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ハーレ就業編・8-5


 なんてことだ。ああなんてことだ。

 それが今私の頭の中を隙間なく埋め尽くしている言葉である。なんてことだなんていう言葉は好きでもないし嫌いでもないが、これほどまでに私の今の気持ちを表す言葉は他にない。

 もう一度言おう。なんてことだ。


「アルウェス……ロックマン?」


 だってまず第一に私は女の騎士の人が変身しているのだと思っていたし、それにドレスを着たと聞いたので自然と想像したのは女性の姿。まさか男が私に変身してドレスを着るなんて思いもしない。いや少しは想像したけれど、その考えはまずあり得ないと自分のなかで即効削除したのだ。もしかしたらニケだったのかもしれないとも考えていたので、天幕に入った時一番最初に声をかけてきたニケには心底ホッとしたのである。

 

「言わないでくれと言われたから、テオドラにも連れて来るなとは言ったんだが……」


 だからどうとは言わないが、ただ正体が正体だっただけに私は固まることしか出来ない。

 話を聞く限り私をずっと守っていたという人がロックマンだったわけで、酷い怪我を負ったのもロックマンだったわけで、ドレスを着たのもロックマンだったわけで、そう、だから全ての答えは一人の男に繋がっているわけで。


 口をパクパクさせている私を、動かすのも痛いであろう口の端を上げて可笑しそうに笑うロックマンは、酷い顔だと今度は声を上げて笑った。どこから誰からどう見ても酷い顔と怪我をしているのはロックマンに違いないのに、やっぱりいつものように余裕をかまして私を見てくる。しかも私に化けているということは、ドレスを着用したことも含め裸を……いいや、やめよう。考えてはダメだ。


 いつもならこの流れで売り言葉に買い言葉で言い返しているところだけれど、そんな気力は「なんてことだ」のせいでやる気を失っているので口から出てくることはない。


「その、様子じゃ……粗方知ってるのかな」


 無言でいる私に何を思ったのかロックマンはぐっと上半身を上げて起き上がる。胸回りは包帯を巻かれているのか、マリスが作った青いドレスは脱いでいる様子。治癒魔法をかけている女の人が寝ていてくださいと言うものの、首飾りを首からかければ問題ないなんて言って横たわろうとはしなかった。


「まぁ……君を、本当に餌に出来たら、良かったんだけどね」


 そう言って、ロックマンはまた笑った。

 血で固まっていた髪の束が、こめかみからパラリと垂れ落ちる。


 ウェルディさんが目を腫らして泣いていたのにも頷ける。いやこいつに限らず誰がこうなっても彼女は泣いたと思うし悲しんだとは思うのだけれど、好き好きと全身で表現していた姿を見てきた私からいわせれば、ウェルディさんが私に向かって「良かった」と言ったことに、何故だかもの凄く胸を締め付けられた。


「じゃあ……したら良かったじゃない」

「馬鹿だね、そんな重大なことを任せられるわけないだろう。いち国民の君に……ヘル?」


 私を餌に囮に出来ないのは重々承知である。騎士団と国が解決しなければいけない問題である以上、国民である私を勝手にそういうことに利用できないなんて、よほどの常識外れでもない限り理解出来ている。


 でも、それでも私は、


「うっ、ひっく」

「ヘル?」


 それでも。


「っ私が、私が泣いてんのはねぇ!」


 別に悲しくて泣いているんじゃない。

 これは断固として悔し涙なのだと声を上げてハッキリと言える。


「昔からあんたには絶対敵わないって、やっぱりどっかで思ってて、喧嘩売っても何やっても、あんただったら大丈夫だって」


 思っていた。傷を負ったところを見たことは今まで一度もなくて、いつも余裕そうに笑っていたから。何をしても良いなんて少し語弊があるけれど、とりあえず私に対してもあっちは容赦がなかったので基本的には思うままに喧嘩を売ったりしていた。幸いロックマンは火型で私と打ち消しあう存在だったから威力で競っていた形であるし、何より口喧嘩のほうが多かった。凄く汚ない言葉を、もしかしたら吐いていたかもしれないほど、いっぱい口喧嘩をした。今も変わりはないけれど。


「あんたがやられることなんてないって思ってたのに、今ボロボロになって倒れてるのが自分のせいだって、分かって、自分が傷つけられるより、もっともっと」


 痛くて苦しいなんて、目の前で痛く苦しい様子のロックマンに言えるわけがない。


「落ち着いてナナリー、貴女ペストクライブを起こしてるわ」


 ニケに背中を撫でられた。気がつけば天幕の中がひんやりとしていて、ところどころ氷で凍ってしまっている。自分が地面につけている両膝の下にはパキパキと亀裂の入った氷の膜のようなものが出来ていた。

 人生初のペストクライブの原因がこいつなんて、それも何だか悔しくてたまらない。


「こんなっ、泣いて、ごめ」


 この怪我をした人間に対して泣く光景をどこかで見たことがある。


 あれは確かお母さんが珍しくおしゃれをして、私にも目一杯のおしゃれをさせて、島の真下にある町一番の演劇場にお芝居を見に行ったとき。恋愛ものの何かで(興味がなかったから半分寝ていた)、女の人が倒れた男の人にかけよって、泣いて泣いて、そして口づけをして、その男の人は奇跡的に助かって、チャンチャン。終わり、みたいな話だった。


 百歩、いや千歩譲っても私はこいつに口づけなんかしないし、ましてや泣いている理由は悲しいなんて感情とは程遠い。こんな時になんてくだらないことを思い出しているんだと自分で自分に呆れるほどに。


「君……」

「やぁぁあん隊長!!」


 そうしていると力が戻ったせいなのかなんなのか、ロックマンは私の姿から元のあの金髪の姿へと形を変えていた。


 碧色の瞳は、赤い瞳に。小さかった肩は大きく、頼りない筋肉がついていた腕にはしっかりとした、けれどしなやかな筋肉。

 ささかやにしかなかった胸の膨らみは、今は完全に膨らみを無くし男特有の胸筋に姿を変えている。

 無くなっていた左腕も今は完全に元通りになり、怪我の一つも見当たらなく、身体についていた血のあともすっかり消えていた。


 完全に回復している。これが治癒魔法をしていた騎士の人の力なのか、それともロックマンの力なのかは正直分からない。

 けれど首飾りに込められていた力が戻ったのは確かである。


 たまたまちょうどよい時に天幕へ入って来たウェルディさんは、その姿を見ると、両手を広げてロックマンに飛びついた。

 ちなみに私はウェルディさんにベシッと弾かれて転がっている。彼女がとても嬉しそうで何よりだった。

次話明日21時更新。

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