ハーレ就業編・7-8
夕方になり、日が暮れだす。
花の塔には緋色のヴェールがかかって、今頃は恋人たちの雰囲気を存分に盛り上げていることだろう。
王族達も朝から馬車で国中を飛び回っていたけれど、もうすぐ島へ戻るに違いない。
それに王国の人々はこのまま盛り上がりを夜に持ち越していくのか、まだまだ熱が冷めることはなさそうだった。飲屋はこれからが本番である。
私も私でマリスとの約束があるのを忘れてはいない。
そういえば途中ハーレに行って所長達の様子を伺いに行ったとき、ゾゾさんが所長とアルケスさんと一緒になって受付にいたのには驚いた。ロックマンと別れたあとのことなので、結構日中であったはず。
扉を開けた先で三人仲良くあくびをしていた姿は、今日が花神祭だということを忘れそうなくらい退屈そうな光景だった。
ゾゾさんに至ってはどこか投げやりな表情をしていて、あれ、メラキッソ様に逆らうんじゃ……と言いかけた私の口を瞬時に塞いできた彼女は、私を建物の隅まで連れて行くとひっそりと言った。
『シーよ、シー! 別に玉砕してここにいるわけじゃないからね? ね!?』
『は、はい』
掴まれた肩が痛い。
それからお土産に持ってきた花冠と屋台で買った食べ物を三人に渡すと、今度は所長が私を反対側の隅へ連れて行きこそこそと話をし始めた。また肩を掴まれそうだったので、私は両手で肩を守りながら彼女の話を聞いた。
『私、この場に居ていいのかしら』
『なんでです?』
『だって私どう見てもあれじゃない!』
『アレ?』
『……いえ、やっぱり何でもないわ。そうよ、そうよね。いい年して私ったら考えが少女っぽいからやだやだ』
所長ともよく分からないやり取りをしたのち、私とヤックリンさんはその場を去った。三人はよほど暇を持て余していたのか、私達が去る間際カウンターの下からボードゲームを取り出しているのが見えた。その様子にはさすがに私も苦笑した。ヤックリンさんもそれを見ていたのか、私の隣で『食べ物じゃなく玩具でも買ってきてやるんだった』と悔やむ。
いつかあそこでお留守番の代わりが出来るくらいの人間になろうと心に誓った。
「今日は楽しかったです。ヤックリンさんはこのあとご友人と?」
道の街灯に明かりがつきはじめる。夕陽の淡い光がそこへ移ったような仄かな光。火の魔法使いが作った街灯だからか、よく見てみるとガラスの内側には小さな炎が燃えている。煉瓦造りの街中に合った焦茶色の柱のそれは、目にする人達の心を温めた。
「昼に会った奴らと一杯飲みに行く約束がな。ま、一杯で終わらないだろうが」
手で杯を作り、飲むフリをする。
「楽しそうじゃないですか。いいですね」
「ヘルも友達と会うんだろ?」
「ええ、濃いめですが」
「濃いめ?」
「それにこの花、その友達にあげようかなって」
手にある赤い花を見つめてマリスを思い出す。
思えば彼女の髪も、燃えるような赤だった。厳密に言えば赤茶色だけれど、とても綺麗な色だ。
「そうか。……な、なら俺はヘルにやるよ」
ヤックリンさんは指先で茎を持ち、私の顔の前にそれを差し出した。
私は目を真ん中に寄せる。
「私にですか?」
「母さんや父さんには前日に送ってあるし、男友達にやったところでな。気色悪いだろ?」
でも私は友達じゃないどころか、今日初めて彼と出かけたくらいで、あんなに店を探し回って手に入れたキュピレットの花を貰えるような間柄ではない。
せっかくの花なのだからと私は顔をブンブン横に振って、貰えません、と言った。
しかしそれでもヤックリンさんが思い直すことはなく、今度は私の手を持ちそこにキュピレットを握らせた。
二本の赤い花を持つ自分の手に、じっと視線を向ける。
「ノリで買ったけど、これはヘルにやるよ。返品なしだ」
「本当に良いのですか?」
「ああ」
ではありがとうございますと言って、私は心してキュピレットの花を受け取る。後日何か良いものでも贈らせていただこうと心に決めて、ヤックリンさんとはここで別れた。
*
王族が島へ帰還したあとは空を飛んでも構わないらしいので、私はララと共に王の島へと向かった。
「大丈夫だと思う? この格好」
「ナナリー様は何を着てもお似合いです」
「え、そうかなぁ。……いやいやそうじゃなくて」
しかし一旦寮へ帰って着替えたものの、こんな格好でも大丈夫かと今更不安になる。
待ち合わせ場所は分かっているけれど、どこで何をするのかは詳しく聞いていないので、余所行きの服を着ているのだが……。ベンジャミンの次くらいに服装にうるさい人なので、なるべく小言をいただくのはさけたい。さすがに私もそこまで阿呆ではないので、親しき仲にも礼儀ありなんて言葉とはまた違うが、彼女と私用で会うのならばきちんとした格好でなければ。
ありのまま、自然体が一番だとは言うけれど、意味をはき違えてしまえばただの非常識人間である。
マリスにあげようと決めたキュピレットの花は、小さく縮めて小指の先くらいにした。小さくした花は、首からぶら下げている細い首飾りの開閉式の装飾具の中にしまっている。これなら手で持っていなくとも持ち運べるので便利だ。
キュピレットの花は他の花同様大きさを変えられるけれど、長く保たせる永長保存という魔法は効かず、かつ魔法でその姿を透明にすることも呼び寄せることもできない。
そのうえ地の魔法使いでも咲かせられない花とあり、この花の花言葉には『真実の愛』『偽りのない人生』『純粋』などがある。魔法が効かない、誤魔化しが効かない、からきているのだろう。
だからこの花を異性に贈ったりする人が多いわけなのだが、私はマリスへ『真実の友情』という意味で贈ろうと思っていた。
「あれなんだろう?」
島に近づいていくと、待ち合わせ場所である着地場にたくさんの馬車が見えた。
外套のフードを頭に押さえつけて目を凝らす。
「ナナリー様はあそこでマリス様とお約束を?」
「うん。……でもあの感じ、見たことある気が」
貴族の集まりでもあるというのか、島のそこには形の違う馬車がいくつも停まっており、従者らしき人や貴族の人間の姿が見えた。格好を見て判断しただけだが、少なくとも仮装ではないうえに平民ではなかった。
そもそもこの王の島に出入り出きる人間はある程度限られていて、学校に通う生徒や先生以外では貴族ぐらいである。
「馬車ですか?」
「あの散々な目に合ったとき(仮面舞踏会のとき)にたくさん馬車が止まっていたのを見たんだけど、それに近いっていうか」
ぶつぶつ言いながらも、とにかくマリスを見つけないことには始まらないので着地場へと向かう。
私のように使い魔で飛んでいる人も数人いて、彼らは着地場に着くと貴族達の中へと紛れていく。あれは貴族、なのだろうか。
けれどその人達からは何故か私と同じ匂いを感じた。見た目は全然私よりきっちりとした服装や、女性なら綺麗なドレスを纏っての背乗りをしているのだけれど、どことなくあの馬車に乗っている人達とは違う。
なんだろうなーなんて思いながら、天馬で島の周りを飛んでいた騎士に誘導されて着地場へと降りる。
騎士が見張りのように島の周りを飛んでいるのも、珍しい光景だった。
「お嬢さん、失礼」
するとさっそく何かの証明書を見せなければならないのか、来城書と保護人の貴族の方はどこでしょう、と城付きの白い騎士服を着た男の人に言われる。
ララの背中から降りてスカートと外套の裾を直すと、私は姿勢を正して男の人に向き直った。
「あの私、貴族の友人にここに来るようにと言われて来たのですが、今日は何かあるんですか?」
首を右往左往させて恐る恐る辺りを見回す。場違いな所に来てしまったような気がしてしまい落ち着かない。
眉を垂らす私を見て、騎士の人はニコリと笑った。
「今夜は王国の繁栄を願い、城ではドーランの貴族を集めての晩餐会及び舞踏会があります。高位の方は特別でして、貴族以外の方を一名お連れすることが出来るのですが、もしや貴女はどなたかと約束を?」
騎士の人は私の質問に丁寧に答えてくれる。どうやら不審者扱いをされていないようで、ひとまず安心した。紳士的に対応してくれる騎士は、私が誰の知り合いかを確認するためか、手の平ほどの手帳を胸元から取り出す。
「ええと……キャロマインズ侯爵家のマリス・ヘスティア・ラブゴール・キャロマインズ様です」
答えて良いものなのかと思いながら、彼女の名前を口に出す。
「それはそれは……キャロマインズ侯爵令嬢のご友人でしたか。失礼ですがフードをお取りしても?」
「はい」
外套を羽織りフードを被っていたので、頭からそれを外す。
頭に生地が被さっていたせいで髪がぐしゃぐしゃだ。私は手で髪を梳いて直した。
「ありがとうございます、確かに確認いたしました。重ねて名前の確認ですが、」
「ナナリー・ヘルです」
「ではヘル様、少々お待ちください」
丁重な受け答えをされたあと、私はその場で待つように言われる。
それから暫くすると耳に懐かしい声が聞こえた。
「ナナリー! 来たのね!」
「マリス!」
マリスが先ほどの騎士に連れられて、いや騎士を従えてやって来た。
ドレスのスカート部分を掴み小走りで駆けよってくる彼女に、わーい! と両腕を広げて私も感動の再会をしようと走ったのだが、抱き着く寸前に扇子で額を叩かれて地面にドゴシャッと伏せる。
おい今何が起こったんだ。
「ちょと何するのよマリス」
「勢いが良かったようだからつい止めてしまったわ。許してくださいましね、ホホホ」
私はうつ伏せになったまま、怨めしげに顔を上げる。
「というかさっき聞いたんだけど、晩餐会って?」
「貴女、手紙でもちっとも浮ついた話をしないんだもの。ですからこの機会ですし? 一緒に晩餐会で浮ついた事でもさせようかしらと思って」
「なに余計な事考えてるの。良いんだよ普通じゃん、ぜんぜん普通の内容だったじゃん」
「あーらいいではないの。わたくし達親友でしょう」
強引なところは変わらないが、口調が落ち着いているせいか妙に大人びている。元々大人っぽい女の子だったけれど、こういう場ではやはり貴族としての品格が出るのか、夕暮れで辺りも暗くなってきているのに彼女が輝いて見えた。
「そう言ってくれるとなんか否定しづらいな」
私はヨイショと立ち上がって身なりを正す。
赤くなった額を手でゴシゴシと擦りながら、両腕を組んで笑うマリスを頭のてっぺんから足の先まで眺めた。
「わたくしの顔に何か?」
「いや」
彼女の勝負服の色はやはり赤なのか、今着ているドレスの色は深紅で、フリフリのレースの裾には黒が混じっている。見ているとこちらが平伏したくなるというか、女王様というのはこういうものなのだろうかと思ってしまうほど威圧的、ではないが迫力があった。美しい赤髪も結い上げて、ラピアクタという花弁が細い花を元にしたであろう銀の髪飾りを、耳の上に挿している。
陶器のようなすべすべの真白い肌に、強気な瞳と相まったぽってりと色付きのよい赤い唇。
昔からお人形さんのようだとは思っていたけれど、大人になっても変わらぬその姿には畏れも感じる。
周りには夜会へ向けて、ゆったりと膨らんだ長い裾のドレスを翻し、滑らかなローブを羽織って肌を隠す令嬢やご婦人の姿があった。
それを見たあと、私はマリスに視線を戻す。
「マリスってやっぱり、綺麗だよね」
「……貴女と居て楽しいと思うのは、素直に貴女の言葉を受け入れられるところにあるのかもしれませんわね」
「あ~ら、そう?」
頬に手をあててホホホとマリスの真似をしだした私に、彼女はやめなさいとまた扇子で私の額を叩いたが、ぜんぜん痛くなかった。