受付嬢二年目・海の国編9
丸い黄金の屋根、角度によっては水色に見える宮殿の白い壁。
生い茂る草花に囲まれた建物は、何百何十年前に建てられた歴史と伝統あるセレイナ王の代々住まう住居であった。
「大きいわね」
くちばしの大きい鳥が、ピークルルと鳴く。
浜辺からこの王の島に移動してきたニケ達三人は、アルウェス達に促されるままにその敷居を跨いだ。
太陽の光に反射して輝く宝石のような床を、庶民的感覚が強い彼女達はそろりと足音を立てないようにして歩く。
「こんなねぇ、ちんたらちんたらしてる暇はないっていうのにもう!」
サタナースに落ち着けと言った手前ずっと大人しくしていたニケだったが、のこのこ宮殿までやって来て、この高そうな地面をソロソロと歩いている状況に人一倍いら立っていた。
そんな彼女を見てベンジャミンも苦笑いだったが、王に謁見しナナリーの居場所を探索するというアルウェスの意見を蔑ろには出来ないので、隣で未だ不貞腐れているサタナースを、こちらもなだめつつ歩みを進めている。
「落ち着けニケ、癖毛になるぞ」
「殿下もそんな冗談言ってる場合じゃないんですからね!?」
並んで横を歩くゼノンに茶化されたニケは、両手に拳を作りツリ目になった。だいぶ大きな声だったので、ゼノンは目を瞑って頷き彼女の背中を優しく撫でる。怒らせるつもりで言ったのではないが、なかなか難しい。
これはナナリーが見つかるまで治まらないだろうと息を吐く。
宮殿の中は青と白、金の三色で統一されていた。壁にはドーランの国民である六人が見たことのないような字が所々に掘られており、それが模様となっている。
丸くうねった文字が多い。
魚の足をもった人間の絵も掘られている。
色がついているわけではないので、よく見なければ全体像は分からない。
「お父様は奥の十四宮の間にいるわ」
「ありがとう。無理を言って悪いね」
「貴方のお友達の為ですもの。お父様との謁見ぐらい取り付けるわよ」
「さっきのことで海が嫌になったりしていない?」
「心配しないで。昔は大魚に食べられそうになったこともあるんだから」
「それは大変だな。大魚は美味しいんだけどね」
「もし私が食べられたら、大魚を殺して美味しく食べてくれる?」
「冗談」
だがそれを見ている暇もないとばかりにアルウェスはベラの腰に手を回し、なるべく彼女の機嫌を損ねないよう移動していた。ここは彼らの王国ではなく他国であるので、ドーランのように融通は利かない。ドーランだからと言って簡単に融通が利くということではないが、勝手が違う上に保護をされている身で生意気な、頼みごとのようなことを軽く言うことは出来なかった。
もっともそんなことをしなくとも、彼女はアルウェスが隣にいれば機嫌が良いので、アルウェスが思うよりも事態は悠々に進む。
現に先ほどは謁見を渋っていたというのに、数刻も経たないうちに王との話し合いの場が持てたのがその証拠である。
こういう時はアルウェスの女性への対応に心底助けられると、ゼノンはニケの機嫌を気にしつつ二人の背中を見ていた。
*
「噂だが――海王の娘が、人間と逃げたとか」
着用している目に眩しい白い王族衣装とは反対に、日に焼けた浅黒い肌をした五十代半ばの男。玉座に座り足を組むその姿は、この宮殿の主であると一目で分かる風貌であった。
王との対面は、ゼノンとアルウェスにしか許されなかったため、二人とベラとセレイナ王のみで十四宮の間に佇んでいる。他四人は応接間に通され不服気味な表情をしていたが、致しかたあるまいと金色に輝く王座に腰を落ち着けるセレイナ王に、二人は腰を低くし挨拶をした。
そして事前に娘であるベラから事情は聞いていたのか、開口一番口にしたのはそんな言葉だった。
「二十年前だ。ほうぼう探しても出てこないと。人魚が人間になるなど、そんな魔法はない。だがそう思い込んだ王は人間を寄せ付けないようにと、領海を閉じたとか」
「二十年前に、ですか」
海王の娘が、人間と逃げた。
どこかで聞いたお伽噺のようだと、ゼノンもアルウェスも顔を見合って首を捻る。それがあの巨大生物が言っている『姫様』だというのならば、間違いなくナナリーのことではないうえに、もちろんベラのことでもない。
しかしそれが本当の話であるのかは置いておくとして、どうにかして海の国へ入れる方法はないのかとアルウェスは王にお伺いを立てた。
「宮殿の下に住むハウニョクなら貸してやっても構わない」
「ハウニョク?」
「海王から友好の証にと、先々代の王の時代からこの付近の海を守ってくれている怪魚だ」
ハウニョク、別名「ならず大魚」。
その粘液を身体にかければたちまち人間は海の中で息をすることができ、近辺の海で溺れた人間や遭難した者を助けたりとセレイナの宮殿に仕えている海の生物であった。
ベラが昔食べられそうになったという大魚は、そのハウニョクのことである。
「君達は『創造物語集』を知っているかな?」
「ええ、ぞんじております」
ゼノンの応えに、アルウェスも首を縦に振った。
創造物語集とは、昔の唄人が作った物語を一まとめにしたものであり、中身はこの世界や人間、魔法の源である火や水など、魔法使い達の遠い先祖と言われている精霊しかいなかった時代の話など、創作的に書かれているものがある。
第一章にはその話があり、五つの精霊が遊びで作ってしまった物が魔王となって表れてしまったというものがあった。
結末はと言うと、唯一取り込まれていなかった氷の精霊が、己の力の全てを使い魔王を凍らせ、破壊し、その欠片は地上に散らばって、のちに魔物という個体になったという話である。
そして氷の精霊はそこで命を使い果たし、この世から消え去った、というのが一章の結末だ。
作者はピーリブという詩人で、六つの力の内もっとも少ないと言われている氷型の存在を元にしてこの話を作ったのだと言われている。
「何百何千年前に作られた話だが、この辺りではこんな言い伝えがある。なんでも、魔王が取り込めなかった力の一つ『氷の精霊』が海の王国に眠っているのだと。これまた噂にすぎんのだが」
「お伽噺ではないの?」
王の隣で椅子に腰をかけるベラは、母親から幼い頃に聞かされていた物語集の話に反応を示す。
「海の王国は、水の精霊の故郷とも言われている。だから何故そこに氷が眠っているという噂が立つのかは分からない」
「だがもしそなたらの言うように、『シュテーゼル』と言った魔物が海の王国に向かったとするなら」
「そのシュテーゼルというモノが魔王のことだとしたならば。取り零した力を目的としているのかもしれないと、私は思っているのだがね」
「セレスティアル王は我々の概念とは違う所で生きられているお方だ。場所が海の中となれば、人間が突き破ることはとても出来ぬ。こちらからしてみれば、化け物となにも変わらないほどの力だ。お歳も召されない」
セレイナ王は言葉を切り、跪くアルウェスとゼノンをその場で立たせた。そして壁側に退いていろと指示を出し二人を広間の中心から遠ざけると、王座の左手すりを上に持ち上げる。
その瞬間床がゴゴゴと音を立て揺れ始め、十四宮の間の中心の床に丸く大きな穴が開いていった。
「水……これは海か?」
穴の下に見えた水に、ゼノンは目を疑う。
そのうえ水の下に見えた大きな黒い影に眉を顰めた。
セレイナ王は影が中心に止まったのを確認すると、二人に向かいその影を指差す。
「ハウニョクの口に入ると良い。このアメス真珠を飲むのを忘れずにな」
――――ザブン!!
天井に届くほどの水飛沫をあげて穴から出てきた大魚は、二つの大きな目を右往左往に動かし二人を見ていた。