受付嬢二年目・海の国編10
お詫びに海の国を見て回っても良いと言われたが、あの魚人間と一緒なので当然気の休まる所がない。
「そんなに怯えるな」
「自分をさらった魚が隣にいるなんて、怯える他にどうしろと」
そう言うものの、別に怯えてなどいない。
ただせっかく海の王国にこられたのだから、どうせなら一人でのびのびとしていたかった。
「心配しなくても何もしない。僕たちは嘘を吐かない」
どこかで聞いたような台詞である。そういえばあの巨大生物が『僕達は嘘をつかない!』なんてことを言っていたような。
「嘘と殺しはこの王国で許されない行為だ。お前達人間が使う呪文と違い、僕達人魚は言葉そのものが魔法だからな。出した言葉には責任を持たなければならない」
次いで魚人間は言う。
「人魚の言葉はお前も最初聞いた通り、一つの音でしか構成されない独特の言語だ。それゆえ相手に理解され伝えようとしているうちに、いつからか言葉自体に魔力が宿るようになっていった。もちろん意思を持って魔力を言葉にのせなければ魔法は発動されず、海王のお陰で他人に仇なす魔法をこの海で使うことは出来ないが、僕達の魔法は特に自分自身へは効きやすい。暗示をしてしまうからな」
「暗示?」
「たとえばだが、お腹が空いているのに空いてないと強く言葉に出して否定すれば、たちまち空腹感は満たされる。良からぬことをしたのに、していないと強く自分に言い聞かせれば、記憶は消え去り本当にしていないと思い込む。だから危険なんだ。嘘をつき続ければ自分が無くなり、空腹をまぎらわせていたらいつか餓死もする」
世界は広く、魔法も広い。
まだまだ知らないことばかりあるものだなと、今魔法が使えない自分の手を眺めた。
すいすい進んで行くと、王国の人魚に会わないなと不思議に思って辺りを見回す。魚や他の生き物はいるのになんでだろうと不審にしていれば、大きな海草の裏から人魚のものらしき尾ひれが出ているのが見えた。
もしやと思い視野を広くして海底を観察してみると、隠れきれていない尾ひれを何十も見つけることができた。
なるほど。
避けられているだけだったようだ。
「あそこは地下神殿だ」
「あ、お母さん好きそう」
お城が見えないところまでやってくると、灰色に錆びた大きな神殿を見つける。ドーランの神殿とはまたひと味違う趣である。
あそこへ行っては駄目なのかと聞けば、特に入ってはいけないという決まりはないようで、好きにしろと言われた。じゃあ遠慮なく入らせてもらおうとバタ足で泳いでいこうとする。
モタモタ。モタモタ。
人魚のように尾ひれがついているわけではないので遅い。それにこんな長い時間水に潜ったことはおろか、今まで水の中で泳いだ記憶もあまりない。泳ぎ自体が初めてに近い私であるが、これはこれで楽しいので足と手を動かしてどうにか進んで行く。慣れればそれなりに楽しいに違いない。
しかし人魚側から見れば、あいつ遅くね、とじれったく思うのだろう。
そんな鈍足の私を見かねてか(陸ではそんなことは断じてない)、魚人間、もといマイティア王子がグイと手を引っ張って神殿の方へと向かってくれる。鱗で覆われた、硬めの生ぬるい手の感触。
最初に取られた態度と随分違い、親切だ。
連れて行ってくれるんですかと呟くと、ああ、と相槌を返される。
いったいどんな心境の変化があったのか。怪しい。
大人しくついていけば入口のような場所で一旦止まり、マイティア王子は目をギョロギョロと動かしたのち薄暗い建物の中へ入って行った。私も当然入っていくのだが、明かりがなくて見えないと目を細める。するとマイティア王子が「日の光を」と急に独り言を喋り始めたかと思えば、辺りは一瞬でお日様の光が差し込んだように青く白く明るくなった。
これが人魚の魔法なのか。
小さく感動している私をよそに、王子は奥へ奥へと移動していく。
「なんですかここ」
「見てのとおり神殿だ」
石で出来た祭壇が、高い場所に二か所ある。しかし泳いで行けるので、あまり高さは関係ない。そしてその後ろの壁には、びっしりと文字らしきものが書かれていて、正直何と書いてあるのかは不明だった。
その壁の中心には、何やら丸い硝子玉のようなものが組み込まれている。
「以前その玉は白く光り輝いていたんだが、ある日をさかいにただの硝子玉となってしまった」
「いつですか?」
「姉上がいなくなった日からだ」
マイティア王子は硝子玉にそっと触れた。
「姉上はひもすがらここにいることが多かった。そしていつもここで泣いていた」
「何でですか」
「さっぱり分からん」
「話でも聞いてあげれば良かったじゃないですか」
「お前は何様だ。第一、ああいう時はそっとしておいてやるのが男ってやつなのだろう?」
ふんぞり返って腰に手を当てている魚王子。
『そりゃお姉さんも逃げますよ』
なんてことは口が裂けても王子には言えないので心の中にとどめておく。陸も海も、男女の仲というのは複雑でかつ変わらないものなのだなと、恋愛素人ながら思った。
「この文字は、この国の文字なんですか?」
「さぁ、はるか遠い昔の文字だ。僕には分からん」
この魚、分からんばっかである。
「姉上には読めたようだが」
「勤勉だったんですね」
「だから逃げたんだ」
「世界の何もかもが知りたいなんて思うから、陸のことが知りたいなんて考えるから」
「勤勉なんて大嫌いだ」
「……」
これ以上お姉さんのことについて突っ込むのは得策ではないのかもしれない。
王子からそっと離れた私は、この際不思議な文字を目に焼き付けておこうと壁に手を這わせた。凸凹している。苔も張り付いていない、綺麗な石の壁。
私達の世界にある古代文字は、比較的絵に近い形で、記号のようなものだ。対してこの文字は全て丸みを帯びているというか、柔らかい、ふにゃふにゃっとした文字で、上手く言い表せられないけれど、とにかく見たことのない文字であることは確かだった。
もう十分見ただろうと、私は神殿の入口から出る。
「お前の母はどんな人だ」
「はい?」
せっかく離れたのに、マイティア王子がいつの間にか後ろにピタリとついている。今にも飛び出してきそうな大きな目が怖い。
「お前、僕の番になれ。海の姫として」
「は? や、私人間なんですけど」
「繁殖方法はいくらでもある」
「大問題なんですけど!?」
番になれの時点で問題があり過ぎる。それに完璧人違いなのに、何を血迷ってそんなことを言っているのだろうか。
嫌だと言えば掴まれていた腕を引っ張られて顔を近づけられた。私もやられてばかりでは癪に障る。
この野郎と全身に力を入れて腕を振り切れば、勢いに押されて手が放された。日頃筋肉を鍛えていたおかげだろうか。そんじょそこらの男にも負けぬ体力と筋肉には自信がある。だてにハーレで働くため、アイツを負かすためにやってきたわけではない。
「だいたい私は受付のお姉さんになりたいんです! 小さい頃からの夢曲げるつもりないですし姫とかどぉ~でもいいですしっギャア!!」
人の夢を邪魔するな。
だがそれがどうしたとでも言うようにマイティア王子は凝りもせず私の、今度は両腕をガシッと掴んできた。
「いてててて! 思ったんですけど、魔法使わないんですか!?」
「害成す魔法は使えないと言っただろう」
「そうじゃなくて自分の筋力を高めるとか、そんな感じのでも使えば楽勝なんじゃ」
「番になるのに魔法を使うのは愚か者のする行為だ」
「嫌がる女性を無理やり番にするのも、どうかと僕は思うけどね」
ん?
今何かおかしな台詞が会話中に起きたような。
すると私と王子の間を、光の速さで何かが横ぎった。
ヒュン! という音の代わりに泡しぶきが顔の周りにかかる。
今のは何だろうとマイティア王子と目を合わせてゆっくりと斜め下を見て見れば、そこには鋭く長い槍が海底に突き刺さっていた。
次話→本日23時更新。