受付嬢二年目編・10-6
デラーレの店の外。
客引きをする女性の甘ったるい囁き。
それに応える男性の陽気な声。
瓶の割れる音。
パチパチと亀裂音をたてる今にも壊れそうな店の照明具。
ぐらついた外階段を、錆びれた鉄の扉でも開けたときのように、ギシギシと音を鳴らしてかけ上がる誰かの足音。
道脇に転がる塵ごみ。
「それで?」
ここはデラーレの隣の店との境にある薄暗い路地裏。
ほのかに煙草の香りが漂っていて、その特有の煙たさも感じる。先程まで誰かがここで葉巻でも吸っていたのだろう。
煙草の香りは嫌いではないが好きでもなく、私自身好んで吸うこともないが興味はあるので嫌悪感はなかった。
そんな少々物騒な場所で。
「それで、君は転職でもしたのかな」
ハーレの所長は許しているの? とロックマンからまるで尋問でも受けているかのような状況に、私は眉を顰める。
にこりと笑ってこちらを見てくる奴の顔がいつもの数倍胡散臭い。
誰が転職などするか馬鹿者が。
じめついた路地裏は、薄黒い霧が辺りを包んでいるように暗い。けれど目が慣れてきたのかぼんやりと相手の輪郭や顔全体が見えてきた。
距離も一人分しか離れていないので、ロックマンの騎士服にある胸の紋章や金具なども見えるようになってくる。
『ごめん、この子ちょっと借りていい?』と奴がウェラさんに確認をとり、私がこの路地裏に連れて来られたのはほんの少し前。
『いいよいいよ、でも嫌がることはなしだよ』
と、さっきのウチの子に何してんだ発言は何処へいったのか、ウェラさんは扉の方へと手を向けてさぁさぁとロックマンと私を外へと促した。
嫌だ、絶対嫌だ。
なんでここまできてそんな面倒な展開にならなくてはいけないのだ。何を言われるのか何をされるのかは全くわからないが、馬鹿にされたり嫌味を言われたりそんなことになるくらいならいっそのことここで奴の頭をぶっ飛ばして気絶させたほうが数倍マシである。と私はこの際ベンジャミンには悪いがハッキリ嫌だと断って裏方に徹しようと抗議を決めた。
が、何がどうしてか誰かの魔法にかかってしまったのか私の口は全く動かなくなってしまったのだった。
これは閉口術だ。
開こうとしても上唇と下唇がくっついてしまっていて、モゴモゴと口の中で声がこもるだけ。食べ物を咀嚼しているかのようにただ口が動く。
こんなことを知らず知らずのうちに私へ仕掛けるのは奴しかいないと睨んだが、本人はそんなのどこ吹く風で私の背中を、というか首根っこを掴んで店の外へと私を引っ張り出した。
隊長が女の子を連れ出したぞ! と遠い席の方からそう言って騒ぐ騎士達の声が聞こえたが、連れ出されたと言うより逮捕されたような心持ちである。
何もしていないのに。
ニケとベンジャミンに助けを求めようと二人を見れば笑顔で手を振られたので、見放された、と私は絶望感に打ちひしがれた。
友よ何故笑う。
さすがに店内で暴れまわることはしたくないので、大人しく付いて行った私だったが。
「髪色を変えたくらいで変装したつもり? バレバレで笑いそうになったよ僕」
「うるさいなっ、声だって変えてるし」
閉口の魔法が解けていたようで思いきり声を出せた。清々しい。
思うように出た声に、さっきまで自由に声が出せなかったせいか一瞬だけ驚くも拳を握って胸を落ち着かせる。
これくらいで興奮してはいけない。
自制心を保つんだ大人になれナナリー。
するとその動作が目についたのか、ロックマンは素早く私の両方の手首をとった。まるで野性動物を捕まえる狩人のような動きに咄嗟に顔を見上げると、口を引き結んで目を据わらせながらこちらを見る奴と目が合う。負けじと私もそれに睨み返す。
「ふん。別になにもしやしないってのに」
殴られるとでも思ったのだろうか、それなら喜んで殴ってやろう。
なんて先程までの自制心うんたらな決意はどこへ行ったのか、もうそんな心は戻ってくることもなくしばらく行方不明となった。
いつまでも離さないのでこの野郎何するんだと腕を振っても、つかまれた手首はびくともせずに革手袋の感触だけが肌にぴとりとくっついていた。
「いい加減離してよ。さっきの店の中でのことといい本気で訴えるからね。こんのベタベタ触りやがって気色の悪い――」
「言葉遣いが荒い」
両手首をつかまれ建物の壁に押し付けられながらも、私はそっぽを向く。
あんた本当に腹立つ! と髪の毛を逆立てる勢いで叫ぶも「よく立つ腹だね」と耳元で小バカにされて返されたので、今まで何度も口にしてきた言葉だが本当に腹立たしいと地団駄を踏んだ。
そもそもここで働いている理由をコイツにいちいち話す必要はない。
「というか何であんたがそんなこと気にするわけ?」
お前には関係ないだろう。
眼鏡の奥の、細まった瞳に見下ろされながら、不快感を覚えつつも問いかけた。
私の質問に奴は目蓋をピクッと動かしたが、それから数秒ほど目を閉じてから口を開く。
「君こそハーレで働いている職員が、こんなところで働いていると周りに知れたらどうするんだ。よく考えて行動しなよ」
「だから変装してるんじゃない」
「へったくそな変装だね」
「へったくそ!!!?」
「その程度じゃ学校の試験にも落ちる。それに本来なら僕もこんなことで君に声はかけない。けれど近々王国からハーレ魔導所へ……詳しくは言えないが魔物関連での防衛要請を出す予定になっているから。あまり問題を起こさないでほしいんでね」
片目を瞑り、ため息をつかれる。
「は?」
試験に落ちるは一言余計だと反論しそうになったが、ハーレに防衛要請とはどういうことだろうか。初耳である。
話を聞く限りロックマンはハーレで働いている私へ、ここで働いているということによってハーレに悪い印象を外部へ与えないようにと声を掛けたということだろうか。
けれどそんな話は初めて聞いたし、所長もここで働くことは了承してくれたので実に疑わしい。
私は眉を歪めて怪しげな視線を送った。
「なに防衛って。一体何を守るための要請なのよ」
「それはハーレの所長に聞くといい」
「……ここまで引っ張り出しておいてよく言う」
道行く人たちは路地に目を向けることなく過ぎ去って行く。
薄暗いし、ここに人がいることさえ誰も気づいていない。
路地裏なんておっかない人間か酔いどれ野郎か犯罪者がうろついている雰囲気しかないし、それはあくまで私の想像で偏見にしかすぎないのだが、このままこの男の股関節を蹴り飛ばして逃亡するのも一つの手かもしれない。
けれど、やはり、と思い直す。
今日は友人のためにここへ来ていたので、また言い合いを繰り返すのも時間を無駄にするようなものだ。
またロックマンが言うように、確かに私がここで働いているからといってロックマンがいちいち私を咎めるというのも、そういう理由がなければわざわざ嫌な奴に声なんかかけないだろうと渋々だが納得できる。
それになぜ私が逃げなくてはいけないのか。
釈然としないのも理由のひとつである。
さっさと本当のことを話して、変装もばれない程度にし直してデラーレへ戻るのが一番だ。
(――――シュッ)
分かった話すと言いかけた私だったが、その前に手首をつかむこの忌々しい腕を振り払うため、頭上に氷の槍を浮かせロックマンに矛先を向ける。
「へぇ。中々やるね」
やるね、なんてお前に褒められても嬉しくもなんともない。
手首を自由にしろという訴えが伝わったのか腕をそっと離された。
やっと離れたので、そこまで凝ってもいない肩を嫌味たらしく見せつけるように大袈裟にあ~あと息を吐いてまわす。
最近、やっと無詠唱で魔法を発動出来るようになった。
仕掛けの際の手の振りも無しでいけるようなことが多くなり、今のように手が使えなくてもある程度の魔法ならできるようになったが、当然ロックマンは無詠唱など在学中にはすでに出来ており、私はそれに対し親指を咥えてひたすら特訓に明け暮れていたものである。
「それで、働いてる理由だっけ?」
口をへの字に曲げて嫌々事情を語ることにする。
その前に、肩の袖がまたはだけ落ちそうになっていたので直そうとすれば、それより早くロックマンが手を出してきて襟元を直された。『まったくみっともない』と直しをしながら自分でも分かりきったことを唾を吐き捨てるように言われたので、当然感謝など皆無である。大きなお世話だ。
「一言余計だっていうの! とにかく、私がここで働いてるのはサタナースが、ベンジャミンとは別の女の人と、最近ここに飲みに来てるっていうから。それをちょっと」
「ああ、そのこと」
「うん、そのこ…」
え?
「そそそそっそのことって!? あんた知ってんの!?」
そんなに見たくないが奴を二度見した私であった。
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