弾圧が広まり、奴隷契約が貴族の間に広まって再び世界情勢には暗雲が立ち込めてきていた。
「ふぁあ、頭がこんがらがってきそうです……」
そんな当たり前の事でも、レミィにとっては真新しい事らしく、難しげな表情をしてずっと頭を働かせていた様だ。
区切りがついた瞬間、背中を伸ばして疲れた目をしばたかせていた。
「お疲れさま、レミィ。ちょっと休憩する?」
「駄目ですよレンさん、甘やかさないでください。自分から勉強したいて言ってるんですから、ここはみっちりしっかりやらせるべきです」
「そうはいっても、疲れたら効率が落ちちゃうんじゃないかしら……」
さっそく甘やかそうと甘い言葉をかけるレンだったが、コニーに待ったをかけられてしまう。
そう言えば、この勉強会とやらもオリジナルの世界ではなかった。
先程コニーが自分からと言っていたが、過去に戻ったとしても同じ事が起こるわけではないのだろうか。おかしな感覚だ。
そもそもアスウェルがオリジナルの歴史でレミィと出会ったのは、草っ原。
巻き戻ったことにより、オリジナルの歴史の自分とは違う行動を取っていると考えても、レミィがホールにいたというのはおかしい事の様に思える。
レミィは所持品の時計を修理するつもりだった。そう考えれば……、
離れたところにいるアスウェルの行動が、レミィに影響して変えたと考えるよりは、元からあのホールに行く予定があったとしか思えないのだ。
「しっかし、おかしな事だよな。記憶喪失になったっていっても、普通こんな常識まですっぽ抜けるなんてわけないはずなのに」
レンとコニーのやり取りや、知恵熱が出そうな様子のレミィを見るアレスは不思議そうな顔になっている。
「あら、アレス。不用意な事を言ってレミィを傷つけるなんて許さないわよ」
「ええ、あ。いやそういうつもりじゃねえって」
「うふふ、冗談よ。分かってるわ」
アレスの言わんとする事は分かる。よく考えれば確かに、記憶喪失になったからと言って、常識まで抜けるのはおかしな話だ。
いくらレミィの素の、仮面の下が粗忽でうかつで間抜けであっても、人間がそんな事まで忘れるはずがないのだ。
帝国軍のコネクションを持って活動しているアスウェルも、記憶喪失になった人間の話は聞いた事があるが常識まで抜け落ちたという人間はあまり聞いた事が無い。あったとしてもそう言う人間は、まともな日常生活を送れるような状態ではなかった。
「私、おかしいですか? 私自身は変だって思えないんですけど」
話の中心であるレミィは何故かこちらを見て、そして視線を逸らす。
何かを確かめたそうな、聞きたそうな、……で最後に諦めたようなそんな様子だった。
今の意味は何だ……?
背後にいたフィーアが目ざとくそんな仕草に気づくが、さすがにほぼ初対面の人間の内心は読み取れなかったらしく、首を傾げつつも言葉をかけていく。
「誰か、レミィちゃんの事知ってる人に会えればいいんだけどね。そうだ、今度帝国に行ってみればいいんじゃない? 帝国軍にそう言う事に詳しいみたいな知り合いが一人いるのよ。聞いてみたら何か分かるかもしれないわ」
「え、本当ですか。フィーアさん」
「ええ帝国ならよく知ってるもの。もし予定が合ったなら案内してあげてもいいわ」
「ありがとうございますっ、フィーアさん。お給料貯めないと……」
記憶喪失の専門家みたいな人間が帝国にいるのか。
「ううん、専門家じゃないわ」
離れた所にいる人間の顔色を読むな。話しかけるな。
「良いじゃない。これくらい絡ませなさい。ええと、研究者だって言ってたわね。そんで、ある重要な機械のメンテナンスを仕事にしてる人」
フィーアは思い出す様に虚空に視線を向け続ける。
「結構な変わり者よ。副大罪の器とか言う物について調べていたり、魂巡転生論とか調べてたり……、前者は、物語とかでよくある強欲とか怠惰とか色欲とかのやつで、それに変わる別の大罪の調査みたい。確か後者は、大抵の人には前世があって生まれ変わってるみたいな話だったわね」
「その人って、変わった人なんですね」
「ええ、本当にね。私と大して変わらない年なのに浮ついた話の一つもないの、もうお姉さん心配だわ」
レミィの言葉に嘆かわしくてたまらないと言った様子で、大仰にフィーアが頷く。
そんな風に変わっている人間なら、アスウェルにも一人心当たりがいるのだが、まさか同一人物ではあるまいな。