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ハーレ就業編・7-2

 

 夕飯は実に美味しかった。デザートが食べられないくらいに食べたけれど、結局ぺろりとココット鳥の甘卵煮も平らげてしまった。ココット鳥の無精卵は何の味付けをしなくとも甘いので、お菓子作りには重宝されている。いわば調味料いらずの自然食。それとは反対に、塩辛い卵を産みだす鳥はゴゴット鳥といい、お菓子作りには向かないが、料理にはよく使われている。

 でもこれら二つは少々値段が高いので、節約をしている私にとっては無縁の食材であった。外食をしている分際で言えたことではないのだが。


「ゾゾさん、おやすみなさい」


 寮に帰って、部屋の前で別れようとする私達。

 寮の造りは三階建で、私や彼女の部屋はその最上階である三階に部屋があった。この階にはハリス姉さんも住んでいて、仕事でもそうだが、普段から仲間と顔を合わせることが多い。

 ハーレの造りは基本木造だが、屋根や外の壁は煉瓦造りで、この寮も同じような造りをしていた。なので寮住まいをしていないというか寮住まいが嫌いな人は、揃って『仕事が終わったのに仕事場にいるみたいで嫌だ』と言う。

 確かにそれは否定しないが、部屋に入ればそんなことは微塵も感じないので私は快適に過ごさせていただいていた。必ずしも寮に住まないといけないことはないが、大半の職員は寮で暮らすことを希望している。

 それに既婚者は家を建ててそこから通っている人が殆どで、恋人がいる人は部屋に相手を連れ込む事が出来ないので近くの宿と契約してそこから通っていたりした。

 けれどそんな人達は少数で、この間は内緒で女の先輩が恋人を連れ込んでいる所を目撃してしまった。男避けの呪文やそういう魔法は寮には張っていないのですんなりと入れるのだが、寮母さんの目を掻い潜ってでもここで過ごしたいなんて、変わっているなと思う。こんな所じゃ落ち着けないだろうに。


 と、一緒にそれを目撃していたゾゾさんに話したら『危険な程盛り上がるんでしょうね~?』なんて眉をピクピクさせながら親指を噛んでいた。


「お休みー。あ……待って! そうだ、ナナリーにコレあげるわ」


 お互い別れるはずだったが彼女にそう言われて、慌てて部屋の中から取って来たものを胸に押し付けられる。勢いが凄くて、一瞬姿勢を崩した。


 押し付けられたものを手に取って見て見ると、それは彼女がいつも手にしているあの流行誌であった。それに食事中に見せられたものと同じもの。

 まじまじとそれを見て、私はゾゾさんに目を向ける。


「これを私に……?」


 肌身離さず大事にしている物を、特に興味も何も抱いていない私にあげるとはどうしてしまったのか。しかもこの流行誌、何だか真新しい感じがする。彼女が草食狼の店で見せてくれた物より、買って間もないような状態だった。表紙には皺という皺も、捲ったために出来る紙の反りも見当たらない。


「鑑賞用、読む用、保管用、配る用にいつも四冊買ってるのよ」


 戸惑う私に、彼女はそう言って懐から同じ流行誌を私に見せて笑った。

 ……それは初耳である。

 しかし保管用と観賞用は同じではないんですか、と軽くツッコんだら、馬鹿おっしゃい! と声を張り上げて否定された。なんでも彼女に言わせれば天と地ほどにその扱いは違うらしく、まず鑑賞用はその美しい表紙を家具小物のように飾り立てて眺める一方で保管用は万が一他の物が~うんたらかんたら……。と、しばらく延々とその違いについての話を聞かされた。

 とりあえず雑誌を作っている人達にとって彼女は良い読者なのであろうことは分かった。

 それじゃあこれは配る用なのか、と手にしている雑誌をもう一度見る。


「今日話してみて、やっぱり確信したわ」

「はい?」

「貴女はもっと色んなことに目を向けてみるべき」


 腰に手を当てて、私にビシッと人差し指を向けると、はっきりとした口調でそう言われた。


「ナナリーったら仕事のことはグイグイ聞いてくるのに、他のことになると何の興味も示さないじゃない」

「仕事好きですもん」

「またやっているのねゾゾは」

「ハリス姉さん」


 隣の隣の住人、ハリス姉さんが眼鏡を頭に掛けて部屋のドアから顔をひょっこり出した。

 お風呂上りなのか、髪が濡れていて頬も赤く上気している。眼鏡をしていないのでこちらが見えにくいのか、目を細めて私達を見ていた。

 部屋は少し離れていても声が響いていたのか、気になって出てきちゃったわ、と頭の眼鏡を目元に降ろして鼻骨をかく。


「私もゾゾから何冊か貰ってるのよ。恋人持ちの人間を見ると舌打ちするくせに、私達みたいな妙に男っ気の無い人間には変に勧めるのよね」

「自分が出来ないから、せめて友人達が潤ってくれないかと思ってるだけよ!」

「はいはい分かったってば」


 廊下に出てきた彼女の格好は、とても男には見せられないような恰好で、裸にバスタオルを一枚巻いただけの姿だった。女子寮住みを経験してきた身としては格好に驚きはしないが、廊下でそんな格好で現れると変な動悸がする。ニケやマリスがいたらきっと『女の子なんだから恥じらいを持ちなさい!』なんてことを言われていそうだ。


「ゾゾとナナリーは明日ソレーユ地に行くんでしょう?」

「ええそうよ。そこで一か月座ったら、ナナリーは晴れて一人前になるの」

「頑張ります!」


 拳を握ってまだ見ぬ明日と自分に闘志を燃やしていると、だから仕事以外にも楽しいことがね……とまた長い話を聞かされそうになったので、おやすみなさいと挨拶をして自分の部屋に逃げた。バタンと閉めた扉の外では、まだ二人が部屋に戻る気配はなく、微かに話し声が聞こえてきていた。私はゾゾのほうが色々心配よ、いやハリスのほうこそ等とお互いに言い合っているのが分かる。


 一息ついて寝台に寝っ転がるが、あの流行誌は変わらず私の手にあり、返すのも忍びないので机の上に置くことにする。

 参考書や辞書、図鑑で埋め尽くされている私の部屋に、その一冊の本はやけに目立って見えた。


 そういえば、と今日の朝に寮母さんから手渡されたマリスからの手紙を読もうと、机の引き出しから赤い便箋を取り出す。


「マリスもまめだことね~」


 そんな風に言いながらも鼻歌を歌ってしまっている時点で、私も大概であった。


『ナナリーへ。お元気?なんて言葉はもう聞き飽きたでしょうから、きっと元気でやっていると思っています。……なんて、それにしても貴女ねぇ!私が一週間に一度は手紙を書いているというのに何故貴女は二週間に一度なの!?まるで私が重たい女みたいじゃないの!貴女からの返事は二通に一回よ!一回なのよ!!……全く、筆不精にもほどがあるわ。ちなみにアルウェス様には三日に一度手紙を送っていますけど、ちゃんとお返事が返ってくるわ。彼は屋敷にいることが少ないから城宛に出していますけど、貴女も彼を見習ってお手紙を書いてくれたらいいのに。そういえばもうすぐ花渡しが始まるわね。貴女は相変わらず恋のこの字もなく、ご両親に花を送るだとか友人に花を送るだとか無駄な花渡しの時期を過ごすのでしょうけど。たまには心躍るような(私を躍らせるような)話を聞かせてちょうだいよ。社交界の会話は、貴女やニケ達のお蔭で退屈にしか感じなくなってしまったわ。――追伸。花の季節二月目の初日、王の島に行くのだけど、その日はどこも仕事がお休みでしょうから、会えたら会いましょうね。マリス・ヘスティア・ラブゴール・キャロマインズより』


 手紙の文面を見つめたまま、私は再び寝台へ転がった。


 気になる箇所がいくつかあるが、まず私は彼女の言う通り筆不精なのだとは自覚している。書類作りなどは最早朝飯前なのだが、友人への手紙はなんだかとても書き難い。手紙よりも直接話をしたいというか、これでも試行錯誤して二週間に一度の速さで書き上げているつもりだ。筆忠実ふでまめな彼女からしたら物足りないのだろうけど、仕方がないので今度は一通のうちで返せるように努力はしよう。

 それに何より、ロックマンが三日に一度で手紙を送り返していることに並々ならぬ闘争心が湧いた。

 あいつに出来て私が出来ないなんて癪にさわる。


 ……というかよくお互い三日に一度も手紙が書けるもんだな。

 どうなってんだ貴族は。


「赤い便箋……」


 マリスが手紙を入れてくれた便箋を眺めた。

 ……赤。そういえばマリスは火型の魔女だったな、と思い起こす。

 あと、あのベンジャミンも火型であった。


 よく考えてみると、どちらも恋に情熱的である。燃え上がりようが半端ないというか、情熱の炎という言葉がしっくりくる二人であった。

 ロックマンも火型ではあるが、あれは情熱というより炎上と言ったほうがお似合いだろう。あの女性ホイホイがいつか女に刺されるのも遠い話ではない。


『情熱の炎に触れたら最後、溶けてしまうのは貴女自身』


「……ないない」


 火型はざらにいるし、いちいちあの占いを気にしていても仕方がないだろう。しかも溶けるってなんだろうか。物理的に?


 便箋にマリスからの手紙を入れ直したあと、私はお風呂に入って寝ることにした。











 翌朝、私は所長の指示通り裏の扉前で待っていた。


「ソレーユ地は人が少ないから困ったものよ」

「うちって人不足なんでしょうか?」


 ゾゾさんも一緒に行ってくれるので、今は二人そこに並びながら今日のことについて話しをしていたりした。

 早朝は花の季節といえど、少し冷える。空気が冷めていた。

 けれど日は暖かいので深緑の香りや、道端に咲いている花の香り、魔導所の周りに咲いているキュレットの花の香りが冷えた空気の中でも漂っていて、良い気分だった。懐かしいような、昔嗅いだことのあるような匂いが、私の心を落ち着かせる。


「人不足っていうか、まぁそうね……人不足よね。だって今年の新人は貴女1人だけだし、でも取るのは成績上位者だけだから人数が偏るのも無理はないんだけど」

「試験制とかにはしないんでしょうか?それならたくさん来そうですけど」

「それは皆でも話していたんだけどね。現に中途で入ってきたアルケスなんかは、所長の試験をこなして入ってきたもの。……たまに、こんなの誰でも出来る仕事だろう、なんて嫌味を他人にもらうこともあるんだけど」


 破魔士の人で、仕事がうまくいかなかった人や、魔導所の食事処でお酒を飲んで酔っ払った人等にそう言われた事があるのだと言う。

 それを聞いてムッと眉を寄せた私に、シワが出来ちゃうわよ、とゾゾさんは眉間のシワを指でおして伸ばしてくれた。

 

「私達の仕事は、地味だけど命もかかってるし、破魔士や騎士団に比べればそりゃ大した仕事じゃないんだろうけど。でも依頼人の命も、破魔士の命も守るために私達がいるのよ。だから事前調査であえなく命を落としてしまった人も過去にはいるし、危険な依頼かそうではないかを見極める為には私達がいなくちゃいけない。馬鹿にされようと何だろうと、それだけは変わらないの。もちろん破魔士達のことは尊敬しているけどね」

「……皆いつも、笑顔でハーレの受付にいる先輩達しか知りませんもんね」

「損な役回りでしょ?」

「ふふ」


 彼女はおどけて言う。


 私もハーレへの就職を目指すまでは表側しか見えていなかったので、なんでたくさん勉強して魔法を学んで良い成績ではないといけないのか分からなかった。それに友人達にハーレへ就職すると明かした時も「なんでそんな所に?」と不思議そうに言われていた。

 皆からすればやはり、そんな所、なのだ。


「でも騎士団の人達とは外の仕事の時によく会ったりするから、お互いの仕事は理解しているし尊敬もしあっているのよ。だからアルケスのように騎士団からハーレへ転職する人もいるし、持ちつ持たれつね」


 騎士団の人達はハーレと連携をとることもあるので、仕事面に関してはお互いに楽ではないことは理解しているらしい。


「だからと言ってもなんだけど、騎士団に恋人がいる子、結構いるのよ」

「え、そうなんですか?」

「この前ダリアがほら、連れ込んでたじゃない」

「あれ騎士の人なんですか?」

「もう全く仕事中だっていうのにね!出会いの場じゃないのよ外仕事は!所長なんか未だに独……いたっ」


 白魚のようなすらりとした手に、ゾゾさんはペシッと脳天を叩かれた。


「独、なに?」


 白でも黒でもない、ハーレの職員とは違う青色の、踝まである裾の制服に身を包んだ所長が私達の後ろに立っていた。また同じく青色の丸い大きな帽子を被っていて、笑っているのか笑っていないのか分からない微妙な顔をしてゾゾさんを見ている。よく見れば口元がヒクついているので、笑ってはいないのだろう。背が高いので威圧感がある。

 スカートのように広がっている袖口が、肘まで捲れていた。


「独……独特な色気を纏った良い女ですよね」

「ありがとう」


 ゾゾさんの弁明に些か満足したのか、所長は機嫌良く頷く。


「ゾゾ、ナナリーをお願いね。この用紙の通りに案内もよろしく。あとあっちは北より少し暑いから、制服の仕組みも教えてあげてね」

「はい」

「じゃあナナリー、行ってらっしゃい」


 一通りゾゾさんへ頼み事をすると、所長は彼女の隣にいる私の頭を撫でた。

 はい、と元気よく返事をするつもりだった私だけれど、所長の笑顔を見て動きが止まる。

 

「どうかした?」

「ナナリー?」


 所長は私の頭に手を置いたまま、不思議そうに目を丸くして顔を覗き込んできた。

 ゾゾさんも私の様子に首を傾ける。


『いってらっしゃい』

『お帰りなさい、お疲れ様ですね』


 聞こえるはずのない女の人の声が、耳の横を通る。

 私は所長から目を離さないまま、二、三度、瞬きをした。


 ――この感覚を、私は覚えている。それは私が遠い昔に、ハーレで初恋のような一目惚れのような、そんな感情を抱いた時のこと。

 私はその時全く動けなくなって、その人の笑顔が酷く反芻して。

 太陽でも月でもなく、星のようにキラキラと輝いて見えたんだ。


 あの人が何歳だったのかは分からない。

 けれどその時の光景は私の脳裏に強く残っている。癖のない茶色の長い髪、その茶に赤が混じった、夕焼け色のような穏やかな瞳、それが孤を描いて私へ向けて微笑みを作ったのだ。

 いつもそこに座っていて、笑顔で皆を向かえてくれる綺麗な受付のお姉さん。


 なぜ会った時に気づかなかったのだろう。

 もう何度も顔を合わせていたのに、こんな場面で気づくなど。


 きっと違うかもしれない。

 でも私は、記憶力だけは良いのだ。

 私の人生を大きく変えてくれたその人は――。





「所長って、やっぱり良い女ですよね」

「何言ってんのよ馬鹿ね。ほら、気をつけてね」


 思わずして知れた憧れの人に、私は高鳴る胸を押さえながら、架け橋の扉を開けていった。


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