表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

感想で作者に筆を折らせた方、楽しかったですか?

作者:

日間ランキングで少し前に1位をとっていたとある作品。

とても読んでいて面白くて、続きを楽しみにしていました。それが、感想のために執筆停止となったと知りました。

ああ、怒り、悲しみ、―――私は言いたいことがある。そう思ったままに、勢いでこれを書きました。


*指摘、批判等の言葉の使い方については、別のエッセイにて私の考え方や基準を記しております。





数年にわたり、「小説家になろう」でたくさんの作品を読んできました。

楽しい話、悲しい話、わくわくする話、夢中で読ませていただいた話がたくさんあります。


中にはもちろん、作風等が合わなかった作品もありました。

そういう時は、そっと閉じる。だって、その作品がドンピシャで好みの方もいらっしゃるわけですから。


中には面白いけれど、誤字脱字がある作品もありました。

執筆中はなぜか気が付かないものなんですよね。

作品としてあげて、読み返して気付かれる方も多いので、暫くはそのまま指摘しません。

ずっと気付かない方もいらっしゃるので、盛り上がるシーン等の時は指摘した方が良いのか、ちょっと悩みどころなのですが。


中には勢いがあるけれど、矛盾も含む作品もありました。

こちらも執筆中はなぜか気が付きにくいものなんですよね。

作品としてあげてからしまった!と思われる方もいらっしゃると思いますが、だからと案じて慎重に推敲し過ぎると、

「ストーリーに矛盾はない。間違いもない。だが面白くない。」

なんてことになることも。勢いがあって修正前の方が面白かったなぁ、とこっそり思った作品もあります。


そして感想。

内容によっては、作者を喜ばせ、気力を充実し作品を執筆させるもとになる。

内容によっては、作者を悲しませ、筆を折らせるもとになる。

感想欄を開くも閉じるも、諸刃の剣―――覚悟がいるかもしれない。ですが、一言、書いていいですか。



だから感想欄を開いている以上、覚悟できてるよね。

傷付くようなことを書かれたり告げられても仕方ない、『私が(俺が)、間違いのみ告げようが、面白くないと書こうが、事実なんだから、そう感じたんだから、何をどう書いても書く私は(俺は)正しい!』

そう、思って意気揚々と感想欄に文字を書かれている方。




それ、間違いですよ?




表現の感覚の違いだったり、良かれと指摘しても言葉が足りなかったり、擦れ違った結果、作者が傷付いたり、感想を書いた方が落ち込んだり、ということもあるでしょう。

お互いが本当に善意で行ったやり取りでも、そういうことはある。だから、感想欄を開く以上、傷付くことが0、なんてことは稀。

そういう意味では、やっぱり覚悟がいるものです。ですが、覚悟とはそういう意味であって。


ほとんど善意や好意、親切からの指摘や感想と、『私が(俺が)、そう感じたんだから、事実だから、何をどう書いても正しい!』という思いで書かれた批判(の名を借りた非難)や感想は、違う。


作者は、『何を書かれてもいい、どう傷付けられてもいい』と覚悟しているわけじゃない。

読者は、『何を書いてもいい、どう傷付けてもいい』権利を与えられているわけじゃない。

――――それを後者の方々、分かっていますか?



後者の方のほとんどは、自分で作品を書き上げ、感想を書かれた経験がない方だと思います。

 


その方達に、アメリカと日本の某有名作品からこの言葉を捧げます。



『撃っていいのは、撃たれる覚悟がある奴だけだ』



あなたに、その覚悟はありますか?



今現在、あなたは自分のみ安全圏にいて、そこからよく考えることもなく感想欄に言葉を書き込んでいる。そうではないですか?

もし自分が作品をあげていたら、もしくは学校の作文でもいい、会社のレポートでもいい、書いていて「そこ間違っているけど?」と馬鹿にしたように言われ、「稚拙でつまらない、面白くないな」と一刀両断されたとしたら。

「こんな最低な結論(展開、結末)の内容を読んだの初めてです。馬鹿なんですね。」等と嘲笑されたとしたら。


告げた言葉は、私に(俺に)とって事実なんだからこれも感想、受け入れるべきと胸を張られたら。




それが事実だからと、あなたは笑えますか?そう言ってきた人に笑顔で同意できますか?



―――あなたは傷付かずにいられますか?



私は想像します。間違いが事実だとしても、せめて馬鹿にしたような言い方は避けて貰えたら。少し婉曲に言ってもらえたらと思うのではないか。

きつい書き方をするなら、皆が見る感想欄でなくメッセージでこっそり教えてくれたら、受け入れやすく感謝できたのにな、と思うのではないか。

文章、書き方には気持ちが滲み出ます。「間違えてましたよ」、同じ一言でも少しの書き方で印象は大分違います。



私は想像します。つまらないなら読んでもらわなくていい。もしくは、つまらないというなら、どこが面白くないのか、好み以外で、ここをこうしたら面白くなると思うなら、それをちゃんと書いて欲しい。

じゃなければ、何のためにただ一言、「つまらない、面白くない」と書く必要がある?話が面白くなくて不愉快だったから、作者も不愉快にさせたくてあえて書いた?そう感じるのではないか。



私は想像します。そしてひいては作品をただ貶す、作者の人格否定をする言葉を書かれたとしたら。それは感想だからと、許容できるか。何とも思わずにいられるか。



そう想像したら、何かを指摘する時も相手がなるべく傷付かないように言葉を選ぶ。読んでいて感動した、というような良い感想はどんどん言葉を連ねようと思う。



作者には書く権利があるが、それを強制的に誰かに読ませる権利はない。そして読者には、読む権利も読まない権利もあるが、その結果に責任を持つ義務がある、と思います。

読んでみて面白くなかった、展開が好みと違ったから、作者に必要以上に過激にあたってやれ。作者が傷付くだろうけどいいや、書いてやれ。


そういう思いで感想欄に書き込む人は、想像力がない方です。これからの人生、過ちに気付くことがなければきっと、生きていくのに苦労し、躓きが人より多くなることでしょう。



『何より怖いのは、想像力の欠如した人間だ』



―――あなたはそう思いませんか?

自分が痛いと思った時、相手がそれを理解してくれなかったら。こちらが痛いなどと考えもせず、いや、考えても自分に返ってくるという想像ができず、痛みを与えてくる人がいたら、恐ろしく思いませんか。

事実、それが誤字脱字というようなはっきりしたものですらなく、自分のただの感じ方であっても、それを免罪符のように掲げ、まるで正義のような顔をして一方的に攻撃してくるとしたら怖くないですか。

「自分が気に入らないから」それだけで、相手を傷付けると分かっている言葉を平気で書くことができるとしたなら。



それは、極端に言えばいじめと何が違うのですか?



そして、そんな人が身近にいたら恐ろしいだけじゃない。軽蔑しませんか?卑怯者だと思いませんか?

「感想欄に色々書いて作者に筆を折らせてやったんだー!」「事実だから書いたのに打たれ弱いよね」等という人を、あなたは心からの友人にしたいと思いますか、家族として愛せますか?



もう一度、問います。



感想で作者に悪いと思った部分を攻撃的に告げた方、してやったりと思いましたか?



感想で作者に酷い言葉を投げつけた方、それに反応する作者を見て優越感を得られましたか?



――――これからあなた以外の多くの人を楽しませる可能性があった作品を、止めさせた。感想で作者に筆を折らせた方、ねぇ、楽しかったですか?



自分の品性と引き換えにしてもいいくらいに。










句読点の間違っていた部分を修正し、少しだけ加筆いたしました。ご指摘等、ありがとうございます。

また、こんな拙い文に目を通してくださった方、本当にありがとうございました。


*台詞元ネタ レイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ