10 甘い毒
1月14日
屋敷で得られる情報が無くなった為、その日の活動はウンディの町で行うことにした。
踊り子衣装を着たなじみの情報屋を尋ね、地元にいる人間にも声をかける。
直接組織の事に尋ねる事はせず、当たり障りのない所を聞き出し、おかしな異変がないかなど遠回りに聞き出していく。
町を歩くと、風調べ祭りの準備が着々と行われているようで、建物ごとに施された飾り付けがよく目についた。
そういえば、近々行われるだろう祭りの日付はいつだっただろう。
「変わった事なんて、そんなにないねぇ。ここは小さな町だし」
だがそうして歩き回っても、アスウェルの労力に見合う結果は出なかった。
それは、組織の事だけではなく屋敷の評判や噂についても同じ。
「ボードウィン? 名前だけは聞くけど、どこの屋敷の誰さんかは知らんねぇ。そいつは男なのかい、女なのかい?」
町の者にとって屋敷の場所は大体しか分からず、人物の知名度もそれ程ないようだったからだ。
彼らの共通認識としてあるのは、鉱石の収集家が住んでいるという事、そして稀に屋敷を訪れた人間の感想から、屋敷は水晶屋敷と呼ばるようになった事ぐらい。得られた情報はそれぐらいだった。すでに知っている事ばかりだ。
「あれ、アスウィルさん何やってるんですか? こんな所で」
町を歩いていると、使用人服を着たレミィがアスウェルを見つけて寄って来た。
その腕の中には籠がひとつ抱えられている。
本当によく町に出てくる。
他の使用人たちは見かけないと言うのに。
「町に用事か」
「はい、そうですよ。買い出しです」
「保護者はいないのか」
周囲を見るが、他の使用人の姿はやはりないようだ。
「子ども扱いしないでください! 買い物ぐらい一人で出来ます。ボードウィン様があそこのお店の果物が好きなので買いに来たんです」
レミィは頬を膨らませて、近くにあったあそこのお店とやらに向かっていく。先に言った通りに果物屋の店だ。
「ごめんくださいですっ。いつものくだものを頂戴しにきましたー!」
「おやおや、レミィちゃんかい? また来てくれたんだね」
「はい、来ました! ここのお店の果物はとっても美味しいので、屋敷で評判なんです」
「それは良かった、いつもので良いのならすぐに用意するよ」
店にいた中年男性の主人と楽しそうに会話した後レミィは、頼んだ果物分とは余分な物をもらっている。
朗らかに笑いながら談笑するその姿は、客と店主ではなく老人と孫娘の様な絵面だ。
町の子供らに存在を認識されているだけでなく、店の常連になっているということは、アスウェルが来た時だけではなく、いつも町に出かけているということか。
「いつも御贔屓ありがとうね。今日は一個おまけしてあげるよ。レミィちゃんがご主人さんに紹介してくれたおかげでもあるからね」
「えへへ、そんな事なくもないです」
近づいていくと、誉める店主と、謙遜してるフリしてしてないレミィの言葉も聞こえてくる。
果物屋の男がレミィの差し出した籠に入れている間に、声をひそめて少女へと尋ねた。
「お前の狙いは何だ」
「何の事ですか?」
「あの夜に言った事だ」
「夜……ですか? 私アスウェルさんと最近夜に会話しましたか?」
首を傾げるその様子は何も知らない者が見れば、本気で心当たりがないようにしか見えないだろう。
だが、以前ならばともかく、今のアスウェルがその行動を信じきることはない。少しばかり少女の事を知りすぎたからだ。
追及したかったが、用意を終えた店の主人がこちらの方へ意識を向けて、籠を差し出してきた
「はいよ、レミィちゃん。美味しく食べてくれよ」
「食べるのはボードウィン様ですよ。あっ、つまみ食いなんかしてませんからね」
「ははは、そうかいそうかい?」
「あ、信じてませんね。ほんとなんですからっ」
ほがらかな笑い声をあげる主人はこちらの存在に気が付いた様だ。
首を傾げて、レミィへ尋ねる。
「おや、この方はレミィちゃんの知り合いかな?」
「はいです。旅のアスウェルさんです。とっても怖いお顔をしてますけど、でもとってもとっても良い人なんですよ」
「そうかい。レミィちゃんはその人の事が大好きなんだね」
「はいっ、とっても好きです」
一片の曇りもない笑顔で言い切った使用人を横にして、アスウェルが何かを発言する事はない。
「……」
思う事は色々ある。そんな事をよく恥ずかしげもなく言えるな、とかそんな大それた好意をうける程こちらは何もしていないとか。
だが、一番に思うのは……。
下手な人間に聞かせたら悪い虫が尽きそうだと言う心配だった。
「あ、お勘定しなきゃです」
籠いっぱいに詰められた果物を抱えながら話し込んでいたレミィは、金銭を払っていない事にようやく気が付いた様だ、慌てて使用人服を漁って、財布を一つ取り出し支払いをする……ついでに小さな包みを取り出した。
今まで気にしていなかったが、町の中をそんな服で歩き回っていたのか。
目立つし、見つけすい。
レミィの頭に羞恥心という言葉はないのだろうか。
そう言えば前にも似たような事を聞いた。
その時レミィは、お金を使うのがもたいないから私服は持っていない、とか言っていたのだったか。
「これ、本当は駄目なんですけど……お屋敷で作ったクッキーです。奥さんと一緒に食べてください」
「良いのかい、レミィちゃん。ありがとうね」
包みを受け取った店主に見送られレミィは歩き出す。
手を振って、振り返している両者の絵は、子供のお使いの絵にしか見えない。
事実そうなのだが。
「アスウェルさんの用事は済んだんですか?」
「おおよそはな」
「そうですか、では一緒にお屋敷に帰りませんか?」
特に断る理由はない、この少女と会話する良い機会だろう。
そう思い、アスウェルはレミィの横に並ぶ。
それを見て、レミィはなにやら表情を綻ばせるが……。
「……」
口を開いて、何かを言いかけたところで、背後で轟音が響いた。
振り返ると、
果物屋の店主が顔を真っ青にして暴れまわっていた。
人間のものとは思えない腕力で、商品を、店を壊している。
そうしている間にも、その体に変化が起きていく。
筋肉が肥大化し、膨張して巨人へと。
そこに元の店主らしい容姿は微塵も残っておらず、 あるのは暴力的なほどの狂暴性と敵意を秘めた、境人だけだった。
『グオォォォォ――――――――ッ』
狂想化。
それは、この世界の人間に時折り起こる現象……そのはずだが。
「「「毒姫の影響だけじゃ……い、奴らの研究……毒……も」」」
「何だ……」
立ちくらみがした。
意識を一瞬何かに持って行かれた気がしたのだ。
まるで普段立ち入らない場所に踏み入れたような、使っていない脳を働かせたような。
軽い疲労感を感じる。
一瞬、実際に聞いたものではない物が聞こえ……見た物ではないものが見えたような、そんな気がした。
アスウェルはそんな情報を知らない。そんな言葉をどこかで聞いた事もない、はずだ。
「オォォォ――――――――――ッ」
気づけば狂想化し、境人となった店主は雄叫びを上げていて、ただ破壊行動を繰り返すだけとなっていた。
その対象は物だけではなく、当然の様に人間も含まれる。
店主は近くで腰をぬかして、逃げ遅れたらしい女性にもその暴力を叩きつけようとした。
アスウェルは銃を向けようとするが、それよりも早くレミィが走り出した。
「やあぁ――――っ!」
「よせ!」
アスウェルはその姿を追いかけようとした。
立ち止まる。そして、はっとした。
いいのか、これで。
これは良い機会なのではないのか、あの少女の正体を突き止めるための。
このまま黙って見ていれば、情報がえられるだろう。
けれど……。
アスウェルにそれができるのだろうか。
「暴れないでくださいっ」
少女は、何もない所から長槍を取り出して、その刃先を変貌した店主へと向けながら走り寄っていく。
あれは、何だ?
またか。
レミィは一体何をしたのだ。
先程の一瞬。
虚空が、何もないはずの空間が歪んでいて、レミィはそこから武器を取り出したのだ。
ついていけない。
短期間に何度もこちらの理解を超えた事をするな、と言いたい。本当にだ。
「……っ」
だが、考えながら冷静に見ていたのは、そこまでだ。
アスウェルはやはりこらえきれなかった。
そんな不可思議な光景を見せられたら、立ち止まるのが道理だろに、アスウェルの心の深くがこのまま見過ごすのを拒絶していたのだ。
共に戦わなければならないと、檸檬色の髪の少女の隣に、あの場所へ行かなければならないとそう思って。
アスウェルは、愛銃ミスティックをホルスターから引き抜く。
相手に近づき。肥大した腕をかいくぐるレミィの身のこなしは、一般人のそれとはとても思えない。
アスウェルは駆け寄り、使用人服をひるがえし行動するものの、なかなか相手に近づけないでいるレミィを援護するように、銃の引き金を引く。
ミラージュ。
技術を駆使して、金属に銃弾を当て、反射させ、相手の資格から攻撃を叩き込んで行く。
心なしか、その精度が上がっているような気がした。
相手の動きも、よく分かる。
レミィに当たらないように相手の背後を狙って、死角から銃弾を叩き込んでいく。
そして、ファントム。
ただ打ち出す為だけに作られた、玩具の様な……けれどコストの低い弾で連射し、相手の気を引き続ける。
こちらの動きに合わせて檸檬色の髪をなびかせる少女は、援護するアスウェルを一瞥し……。
「ミラージュ改、行きます」
そう一言。
当然のようにアスウェルの援護を受け、息を合わせて行動する少女は、宙へと身をひるがえらせて店主が動きを止めた一瞬を使う。
まるで木の葉にでもなったかのようにふわりと跳躍し、境人の腕へと跳び乗ったレミィは肩へと駆けゆく。
「えいっ」
そして……。
レミィがいつの間にやら手にしていた緑の鉱石が、淡く発光した瞬間、風が湧き起こり、周辺に散らばっていた壊れた残骸などが浮かび上がる。レミィは魔法の風をコントロールして、浮いた残骸を周囲の空間に滞空させ、風の渦で巻き取り強く固定。
まだ使える魔法があったのか、と考えるのは後だ。
舞台準備は整えられた。
他の誰でもないアスウェルの為の舞台が。
記憶の奥底で、感じる、
自分は、それが何の為の行動か知っているのだ。
考えずとも、自然と体が動いた。
風で宙に固定されたそれらは、滞空する反射板だ。
銃を向け、慣れた様子で狙いを定める。
「……」
引き金を引けば、後は攻撃は的へ吸い込まれるだけだ。
放った銃弾は、残骸に叩き込まれ、その表面を跳弾していく。
次の残骸へ、他の残骸へと。
残骸を固定していた風は、銃が跳ねる瞬間を見越したように物体の背後に回り込んで、その物自体が背後周囲に弾き飛ばされないようにし、役目を終えていく。
その攻撃は正しく、ミラージュの改良版だった。
境人の死角へと放った弾丸は命中。
仕上げは、レミィだ。
「ごめんなさい」
浮いていた残骸が地面に落ちるのと同時に、待った少女は響く轟音のなか、すばやい動きで的確に急所を狙う。
武器の長槍で首へと一撃を入れれば、相手は完全に動きを止めたのだった。
異形の化け物を無力化して、倒れたまま動かないのを確認した後アスウェルは、腰を抜かしたままの女性の元へと向かう。
戦闘中に一度、変貌した店主に向かって「あなた」と呼びかけていたのを聞いたので、家族だ推測したからだ。
「「「彼女の毒なんて……、とっくに……の世界からは……」」」
原因を聞いておかねばならない。
そんな事は考える間でもなく、このイントディールに満ちた毒姫の毒だろう。
今まではそうおもっていたのだが、なぜだが確かめねばと思ったのだ。
「なぜ、ああなった」
「あ……え……」
「教えろ、必要な事だ」
目の前で起こった悲劇に、放心状態だった女性はこちらの存在に気が付いて、ゆっくりと時間をかけて言葉を探していく。
そうして、絶望も悲嘆も未だ追いついていないような表情で、記憶の彼方から掬い取ったその事実をアスウェルに述べた。
「理由は分かりませんけど、誰かからもらったらしいクッキーを食べた直後に、突然苦しみだして……」
それだけ聞ければ十分だった。
「今後ボードウィンの屋敷の人間からもらったものに口をつけるな。そして、この事は誰にも喋るな」
誰がどうなろうと関係ないが、それぐらいの忠告をしてやる程度の親切心はある。
アスウェルは女性に背を向け、檸檬色の髪をした少女を猜疑のまなざしで見つめ続けた。