ハーレ就業編・7-13
夜は更けていく。
「はいそうです」
私の憐れな友人サタナースは、こちらから見る限り身動ぎひとつしていなかった。
ゼノン王子がいる手前ビビっている姿を見せたくないのだろうが、それが逆効果になっていると気づくことは全く無さそうである。
ここから全てが見えるわけではないが、きっとゼノン王子はあいつの姿を見てしめしめと楽しんでいるんだろう。絶対そうに違いない。
いつも茶化されていたのは彼のほうだったので、今日くらい縮こまった姿をさらすのも悪くはない。
「ちなみに、貴女はキュピレットの花のお相手はいらっしゃるの?」
「私は友人にと思っています」
「それは素敵ね」
ハルマージ侯爵夫人(マリスがそう言っていたからたぶん合っているはず)に聞かれて、私は首飾りにそっと触れる。
そういえば今は何時くらいだろうか。
魔物に割られて、今は元通りになっている窓から見える王の島の空には星が輝いている。夜中ではないだろうが、こう隔離された空間にいると時間の感覚が曖昧になってくる。
料理はちまちまと口にできたおかげで、胃は満足しているのかお腹が鳴ることはなかった。
量に満足と言うよりも、優れた料理人が優れた食材を使って作り上げた優れた料理にお腹がいっばいになったという感じである。
とにかく美味しかった。
それだけは伝えたい。
お腹を休ませてふと天井を見上げてみると、来たばかりの時にあった太陽の絵が徐々に消えていっていることに気がついた。月の絵ははっきりとあるのに、太陽の絵が薄くなっている。
凄いな、と小さく呟いて感心していると、その言葉が耳に入ったのか夫人に、こういうの見るのは初めてなの? なんて笑顔で聞かれた。
彼女が言うに絵は時計のように時間を表しているようで、完全に太陽が消えると真夜中なのだという。
絵の時計が動いているのを見たことはあるけれど、こんなのは初めて見た。
できれば絵が消えていく過程を、目をそらさずにじっくりと見ていたい。
見たことないのでじっと見ていたいくらいですと正直に言えば、夫人はあら可愛い返しだこと、と楽しそうに笑う。
その夫人の様子に、彼女の子供である貴族女子も笑った。
「ふふふ、ヘルは恥じらいを知らないから見ていて本当に楽しいわぁ」
とりあえず誉められてはいないことは分かった。
そして彼女に悪気はない。
「ヘル様、よろしいでしょうか」
ヘル様。
なんて言う誰かの声に脳みそをグルグル回転させて、ああ私のことか、と声のする方へ振り返る。
そして振り返った先、後ろには先ほど私に料理を取ってくれた使用人の人とは違う人がいた。
「…………………………はい?」
城の使用人に、そんな「様」づけで呼ばれるとは思ってもいなかったので、反応がかなり遅れる。
私の反応の遅さに相手も少々苦笑いをしたが、気づかなくて申し訳ないとこちらが眉を垂らせば直ぐに彼女も首を横に振り、滅相もございませんと返された。
「あの、私ですか?」
名札を貼り付けているわけでもないのに、名前を呼ばれた。
姿勢が今まで以上に良くなった私は、再度確認のためにと自分の顔に人差し指を向けて使用人の人に聞き返す。
マリスも隣にいる私が声を掛けられたのを気にして、わたくしの友人に何か御用でも? と聞いてくれた。
「あちらのお席までお越しください」
あちら? あちらとはどちらだ。
目を凝らして彼女の言う方向に目を向けた。
「……あそこって」
黒い服に身を包んだ使用人の女性が頭を下げて手を向けるのは、私の勘違いでなければ、サタナースとロックマン、ゼノン王子や国王など王族がいる方向である。
さらに言えば王女様、第一王子、第二王子、ロックマン公爵、宰相までその近くに見える。というかそこにいる。サタナースの一切表情の変わらない様子もしっかり見える。昔から視力は良いほうなのだ。
そんなわけがないと思いつつ小さな声で「もしかして国王様や公爵様のあそこに、ですか」と呟くと、期待とは裏腹に使用人の女性は笑顔で頷いた。
優しげな目元に絆されそうになるが、彼女が私に行けと言っている場所は、けして絆されてホイホイと行ける場所ではない。
いやいやいや、絶対におかしい。今までの18年間の人生の中で、上位三本の指には入るくらいおかしな話だ。
むしろ三本の内ではなく一番おかしい。
そもそも何故あそこに行かなければならないのか。
そこが疑問になるわけだが、無言で首を小刻みに振る私を見てかマリスが使用人に話を聞くと、どうやら国王が私を呼べとのことで来たのだと言う。
一国の国王が何億何万といる国民の、しかも平民で、顔すら合わせたことのない人間を名指しで呼ぶとは、またどうしたことか。
「ヘルが王に?」
「ナナリーが王に呼ばれまして? いったい何の御用があるというのかしら。魔物の件でゴタゴタしていたから結局挨拶はできませんでしたけど」
「ヘル様、どうかこちらへ」
本当に何の御用があるというのか、ここで嫌な顔をしたらそれこそ周りに何を言われるか分からないので、とりあえず口角を上げて反応を曖昧にする。
本人でも首を傾げる状況に、第三者であるマリスや貴族女子もう~んと困り顔。ハルマージ侯爵夫人は、怖がることはないわよと私の肩に手を置いて励ましてくれる。
「大丈夫よ」
「はい」
いつまでも渋ってはいられない。
私は仕方なく椅子から立ち上がる。
弾みで少しふらついた私の身体を、マリスが手で支えてくれた。
これだから踵の高い靴や、裾の長いドレスは苦手なのだ。歩きにくいし、身体の平行感覚が取りにくい。
でもマリスが私の為に作ってくれた物だと思うと、着こなさなければという意地にも似た愛着が湧いた。
「ごめん」
「気をつけていってらして」
さっきとは違い心配そうな顔をする彼女にお礼を言って、私は使用人の女性に案内されるがままついていく。
他の貴族達の席では、会話が盛り上がっているのか笑い声が聞こえてきていた。
*
使用人に連れて来られた、今現在この城の中で一番二番三番とお偉い人達が集まっているであろう席。
ゼノン王子によく似た黒髪、凛々しい眉をした我がドーランの国王、ゼロライト・バル・アッテルガ・ドーラン。
隣には白金髪の美しき王妃、マルテ・バル・オルズマン・ドーラン。
「このナル・サタナースという青年から話を聞いてね。あの魔法陣を出したのは友人である君なのだと」
お二人が並ぶその前に、まさか跪くどころか目の前で用意された椅子に座ることになろうとは、数刻前の私は想像もしていなかっただろう。
お腹を鳴らしていた頃が一日、いや数年前のことのように思える。
高貴の中の高貴な人達がずらっと並ぶこの席は、私の目には眩しすぎて直視ができない。一人一人の背後に後光がさしている。
私を呼ぶなど何かの間違いなのではと膝をついてお窺いしたいところだが……王族の方々にジロジロと見られているこの状況が早く終わりますように、それを頭の中で両手を握り締めて祈るばかりだった。
「下がってよい」
私を連れてきた使用人の女性に国王が横に手を振ると、彼女は静かに私の傍から離れて給仕に戻ってしまった。
待ってお姉さん、行かないで。
心の拠り所ではないが、いてくれるだけでも随分と助かるのに彼女の背中は遠退いていく。
両手が急にソワソワし始めて、私は下腹部辺りに手を組ませてひとまず気を落ち着けた。身動ぎできない。
ごめんサタナース、馬鹿にして悪かった。
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