ハーレ就業編・5-1
ハーレで働き始めて半年。
「これが依頼書です」
一枚の紙を手に取って、笑顔を向ける。
いい天気、いい仕事日和の今日は、ハーレに来る破魔士や依頼人が多い。お昼をここで済ませる人も多いせいか、調味料と肉が良い感じに焼け焦げた美味しい香りが私の座る受付まで届いてくる。
良いな、私もそろそろご飯にありつきたい。
鳴りそうになる自分のお腹を片手でおさえる。
「それじゃあお願いします」
「はい、承りました」
依頼人に調印してもらった依頼書に手を翳して、依頼書を複製する。一枚の紙は一瞬で二枚になった。もはや手慣れた地味作業。
凄い勢いで肉にしゃぶり付く破魔士の男の人を見ては、良いなー、と呑気にも思いながら、私は来たる依頼人を次々と捌いていた。軽い依頼内容から大変そうな難しい内容まで、値段交渉や依頼の二重確認は骨が折れる。
昼時なのに休憩に入れないのが辛い。
「おいおいもっと良い仕事ねーのかよ!」
「今のところ、貴方がたが受けられるのはこの階級です」
「あぁ!?」
けれど私の居る席はまだいい方で、破魔士が依頼を受けに来る受付はもっと大変そうだった。
傲慢な態度の破魔士の集団相手に、眼鏡の先輩・ハリスさんがニコニコと優し気な笑顔を浮かべて対応している。
自分達の力を過信するなとは言わないけれど、女と舐めてかかっている男達には諦めろと言いたい。ハリス姉さんは見た目はおっとりしていていかにも弱そうな感じだが、芯は強く意思は曲げない、こうと決めたら真っ直ぐに行く人だ。
その眼鏡がキラリと怪しく光かった時、地獄を見るのは相手のほうになる。
「僕には合わないと思うんだよねー」
「けれどこの依頼は」
「あ、こっちが良いなぁ」
またその隣では、違う女の先輩が他の破魔士への対応をしていた。そっちの方は、やれ自分には合わない、もっと違う依頼が良い、これは嫌だ、と先輩が提示する依頼書に一々文句をつけていて、まったく話が進んでいない。皆表面上は笑顔だけど、内心ははらわた煮えくり返っているに違いない。
ここの受付は女性がほとんどだと言ったけれど、ハーレ全体の男女の割合も女の方が多い。男性もいることはいるけれど、ほぼ外の仕事に出ているのでハーレの建物の中には女性が多く残っている。男女比で言うならば、8対 2。もちろん女が8で、男が2だ。それに女性は若い人が多いけれど、男性は逆で40、50代が多い。
それにも理由があるそうで、若い男性は皆騎士団のほうに流れて行ってしまうのだそうだ。王に仕えるという栄誉と、国民からの人気、華のある仕事ということで、学校を卒業してから騎士を希望する男性が多い。
『ナナリー! 騎士団長に次会ったら塩じゃなくて良いわ、お化け虫をお見舞いしなさい!』
『分かりました。今度はちゃんと持っておきます』
なのでハーレに就職する男性は少ない。元々騎士団長と所長は仲が悪いらしいが、それもあってか所長は騎士団長を毛嫌いしている。
どちらかと言えばハーレの業務内容は裏方だ。騎士団より華は無い。そして逆に騎士団に所属していた人間で、歳も重ね仕事に支障が出るようになってきた人はハーレに来る確率が高く、いずれも中年くらいの人が再起場所としてハーレを選ぶ。もちろん腕が鈍っていたんじゃ所長は雇わないし、全く話にもならないが。
私がハーレに来た時、所長のところまで案内してくれた男の人だってその口である。30歳の時に騎士団を退団して、それから10年間ここで働いていると言っていた。騎士団にいた時のことを一度聞いたことがあるけれど、退団するときには内部の情報が漏れないように『血の守り』という誓いを立てさせられて、魔法により仕事内容その他諸々については話せないようにされているらしい。
自分ではけして解けぬ魔法である。
「あの、依頼内容はどのような……」
「はーいっ」
「はーい。こんにちは」
そんな風に他を気にしながらも、私は私の仕事を遂行する。
「おいくつなんですか?」
「にっ」
「二歳ですか。凄いですね」
「えっへん!」
「もうすいません」
とても可愛らしい親子が一組。母親と、小さな女の子。
淡い金色の髪を二つ縛りにした女の子は、母親の膝に乗りながらほくほくした表情で真っ白な依頼書を見ている。何だろう、という感じで興味津々の様子だった。
私はそれを見て、思わず昔の自分を思い出す。私もお父さんについて此所へ来たときは、こんな感じだったのかな。
人知れず恥ずかしくなる。むず痒いような気持ちだ。
「はぁ……」
けれど一方で母親の表情はあまり優れず、女の子の頭をポンポンと撫でながらため息を吐いている。
なんだか元気のない様子だった。
「大丈夫ですか?」
失礼だとは思いながらも、顔色が悪いですよ、と声をかける。
すると母親はもう一度溜め息を吐いて更に俯いてしまった。
あぁどうしよう、やっちまった、と私は冷や汗をかく。
だってさっきからこんな感じで、依頼内容を聞こうとしても溜め息ばかりで中々話してくれない。女の子は話しかけてきてくれるけれど、肝心の母親である彼女は口を閉ざしたままだった。
もしやこれは試されているのか、という気分にもなってくる。ハーレ職員としての力量を見定められているのかもしれない。
「…………主人が、昨日から帰って来ないんです」
そうして私の顔色も悪くなった頃、彼女は俯けていた顔をパッと上げて、こちらを見た。
「ご主人が?」
なんだ、もしや浮気調査か。
少し身を乗り出した私だったけれど、隣にいたゾゾさんに膝をぺチンと叩かれて元の位置に戻る。
不謹慎な女ですいません。
「森に入ったきり、帰って来ないんです」
依頼者の女性、マライヤさんはそう言って、膝の上に乗せた女の子を抱き直した。
焦げ茶色をした少しくせ毛のある髪は髪留めで後ろに一つで纏められていて、長めの前髪から覗く碧色の瞳には疲労の色が見える。女の子のはしゃぐ姿に時折笑顔を見せながらも、心はここにあらず、のような感じだった。
彼女から話を聞くところによると、ご主人のゴーダ・クラインさんが、家畜が東の森へ一匹逃げたと言って森の中へ入っていったことがそもそもの始まりなのだという。
マライヤさんの家は、食用の家畜として六足歩行のポッケルという草食獣を沢山飼育しており、広い土地、東の森に面した山の隣にそのポッケルを放していた。
森の傍には高さのある柵と簡易な魔除けの結界を敷いていて、敷地に魔物が来ないように一応対策はしていたという。けれど実際魔物が魔除けに触れた跡は一度もなく、また姿を見かけたことも無いので、魔物がいるという噂は半信半疑だったようだ。
だからか、ポッケルが柵を越えて森へ入ったと聞いても、マライヤさんもご主人も特に焦らなかったらしい。
『じゃあ、連れ戻してくるな』
『あなた気を付けてね』
なのでご主人が森へ行くと言った時も特に抵抗感はなかったそうで、笑顔で見送ったのだという。
そして直ぐに帰ってくるだろうと思っていた彼女だったが、日が暮れても、一晩経ってもゴーダさんが帰って来ないので、何かおかしいと感じ取ったらしい。森へ自分も入ろうとしたけれど、もしかして彼は魔物に襲われたのでは……と思い、おいそれと入ることは出来ず、また小さな子供もいたためハーレへ来ることにしたのだという。
彼女自身、普段の生活において必要最低限の魔法は使えるが、対魔物となると抵抗する術を持っていないというので、仕方がない。
近所の人に頼もうにも、危険な目に合せるわけにはいかないので、と話していた。
「家畜はそのあと戻って来たんですよね?」
「はい。主人が森に入ってから、日が傾く前に。逃げるように出てきました」
「……ちょっと、おかしいですね」
隣にいたゾゾさんが依頼書を手に取る。
「この森は、マライヤさんもご存じのとおり魔物がいます。けれどここ一、二年は目撃情報はおろか、被害を受けたという声はありませんでした」
東西南北の内、最も安全な森として挙げられるのが東の森だった。しかし安全とは言っても、他に比べれば、なのでそこは勘違いしてはいけない。危険な所には変わりない。
「けれど、今回の件以外で同じような依頼があるんです」
「同じような?」
ゾゾさんの言葉に、彼女はそれこそ身を乗り出して聞き入った。抱きしめられている子供はウェッと奇声を上げて母親を涙目で見る。我慢だ、お嬢ちゃん。
「年配の女性が北の森近辺で行方不明になっているんです」
ハーレの掲示板に貼ってある依頼書を、ゾゾさんはそう指さして言う。
ついこの間、自分の祖母が北の森近くの池へ散歩に行ってから帰って来ていないという事で、依頼をしに来た人がいた。その人は行方不明になった祖母と二人暮らしをしていたようで、行方不明になった日は、彼女(祖母)の日課である近所の池までの散歩を見送ったあとに仕事へ行ったのだという。
姿を見たのはそれが最後で、近所の人に聞いても池の近くの酒場で目撃した人はいたようだったが、彼女がそれからどこへ行ったのか誰かに会ったのかは分からなかった。
その依頼を受けた破魔士が何人かいたけれど、結局見つからず、未だ依頼達成には至っていない。
そういえば、と私はゾゾさんに聞いた。
「記憶探知はしたんですよね?」
「ええ、モリスが破魔士に聞いたみたいよ」
魔法の一つに、その場所にある土、地面、木、建物、など無機物に魔法をかけて、そのモノが記憶しているものを呼び起こさせるというのがある。
地面ならば誰がいつそこを通ったのか、建物ならば誰がいつそこに来たのか、など立体的な映像として現れる。これには高度な技術が必要で、集中力精神力想像力……全身の感覚を研ぎ澄ませなければ成功はしない。
依頼を受けた破魔士達の中で、その記憶探知が得意な者がいた。
北の森近辺をくまなく調べたらしく、これで誰もが解決の糸口を見つけられたと思った。
使える人は少ないが、探し物や人探しならば大抵この魔法で簡単に見つかる。
「森関連で行方不明者が続けて出るなんて、変ね」
しかし記憶探知に女性の姿は見つからず、唯一発見できたのは池の近くにある切り株で休んでいる姿を、その切り株が記憶していたということだけだった。
「アルケス、一応私達で下調べした方が良いかしら。まだ破魔士のほうに被害が無いとはいえ心配だわ」
「なに、ゾゾが行くの?」
カウンター内、受付の私たちが座る後ろで書類の複製作業をしていた男性職員、アルケスさんにゾゾさんが声を掛ける。このアルケスさんは、あの元騎士団に所属していたという男の人だ。初日からゾゾさんの次にお世話になっている人で、いつも今いる席で事務作業をしている。
また所長のお目付け役として外部に出るときや公式行事等で出席するときには付いて行っており、事実上『副所長』みたいなものだった(因みにそんな役職はハーレにない)。
「ナナリーと一緒によ」
「ヘルと?」
得意げな顔をした彼女を横目に、私とアルケスさんは目を見合わせる。
真っ黒な髪の毛。瞳は青く、どちらかと言えば目尻が下がりがち。見ようによれば覇気のない顔にも見える。実際はその通りで、仕事中も堂々とお菓子を食べていた。しかし太ってはおらず、不思議と身体は引き締まっている。糖分はどこへやら。ハーレの黒い制服に身を包んでいるので余計に締まって見える。
「フム」
「?」
暫くすると、そっか……良いんじゃない? と笑顔で言われた。はて、何が良いのだろうと首を傾げた私だったが、アルケスさんが差し出してきた一枚の紙を見て目を丸くする。
「事前……調査ですか?」
「ええ、そうよ」
事前調査とは、危険な依頼だとこちらが判断した場合、依頼書として正式に受理する前に職員が現地へ行って地形や危険性等を下調べすること。
外の仕事に男性が行くことが多いと行ったが、外の仕事とは主にこの事前調査のことだ。
ここで働き始めて、半年。
書類の複製作業がすっかり板についてきていた私だが、思いもよらない展開に心臓が高鳴る。
まだ一年目の私が外の仕事に行けるなんて夢みたいだ。
「ゾゾさん、でも私……」
けれど所長からは、まだ早いから一年は経たないと他の仕事はさせられない、と言われていただけに心配になる。
所長の許しがなければそう簡単に違う仕事は出来ない。今の仕事に不満があるわけではないけれど、私自身所長に大丈夫だと認められるまではこのままでも良いと思っていたので、もし今はっきり駄目だと言われたら潔く諦めるつもりである。
なので今にも私を連れて行く気満々のゾゾさんに、所長の許可がないと、と溢したのだけれど、なんと『大丈夫よ』なんて言葉が返ってきた。思いもよらない言葉。それこそ私は事前調査の紙を渡された時より目を丸くする。
「大丈夫、なんですか?」
「実は一ヶ月前にね、コソッと所長から頼まれてたのよ。行けそうな事前調査があったら連れてってあげて、って」
「ロクティス所長が?」
「『まずは一年』って新人には毎年言っていた言葉だったけど、仕事の呑み込みは早いし、頭の回転も良い。それに魔法学校では常に二位の成績で」
突如出てきた二位、という言葉がグサリと胸に突き刺さった。構える時間さえない。
「対戦の時の感覚も、忘れさせてしまったら勿体ない。なんて言っててね。だから大丈夫よ」
胸を押さえる私に気づかないゾゾさんは、そのまま話を続ける。
「じゃあアルケス、今から行っても構わないかしら」
「急だな。まぁ俺がここに座るから良いよ。所長にも俺から言っておく」
「ありがとう」
話がトントン拍子で進んでいく状況に、私は些か気負いしながらもマライヤさんを見た。
すると彼女も此方を見ていて、目が合う。
「今から行って下さるんですか?」
「ええ、こういうのは時間が勝負ですから。今日中に依頼書を上げられるようにしますね」
「あ……ありがとうございます!」
マライヤさんは私とゾゾさんを交互に見て、お辞儀を何回もする。
「どうか、お願いしますっ」
「おかー……?」
女の子はそんな母親を見て不思議そうな顔をした。親指をくわえて、何がなんだか分からないという感じである。無理もない、まだ二歳だ。父親が帰って来なかったことも、どうやらどこかに遊びに行っているのだと思っているらしい。
そんな女の子にマライヤさんは笑顔を向けると、再度お辞儀をしたあと席を立って、また来ます、とハーレを後にした。
彼女に手を引かれている女の子は、私達のほうを振り返るとバイバイと手を振った。
次話更新、明日午前一時。