ハーレ就業編・7-15
一人称、三人称と視点が変わります。
御了承ください。
「どうされた?」
「どうしたナナリー」
宰相と、斜め向かいにいるゼノン王子が私に手を伸ばしてくるのが見えた。初対面の宰相も優しい人だなとは思うが、やっぱりゼノン王子は優しい友人だとつくづく思う。
……なんて呑気に友情に浸っている場合ではない。
視界がぼやけ始めたかと思えば、キーーンと耳鳴りがする。何だか吐き気もするし、誰かに頭の中をかき回されているような、無理やり身体の中をぐちゃぐちゃにされているような感覚がした。
意識が朦朧とする中、試しに魔法解除のため指パッチンをしてみると一瞬和らいだが、すぐにそれは元通りになり気が遠のきそうになる。
やはり――騙されないぞ。
誰かが私に魔法をかけているのだ。
「大丈夫? 顔色が魔物みたいだけど」
おいどういう意味だロックマン。
声をかけてきたと思えば第一声がそれである上に、若干馬鹿にされているようにも思えなくもない。
「こん、なのは、治癒魔法でもかければ」
あいつに心配されるなど御免である。
しかしこれはきっと、混沌の呪文だ。なので治癒魔法は効かないだろう。
この魔法は相手の感覚を乱し崩す魔法で、天と地の境が分からなくなるくらい視界が渦を巻く。まさに混沌だ。
誰がかけているのか知らないが、騒ぎにするのは嫌なので歯を食い縛った。ヘルには根性がある、根性なら誰にも負けてないぞと昔ゴードン先生直々にお墨付きをもらったことがあるが、その根性は魔法にも打ち勝てるかと言われたら答えはイイエである。ただそれが力になることは確かなので今も根性で意識を保っているが、本当に誰だこの野郎。私が何をしたっていうんだ。
でもそんなことより、自分で解けることができたならそれが一番良いのに、それが出来ない自分にだんだん腹立たしくなってくる。
いくら人様に褒めて貰っても、けして傲ることはできない。こんなものも解けやしないのだから。
「なんと、これは大変だ。もしや酒が合わなかったか」
「毒ではないようですし、父上、彼女を城の客室で休ませてあげては?」
「そうだな」
どうにも自分を支える力がなくなった私は、椅子からずり落ちそうになった。けれど誰かが支えてくれたのか、肩に手を当てられて落ちることはなかった。隣にはサタナースがいるし、もしかしたら彼が支えてくれたのかもしれない。そのわりには全然声が聞こえないけれど、誰がどうしてくれているのかはもはや今の私が気にしていられる余裕はなかった。
指が使えないのなら口で解除の呪文を言うしかない、そう思いさっそく口を動かすが、呪文もうまく言えやしない。
ちくしょう何か方法はないのか。
今こそ真の魔法使いとしての本分が試されるというのに。
けれど結局手も足も出ず魔法でフッと浮かせられる感覚がしたと思えば、私は洗濯物のようにだらんと前屈みに宙に釣り上げられ、自分の手がブラブラと揺れているのが分かった。海藻みたいに。
客観的に見れば随分と屈辱的な姿になっていることだろう。
「どうなさいましたの? ナナリー? しっかりなさい」
マリスの声がした。
もしかしてサタナースではなく、マリスが支えてくれたのだろうか。あんなに離れた場所にいたのに。
目の前が砂嵐になったかのように何も見えないので、周りの状況は当然見えない。
試しにまた指パッチンをしてみようと思ったものの、手に力が入らないのでもどかしくなった。
くそう、いつか倍返しにしてやる。
そして正体が掴めた暁には末代まで続く、足臭の呪いをかけてやろう。子どもからその孫の孫に至るまで皆足臭になってしまえばいいんだ。
でもやっぱり子どもと孫は可哀想だから当事者だけにしてあげようかな、そんなどうでもいいことを真剣に考える。
「コレは城の客室に寝かせておくから。心配しないで」
「でも……」
今、一番近い場所からロックマンの声が聞こえた気がする。
肩に担がれているような、片手で抱えられているようなこの体感温度。庭に干してある洗濯物を取り込むような感じで、私は今誰かの腕か肩に引っ掛かっている。
考えたくはないが……いや、もう考えないようにしよう。頭が痛い。
「薬を飲んで少し休めば大丈夫だよ。それよりマリス、君のような麗しい女性には先約があるとは思うのだけれど、もしも奇跡的にいないのならば、舞踏会では僕と一曲目をどうだろうか」
「――え? ……ええ! ええ! ええ勿論よ」
でしたら急いでナナリーを連れていって、早く戻ってきてくださいね。
そんなことを言うマリスの声が耳に届く。
友人に売られた。いや、捨てられた。
きっと彼女の頭の中は、このあとに行われる舞踏会のことでいっぱいになっていることだろう。実に嘆かわしいが、実に清清しいので不貞腐れるよりも、なんだ良かったねという感情のほうが強かった。
それより人がこんな状態のときに、ダンスのお誘いをするコイツの神経が疑わしい。
コイツのほうがより魔物に近いだろうに。
「まものめぇ……」
「魔物?」
おやおや幻覚が見えているようだ、そう言って国王はロックマンに私を客室へ早く連れていくようにと指示をする。
ああ、もう脳を動かすのが怠い。
ロックマンが何か言っているが断片的にしか聞こえないし、無理やり思考を動かしていたから余計に気持ち悪くなってくる。本当に吐きそう。
私の意識は、真っ暗闇に落ちていった。
*
ナナリーが自分の意識を意識的に落とすと、身体の力が抜けて、彼女を肩に担いでいるアルウェスに全体重がかかった。
結われていない水色の髪が、アルウェスの頬から胸にかけてなだれ落ちる。ナナリーが気を失ったことに気がついたアルウェスは、国王に言われるがまま席から離れようと、着用している騎士服の乱れを片手で直し、鬱陶しく伸びた金髪を耳にかけた。
そして鼻にもかかる、自分とは違う色の髪もついでに払う。
「大丈夫かしら……」
マリスはあんなことを言ったものの、病気ひとつしたことがないと言っていたナナリーが倒れたことが心配で、気を失っている彼女を両手を組んで見守っていた。他のテーブルについている貴族達も、国王がいる席で何か起きたのかと視線を集めていた。
「俺も行こう」
ゼノンは彼とともに着いて行くと立ち上がり、一人にされそうになったサタナースについてはアルウェスが声をかけ、この場から離れさせようとする。
「ねぇその方なら、使用人に任せれば良いのではなくて?」
「おいミスリナ」
「だってお兄様達がわざわざお手を貸すことはないわ。世話をするのは使用人の仕事よ」
しかしその言葉が耳に入るとアルウェスは足を止めて振り返り、この場にいる人間に言い聞かせるかのように、気をつけてくださいねと言った。
「言っておきますが、彼女は氷型ですから」
笑顔で物腰柔らかく話すアルウェスの言葉に、宰相や他貴族達の顔は張り詰めて固くなる。
何故なら氷の魔女の事情について、この場にいる人間で知らない者はいなかったからだ。
彼女が該当する魔女だと思っていなかった者達は、目を閉じて大人しくアルウェスに担がれるナナリーを見る。
「現在王国中の氷の魔法使いには、型を偽るようにと指示を出しています。型を、気軽にでも聞いてくるような人間がいれば報告をするようにとも。なのであまり外部でそのような話題は出さないでくださいね。もし約束を裏切るようなことがあれば、オルキニスからの間者だと疑われかねないので」
そう言ったアルウェスに、サタナースは眉を上げた。
氷の魔女である友人のことを、けして彼女を知っている人間以外に漏らしてはいけないと用心深く注意されていのに、今この男はあっさりと言ってしまったのではないか、と。
「マルキン、お前は少々世間話が過ぎる」
ゼロライトは今後も皆に気をつけさせようと頷いた。
それに対しアルウェスはありがとうございます、と胸に手をあてる。
「彼ら氷の魔法使いには、騎士団第一小隊の人間が一人一人に守護呪文をかけています。何かあれば相手に跳ね返す反逆の魔法を。ただ彼女にだけはいつも破られてしまうようなので、特に注意が必要で」
「ほう。なぜだ?」
「治癒の魔法はとにかく、自分にかけられた魔力に敏感なのか、無意識にすぐにこちらのかけた魔法を指を鳴らして解いてしまうようです」
なので、と続ける。
「手出しはしないでくださいね」
二つの赤い瞳が、細く鋭く輝いた。
*
城の廊下を男が三人、肩に担がれた女一人が通る。
通路には城付きの白騎士が等間隔で立っており、その男三人のうちの一人がゼノンだと分かると、皆一様に姿勢を下げた。
城の客室前に着くと、ゼノン自ら部屋の扉を開け、アルウェス達を招き入れる。
緑を基調とした壁紙に、大きな四角い窓と赤いカーテン。隙間なく本が埋められた上質な木製の本棚と、硝子で出来た水差しが置いてある小さな卓上台に、白金色の鏡つきの化粧台。
うまく配置された調度品達は、埃もなく綺麗に部屋におさまっている。
「あれだけ俺達に口止めしといて、お前あっさり言ったな」
扉が閉まると、言いたくてウズウズしていたとばかりにサタナースが口を開いた。
言葉のわりに楽しそうにしている彼をゼノンが咎めると、ゼノンは騎士団長の考えか、とアルウェスに聞く。
「そうだよ。ヘルには美味しい餌になってもらおうかなってね」
「はぁ? 餌?」
サタナースは素っ頓狂な声を上げて首を傾げた。
アルウェスは肩に担いでいたナナリーを、客室の中心にある寝台の上へそっと横たわらせる。滑らかなシーツは皺を作り、彼女の身体を優しく受け入れる。
重いものをようやくおろせた、と寝台の横にある木彫の椅子に腰をかけたアルウェスは、怠いとばかりにシーツの上に肘をつくとため息を吐いた。その視線の先には、彼が無理やり眠らせたナナリーがいる。
混沌の呪文を長い時間跳ね返されていたわけだが、普通の人間ならばすぐに意識が落ちるところを粘られた点について、アルウェスも彼女に対しさすがだと思うしかなかった。
「魔物が消えた先に繋がっていた魔力の残り香は、海の向こうまで続いていたよ。正体を掴むには王国を出なきゃいけない。それにはまずオルキニスを片付ける必要がある」
「お前追えたのか?」
「殿下も本気を出せば簡単に追えますよ。サタナースだってね」
「そんな気ぜんぜんしねーけど」
氷型の乙女は、ドーランからすでに三人はいなくなっていた。
それも警戒する前の話であり、行方不明となった者達の中に同じ時期にちょうどその三人がいなくなっていた記録がある。
記憶探知で第一小隊が痕跡を辿ったが、連れ去られた様子ではなく、全員シーラ王国へと行き、それからオルキニス王国へと手順を踏んで行っているようだった。
連れ去られたわけではなく、自らの意思で国を出て行っている。
たまたま三人が偶然同じ時期に旅行しに出たのか、はたまた魔法で操られてそう仕向けられたのか。
そして何故王国がオルキニスを警戒しているのか。それは誘拐も含め、そのオルキニスの女王が行おうとしていることが、第七小隊の密偵で明らかになってきたからであった。
十人がその話を聞けば、十人が吐き気に襲われそうになるほど猟奇的な計画が。
すでにシーラでも数人拐われており、自らオルキニスへ行った者も中にはいる。警戒しだしてからは誰も王国外に出してはいないが、戦争を起こすわけにもいかず、また拐った確証も完全ではないので手を出そうにも話し合おうにも、必要な情報が集まっていなかった。
「うう、餌はお前だロックマン……」
三人が話していると、ナナリーが寝返りを打つ。
「あはは……寝言でも凄い。これなら襲われても心配はなさそう」
「いや大有りだろうが」
アルウェスは心底面白いものを見れたと笑うが、サタナースはその様子に呆れ顔をした。
「コレが氷型だと言ったら、目の色が変わった人間がいたね。一人」
「やっぱりそうか」
思い当たる人物がいたのか、ゼノンは顎に手をあてる。
「じゃあなんだ、あの中に裏切り者でもいるって言うのかよ」
「さぁね。でもあそこまで言ったから、もしいたとしたなら更に手を出したくなったんじゃないのかな。まぁ手を出すなと言われるほど、手を出したくなるのが性だよね。君がフェルティーナに抱いている感情みたいに」
「バーカ違ぇっつーの」
話がズレているとサタナースは指摘する。
「だけどナナリーは友達だろ? 真っ正面から言えばいーじゃん、餌になってくれって。そりゃ友達としちゃ最低な頼み事だろうけどさ、黙ってンな役割押し付けなくても」
「僕はこの間抜け面の女性を友人だと思ったことは一度もないからなぁ」
「ひっでー奴。マリスが知ったら嫌われんぞ」
「うーん……それは困る」
肘を寝台から離して、アルウェスは椅子から立ち上がった。
そして枕元に移動すると、寝入って口を僅かに開けた彼女の顔を見て笑う。口端からよだれが少し出ている。
アルウェスはナナリーが首もとから下げている銀の首飾りを片手で掬い上げ、開閉式の飾りを親指で突いて開かせた。
パチンと音を立てて開いた飾りの中には、先ほどナナリーが言っていた通りにキュピレットの花が一輪入っている。
「もう少し、可愛い寝言をしたらどうなの?」
それを確認したあと、アルウェスは飾りに金色の吐息を吹きかけた。