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約束

「言葉を教えるなよ。喋らせるな」


「は……。それはどういう」


「出来損ないには危険なものになる。頼んだぞ、アリスト」


 これはまだ彼が存命の頃、言われたことだ。


「魔物の扱いもお手のものらしいじゃないか。これが実験に役立つなら、私も誇らしい」


 小さな赤子を預かった私は、その赤子に要らぬ知恵をつけさせるなと、その赤子の曾祖父から命令をされた。


 人として扱うな。

 王族に近い方のそれを拒む権利はなく、困っているのならと手を出したのが自分からである以上、預かるからにはその保護者の希望を聞かなければと思ってしまった。




「あぅ、あ」


 金髪の赤子が、はいはい歩きで私の傍へ寄ってくる。

 言葉を教えるなと言うので、この子どもの前で喋ることはなかった。

 耳から入れば言葉を覚えて理解してしまう。

 子供の扱いは慣れていないので、ご機嫌取りをする必要がないとあれば楽なものだった。


「えぁ、うーうー」


 赤子は傍に落ちていたおしゃぶりを掴んで、すんすん匂いを嗅いで控えめな声を上げた。フワフワとした笑い声だった。

 そうして丸まって寝転んで、おしゃぶりを大事に抱え込んで、しばらくして動かなくなる。

 呼吸をするたびに背中が小さく動いている。

 いつも寝る前はああだ。

 おしゃぶりに母親の香りでもついていたのか、それをよりどころにして寝ていた。




 アーノルド家から、産後に使われていたおくるみを借りた。

 母親の香りが染み込んだ物は赤子の体調を安定させることにも役立った。

 私も人の子なので、赤子が過ごす部屋は常に清潔にしている。それが窓のない部屋であり光の射さない暗い部屋だったとしてもだ。

 いくら人の扱いをするなと言われても、生き物の環境を整えるということは最低限するべきであり、それが彼の耳に入ったとて非難されることではない。

 人の扱いの程度が彼の中でどうなっているのかは私の預かり知らないところではあるが、このほうが私自身も赤子の状態をよりよく観られた。

 そもそも自分はこの赤子の癇癪、ペストクライブ、魔力の暴発をどうにかするために引き取った。屋敷の設備ならば解決に役立てるかもしれないと望んだことなので、その辺りまで干渉されては意味がない。




 赤子の成長には母乳という栄養が不可欠なので、毎朝公爵家から届くそれをスプーンで与えて今日の様子を見る。

 初めは抵抗が酷かったが、三日もすれば慣れてきたのか、口を開けて飲むようになっていた。

 母乳を飲ませたあとは背中を撫でてゲップをさせるといいなど赤子の乳母から教えられたが、この赤子は自らゲップをし、直後何ともない顔をしていたので正直何を自分がしてよいのかはわからなかった。ペストクライブが酷いとはいえ、世間的に見れば手のかからない赤子なのだろう。

 見ればすでに部屋の端で寝落ちしている。


 一種の逞しさを感じながらも、おくるみとおしゃぶりを片時も離さない赤子を眺める。

 よだれを垂らして幸せそうに眠る姿に、私は顔をしかめた。





 預かって二ヶ月。


 赤子を隔離している部屋で寝過ごしてしまった。

 部屋にある置き時計を見て、まだ用事に間に合うかを確認する。

 猶予はあるようだ。

 今夜は晩餐会があるので、世話は早めに切り上げなければならない。

 床で雑魚寝をしてしまっていた私は起きてふと、右手に温かさを感じた。

 首を傾けて視線をやると、右手に小さな手が乗っかっていた。


 おしゃぶりが遠くに転がっている。


 いつもおしゃぶりを抱えていた小さな手が、私の指を掴んでいた。

 うつ伏せで丸まって寝ているその赤子は、いい夢でも見ているのか、時々きゃっきゃと寝言で笑っていた。


 いつの間にか、晩餐会へ行く時間はとっくに過ぎていた。




 今日は公爵家の昼会に呼ばれ出席していた。

 挨拶がてら曾孫の状態を当主である彼に伝えれば、ご苦労、と返された。


「順調か?」

「ええ」

「良くないものを生まないよう、ノルウェラにはまた頑張ってもらわんとな。家の存続には――」

 

 お歳を召され、皺で埋もれそうな瞳には、少年のような輝きが垣間見えた。

 長く生き、地位と名誉を手にいれてなお、そんな表情ができることに感心と尊敬の念を覚えながらも、その純粋さが恐ろしく思えた。

 



 城から帰り明かりの灯った部屋に入る。

 入ってすぐ私の所へ、赤子が近寄ってきた。

 今日は魔具を試しに配置させていたおかげか、室内は荒れていなかった。どうやら魔力を溜めるという魔具は、ペストクライブを落ち着かせるのに効果的らしい。明日から大量に仕入れられるように手配しておこう。


「う……ぇ」


 ふと下を見れば、赤子が私の顔を見て泣きそうな顔をしていた。そんなに怖い顔をしていただろうか。

 しばらくして、赤子は離れて行った。

 けれど何かを一生懸命転がしてまた戻ってくる。

 あれは魔具のひとつ、茶色い木の置き時計だ。

 転がして引っ張って倒れたりしながら、どこか必死な様子に首を捻った。


「うー、あ」


 置き時計を揺らして遊んでいる。

 倒しては起き上がらせて、その繰り返しだった。

 さっきから赤子とよく目があう。

 そしてあと一息とばかりに、置き時計をこちらに追いやり私の顔を見上げていた。

 赤子でありながらこちらの様子を伺うような仕草に、私は目を見開いた。


 気のせいかもしれないが、これはたぶん、私が怒っていると思って、私の好きなものを持ってきて機嫌を取ろうとしているのだと感じた。


 口を曲げて険しい顔をした私を見た赤子は、また泣きそうな表情になった。


「……」

「ふー、んま」

「うっ…………うぅ」

「うー?」


 赤子から目をそらし床をじっと見つめていた私は、腕で顔をおさえてしゃがみ込んだ。

 膝をついて項垂れた私の頭を、さっきまで泣きそうに口をひしゃげていた赤子がとんとんと叩いていた。

 しっかりしろと言われているようだった。

 


 顔を上げて赤子を見る。

 目元を拭った私は、その小さな体の脇の下に手を差し入れ、高く持ち上げた。

 こんな風に持ち上げたのは初めの日以来で、想像よりも軽くなっていた赤子の重さに眉を顰めた。

 持ち上げられて嬉しいのか、びっくりしたのか、口をパクパクさせている。

 けれどすぐに笑顔を見せた。


 きっと乳母が良い人だったのだろう。

 持ち上げられて笑顔が出るということは、少なからず可愛がってくれていた人間がいるということだ。


「アルウェス様」

「あー」

「聞いてくださいアルウェス様」


 持ち上げられたのがよほど嬉しいのか、今までになく部屋の中の家具が揺れていた。


「私はあなたを絶対に、進んで、無能になんかさせません。私が絶対に、あなたが健やかで制限なくいられる世界へ、連れて行きますから」


 持ち上げていた腕を下げて、小さな温もりを抱え込む。


「あなたに制限をかけられる人間はこの世に誰もいません。もしここから出られるようになった時は、自分の行きたい所へ行ってください。無理に家にいなくてもいいんです。お友達が出来たら遊びに行けばいい。私の所へ来たかったら直ぐに門をたたきなさい。好きな子ができたら、思いきり好きになりなさい」


 代わりになる子どもならいくらでも作ればいい。

 赤子を捨てた分際でこの方の自由を制限するようならば、いつか私は魔物となり彼を襲うだろう。



 そうして私と赤子は、初めてこの部屋から一緒に出る。


 笑顔でいよう。

 この先もずっと、こうして二人並び、いつか置き時計が必要なくなるその日まで。

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