ハーレ就業編・5-9
「何を調べているの?」
「まぁあの、ちょっと」
「労働法に貴族法?」
仕事も一段落し、お昼を含めた休憩中。
ハーレの資料室で調べものをしている私の所に、たまたまそこへ本を戻しに来たらしきハリス姉さんとアルケスさんがやって来た。
二人の手には三冊ほどの薄い本が握られており、それぞれ外の仕事で使っている鞄を肩から下げている。
どちらとも朝から見かけなかったので、外へ事前調査にでも行っていたのだろうか。
「分厚いわね~」
机の上に置いてある本を見て、ハリス姉さんがそれを手に取る。
薄茶色の柔らかな横髪を耳にかけながら、難しそうな本……と目を細めて眺めていた。
『じゃあ耳をかして』
『ドーラン王国魔術労働法第三条と第十七条、貴族法第三十条に続く第三十一条』
舞踏会でやっと本心を聞けると思ったのにも関わらず、更なる疑問を呼んだあの意味不明な言葉。
心底その意味が知りたいワケではないけれど、馬鹿にされたままでも嫌だったので、私はハーレの資料室で法律の棚をひっくり返し、調べにあたっていた。
労働法や貴族法の何条が何かなんてものは知っているけれど、ロックマンが言っていたその法律に何の意味があるのかが分からない。
何かをもじっているのか、その法律に関する出来事がそのロックマンの答えにつながっているのか……。
『まだまだ勉強不足だ』
バキィッ、と手にしている筆が真っ二つに折れる。
「な、ナナリー? あなた手が真っ黒に」
「気にしないでください」
「ヘル、お前顔が」
「気にしないでください」
アンにゃろう。
勉強不足の点に関しては、万が一にも億が一にも奴より劣っていたとしても、それを真正面から堂々と言うとはなんと心配りのない男か。
昨日の令嬢達を思い出すと彼女等が心配になる。
君達、本当にあんな男で良いのか。
「知り合いの男性が結婚するはずだったんですけど、その結婚相手の女性には他に好きな男性がいたみたいで。知り合いはあっさりと身を引いたんですけど、彼女のことが好きだったのかどうかを聞いたら、この四つの法律だけ言われて……。何なのかなって」
真っ黒になってしまった手を茶色い手拭きで拭きながら、顔を覗いてくる二人に向けて愚痴った。
「好きだから結婚しようとしたんじゃないの?」
「うーん。そこが謎といいましょうか……」
言っていて、私もワケがわからなくなってくる。
「これは全部キュローリ宰相が作ったやつじゃないか?」
するとアルケスさんは持っていた本を置いて、私が法律を書き留めていた紙を手にとった。
顎を片手で撫でながら紙面を眺めている。
下を向くと前髪が鬱陶しいのか、時折かき上げていた。
「キュローリ宰相ですか?」
「何そのキュローリ宰相って」
キュローリ? 野菜?
首を傾げる私とハリス姉さんに、彼は一番上の棚にある一冊の本を取り出して、それを私たちに見せた。
背表紙と表紙には【王国臣下一覧】と書いてある。
王国臣下一覧……?
聞けばそのキュローリ宰相とやらは、約200年前の人物なのだという。
「法律の勉強をしていた頃があってさ。その時に法律が出来た背景や人物の事まで調べていたことがあるんだ」
「なんでそんなの勉強してたの?」
「え~? そりゃあ、王国裁判院に入りたかったんだよ」
結局は勉強に飽きて騎士団に入ったんだけどさ、と苦笑した。
「キュローリ宰相は結構な遊び人だったみたいで、その法律を作った理由もけっこうおもしろいんだ。それ、全部女性がらみだろ?」
・労働の賃金に関して、男女の差別はあってはならない。二つは同等の価値である。
・魔女の奴隷商は禁ずる。
・女性を主体とする風俗商は、王国に必ず申告をすること。無断は第十六条において罰する。
・貴族男性が妾、愛人等を、労働階級の女性に強いてはならない。合意の上であろうとも、固く禁ずる。
……確かに女性に関することではある。それは読んでいても分かるけれど、それが何の意味を持つのかが分からないのだ。
もしかしてアルケスさんの言うその理由が答えだったりするのだろうか。
「理由って何だったんですか?」
「その時の宰相の意中の女性が貴族じゃなく、庶民だったらしい。だからその彼女の為に少しでも生活が良くなるようにと作ったんだってさ」
「へぇ」
「亡くなる時にこんな言葉をね、」
「『なかなかこの手に入らないものだ。今生……女には困らなかったが、生涯でただ一人と決めた女性だけは』って、呟いていたみたいだけど」
それは既婚であったのにも関わらず、の言葉だったようだ。
「嫌ぁな男ねその宰相。絶対結婚したくないわ」
「でもかなりの美男子だったってよ」
「なら悩むわね」
ハリス姉さんは面食いらしい。
しかし聞かされた妻は堪ったもんじゃないだろうに、宰相は生涯に渡り、その庶民の女性が忘れられなかったようである。
手に入れられない物ほど記憶に色濃く残るとは言うけれど、彼もそのくちだったのかもしれない。なんていうのは、まだ人生をその宰相の半分以下しか生きていない私が、言うべき言葉ではないのかもしれない。
「あ!!もしかして、そのナナリーの友人が言いたかったのはそれなんじゃない?」
「?」
「他に好きな人がいます……ってことよ!」
ハリス姉さんは、そうよ、絶対それじゃない? とアルケスさんの黒い髪をぐいぐいと引っ張って、跳び跳ねる。ブチブチ音がした。
髪の毛が抜けそうな事態に、彼は彼女が顔にかけている眼鏡を鷲掴んで割ろうとしていた。
40歳と30歳の闘いは地味だった。
「でも他に好きな男がいると言った彼女のことを、生涯でただ一人と決めた女性、だと差しているのかもしれないですよ。もしかしてアイツ、本当に失恋したんじゃ……」
それから私は、絶対にそれ以外の理由かもしれないとも思いその人物の事を色々調べたが、結局本当に彼は相当な遊び人だった、という事ぐらいしか分からなかった。
あと女性に何回か刺されそうになったとかそれぐらい。まぁ当然っちゃ当然だけれども。
『他に好きな人がいます……ってことよ!』
とりあえず、失恋の線をアイツは否定してほしそうだったので、今回はそういうことにしておこう。
答えなんてどうせ教えてはくれないのだから、これが答えということで。
しかしもしそうだとしたら、随分とまぁ遠回しなことである。