受付嬢二年目・海の国編5
王女様の言っていることは理解不能であった。
けれどまだ一言もロックマンが喋っていないことに気がついた私は、ここで初めてまともにあいつの顔を見る。
「わっ」
「ナナリーどうしたの?」
見た瞬間目がバチっと合ったので少々驚いたが、視線を逸らすのは負けた感じがするのでそのままじーっと見ることにした。
あっちもあっちで睨み付けてくる私を見てどう思ったのかは知らないが、悠々とした表情で顔を背けることはない。
またやってる、と隣でニケが呟いていた。
「ねぇ、なにあの黒い影」
「なんだ?」
「こっちにくる」
横でベンジャミンが海へと向けて指をさす。
私はその声でやっとロックマンから目を離した。
確かに彼女の言う通り、よく見れば遠い所の海面を黒い影がたゆたっている。しかもそれは徐々にこちらへと近づいて来ていて、近づいてくるほどその黒い影が異様に大きいことに気づいた。
ロックマン同様何も言葉を発していなかったウェルディさんが、薄茶色い髪を片手で撫で付けながら「なんか気味悪い……」と言ったのが聞こえる。
すると――――ブクブク……ザバァ!!
「姫様ぁあ! やっど見づげましたぞう!!」
突然ザブンと大きな水飛沫を上げて海から姿を現したものに、私達は目を見張る。
海面から出てきたのは、巨大魚というには魚と形が似ても似つかない、筒のような身体をした巨大生物だった。
もしあれが魚の類いだとして食べられる食材だったとしても、絶対に食べたくないくらい気持ちの悪い見た目である。
目がギョロギョロしているし。
それに加え、がらがら声で人の言葉を喋っていた。分厚い唇がぶるぶると震えている。
「何あれ?!」
浜辺は急に現れた生物に騒然となる。
うわぁ! キャー! と海に入っていた人達は逃げ始めていた。
「ひめざまぁ!!」
こちらを襲おうとしてくる巨大生物に、その場にいたロックマンとゼノン王子が王女様を背中に庇った。
「姫様って王女様のこと?」
「なら追い払わなきゃ――――ってもうやってるわね」
そんなことをベンジャミンと話している間にも、殿下達(後ろにいた男の人達やニケ含め)はそんなもの百も承知とばかりに巨大生物に向かい魔法を仕掛けていた。使い魔を出して空を飛んでいる。
なんて素早い。さすが騎士。さすが護衛。
巨大生物の分厚い唇の横から伸びる、ウニョウニョとこれまた気持ちの悪い触手を相手に攻防している。
その戦闘の光景に私達が下手に手を出すのも邪魔かもしれないとベンジャミンと見合ったが、戦っているのを眺めていると不可思議なことに気がついた。
「魔法が効いてなくない?」
「なんか変だね」
魔法がまったく巨大生物に効いていない。
ゼノン王子の雷も、あのロックマンの炎も、ニケの水も、サタナースの風も、他の魔法使いの魔法も何もかもが効いていなかった。
試しにと私も攻撃の魔法で凍らせようとしたけれど、まったくである。
「ベラ」
「アルウェス!」
ロックマンは攻撃勢からいち早く抜ける。
王女の身の安全が第一と考えたのかあいつは浜側に戻ってきて、傍に駆け寄ってきたベラ王女をふわりと抱き上げていた。
「あんな生き物見たことないわっ」
「初めて?」
「ええ一度も!」
私の横でロックマンに横抱きにされている王女様を見て、彼女が襲われることはないだろうと安心する。あの生物に魔法は効かないようだけれど、こいつの腕の中にいるうちはそう易々と捕らわれたりしないはずだ。
王女はロックマンの首にぎゅっと抱きついている。
「大丈夫だよ」
けれど触手がこっちに伸びてきたことに気づいたのか、巨大生物に背を向けていたロックマンは王女に七色外套の魔法をかけて姿を消させた。確かに姿を見えなくすれば狙いが分からなくなるだろうけど、消せてもロックマン自身に触手が当たったら危ないだろうと、私は腰に引っ掛けていたデアラブドスを振り回してロックマン達の前に出る。
「ロックマン、王女様連れて離れ……ぎゃあ!」
「ナナリー!」
私は巨大生物から伸びてきた触手に足を捕まれて、宙ぶらりんにされた。
ぬめりけのある感触が足首にあり鳥肌がたつ。
ベンジャミンが手を伸ばしてくれたが届かなかった。
「姫様ぁ! やっどづかまえまじだぞ!」
「私姫様ちがうけど!」
「海王様にやっど、やっどかえぜまず!」
うみおうさま?
ぶらぶら足を上にして吊るされている私は、魔法を使い氷柱を出して突き刺そうとしたり、デアラブドスで触手を叩いたり、自分の身体を移動させたりしようとしたけれど、やはりこの生物にはまるで何も効かなかった。
魔法が打ち消されるというか、この生物に関わる物全てが(捕まれている私にも)何も効かないような感じがする。まるでキュピレットの花のよう。
海の王国に住む生物や人魚に魔法は効かないと本で読んだことはあるが、もしかしてこの生物にも同じように効かないのだろうか。
ニケやサタナース達が私を触手から離そうと魔法で出した剣等で切りつけたりしてくれるけれど、まったく切れない。
「なんで魔法効かないの!?」
「ヘル!」
ユーリを召喚し物凄い勢いで飛んできたロックマンが、引きずられている私の腕をパシッと掴んだ。
この状況はもしかしなくても助けられているのだろうか。
色々勝てていないうえにこんなところで助けられたら元も子もない、と微妙な表情をしているうちにも、私はじりじりと海の方へと引かれていく。
王女様はどうしたのかと浜辺を見ると、光輝く薄い膜に守られている彼女の姿が見えた。周りには護衛がちゃんといる。
「あ、だめだめロックマン離して!」
「僕はひめざまを傷づけない! 乱暴じない! 僕らはうぞづがない! はなぜ小僧!!」
謎の生物はそう叫ぶと、ロックマンを私から離そうとユーリごと触手でグルグル巻きにして反対側へ引っ張った。
まずい。
このままでは私だけではなく、こいつまでも引きずられてしまう。
「勘違いしてるなら今はさせておけばいいじゃない、傷つけないとか言ってるし早く王女様連れて離れ……」
「君の言うことは聞かない」
けれど腕が千切れそうなくらい痛くて、私は思わず顔を歪めた。
するとロックマンは見たことがないくらい眉間に皺を寄せて悔しそうな顔をする。
私は初めて真正面から奴のそんな顔を見たので、少しだけ痛みを忘れて瞬きをした。
「待ってて」
そう言うと、ロックマンは自分の小指にはめていた金の指輪を口で取り、掴んでいる私の手の薬指にそれをはめる。
「必ず行く」
そうしてやっと手が離されると、私は一瞬で巨大生物と共に海の中へと引きずられていった。
不思議と息は苦しくない。
金色の波の中で揺れる赤い光、その景色を最後に視界は暗くなった。