ハーレ就業編・7-5
早いもので。
ここソレーユ地のハーレに来て、あと二日で一か月が経とうとしている。日々が早く感じるが、同時に長くも感じていただろうと仕事中の自分を思い出すと目蓋が重くて仕方がない。
何にせよこの一か月、実に目まぐるしい毎日であった。
元々こちらの魔導所に来る破魔士が少ないのは知っていた。ソレーユ地の方が魔物の仕事が多いのに、この辺に住んでいる人達が少ないのは、先の理由の通り魔物が多いからである。
それなので破魔士の受付ならまだしも、依頼人の受付に来る依頼が次から次へと溜まっていき、事前調査が滞って仕方がなかった。これでは先輩達が新人の手でもいいから借りたくなるわけだ、と彼らを改めて哀れに思ってしまう。もう二日しかここにいることが出来ないけれど、先輩達が、転属届けでも出す? と真剣なのか冗談なのか転属表を片手に迫って来た時がある。流石にその姿に泣きたくなった。私がそれを嫌に感じて泣きたくなったわけではない。彼女達の姿が、ここまで追い詰められているのかと心配になるくらい悲惨な状態だったからだ。日に日に頬がこけていくベルさんに、無理やり肉を食べさせたのは一度や二度ではない。
けれどこの状態も、花の季節を乗り切ればひと段落するようで、あともう少しの辛抱だと所長からも喝を入れられていた。力ない声で返事をしていたソレーユ地の人達だったが「空離れの季節に入ったら高級料理店『赤と黒のフェニクス』で存分におごってやるわよ」と所長から言われて、今までにないやる気を見せていたのは一昨日のこと。
やる気を引き出す術が食べ物、というのがなんとも所長らしいというかハーレの人達らしいというか、忙しいはずなのにほのぼのとしていたものである。
「ヤックリン先輩後ろ後ろ! いますよまたちっこいのが!」
「ええ?! うわ最悪だ! ヘルそっちで何とかしてくれ!」
「ブラギアームス・メギストぉぉお!(最大の腕力)」
拳に力を込めて、小さな魔物を思い切り殴り飛ばした。バイーンと音を立てて吹っ飛んでいった魔物は、キラリと空の星となる。
「きゃあ! ナナリーったら怪力!」
ゾゾさんが手を叩いてはしゃいでいた。
「いや魔法なんで!」
次々と湧いてくる小さな丸い魔物を、またボイーンバイーンと殴っては殴っては、山の中を進んで行く。
事前調査へと鋼山に来ていた私達は、今現在山の中で魔物の群れに……絶賛襲われ中だった。以前は狼のような姿をした魔物がいるから退治してほしい、という依頼があったのだが、また今度は違う魔物が出現しているらしく、その調査をしている最中である。
空は青く澄み渡っているというのに、この鋼山の空の上だけやけに淀んでいるのはやはり魔物のせいなのであろうか、と魔物をまたバイーンと叩きつけながら空を仰いだ。
今日の事前調査は、ゾゾさんとヤックリンさんと私の三人で来ている。組んで行くのは初めてではなく、この一か月の間に七、八回は組んで事前調査へと共に行っていた。
鋼山に来たのも初めてではない。黒い木と灰色の木が生えそろっている、まさに鋼のような山。この山には薬になる薬草や、美味しい野菜や果物のなる木がある。山の所有者はおらず、薬草は取っても取っても減ることは無いし、野菜や果物も減ることは無い。見た目とは裏腹に、とても豊かな山であった。未知なる薬草や果物を求めては、人々が山を訪れることもしょっちゅうである。
けれどそんな山には魔物も同じくらい生息しているのも事実。
月に鋼山への魔物退治の依頼は十件から十五件ほど。多すぎである。花の季節だからということもあるが、それにしても鋼山へ行くことをやめない人達も大概だとは思う。
「パラスタしっかり記録しておけよ!」
「分かってるわよ! あっちょっと上、上!」
「キーオーン!(氷柱)」
ヤックリンさんの頭上から魔物が落ちてきたのを見て、私は両手を向けて氷の柱を瞬時に放出する。手の平からまるで植物が生えるように伸びる、冷気を帯びた巨大な柱だ。
小さいくせに、大きな口を開けて彼を食べようとしている魔物。
大きな氷の柱に捕まったその魔物は、見事にその柱の中で凍っている。目も動かず、開けたまま固まっていた。
私はそれを確認して数秒後、指を鳴らし氷を粉砕する。同時に中で凍っていた魔物も粉々になる。跡形も無い。
目が一つしかない、人間の頭くらいの大きさの魔物。
その真っ黒い球体がいくつも地面へついて跳ねては、私達のほうへと向かって来る。一匹倒せばまた一匹二匹とキリがない。
しつこい。滅茶苦茶しつこい。
本当は七色外套の魔法で隠れられたら良かったものの、この魔物には姿を消しても見えてしまうようで、諦めて正面からぶつかっていくしかなかった。ただしゾゾさんの制服の性能である透明化は魔物に効くようで、彼女だけ姿を消してもらい、用紙に記録を残してもらっている。
しかし事前調査の本当の目的である魔物はこの魔物ではなく、もっと動物らしい形をした大きな魔物らしい。狼のような魔物よりも、山に生えている木よりも大きい魔物。なのにここに来るまでに新たな魔物が増えてしまったのか、依頼人の話ではこんな状態だとは聞いていなかった。
「ああ駄目よ! 氷の魔法使っちゃ!」
「でも」
「所長にも気を付けるように言われてるから、さっきの怪力や剣の魔法で頑張って!」
「ええ?! ……はーい!!」
*
ハーレに戻り、今日の調査書をまとめる。調査書をまとめるのも三人で行い、魔導所の中のカウンターの後ろの席では、三人頭を並べながら地図を囲んでいた。
「鋼山はいい加減、人間の出入りを禁止してもらいたい」
「駄目よあそこは。陣を張っても直ぐに解けちゃうし、騎士団でも手を焼いているんだから。変に封鎖すると無理にでも行こうとする輩もいるから困った物ね~」
「あそこ本当に不思議ですよね。でもあの山自体が魔物だ、ってアリスト博士の本に載っていましたよ」
「あなたそんな本も読んでいるの?」
「暇つぶしです」
「ヘルの暇つぶしは頭が文字だらけになりそうだな」
ヤックリンさんは茶色の髪を手で撫でつけて目を瞑った。彼、リゲル・ヤックリンはカーラ・ヤックリンという私の友人の兄であり、偶然にも同じところに就職していた人だった。カーラから兄がいるとは聞いていたけれど、詳しいことはまったく知らなかったので、驚いた覚えがある。彼女と容姿が似ているとは思ったが、カーラは若干天然が入っている節があったため、性格まではさすがに似ていないようだ。カーラのほうは卒業後、考古学者になると言っていたので、あちこちを回っているのだとヤックリンさんからは聞いていた。せっかく学校に入ったのにと家族は残念がっていたそうだが、魔法をきちんと学んで使い魔も持っているなら、世界中どこを回っても身の危険に陥る心配は少ないだろう。彼女は雷型だったので、不審者でもいようものなら雷を文字通り落としそうだ。
「鋼山の魔物については、また面倒をかけるが騎士団に陣を敷いてもらう事にしよう。せめてふもとにぐらいは」
「そうね」
「では所長へはこの依頼書と調査書を届けますね」
彼は頼むな、と紙を丸めて紐で縛りつけたそれを私に渡してくれる。
「三人とも、夜間と交代よ」
「はい」
夜間担当の先輩が出勤してきたので、私達は彼女に引継ぎをする。
引継ぎをしたあとは、自分の黒い外套と手提げを持って帰り支度をした。寮に行くのにはあの裏庭の扉を抜ければいいだけなので、さして急ぐ必要も空を飛ぶ必要もない。
一足先に支度を終えた私は、ゾゾさんとヤックリンさんの二人を扉の前で待っていた。
「お前たちが毎日いるのも、あと二日か?」
「たまに手伝いに来るわよん」
「おー。ありがたいことで」
話し声が聞こえたので、私は手を上げて二人を迎える。
「今日は三人で食べにでも行きましょうよ」
彼女はお腹をポンポン叩いて笑った。ヤックリンさんと話していて、一緒にご飯でもどうかという話になったのだという。横にいた彼を見れば、どうかな? と後ろ首をかいて聞かれた。別に断る理由もないので、私は頷く。給金もこの前出たばかりなので、まだ生活費はケチらなくても大丈夫だろう。
「ゾゾさんは今日はと言うより、今日もですよね」
「この子言うようになってきたわ」
長く、とは言ってもまだ半年と三か月少ししか過ぎてはいないけれど、ゾゾさんとの会話は初めて会ったときより流暢になってきていた。食事はよく一緒に取るし、けれど友人ほど仲が良いわけでもなく、だが友人よりも一緒にいることが多い。仕事上の先輩だけれど、他の先輩よりは話すし、お世話にもなっている。尊敬もしている。職場仲間と言えばそうなのだが、私の中での彼女の立ち位置は、少しだけ違っていた。変な感じである。
「すみません!」
気分を害してしまったかと慌てて口に手を当てると、その方が良いわよ、なんて言って腹を抱えて笑われたので安堵した。気を使われている方が逆に疲れるそうなので、そんなものなのかと一応納得する。ヤックリンさんも同じような考えなのか、三年ぐらいしたらんなもん気にならなくなるから良いんだよ、と架け橋の扉を開けながら言ってくれた。
……三年か。先は長い。学校にいた六年間を思えば短いものだけれど。
私は先に扉の向こうへ行った彼に続いて、ゾゾさんと共に北へと帰った。
*
フォークでジージーの身を取って、口へと運ぶ。兎鳥も美味しいけれど、三つ首牛のジージーのお肉も美味しい。
ツンと鼻にくる香辛料の香りがする店内。ここはいつもゾゾさんと来ている草食狼のお店だった。
もはや常連の域に達しているゾゾさんは、店員さんに「ナムス酒三杯ね!」と手を上げて頼んでいる。まるで実家に帰って来たようにくつろいでいた。いつもこうなので、私も慣れてきてしまっている。寧ろ私もゾゾさん程ではないが常連になりつつあるので、ここの女店主の人にも顔を覚えられていた。さっきなんて、おやおや給金が出たのかな? とニヤリと肩を突かれたものである。私がどんな状態のときに来るのか、既に見きられていた。さすが店主だ。
「明後日の花神祭は、二人とも相手はいるのか?」
向かいに座るヤックリンさんは杯を口に傾けて水を飲んだあと、テーブルに肘をつけて私達にそう聞いてくる。まだ咀嚼している最中なので私は答えられなかったが、明日ね~、とゾゾさんが先に答えてくれた。
「私は一応ねー。占いに逆らってみようと思うの」
「メラキッソ様に逆らうんですか」
「これでひどい目にあったら、私は一生メラキッソ様について行く覚悟よ」
あれだけ信じていた占いの神のお告げに逆らおうとは、随分と気合が入っている様子。彼女が一体誰を好きなのかは未だに分かっていないのだが、今聞いたら答えてくれるだろうか。ジージーの肉をまた口に運んでモグモグとしながら、私は隣で拳を天井に突き出すゾゾさんを眺める。けれどヤックリンさんも同じことを思ったのか、さっそく彼女に相手は誰なのかを聞いていた。
……おお、流石だ。と妙に感心する。
しかし教える気は無いのか、ゾゾさんは内緒~と言ってお酒を仰いでいた。……くそう。
「もったいぶるなぁ。ヘルは?」
「私は祭りの後に友人と会う約束をしています」
マリスとの約束がある。祭り後は王の島に来るように言われていたけれど、王の島でなくてはいけない理由は何なのか、教えてはくれなかった。そもそも学生でもなく、城に仕える身でもない私が島に足を踏み入れて良いのかも分からない。
「祭り中は?」
「両親の所にでも行こうかと思っていたんですけど、手紙を出したら二人は二人で行きたいそうで。なので、どこかフラフラ回ってようかと思います」
母と父が仲良しなのは安心できたが、除け者にされた感じである。しかしせっかくの花の季節。思う存分イチャついてくるがいいと、私は開き直っていた。
「そうか。う~ん……なら俺と回る? 花神祭」
「先輩とですか?」
まさか誘われるとは思っていなかったので、彼の顔をまじまじと見てしまう。ニケは仕事があるし、ベンジャミンはサタナースと行くのだと手紙には書いてあった。他の友人達もそれぞれ相手がいるのか、手紙には花の季節二月目の話題は出ていたものの、誰が好きで誰と行くの~等と、ゾゾさんのように気合いが込められた文章が書いてあった。なので流石に一緒に行こうなんて言えない。
ヤックリンさんと行くのは全然、寧ろ私で良いんですかと聞きたいくらいなのだけれど、確か彼には幼馴染の恋人がいるのでは……?
噂を聞かされた現況でもあるゾゾさんの方を向く。
「あの彼女がいるって噂、私がわざと流してあげたのよ」
「え? なんでですか?」
「誘いが多くて困っていたみたいでね。断っても諦めない人がいたから、私が協力してあげてたの」
だから良いんじゃない? 行って来たら? なんて言って私の背中を叩いた。
確かに男日照りと言っても過言ではないくらい、ハーレにはピチピチで若い男性は少ないけれど、まさかそんな嘘をつかなければならないほど困っていたとは……。
「別に無理にとは言わないから。暇ならどう? って感じ。どうする?」
「そうですね」
一人で過ごすのも悪くはないが、誘ってくれているのなら特に断る理由もない。年の近い男の人とどこかに出かけるというのは初めてだが(サタナースは例外)、新鮮で良いかもしれないと思った。
しかし彼女がいるという噂が出回っているなか、私と二人だけで行くのは少々危険過ぎやしないだろうか。もし職員の人と鉢合わせしたら彼女がいないとバレてしまうし、下手したら私がヤックリンさんの恋人だと勘違いされてしまう。
私は両手を擦り合わせて彼の顔を覗き込んだ。
「あの……念のために他の人も誘いますか?」
「いや、いいよ。もう嘘もやめておこうと思っていたし。もし何か言われたら俺が上手く言うから気にしないでいい」
「そうですか? それでしたら、私とで良ければ是非」
本人が良いと言うなら良いのだろう。私も誰かに聞かれたら正直に答えれば良いだけだし、やましいことをしているわけでもない。嘘をつかない、嫌い、という私の性格はゾゾさんを始め周りの人達は理解をしているので、そこの面での心配も特になかった。
「よーし! 明日は張り切っていこ~!!」
「行きましょう!」
「元気だな」
明日が楽しみだ。