間話*ゼノン・バル・ゼウス・ドーランの良き友人達
自分の友人達は、皆良い奴だ。と、このドーラン王国の第三王子、ゼノン・バル・ゼウス・ドーランはつくづく思っている。
ゼノンには兄王子が二人、妹姫が一人いた。
小さな頃から王子としての品格、武を学ばされ、将来王になるであろう第一王子と、宰相になると息を巻いている第二王子の兄達を支えるべく、ゼノンは幼いながらに騎士団に入ることを目標としていた。兄達が頭を使うならば、己は国と王を守るべく武の道へ進もう。それが第三という位置に産まれた自分の役目だと。
兄弟達が大好きなゼノンは、そのような決断を若干三歳で自分にくだした。無理強いをされたわけでもない、純粋に王族の一員として、1番良い決断をしたのだ。
そしてその意思を聞いた王と妃は、それは良いことだ、と当然のように自分達のかわいい息子を褒めた。他国では兄弟同士が争い、王の地位を狙いあう野蛮な国があるとはいうが、子供達の仲の良さには王と王妃が一番喜んでいるのだろう。とゼノンは客観的に思っている。
しかし兄弟の仲がいくら良くとも、王族という身分には常に危険がつきまとうものだ。家臣達のことは勿論信用はしているが、約四十年前、まだゼノンの父が王ではなく王子だった頃、家臣の一人が第二王子の暗殺を企み、命を狙ったことがあった。その頃は第一王子と第二王子の派閥というものが、本人達の知らぬところで存在しており、また本人達の知らぬところで水面下の争いがあった。結局は失敗に終わったが、幼くして暗殺の対象にされていた、現王の弟にして今では公爵位についているミハエル・バル・ドーランは、成人して早々に臣下に下がり王族から離れた。しかし厳密には王族から完全に離れられたわけではなく、形的には城から出られただけであるが。
身内は彼が離れるのを惜しんだが、人生で逃したくないほどの好きな女性が出来たという為と、また面倒なことを考えぬ輩が出ない為にと当時の王と王妃を説得したのだという。要はさっさと王族という自由の利くようで利かない所から抜け出したかったのだ、と公爵家に遊びに行った時に本人からゼノンは聞かされていた。
ゼノンが叔父のミハエルと初めて会ったのは、五歳の時だった。
父とは髪の色が違ったが、顔つきはやはりどこか父に似ている。だからか、初めての屋敷に緊張していたゼノンは、その顔に安心感を覚え直ぐに心を砕いた。慣れてきた頃には、あまりに直ぐに慣れてしまったものなので、似ているからと言って安心しないほうがいいぞ、とミハエルに注意されていたものである。
そして何回か屋敷を訪問した時だった。
ゼノンが彼に出会ったのは。
「息子のアルウェスだ」
まだ紹介をしていなかったね、と屋敷に遊びに来ていたゼノンの前にミハエルが連れてきたのは、これまた美しい少年だった。一番上のビルという息子に会ったことはあったが、彼との対面は初めてだった。
さわり心地の良さそうな金の髪は肩まで伸び、長い睫毛に覆われた瞳は深紅の輝きを秘めている。肌は太陽の光を一度も受けたことの無いような白さ。
自分よりも年上らしいが、下手すれば少女にも見える彼に、ゼノンは幼心に頬を赤くした。異性に感じる好きなどという感情ではなく、もっと単純な、綺麗な花を見て感じるような高揚した感情。
一方で初めて対面した彼は、ゼノンに向けて優しく微笑むと、己の名前を名乗ってゼノンの前に跪いた。跪かれる事自体は普段の生活から家臣達にされているので慣れてはいるが、この叔父の息子ということと美しい人間に跪かれるこの状況は、王子である彼の心を些か揺らした。
「アルウェス・ハーデス・アーノルド・ロックマンです。僕はこれからずっと、貴方の傍で、貴方を守ります」
*
「ニケ、アルウェスは戻ってるか?」
「はい殿下。戻っていますよ」
「宿舎か?」
「部屋に戻られています。ポーラが天馬を馬屋に連れていましたし、今日の仕事は終わったそうですから」
騎士団長と共に視察へ出ていたゼノンは、王の島「騎士の薗」という騎士団の本拠地とも言うべき場所へと、天馬に乗って帰ってきていた。騎士団長であるグロウブ共に、二人を迎えてくれたゼノンの元学友であり同隊の一員であるニケは、ゼノンの問いに宿舎へ向けて腕を伸ばす。
ゼノンはそれを聞くと、天馬から軽く飛び降りて手綱を前へと引いた。
「グロウブ、俺は今日城へ戻る。アルウェスも一緒だが、良いか」
「御意」
グロウブはゼノンの言葉に頷き、左胸に手を当てた。普段隊員達の前では畏まった態度を見せないグロウブだが、私的な用事や会話の際は、殿下と臣下の立場に戻ってのやり取りになる。周りから見ればグロウブの態度が堅くなったかと思われるが、本来彼はゼノンとこうして話している方が逆に心が落ち着けた。昔から殿下と臣下という立場であったので、この方が自然なのである。
ゼノンもそれを分かっているので、彼に畏まった姿を見せることはあまりしない。我が儘を言って騎士団へと入団許可を推して貰った身である。本来ならば王族が身の危険に晒される「騎士」になるのは、よく思われてはいない。王族が、騎士になるのだ。それはすなわち、戦力となる者が王国にはいない、ということと諸外国に思われてしまう。
だが王と王妃共に認めてもらい、かつ小さな頃から騎士団に入りたい、騎士になり国を支えたい、と騎士団を一番近くで見てきていたゼノンのことを知る臣下達や、騎士団長であるグロウブには、それを覆す言葉も拒否する思いもなかった。
自分は随分甘やかされているものだ、と時々ゼノンは思う。
「殿下、天馬は私が連れて行きますよ」
「いや大丈夫だ……。……いいや、やはり頼もうか」
「はい」
ブロンドの髪を跳ね上げて、ニケはゼノンから手綱を引き受けた。手綱を渡す際は慎重にいかなければ暴れてしまうので、ゼノンはそっと彼女の手へと茶色いそれを移動させる。
ニケ・ヘーラ・ブルネル。
彼女はとても賢い人間だ、とゼノンは感じている。貴族ではない平民の出ではあるが、行儀はよろしくゼノンとも一定の距離を保ち、尚且つ無理ない範囲で意見を自分に対してのべている。彼女は誰に彼にでも、どこまで踏み込んで良いのかを常に探っている節があった。ゼノンしかり、グロウブしかり、アルウェスしかり。またそれを間違えないので、ニケの評判は隊内でも良い。あのアルウェスでさえ、ニケを時折呼びつけて用事を頼むこともある。要領が良いので無理には頼みを受けない所も好感が持てる部分だった。
ニケは、本人がどう思っているかは知らないが、友人のようなものだとゼノンは認識している。魔法学校で絡むことのあった人間のうち、唯一今でも共にいる存在であり、会話も多く交わす女性だ。それに彼女を通して多くの友人、いいや、元凶になった水色髪の魔女や風の魔法使いとの繋がりは捨て難いものがある。
しかしそれを抜きにしても、友人という立ち位置にいることには変わりない。
「じゃあ頼むな」
「お気をつけて」
*
ゼノンは宿舎の私室に入る。城と騎士団宿舎、どちらで多く過ごすのかと言われれば、最近では宿舎での寝泊まりが多かった。貴族が多い騎士団では、宿舎も質素なものではなくそれなりに見られるものであり、屋敷の一室と思われるような造りとなっている。
しかし一人一部屋とは流石にいかないため、二人部屋が多かった。家の順位に基づき、上の方にいる人物は一人部屋がほとんどだったが、けれど、ゼノンはあえて二人部屋に収まっていた。
「アルウェス、今日は城に戻る。服は城の部屋にあるから問題はないだろう」
部屋の扉を開ければ同室の人物、アルウェス・ロックマンが眼鏡をかけて机に向かい、筆を動かしている。黙々と仕事をこなす彼の姿を認めたゼノンは、そう言うと衣裳箪笥の近くへ行き、銀色の取っ手を引っ張った。中には軽い履き物と、自分の上着二着がぶら下がっている。城に行くならば服もいくらか宿舎用にでも持ってこようか、とそれらを見て顎を撫でつけた。
しかし、一方で声をかけたのにも関わらず反応もないアルウェス。王国の王子、自分が仕える主に対して返事を返さない彼に、ゼノンは怒るどころか、むしろその反対で少々心配になる。
「仕事が終わらないか」
ゼノンがクローゼットから離れ彼の肩に手を置くと、アルウェスは肩越しに振り返って、細い銀縁の眼鏡をかけ直した。捲っていた袖をなおして、乱れていた襟首を整える。
「僕はこの仕事が終わったら行きますから。共に行くのであれば、もう少し待ってもらえますかね」
その言い様にゼノンは眉をしかめた。
「お前は仕事のしすぎだ。少しは休まないか」
「騎士だけでなく、公爵家の仕事も微量にありますから。もちろん王から申し付けられているものもありますし、殿下だって変わらないでしょう」
「いや。あからさまに量が違うじゃないか」
「いいから殿下、寝台で少し休んでください。どうせ城に行けばミスリナ様がくっついて離れないでしょうから」
アルウェスの言うミスリナとはゼノンの妹姫である。滅多に城に帰らぬうえに、十代の殆どは学生寮で暮らし、卒業してからも騎士団の宿舎での寝泊まりが多いため、妹のミスリナはゼノンが城に帰ると一日中傍から離れなかった。他に兄が二人いるゼノンだが、自分の下はこのミスリナしかいないためもあり、よく可愛がっている。だからか、優しくも王としての役目を常日頃学び公務も忙しい第一王子や、次代の宰相として臣下達と意見交換や会議で、妹を構う時間さえ惜しい第二王子より、ミスリナはたまに城へ帰り自分を可愛がってくれる第三の兄が一番大好きだった。
ゼノンは一番など関係なく兄妹達が好きであるが、中々お互い会う時間は食事会でしか作れないため、妹と兄達の仲を取り持つことさえ難しい。
最近ではオルキニスとの外交が少々怪しくなってきており、それもまた第一王子である兄をさらに忙しくさせている。まだ王ではない彼が行うのは、主に外交関係の公務だった。
ゼノンにも当然公務はあるのだが、それは兄達の比ではない量だと思っている。
「今やっているものは、そんなに急ぎではないやつだろう」
「早く終わらせたいんですよ」
「何故そんなに急ぐ」
「そんな野暮なことを聞かないでください」
そのアルウェスの言葉に、ゼノンはまたか、と呆れて溜め息を吐いた。彼がそう言う時は、大抵女性関係のことである。大方どこぞの令嬢か、街の平民の女にでもちょっかいをかけたのであろうと想像出来た。
忙しい身である彼等は、当然そのうさを晴らすように女遊びもする。王族貴族関係なく、それは男である彼等には自然な衝動であった。しかし王族であるゼノンは慎重に相手を選ばなければならないので、あまりすることもない。逆に公爵家で、跡目を継ぐこともない次男のアルウェスは多少自由がきいていた。王から特別に授かったフォデューリ侯爵位も、彼の自由を尊重している。だからか、アルウェスの女遊びには余計に拍車がかかっていた。
酷くなったのはいつからだろうか。昔は女性をたぶらかす程度ではあったが、今のように不特定多数ではなかったはずである。
彼の多大なる魔力を制御してしまっているせいでもあるが、制御しているせいで、この前切ったばかりの髪も、もう肩を越して伸びてしまっている。面倒だからと今も後ろで髪を纏めてはいるが、鬱陶しそうにしていた。
「そう言えばシーラ王国のカーロラ王女だが、臣下との結婚を認めてもらえたらしいぞ」
「カーロラか……。それは良い知らせですね」
一時はカーロラとの婚約を噂されていたアルウェスだったが、彼女が本当に望んでいたのは下使えの男との結婚であった。下使えの男は貴族ではあったが、下級も下級のため王女との釣り合いはとてもとれない。第四王女の彼女の役目は外国の王族や上級貴族と婚姻を結び、繋がりを保つことである。そんなカーロラがアルウェスに背中を押され、一大決心を王に打ち明けたのはほんの数ヶ月前。昔から彼女とはアルウェスも交え会うことが多かったが、まさか父である王がカーロラとの婚姻をアルウェスに勧めるとは、当初ゼノンも思ってもみなかった。自分なら未だしも、彼がそのような国家間の政治的婚姻をするとは。しかし蓋を開けてみれば王は本気ではなかった上に、アルウェスも彼女の本当の想い人を知っていたため、王女であるあちら側から破談に持ち込ませたのは記憶に新しい。それに加えても彼の性格だ。あまり知られていなかった婚姻話とは言え、女性を公の場で振るようなことはしたくなかったのであろう。
女好きと水色髪の友人から認定されている彼だが、やはり女好きであるがゆえの女性を気遣うそのような行動には、たまに感心するものがある、とゼノンは内心苦笑を噛み締めた。
「殿下は王から何か言われていないんですか」
「城に帰ればきっとその話で一日が終わるな」
「互いに難儀しますね」
アルウェスは自分の手で肩を揉むと、噛むように欠伸をしてまた書類に向き直った。
「難儀、か」
ゼノンはアルウェスの言葉に、視線を天井へと向ける。そしてそのまま寝台へ向かい、上着を脱いでシーツの上へと背中から寝転んだ。行儀係が見たらお叱りものだが、この穏やかな時間でくらいは許してほしい。
今現在、ゼノンに婚約者のようなものはいない。兄二人にはそれぞれ婚約者がいるが、三番目のゼノンはまだである。なので社交界、主に舞踏会が開かれた時などは、皆一様にこぞってゼノンを取り囲むこともあった。自分の娘を売り込む貴族達は後をたたない。そしてきまってそんな時は近くにアルウェスがやって来るため、半分はそちらへ持っていってくれたりとしていた。アルウェスもまた独身であり、王族と繋がりのある公爵子息だ。ついでに侯爵位も持っているので、家や勲章だけで見ても興味を抱かぬ貴族は滅多にいない。
「ナナリーに会ったそうじゃないか」
「ええ、偶然会いましたよ。ソレーユ地のハーレで。相も変わらず凶暴で、あれが女性とは人間も進化したものですね」
寝台から見えるアルウェスの顔は不快さもまじえていたが、筆を手のひらで遊ばせては可笑しそうにしていた。
ナナリーとは、ニケと同じく魔法学校で出来た友人である。彼女がいなければまず、ニケやベンジャミン、はてはサタナースという男と関わることもなかったであろう重要な人物だ。
彼女はまず頭が良かった。ニケのように行儀が良いかは横に置いておくとしても、勉強面で敵うことはまず無い。魔法に関してもどこから知識が出てくるのか、スラスラとゼノンも知らない魔法を操っていたりしていた。授業で分からない所は、大抵彼女に聞けば分かるとさえ教室内では言われていたものである。アルウェスよりは男女共に嫌味なく親しみやすい性格をしていたので、自尊心に波風を立てることなく、彼女に勉強を教わる輩も少なからずいた。容姿も美しく可愛い部類であったため、下心を持つ男もいたことだろう。
しかしそれよりも頭が良く容姿も優れていたアルウェスがいたせいか、ナナリーがその事実を知る日は来なかったが。
ナナリーがゼノンと言葉を交わすようになっていたのは、いつのことだっただろうか。席が前後していることや、様々な順番も近く、何よりナナリーはゼノンに臆して接することはなかった。声をかければ当然のように反応を返し、一学友として傍にいてくれた数少ない人物である。貴族は遠慮のある者が多かったので、逆に平民であるナナリーのような者の方が接しやすいと言えば接しやすかったのかもしれない。キャロマインズ侯爵家のマリスとはアルウェス共に親しいので、繋がりは色々ある。
そしてまた本人は知らないだろうが、ナナリーはあのアルウェス・ロックマンに盾をつく怖いもの知らずの氷の女王とさえも呼ばれていた。いつアルウェスが彼女を手懐けられるのか、賭け事さえされていたものだ。
それを思い出すとゼノンは急に腹の底から笑いがこみ上げてきてしまい、枕を引き寄せては顔に押し込めた。身体がブルブルと震えている。
アルウェスはそんなゼノンを見て大丈夫か、と冷めたような視線を送りつけた。
枕の中で十分に笑いを吐いたゼノンは、顔からバッと枕を外すとアルウェスを見る。
「さっき宿舎に行くときに、馬屋に入って行ったニケがそうウェルディに話されてたぞ。大きな声だな、彼女は」
「元気が良いんでね」
可愛いでしょう? と眼鏡越しに見える瞳が笑っている。
ウェルディという騎士も、このアルウェスに引っ掛かってしまった女性の一人だった。彼のような公爵、侯爵位の人間が平民と婚姻するのはまず厳しく難しいので、あまり好きにさせてやるなとアルウェスには言いたいが、もう無理な話だろう。
「本当にお前は、難儀だな」
「ええ、難儀ですよ」
ゼノンの言葉の意味を知ってか知らずか、アルウェスは目を閉じて笑う。
ゼノンやアルウェスが、平民の女性を好きになることは無い。
そもそも惹かれてなどはいけない。
しかし、とゼノンはアルウェスを見ていると、矛盾だが思うこともある。
幼い頃から年齢を偽ることさえ躊躇することなく、ゼノンに付きっきりだったアルウェスが王国のしがらみ、家のしがらみ、魔力のしがらみに囚われることなく、隣で共に笑い合える相手が彼の傍にいてくれればいいと。自分では与えてやれる物が少ない。
そして願わくば空色の彼女が、その太陽のような笑みで、暖かい光をアルウェスに与えてくれることを。