11 収束する運命
屋敷に戻った後にレミィと話をしたかったが、何も知らずに構い倒している他の使用人達の前でするわけにもいかず、夜になるまで待った。
間を置いた後、使用人の部屋が並んでいる区画へと赴きレミィの部屋へと向かうのだが、ノックした扉の向こうからは人の気配がしない。
隣室を使って確かめたかったが、盗み聞き防止の為にレンにでも施錠されてしまっているのか開けられなかった。
鍵はなくとも、一応ピッキングの技術はあったのだが部屋にレミィがいないのなら、無駄骨になってしまうだろう。
仕方なしにアスウェルは、屋敷の外に出て窓から様子を窺おうと行動するのだが……。
玄関で、探していたその当人の姿を見かけた。
夜の闇に沈む屋敷の外へと出ていき、一人で森へと向かっていく。
さすがにいつも見ている使用人服ではなく、着ているのは寝間着用の服。
いつものやかましい様子は一切なく、ただ静かで目を離せばふっと消えて行ってしまいそうに見えた。
暗い森の中、空にある星月の光だけが照らしている。
躊躇はあったが、それも数秒だけの事。
『怪我が……、血が止まらない』
オリジナルの世界でも通った事はない場所だ。
『手当てが……、必要……』
不気味な。
何が起こってもおかしくはなさそうな雰囲気がある。
『研究所に……救援……』
頭の奥をかすめていくような、幻聴が気になる。
なんだ、一体。
歩みを止めそうになったら、暗闇の中にレミィの姿が紛れていきそうになって慌てて追いかける。
今は、保留にするしかない。
しばらく気配を殺して先を行く少女の後を追っていけば景色が変化し、鬱蒼としていた森が開け、この過去世界に来る前に訪れた庭園と、どこか似た雰囲気のある場所へ辿り着いた。
湧き水の貯まった泉に、庭園でも見た銀の花がどこからか飛んできて、花色と同じ光を放ちながら静かに降り積もっていく。
目の前にあるのは今にも消え入りそうな儚さを感じさせる光景。
旅の果てに辿り着いた地で、静かに羽を休める鳥の休息を思い浮かばせるような、そんな景色だった。
辿り着いたレミィは何をするでもない。その場所で、泉に足を浸しながらぼうっとした様子で夜空を見上げて立っている。
ただただ真摯に天空を見つめ続け、何か大事な物でも探す様に視線を暗闇へと注ぎ続けている、それだけで……。
「……」
不穏な気配など、血なまぐさい陰謀の影などまるでなかった。
星空に見下ろされて泉に立つ少女の姿は、普段幼さしか見えない様子を潜めていて、大人びた雰囲気を纏っている。触れれば崩れて消えてなくなってしまいそうな、そんな儚さを。
話をしようとそう思ってここまで来たというのに、その光景を前にしてアスウェルは身動きができなかった。
「…っく」
ふいに、その場を満たしていた沈黙が不意に破られる。
「……っく、ぐす……っ、嘘つきっ。約束したのに……。どうして私を一人にしたの……っ? 私一人じゃ……戦えないのにっ」
嗚咽交じりの鳴き声が響いてきて、少女が涙をこぼしている事に気が付いた。
瞳から溢れる水滴は、泉へと落ちては波紋を刻んで行く。
「どうして……どうして、私の家族になってくれたなら、一人にしないって……。ずっと一緒にいてくれるって、言ったのに、どうして忘れちゃったの? ……ひっく、……っく」
さっきとは真逆に、今度はずっと幼く小さな子供の用に声を震わせて泣く少女がそこにいた。
まるで、見知らぬ場所に寄る辺もなくただ一人にされたような、そんな様子で。
だがその声も唐突に止まる。
後をつけてきたアスウェルの存在に気が付いたのかと思ったが、違うようだった。
「今日は、聖域には顔を出せないですね。……時間です。行かなきゃ」
泉に浸していた足を出して、ゆっくりと森の奥へ歩いていく。
重たげな足取りを変えず、まるで先に進みたくないと言うかの様に。
アスウェルは当然、その姿を追いかけていく。
泉を離れてから数分。
少し離れた他の木より一回り大きい大樹の立つその場所には、屋敷の主人であるボードウィン・ドットウッドが立っていた。
「卑しい魔人の娘が、己の身をわきまえて我々に潔く身を差し出しに来たようだな」
「ボードウィン様。こんな時間にこんな所にいて、何かご用ですか」
「理由などとっくに分かっているだろう? さあ来い。間抜けな貴族共に合わせて表の顔を取り繕うのは疲れる」
「……はい」
レミィを従えて向かうのは、泉の近くにある木の根元、巧妙に隠された秘密の入り口だった。
「まだ一月の半ば……。私が余計な事しちゃったからかな。予定、前倒しになったんですね」
「何か言ったか」
「何でもないです。予想よりストレスに耐性がないんですね、と言っただけですから」
「貴様……、言うではないか。その言葉すぐに公開させてやる」
「アスウェルさん、屋敷の皆さんの事……」
お願いします、と最期にそう言葉をのこしてレミィと水晶屋敷の主人、二人は入り口の中へと消えていった。
「……」
装備は持っている。こんな日常を送っていても染み付いた習慣は消えないものだ。
木の根元にあった入り口を通って奥へ。
冷たい通路を通って、途中にある頑丈な扉を開けるとその向こうの通路には左右に牢獄が並んでいた。
嫌な、予感がした。
「っぁ……」
引きつった悲鳴のような声が聞こえて来て、その声がレミィのものだと認識するより前に駆ける。
まさか。
「お前が特別でなければ、我々組織の特別な実験体でなければ、誰が失敗続きの魔人などを屋敷に置いてやる? 図に乗るなよ。紛れ込んだネズミに餌を与えおって、知っているのだぞ。力の事を……」
レミィはボードウィンの日ごろの鬱憤のはけ口にされていた。それだけじゃない。
レミィはこの時点からもう禁忌の果実の犠牲者で、そいつらに屋敷で飼われて自由を奪われていたのだ。もしそうだとしたら、そんな事が本当にあったのだとしたら……。
レミィは今までずっと一人で戦ってきていたの事になる、連中と。
それが事実だとしたら、アスウェルが考えてきたものはなんだったのか。
幸せなんてもの、少女の日々には、欠片さえどこにもないではないか。
アスウェルはこんなものを見過ごして、一人残して行ったのか。
こんな日常に、置いて行ってしまった。何も気が付かずに、知らずに。
元の時間で死神になってしまったあいつはひょっとして、アスウェルを恨んでいるかもしれない。
気が付けなかったアスウェルを、何もしてやれなかった人間を。
だから、レミィは怒っていたのではないのか。つい先日の事でも。
今も自分は先程まで勘違いをして、敵の仲間かもしれないなど思っていて……。
目の前にあった光景を見つめる、それは……。
たどり着いた牢屋の前。アスウェルが見たのは、鎖で天井から吊るされたレミィが、ボードウィンに頬を張られている所だ。
「ひっ……ぅ……」
「残念だったな、組織を逃げ出して最古の魔人の元に逃げ込んだと言うのに。前の主人の、アレイスターは本当に間抜けな奴だった! お前を助けたばかりに我々に目を付けられて殺されてしまったのだから! ここの使用人達もいい迷惑だろう。お前のせいでな」
「ぐすっ……ひっく、ごめんなさい」
「逃げるなよ。逃げたら同僚達がどうなるか、いかに頭の悪いお前でも分かるだろう」
「ごめんなさい。止めて、皆に悪い事しないで。ごめんなさい……、ごめんなさい。アスウェルさん、皆を……守って……」
どうして、そんな風に託せる。
疑っていたのに。
レミィが敵なのではないかと、そうだったら撃たなければと、そう考えていたと言うのに。
そんなアスウェルに……。
「魔人の分際で、人の心配をしていられるとは余裕だな」
「ひっ……」
邪魔だった、あの男が。
後悔も反省も後だ。
とにかくあいつが目障りだ。
黒い感情が、胸の内で膨れ上がっていくのが分かった。
殺そう。とそう思った。
もう情報収集などどうでもいい。
この程度の人間くらい、探せば簡単に見つけられる。代わりならいくらでもいるのだから。
銃を構える。
殺す。守る。殺す。殺せ。守らなければ。殺して。殺さなければ。守れない。守らないと。
世界が歪むような感覚。
膨れ上がる憎悪がアスウェルの認識する全てを塗り潰し、真っ赤な鮮血の色へと変えていく。
引き金に添えた指に力を込めるが……。
唐突に。
赦しを請うていたレミィの声がこちらに向けられて、視線が合う。
こちらの存在に、いや違う何かに驚いて、気が付いたように。
アスウェルの背後を見て叫ぶ。
「アスウェルさん! 逃げて!」
終わりは唐突だった。
人の終わりなぞあっけない。
レミィの警告を最後に、考える暇もなく意識が寸断された。
それは風調べの祭りを二日後に、レミィの誕生日を明日に控えた、1月14日の事だった。




