乳母と坊っちゃま
私、キャロナ・マーヌはアーノルド家の使用人として長く働いている。家は格下ではあるが、私自身貴族の出である。
ご子息達のお世話も、ノルウェラ様と近い年齢である私が長年乳母として任されてきた。
「明日だけど、お誕生日おめでとう」
「ありがとうございます、アルウェス様」
奥様との外出から戻ると、一家四兄弟の中でも滅多に屋敷へ姿を見せない公爵家の次男、アルウェス・アーノルド様が、玄関先で花束を片手に微笑み、私を出迎えてくださった。
そよ風に靡く金色の髪、優しく弧を描く赤い瞳が、私の硬い口角を緩ませる。
「母上は身体を休めてください」
「せっかく帰ってきたのだから、夕食は一緒よ?」
「ええ。柑橘系の甘味が欲しいところです」
「ふふ、わかったわ。ではまたね」
アルウェス様は毎年私の誕生日前後に、こうして公爵家へ顔を見せてくださる。
王国の魔法学校の長期休暇でさえ、ご友人らの別荘や邸宅に滞在されたりとアーノルド家の屋敷に帰って来ないアルウェス様が、この日だけは必ず帰って来てくださるのだ。もちろん今日以外にも帰ってくる日はあるが、それは一年のうち両手の指で数えられる程度になり、その中でも決まった日というのは、この誕生日の日くらいであった。
ノルウェラ様を見ていると年齢の感覚が麻痺するが、もう自分も歳になると思いお暇をもらおうと去年旦那様に話をさせてもらったものの、死ぬまでここにいて欲しいなんなら老後の面倒はこちらで全面的に見る、とまで言われてしまい、自分にも家はあるがそこまで言われてしまえば、歳だからなどとそれだけで去るのも勿体ない気がしてしまい、まだこの屋敷にとどまっていた。
旦那様があそこまで私を引き止めるのは、もちろん長くいる使用人として信用信頼があるからだとは思うが、大きな理由としては私の誕生日にアルウェス様が屋敷に帰ってくるということも一つであると思っている。ただでさえ姿を見せないアルウェス様の訪れが、一日でも少なくなるのは親心ながら寂しさがあるのだろう。
乳母として彼を見ていられたのはほんの少しの間だというのに、こんな風にとても慕ってくださっていることをありがたく思う。しかし乳母だとはいえ、実のご両親のお誕生日を差し置いてまでここまでしてくださることを不思議に思い、不躾ながら本人に理由を聞いてみたことがあるが『え? かわいがってくれたから』と笑顔で一言返されたきりで、本当のところ何を思って慕ってくださっているのかはわからずじまいである。もちろん赤子の頃から彼をかわいがっているのは自分自身認めている。
旦那様にはアルウェス様、息子を手放してしまったという罪悪感が常にあるようで、執務室では度々後悔の言葉を口にしている。あの時お爺さまを説得すればよかった、サヴァイアがなんだ、私は王弟殿下だぞ、などど口走っていた事があるが、あんな姿、ご子息様達には見せられまい。
「坊っちゃまにお花を貰えるなんて幸せです」
「坊っちゃまはよしてよ」
「あらわたくしにとってはいつまでもアルウェス坊っちゃまは坊っちゃまですよ」
引く気配がないと悟ったのか、アルウェス様は苦笑気味にハイハイと頷いた。
「あれ、また新しく?」
「ええ三人」
私の後ろには新しく入ってきたメイドが三人いる。それに気がついたアルウェス様は新人のメイドのもとへ足を運び、名前は?どこから来たの?と、高い身長のためか姿勢を低くし、目線を彼女らに合わせながら笑顔で話し始めた。
奉公で屋敷に使用人として来ている彼女達は、初めて間近で見るアーノルド家の貴公子に頬が真っ赤に染まっていた。ノルウェラ様譲りの美貌は、ミハエル様の美丈夫さも加わり、傍にいるだけで年頃の娘の心を捉えてしまう。見た目だけの話ではなく、女性にとてもお優しい紳士なので、私も年頃の女性であったならば柄にもなく頬が赤くなっていたに違いない。とはいえ小さな頃から見てきた私にとってはもちろん、恐れ多いが息子のようにしか見えてはいないのだが。
彼がこうして屋敷の人間を覚えようとするのは本人が挨拶をしたいというのもあるだろうが、他にもしっかりとした理由がある。それは公爵邸にかけられているアルウェス様の防御魔法に関係している。
詳しくは知らされていないが、一族にとって善い人間悪い人間を判断しているらしい。屋敷に近寄らないのに屋敷を常に守っているのは家族愛からくる優しさからなのか義務感であるのか、どちらにせよ彼の性分がわかる行動の一つである。遠くからこちらを見守るアルウェス様の存在は、私達も肌で感じている。
長男のビル様は、これではどっちが長子だかわからないなと、珍しくアルウェス様が屋敷へ帰られた日に一家で揃ってお食事をとられる際、よく零していた。
『ビルは末っ子の長男っぽいよね』
『俺はアルウェスに兄上と呼ばれないのが悔しいよ。ほら呼んでごらんよ兄上と』
『ははは。嫌だ』
ビル様と会話をされるアルウェス様は、たまに年相応になられる。じゃれるという表現は軽いかもしれないが、その言葉がしっくりくるほど無邪気な表情をされることがあった。三男のハイズ様がアルウェス様に猫かわいがりをされ懐かれているように、アルウェス様にとってのビル様は、ハイズ様にとっての彼自身のような存在なのだと傍から見て思った。
「綺麗な手だね。いつもお掃除ありがとう」
「めめめ滅相もございません!!こんな手などっ」
「頑張り屋さんの手だよ」
目を離している隙に、また坊っちゃまが女性をたらしこんでいる。新人のメイドになんてことを。
こういうところを見ると、やはりつい坊っちゃまと言いたくなってしまうのである。
「坊っちゃま、そ~ろそろ良い女性を見つけられましたか?」
私の少し棘のある言い方に、アルウェス様は顰め面で肩越しに振り返った。
ジト、とした目つきで眉間にシワを寄せ、口をへの字にしている。
容姿とは裏腹に子どものような一面を覗かせるのも、またアルウェス様の魅力の一つでもある。
「……政略結婚がほとんどなのに?」
「あなたさまが望むなら、旦那様は如何様にでも叶えてくださいますよ」
「またそんなてきとうなことを……」
てきとうに発言しているつもりはないが、ことアルウェス様に関しては、旦那様はできる限り尽力するつもりであることに間違いない。
「なんで皆僕の結婚ばかり気にするのかな。ビルがいるんだから安泰なのに」
さっぱりわからない。
首を傾げて本人はそう言うが、とぼけているのか分かっているのかいないのか、アーノルド家が安泰であるのとアルウェス様の結婚というのはまた訳が違うのである。王族の血筋というのも相まってこの国の防衛の核を近い将来その手に担う存在である彼の結婚というのは、王太子、王子姫君方に次いで注目される重要なものになる。
『今日もアルウェス様はいらっしゃらないので?』
『お会いしとうございますわ』
『騎士となり、次は魔術師長という話ではないですか。素晴らしいお方ですな』
公爵家で開かれる晩餐会では、アルウェス様が不在にも関わらず招待客が彼について延々と語りだす始末。ハイズ様はそれを見て『兄上は本当に……たいへんなのだな』と本人でもないのに疲れを感じていた。
カーロラ王女との婚約もなくなった今、家のことを抜きにしてもアルウェス様と繋がりを持ちたい貴族は数多いる。娘と結婚を、と迫られることも多いはずだ。
「それに僕の奥さんになる人は大変だよ。だからしばらく見つからないほうがいい」
「確かにこんなことを誰彼かまわずされていては、奥様の気が休まらないでしょうね」
そう言うと、ううんそうじゃなくて、とアルウェス様は笑う。
「たぶん不自由にさせちゃうから」
……不自由?
その言いように、私はしばし考え込む。
「貴族は皆不自由ですよ」
不自由にさせてしまう、という言葉に、誰を? という疑問がつく。
もしやアルウェス様の中にはすでに大切な女性がいて、これはその方を想っての発言で、それはけして公に、口には出せない人なのかと老婆心ながら勘ぐる。
「坊っちゃまの……その方は、自由なお人なのですか?」
アルウェス様の大切な女性は、“貴族“ではないのかもしれない。
浮いた噂がいくつも流れてくるたびに、ついにアルウェス様が!と、彼を幼い頃から知る古株の使用人達は年甲斐もなくはしゃいでいたが、これはどう喜んでよいものか。やはり旦那様が屋敷に連れてきていた、あの女性なのだろうか。
貴族外婚が禁止されているこの王国で、それを素直に後押しすることは難しい。
隣国には貴族の結婚に縛りがないところもある。その国へ移るとなれば話は別だが、王国はアルウェス様を手放すつもりはないであろうし、アルウェス様も国を捨てて外へ行くことは考えていないだろう。
「勘違いしないでね、これは僕の一方的なものだから。でもずっとずっと自由でいてほしいなって。そう思ってる」
自由なお人。それを否定することなく、アルウェス様は自室へと足を向けた。
彼に見惚れていたメイドが慌てて後を追いかけ、上着を受け取ろうとあたふたしている。
ずっとずっと自由に。
普通ならそこは、ずっと一緒にいてほしい、という言葉になりそうなものを。本当に大切な人の愛しかたさえ距離が遠いのは、やはり彼の性分なのか、はたまた……。
「足音かわいいね」
「ええっいえっ、滅相もございません!!」
「こらぁ! 坊っちゃま!!」
どうしようもない性分である。