受付嬢二年目編・10-5
「お祓いっ……」
「支払い? まだまだいるよー? 俺」
お祓いしたのに。
やっぱりまったく祓われていない。
落胆していると、会計と勘違いした男性が手を振った。
むしろお支払をして早くいなくなって欲しいのはロックマンのほうである。
「まぁまぁ隊長、ウォールヘルヌス開催は決まったことですし仕方ないですよ。とりあえず乾杯しましょーよ」
あいつの横に部下らしき騎士、亜麻色の髪の男性が一人いるが、ウェラさんとの会話を一旦終えると二人で杯を重ねて軽く乾杯をしていた。
よりによってカウンター席に来るとは。
騎士団長達が座る店の一番奥に行けばよいものを、まったく空気の詠めない男である。
「女将さん、デラーレっていつもこんなんでしたっけ?」
「今日は可愛い手伝いが四人もいるから助かってるよ」
「あー確かに可愛いっすね~。ドルモットは高級なわりにいまいちな女が多いから余計に……」
後ろを通りすぎたベンジャミンを眺めながら、ロックマンの隣に座る騎士は鼻の下を伸ばしていた。
「ナナちゃんは~恋人いるの?」
「いませんよ」
いまいちとは女性に失礼だなあの男。
しかしお客さんから話をかけられるので、とりあえずこっちに集中する。
ベロンベロンに酔っているとまではいかないものの、男性は葉巻を吸いながら伏し目がちにつまみへと手を伸ばしていた。
「そっかそっか、俺もいないんだなぁこれが」
「はい、お水どうぞ」
「ナナちゃんがなってくれたらなあ~」
「あはは、冗談がお上手ですね」
酔っ払いの言葉は基本聞き流すのが一番だということを、様々な付き合いの中で学んだ。
「ナナちゃん今まで恋人は?」
「いえ、いないです」
「ええ!? そんなに別嬪さんなのに一人も!?」
「冗談がお上手ですね」
生まれてこのかた、告白をされたことなど一度もないどころか、好きな異性が出来たこともない。
それに対して女として恥ずかしいとかそういう感情を持ったことはないが、こういう話になるときは少し困りものである。
どう反応していいかよく判らないので基本笑って流しているのだが、男女どちらもかわりなく皆恋愛話が好きなのか思うとなんだか微笑ましくなった。
ベンジャミンとサタナースも、早く元に戻れれば良いのにと思わずにはいられない。
そしてあいつ早く帰ればいいのにとも思わずにはいられない。
*
夜が更けていく。
ベンジャミンも無事に御手洗いから戻り、また接客に行っている。まだサタナースは来ていないかとこっそり耳打ちで聞かれたが、まだあいつの姿も影も形も見えない。
今日は真相が分かるまでとことん付き合うと言ったので最後まで付き合うつもりだが、ロックマンの姿を認めたベンジャミンが驚いて大丈夫!? とついなのか大声で叫んだ時は生きた心地がしなかった。
今世紀最大の恥を奴に見られるところであった。
いやもうこの姿を見られているも同然なのだが、私と認識しなければいいので気づかないことにこしたことはない。
ニケはうまく騎士達を避けれているのか、ほぼあの席にはキャンベルとベンジャミンの二人が接客に行っているのでひとまず安心だった。けれどときどきニケだと知らずに彼女を軟派する騎士が見えたので、油断もしていられないようである。
まったく話は違う方向にいくし不謹慎なのだが、あれがニケだと彼らが知ったらどう反応するのかが地味に気になった。ニケは普段から可愛くて美人だが、今の彼女は二割増しで魅力的である。
ニケから恋愛話を聞いたことがないので、そこのところも気になっている私であった。
「ねぇねぇ宿命って信じる?」
「宿命ですか」
お酌してほしいと言ったお客さんはかわらず席に座っており、私が料理を運んでカウンターへ戻って来る度に話をかけてくれる。
すると私の待機場所は自然とカウンター席の内側になってしまい、樽の横で立っているニケやベンジャミンには心配げな表情をされた。
今もちょうどお客さんにつかまり、話が始まると同時にカウンター越しに腕をとられたので他の場所へ行けなくなる。
「生まれる前から絶対に逃れられない定め。俺がナナちゃんに出逢ったのは運命じゃなく宿命なんだと思うんだ」
「宿命ですか」
酔いが確実にまわってきたのか、頓珍漢なことを話し出すお客さん。
宿命とはまた凄い話になってきたものだ。
腕をつかまれたまま大人しく話を聞いていると、まったくウチの子になにしてんだと料理を作る手を一度休ませたウェラさんが男性の頭をペチンとひっぱたいた。強い。さすが酒場の女将さんである。
いってぇーと台に突っ伏して悶えるお客さんに大丈夫かと声をかけようとする私だったが、良いんだよとウェラさんに止められた。
それよりも、と彼女は私をちょっとニヤニヤとしたような嬉しげな目で見てくる。
どうしたのだろうか。
良いことでもあったんですか聞こうとすると、
「ナナちゃん、あっちのお客さんよろしくね。酌してもらいたいんだってよ」
と言われて肩を押される。
あっちと言われたがどのお客さんなのか分からないので首を傾げていると、あそこの騎士さんだよと顎をしゃくって目線を誘導された。
「いえ、あ、あの、冗談じゃ」
「そんなビクつくこたないよ。せっかくだからしてやんな。助け舟出してもらったと思って」
助け舟とはなんの話であろうか。
むしろ助けられるどころか非常に嫌な展開になりつつあるということをウェラさんに伝えたい。
「ほらこっち来な」
ウェラさんに言われて連れて来られたのは、さっきの場所から椅子三個分離れたところに座る客の前。
下を向いたまま台を見れば兎鳥の揚げ物の串が、食べ終わった形でお皿のうえに置かれている。
「……」
ずっと下を向いている私にそんなに照れることないじゃないか可愛いねぇとウェラさんが声をかけてくれるが、仕事である以上こういう態度は失礼なのですみませんと謝った。
またここから離れることもきっと出来なくはないのだが、なんだか敵前逃亡しているようで悔しい。
「あの、ええと、……今入れますね!」
怪しまれない程度に声を高く上げて開き直った。
素知らぬ顔だ、素知らぬ顔。
どうにでもなるがいい。
「やっぱ可愛いっすね。ね、隊長」
ウェラさんが用意してくれた酒樽から杯へと注いでいると、お客である騎士の男性がおつまみを口にしながら窺い見てきた。
隊長。
嫌な響きである。
少なくとも私にとってはこの世で二番目に耳にしたくない言葉だ。
そして一番はもちろん。
「そうかな」
「えー? 隊長が呼んだんじゃないですか~」
隊長とはその隣に座るアルウェス・ロックマンのことである。
何杯飲んだのか知らないが奴の顔色は涼しげだ。
眼鏡は外さないのかずっと顔にかけている。
以前もかけている姿を見たがこの男、視力が悪いのだろうか。視力を回復する魔法は肉を生成する魔法同様存在しないので、目が悪い人は眼鏡だけが頼りとなる。
まぁ奴の目が良かろうが悪かろうが私にはどうでもいいのだけれども。砂粒ほどにどうでもいい。
それに私を呼んだと言うが、本当にコイツが呼んだのかと疑わしいほど興味無さげな視線を送られる。呼んでほしかったわけではないのだがなんだか釈然としない。微妙に腹立つ。
「しかしあ~ついっすね~」
亜麻色の髪の騎士はロックマンと違い少し酔っているのか、顔が赤らんで目元がトロンとしている。
「ねぇ君」
内心苦虫を噛み潰していると、おもむろにロックマンが口を開いた。
「今日だけって聞いたけど、本当に?」
杯に唇を付ける仕草をして、上目遣いに見てくる。
いきなり声をかけてきたのでびっくりするも、それもまた悔しいので平然とした態度でいることを意識する。
「はい、今日だけです。ただの手伝いなので」
「へぇ、手伝いで。お酒は飲めるの?」
「飲めるほうだとは思います」
「そう。でも逆に飲まされないようにね。近頃は女性のほうの警戒が薄いから、こういうところは特に気を付けたほうがいい。子どもは特に」
「私はそんな迂闊な人間ではないのでご心配なく」
「そっか。それにしても全然こっち向いてくれないね」
「あはは、恥ずかしくて向けません」
「そう? 恥ずかしがっているようには見えないけど」
「きっと目が悪いのではないでしょうか。眼鏡していますし」
「いつもよりよく見えてるんだけどなこれでも」
「合ってないのでは?」
「子どもみたいな意地をはるね君」
平然とと言ったものの、視線が合わないことを疑問に思ったのかそう言われた。
目敏い奴め。
そういう時は聞かないのが紳士というものではないのだろうか。社交界の馬鹿だか華だか知らないが、心配りのない男である。このエセ紳士が。
「隊長の好みってこういう子なんですか?」
「なに?」
「饒舌っていうか、ドルモットの店じゃあまり話もしませんし笑わないですし」
隣に座る騎士が顎を手に乗せながら、さっきの眠たげな顔が嘘のように目を見開いてこちらを見ている。
こういう子。
それは私を指しているのだろうが、この男性騎士もロックマン同様目が悪いのかもしれない。
どこが饒舌か。
そこまで話はしていないし、笑ってもいないではないか。
むしろ真顔で怒っているようにも見えるというのに、やはり彼はそうとう酔っている。
「俺もけっこう好みっすよ~この子」
酔っている騎士が手にはめている薄皮の手袋を外してこちらに腕を伸ばしてきた。酔っているのは分かるが、その行動の意図がわかりかねる。
どう反応すれば良いのか受付の技術をもってしても分からなかったので、私は手で腕を押し返そうと前のめりになった。
――パシッ
「だからさ」
「え?」
腕が横から伸びてきたと思えば、手首をつかまれる。
そして引っ張られたと思えばさらに前のめりになり、カウンターから上半身が飛び出た。
後ろで結っていた髪の毛がその反動でハラリとほどける。
手首をつかむ、黒い手袋をしている大きな手。
「子どもがこんな所で働くものじゃないって言ってるんだけど」
ドスの聞いた声の方を向く。
腕の元をたどれば、ロックマンが私の手首を、声とは裏腹な穏やかな表情をしながら掴んでいた。
今何と言ったか。
私のことをまた子どもって言ったのかコイツ。
「私、子どもじゃありませんけど」
お前と同い年だ馬鹿野郎。とムッとした私は、しかしそれは言葉に出さず不機嫌な声を出す。
下に見られる発言をされるほど屈辱的なことはない。
「君は子どもだ。腕も手首も白くて細くて、首なんてほら、折れそうなくらいこんなに」
そう静かに口にした部分へ手を伸ばしては、確かめるようにそっと触れられる。体勢的に相手は座っているので飛び出た私が見下ろす形となっているのだが。
顔が近い。
私の長い髪が前へと垂れて、その憎たらしいほど艶やかな金色の髪に混じる。
「……ちょっ、ななななに」
なんだ、なんなんだこいつ。
どういうつもりなんだ。
見境もなく女を口説く女タラシだと認識はしていたが、口から砂糖の塊でも出す気なのだろうか。
普段からこんな感じで女性達がやられているのなら、皆凄いな。この腕を振り上げて殴り飛ばしたい衝動をどうおさえているのだろう。
ウェラさんならガツンと言ってくれるだろうかと視線を向けて助けを求めるが、ヒュウと口笛を吹かれてうらやましいねと親指を立てられた。
ちくしょう彼女もこいつの見た目に騙されている。
「指も小さくて華奢だし」
こんなところにいたら食べられちゃうよ、と今度は手をとられる。
そして流れるように中指をつかまれたと思えば、そのまま薄く開いた唇へ――。
「やめんかぁああい!!」
この破廉恥野郎が!!
ぶっ飛ばしてやる!!
我慢ならなくなった私は、腕をふりほどき手をバッと離して背中に隠す。
隣に座っていた騎士が目を丸くして私を見てきたが気にしない。
度が過ぎた触れ合いは犯罪に値するのだとその身を持って教えてやりたいくらいだ。
くそう、このゾワゾワした感覚をどう逃がしてやろうか。
当の奴は落ち着きを払った目で私を見ている。
余計ムカついたのは間違いない。
「次こんなことしたら訴えてやるから! この破廉恥バカ炎!!」
「ほーう」
「……ハッ!!」
かけていた眼鏡をゆっくりと外し、サッとかき上げた前髪から現れた、悪魔のような楽しげな赤い瞳。
「迂闊な人間ではないと言ったけど、君って迂闊だよね」
私は確かに迂闊なところがあるらしい。