受付嬢二年目編・19
今日はロックマン公爵家の新しい一員を叔父である王様と叔母である王妃様にお披露目に来ていたようで、今は気分転換にこの庭へ散歩をしにきていたらしい。
ノルウェラ・アーノルド・ロックマン公爵夫人。
畏れ多いことに、ノルウェラ様は貴族の中でも一、二位を争う高位な公爵夫人だった。
「マリスの友人なのですって?」
「はい」
「さすが貴女ね。平民にまでご友人がいらっしゃるなんて、ふふ」
「ゼノン殿下もアルウェス様も、この者とは学友であり友人ですのよ。何もおかしいことはありませんわ、デグネア王女」
「え……あ、ええ。おかしくて笑ったのではないわ? 交友が広くて羨ましいと思っただけですのよ」
見えない女の戦いが私には見える。
お互いの頬に拳をめり込ませて殴り合っているのが見える。
王女はあのヴェスタヌ王国の王女で、名前はデグネア・パーサー・ヴェスタヌ。
ドーランへは治癒学と経済学を学びに留学をしているようで、ここひとつきほど城に滞在しているということだった。
「アルウェスとゼノンも交友関係が広いのでしょうね。わたくしもたくさんお友達が欲しいわ」
「それなら、今度の夜会に是非とも招待させていただきますよ。王女の人柄でしたら友人もたくさんできるでしょう」
「まぁ! 公爵家の夜会に? 是非とも行きたいわ」
あと半年はいるそうで、ゼノン王子やロックマンと楽しく会話を交わしている様子を見ると、だいぶこのお城に溶け込んでいるようである。若干斜め前で苦虫を噛みつぶしたような顔を私に向けてくるマリスは冗談じゃないと言いたいのだろう。
まぁ気が気じゃないことは分かる。
どういう経緯で政略結婚なるものの話が出てきたのかは不明だが、最終的に既成事実でも作ってしまおうかしらとか物騒なことを手紙でも話していたので、ここは友人として静かに見守っていよう。
「ほらマリス、そう嫌そうな顔をするな。仮にも教育係だろう」
「いやだわ殿下、そんな顔なんてしておりません」
マリスの心情を察してか、ゼノン王子がひっそりと慰めている。
それにしても王女も殿下もいる手前、今この場で私が隣に並んでいるのはどう考えてもおかしい。
いちおう今日は仕事の一貫として城へ来ていたから、はやくハーレへ帰って報告をしなくてはいけないし、先輩がしてくれているだろうが、私も行かなくては。
ジリジリと半歩下がって輪から離れていると、リーナ様がそれに気がついたのか再び私の元へやって来た。
「ヘルさん、あなたは赤子に触れたことはある?」
「え?」
小さな赤ちゃん。
リーナ様、いやノルウェラ様の腕に眠る子を見て、村にいた小さな子供たちを思い出す。皆家族という感じで、私は兄弟こそいなかったものの、面倒を見られたり逆に私が面倒を見たりと色々騒がしかった。でも、そういえば赤ちゃんの面倒は見たことがない。ある程度大きくなった子達とは遊び相手になったりしたけれど、赤ちゃんは比較的家の中で母親が見ていることが多くて、どちらかというと赤ちゃんで手一杯で下の子達に構えないから遊んでやってということがほとんどだった。
触れたことはない、と正直に言う。
身内で産んだ人がいればいいけれど、生憎従兄弟のお兄ちゃんは子供が出来るばかりか結婚もまだみたいなので当分は見ることがない。
「抱いてみる?」
「はぇ?」
ものすごく変な声を出してしまった。
いや、だって今抱いてみないかみたいなことを言われたような。
そんな経験もないし首はあんまり座ってないっていうし早く帰らなきゃですしムリムリ絶対無理ですからと首をブンブン振る。
なのに徐々に赤ちゃんを抱いたまま距離を詰めてきて、ついには私の腕に「頭はこうで、腕をこうして」と赤ちゃんを乗せてきた。こういう強引で少々話を聞かないところはロックマンも似たような部分がある。
まったく畏れ多――――うわぁちっちゃい何これ天使じゃん生きてるしうわぁ動いてる手ぇちっちゃ人間なのこれ。
「うっかり落とさないでよ。大事な弟だからね」
「おっ落としません」
失礼ながらも感動しながらまじまじと腕の中にいる赤ちゃんを抱いていると、銀の縁からのぞく赤い瞳をおかしそうに揺らしながらロックマンが私を見てきた。酒場の件以来初めて会ったが、何がおかしいんだこいつ笑いやがって。
ムスッとして赤ちゃんだけに集中していると、さっきはノルウェラ様の隣にいたのにいつのまにか私の目の前に立っていた。影ができたので見上げるも、よそ見すると危ないよと言われて慌てて赤ちゃんに視線を戻す。
なんだか解せない。
それでも赤ちゃんが可愛いことに変わりはないので、もう数秒したらノルウェラ様に赤ちゃんを返そうと考えながら腕の中を眺める。
暖かくて小さい。
細い金の柔らかな髪の毛は母親譲り、まるっこい茶色い瞳は父親譲りなのがうかがえる。肌の色は一族全員真っ白そうなので、この子もこのまま真っ白に育つのだろう。
ふと、クリクリした目が私を見た。
かわいい。
「すごく、かわいい」
「力まないで抱くんだよ。凍らせられたらたまらないし」
ロックマンが腰を曲げて赤ちゃんをのぞいてくる。
兄心ながら心配なのは分かるが、さすがにそんなことはしない。失礼なやつめ。
「凍らせないし」
「怖いなぁ。あ、手握った。このお姉さんが怖いのかな」
「怖くないし」
「よしよし、口に指を当てるとしゃぶるんだよ。ほら」
「へ~。ほんとかわいい」
「かわいいね」
ロックマンの指先をしゃぶる赤ちゃん。意外に兄バカなのか、すごくかわいいでしょと顔をふにゃけさせて私を見てくる。こんな顔を見たことないので少々戸惑うも、これだけ可愛かったらこの万年嫌味顔も崩れるのは納得だと腕の中にいる赤ちゃんを見て思った。
「ウォールヘルヌスの運営に参加するんだって?」
「そうだけど」
「目に見えるところにいたほうが、まぁ安心かな」
「それどういう意味よ。というかそっちは出場するんでしょ?」
「まぁね」
ぷにぷにのほっぺを人差し指でつついている。
あーうと赤ちゃんがロックマンの指を目で追っていた。
「悪いけど優勝はハーレが貰いますからね」
「悪いけどそれは無理だろうね。僕達が意地でもとるよ」
「ふん今に見てなさいよ、けっちょんけちょんのぎったんぎたんにしてやるんだから」
「君が出るわけじゃないのに何を言ってるんだか」
あ、今赤ちゃんが笑った。
笑った顔はノルウェラ様にそっくりだ。天使。
「このお姉さん顔がこわいね。魔物みたいだね?」
「こわくないよね~こっちのほうがこわいよね~?」
「うー?」
はからずも二人してなぜか赤ちゃんをあやしているような状態になっていると、「ちょっと貴女!」と王女が近くに来て腕を伸ばしてきた。
「私に抱かせてくださいな。ノルウェラ様、よろしいかしら?」
「え? ええどうぞ。王女に抱かれるなんて光栄なことだわ」
王女の腕にそっと赤ちゃんを移すと、途端にうぎゃあと泣きだす。あやしていればその内おさまるだろうと思うも、中々赤ちゃんは泣き止まない。さっきお乳をあげたばかりで下も替えたばかりなのですがとお世話係りの人が話している。
「泣き止んでくださいな~」
王女はどうにか泣き止ませようと奮闘して歌を歌ったりゆらゆら揺らしたり、ついには王女にあるまじき変顔をしたりとそれはもう頑張っていた。
心の中で頑張れ王女と応援してしまったが、赤ちゃんがまた泣き声をあげた次の瞬間、目をつむってしまうほどの光が私達を襲った。
「!?」
「なんですの!? 今のは……」
一瞬のことだった。
目に被せていた手をどければ、リーナ様も目をぱちくりとさせてキョトンとしており、ゼノン王子は近くにいた衛兵に辺りを確認するように指示をしている。赤ちゃんはまだ泣いており、王女も光ったことに気をとられながらもあやし続けている。マリスは「アルウェス様?」とロックマンを探していた。
確かにあいつの姿が見えない。
「アルウェス様?」
マリスが私を見てそう言う。
「え?」
誰かと手を繋いでいる感じがする。
ふと右手の先にいる人物を見ると、そこには金髪の小さな男の子がいた。
はて、これは誰だ。