05 最初の一日
屋敷内部はやはり水晶屋敷と呼ばれるだけあって、あちこちに額縁に入れられた鉱石の標本が飾られていた。
アスウェルにはそんな物、見た目にも扱い的にも邪魔臭い物体にしか思えないのが、石など集めて一体何になるというのだろう。
収集家の趣味は理解できない。
あるいは、趣味というのは嘘で、最上位の立場にいるという己の権威や立場を誇示する狙いがあるのかもしれないが、それにしては量が多すぎた。
だが、他の者に比べれば、水晶屋敷の主であるボードウィンは接しやすい方だ。
アスウェルはこれまでに通って来た旅の資金繰りや、組織についての情報集めに関する活動で出会った貴族達を思い起こす。
奴等は、こちらが平民だと知るや否や尊大な態度になるし、さらに低い身分の交じりだと分かるや否や、平気で護衛の魔人をけしかけて危害を加えようとしてくるしで、やりにくい事この上ないのだ。
それに比べればここの屋敷の主人は、理解しがたい趣味を持ってはいるようだが、内心はどうあれ魔人俗を白昼堂々進んで差別するような人間ではないし、記憶にある限り権威をひけらかす事はなかったので非常に助かった。
もちろん、助かるだけで好意を抱く事も、気を許す事はない。仇としてはもちろん殺すつもりだが。
考え事をしている間にも、アスウェルはレミィに袖を引っ張られながら、屋敷の中を案内させられていく。
「……それで、次に行くのは講堂です。地下には水場があって、禊ができるようになっているんですよ。儀式が必要な時は重宝です。この場所、もともとは遺跡が建っていたらしいですけど地下以外取り壊しちゃったそうです」
禊。と聞かされて思うのは、貴族の特権だ。
貴族をカテゴライズする時に裕福な事が一番最初に来るアスウェルだが、それと同じくらいに謁見許可が頭に上がる。
優れた血を持つ人間……を自称する彼らは、水場を自宅に作ってこの世の創造主が住まうと言う、聖域に行き、創造主……つまり神に謁見する事ができるという与太話だ。
おそらく実際には、それらの話に己の格を上げるための道具以外の意味はなく、聖域を訪れた者などいやしないのだろうが。
レミィの案内に従って、屋敷の離れに建っている講堂の内部へ。
屋根のついた通路を歩いて、一分もかからないその場所は、いくつもの席が並んでいて、奥には一段高くなった舞台があり、ピアノが置かれていた。
演奏会などが開けそうだ。興味などないし、どうでもいいが。
金をかけているだけはあるのか、見た目はそれなりに良く、金持ちにありがちな変な権力主張も見えなかった(それでも鉱石の飾りは欠かさないようで、あちこちにあるが)。
純粋に講堂としてなら評価できなくはない造りだった。
しばらくぶりだったので、屋敷の部屋の配置について再確認できたのは良いが……。
「あ、何か質問ありますか?」
「部屋」
「へや?」
「……」
最初に部屋につれていけと言っただろう。聞いてなかったのかこいつは。
誰が屋敷を案内しろと言った。
ただでさえ色々と変化の多い一日を送って疲れていると言うのに。
「はっ、すいません、つい嬉しくて。……すみません」
アスウェルの様子にようやく気が付いた様子のレミィは、申し訳なさそうに頭を下げる。
「手を放せ」
「あ、あう……すみません」
そしてレミィはこちらの袖を掴んでいた手を名残惜しそうに離した。
長く見ていると罪悪感が湧いてきそうだが仕方ない。
最悪な初対面を迎えた自信があったのだが、なぜレミィはあの時から一転してこちらに馴れ馴れしく接してくるのだろうか。
アスウェルの主観で(まどろっこしいからオリジナルの歴史の世界で)初めて会った時は、こんなに近い距離ではなかったはずなのだが。
「ごめんなさい、あの……迷惑でしたよね。アスウェルさんが二度と会えないって思ってた人と、同じ顔をしてたのでついテンションが上がっちゃいました」
「……家族、なのかそいつは」
二度と会えない人間。
気になって勘のまま問いかければ頷きが返ってきた。
普段の自分を考えれば、他人の事情に踏みこむなど常の自分ならば考えられないことだが、つい口を出してしまっていた。
出来る限り一年前の自分を演じていようと思ったが、興味が勝ってしまったらしい。
「はい、大事な家族です。お兄さんですね。……血はつながってません。身寄りのなかった私に、家族になろうって言ってくれた人です。大事な人なんです」
「そうか」
血の繋がっていない兄か。
知らなかった。そんな事は前には話されなかったからだ。
レミィの事についてはそれなりに詳しくなったつもりだったが、それでもまだまだ知らない事の方が多かったらしい。
自分よりはるかに低い身長である使用人。そのレミィの頭を手で覆う。
「アスウェルさん?」
しようと思ってしたわけではない。
意識しない内に気が付いたら体が勝手に動いていたのだ。
だからと言ってつい半日前まで他人だった人間の頭を気安く撫でてやるような事をすれば、相手に不審がられてしまうだろう。
軽く頭を叩いてその手を離した。
「今私、叩かれました……?」
そう解釈しておけ。
手を離す直前、レミィが何かに期待するような視線を向けていたのは、アスウェルの知らない事だった。
その夜には、館の使用人から懇親会を開こうかと持ちかけられた。疲れているのを察しろと言いたい。
慣れない状況で重なった疲労もあり丁重に辞退したかったが、情報はやはり必要だ。
参加する旨を伝えれば、檸檬色のやかましい使用人に引っ張られるようにして、飾り付けられた部屋に通された。
予想通りというか、想像通りだったといえばいいか。
実際にオリジナル世界でもあった通りに、懇親会は賑やかしくて終始うるさかった。
初めこそ使用人達は、興味が赴くままに主役であるアスウェルを質問攻めにしていたのだが、しだいに客そっちのけで盛り上がる様になった。それどころか、アルコールを誤飲した間抜けな少女の世話を押し付けられる事に。
引っかかる情報はいくつか手に入れられたものの、人間の扱いがかなり面倒くさい場だ。
加えて肩にもたれる檸檬色の頭が重かった。
「ごちそうさまですー。すぅ……」
それ以上飲むな。夢の中でも。
寝ている少女に寄りかかられて、重いし暑苦い。
だがそれでも、はねのけようとは思えなかった。
距離感を間違えているとしか思えない使用人(それは他の連中も同じ)だが、やはり年が近いせいなのか三つ下だった妹を思い出してしまうのだ。
「レミィのやつ、もう酒にやられちまって。迷惑だろ。部屋まで連れてこうか?」
アレスから親しげに話しかけられ、レミィへと手を伸ばされるのだが、そこら辺にあったつまみを押し付けていおいた。
「良い。好きにさせておけ」
「おお? ひょっとしてうちの妹分を気に入ったのか? けど駄目だぞ、レミィは俺達の妹なんだからやんねーぞ? 一緒に添い寝した仲だしな」
「……」
したのか。
見る限り、アレスからはレミィに大して年下の妹に対するような感情しか窺えないのだが……。
何となくレミィを移動させてアレスから遠ざけた。
そんな風に会話する男二人に、レミィと比較的年齢が近そうな使用人がやって来て、アレスを窘める。
コニーだ。
「アレスさん何言ってるんですか。お客様を困らせちゃいけませんと、レンさんに言われていたでしょう? レミィさんがとられたからって……、無駄に張り合わないで下さい。あの時の事はソファーで二人一緒に眠りこけていただけじゃないですか」
「あ、言うなよな。コニー。オチを言うの見計らってたのに」
見計らうな。
話を自分に都合が良い様に膨らませたがる所は以前接した時と本当にまったく変わらない。
「俺はレミィが拾われた時も一緒に風呂に」
「入るな」
「おう? アスウェル反応速いな」
「アレスさん……? レミィちゃんの様子を心配そうにしながら風呂場の前に立ってただけって聞いてましたけど?」
それからも色々と馬鹿らしい話を吹っかけられて、アスウェルはたまに気が向いたときだけ言葉を返した。
いつしか懇親会は、本来の目的通り、情報収集よりもただの雑談の方が多くなっていった。
賑やかしくやかましい空気に囲まれていれば、ふいにアスウェルは奇妙な感覚に襲われる。
違和感。
確かにこの日々には慣れている。
なぜなら一度経験した事だからだ。
だが、それでもアスウェルはこんな例外を除けば、常に厳しい環境に身を置いていたはずだ。
それなのに……。
自分はこんな風に、和やかに時間を過ごせるような人間だっただろうか?
日の当たる場所で生きているような人間と、同じ様に言葉を交わし同じ様に時間を共有できるようなそんな人間だったか?
そんな事は一年前にも不可能で、あの時はただひたすら、使用人たちの会話に耳をすませて、聞かれた事に答えるだけだったはずなのに。
「はふぅ、アスウェルさんー……助けてくださ……すー」
幸せそうに助力を求めるレミィの声が聞こえ、意識が呼び戻される。
もたれかかっていた頭はとっくに落下して、今はこちらの膝の上にあった。
寝言のくせに、うるさい。
困っているなら、それらしい様子でいろ。
レミィはどうなのか。
未来で自分があんな風になる事に気が付いていたのだろうか。
それとも何も知らなかったのだろうか。
あの時もし、オリジナルの世界で屋敷を離れようとするアスウェルに、レミィが助けを求めていたならば、自分はどうしていただろう。
「ふふ、レミィがこんな風に人になつくなんて珍しいですわ」
無防備な顔を眺めながら考え事をしていれば、様子を見に来たレンが声をかけてきた。
「アスウェル様はこの子にとって何かが特別なのかもしれませんね。いつまでここにいられるのか分かりませんが、できるだけこの子に構ってあげてくださいませんか」
「願い下げだ」
はねのけはしないが進んで子供の面倒を見るほど、俺は暇人じゃない、と一番最初の……本当に初対面だった時のように言う。
出会って間もない人間を意味もなく構いたがったら、そいつは正真正銘の変人だろう。
「そうですか、残念です。気が向いた時でも気にかけてあげて下さいね」
しかし、そんなこちらの態度にも気を悪くした様子のないレンは、寂しそうに笑ってレミィを引き取り離れていった。
特別。
特別だと言うのなら、どう特別なのだろう。
妹と同じくらいには大切だと思っているが、正直自分自身その感情がどこからやって来るのか分からないでいるというのに。
ただ、接している時間の中で、気が付けば離れがたく、失いがたくなっていた。
とにかく、そんな事があった最初の一日は懇親会を経て、ようやく幕を閉じたのだった。