ハーレ就業編・4-2
屋台のある市場に着けば、昼時であるせいか人が沢山いた。ララの背中から降りて地面に足を付けると、途端、空中と地上の熱の差にやられる。人の体温も混じってか妙に暑い。
クリオ・アネモス(冷風)で、身体の周りを涼しくさせる。
私はララの大きさを手の平に乗せられるくらい小さくして、彼女を肩に乗せた。ブラン・リュコスである彼女は、元は寒い地域に生息していて暑さが苦手。クリスタル化をすれば怖い物なんてないけれど、本人曰く『クリスタル化は少々動きにくい』らしい。なので戦闘でもない限り、クリスタル化はしない。
チラリと肩に乗るララの姿を確認した。
尻尾をフリフリ振っている姿が愛らしく、思わず頬擦りをする。
「もう可愛いな! 落ちないでね?」
「はい」
市場は活気があって、見ていて楽しい。美味しそうな香りもそこら中に漂っていて、よだれも垂れ………そうになるが汚いから本当に垂らしはしない。だらしないお口は閉じておくのが賢明だ。
「とれたての美味しい甘橙はいかがー?」
果物が山盛りに置いてあるお店の前では、お姉さんが試食を道行く人に勧めていて人が群がっていた。その光景にいいなぁと思いながらも、安い軽食が無いかを目と鼻で探す。お給金は明日出るので、今日だけ我慢だ。あの試食を食べたら絶対果物を買ってしまう。我慢だ我慢。と自分の頬っぺたをつねる。
本当はお金が無いわけではないのだけれど、お給金の半分は無いものとして貯金をしているので耐えなければ。
腰のベルトにぶらさげている小袋を握りしめると、チャリ、と音がする。
3ペガロで一食分のお肉を買うとして、残りは2ペガロ。一日分の食費は大体20ペガロだと言うのに、2ペガロで買えるのはせいぜい出来合いの惣菜一品か、食べ歩き出来る軽食が一つ。
あなたは貧乏なんですか、と今聞かれたら間違いなく、はい貧乏です、と自信を持って答えられる。自信を持つようなことではないが、自分が金持ちだと思って生きるよりかは断然貯金も貯まるだろう。
私がこの貯めているお金で何をするのかは、またのお楽しみだ。
「はぁ。お肉を作ってくれる魔法陣とか作ってみようかな」
「出来るのですか?」
「……出来ない。けど、作れたら良いなって。まぁ出来てもこっそり使うけど。そうしなきゃ市場のお肉屋さんも商売あがったりでしょ?」
「それもそうですね」
歩く度に私の臭覚を刺激するお肉の芳ばしい香り。良い香りだけれど、これは駄目だ、と思わず鼻に手をあてて嗅がないように自己防衛した。ララには『ご主人様、そんなに……』なんて憐れな視線を向けられて、心配されている。
やめて、そんな目で私を見ないで。
「はは(ララ)、はたひはこふひんさはへははふへ、ははひーほ(私はご主人様ではなくてナナリーよ)」
「ナ、ナナリー様」
「ヘルさん! この前はどうもー!」
そうやりとしをして歩いていると、道の端からそんな声がかかる。
うん?と足を止めて私は周りを見渡した。確か今、ヘルと呼ばれたような。ヘルなんて姓は自分以外では母と父以外聞いたことはない。
「気のせいかな」
「ヘルさん!」
「わっ」
聞き間違えだろうかとまた足を動かそうとした瞬間、ララがいない方の肩を叩かれて身体が跳ねる。危ない、心臓が飛び出るかと思った。
「私ですよ、ほら、薬師の」
「ああ! ペトロスさん!」
誰だろうと後ろを向けば、いつかの依頼者、薬師のペトロスさんが片手を上げて笑っていた。クランの花が必要で、以前ハーレに来た人だった。
「水色のお綺麗な髪と容姿で、直ぐにヘルさんだと分かりました。急に声をかけてしまって申し訳無い」
「いえいえ」
後ろ首に手をあてて頭を下げられる。その姿に胸の前で手を振るも、内心苦笑いをした。
くそう。この髪の毛は本当に目立つな。
私は前髪をクシャリと掴む。
「クランの花のお陰で、薬も無事に出来ました。受けてくれた地の破魔士さんには感謝です。治癒の魔法でも直らない怪我や病があるものですから、薬も作っていかないと大変でして」
「魔法植物の毒なんかは、確かそういう特別な薬でないと直らないそうですね」
彼が昔無くしたと言っていた方の足には、膝から下に義足が付いている。治癒魔法でも治すことが出来ない時もあるということは、ペトロスさん自身が一番分かっているのだろう。
「ええ。なのでこれからも精進しますよ」
彼は拳を持ち上げて笑った。
「おーペトロス! なんだ、綺麗な嬢ちゃん連れて羨ましいじゃねーか」
「おお、マルコ」
「もしかしてお前が前言ってたハーレの嬢ちゃんて、この子か?」
すると後ろから頭に布を巻いた大男が、ペトロスさんの肩を掴む。
「は、はい?」
うわ、チンピラに絡まれた。と一瞬身体を引いてしまったけれど、話を聞く限り、どうやらこの人はペトロスさんの知り合いのようだった。瞳をキラキラさせて私を見てくる。
ハーレの嬢ちゃん……。流れ的に、それは私のことを言っているのだろうか。
ペトロスさんを見ると、いやぁ、と照れ笑いをして頭を下げられる。
「この前の依頼の後に、ちょうど患者と話す機会がありまして。その時に付き添いで来ていた人なんです。まぁ友人なんですが」
「ペトロスが世話になったな。俺じゃクランの花は咲かせられなくってよ。依頼仲介料も安くしてもらえたみてーだし、ありがとうな」
「いえ、……いいえ。破魔士達のおかげですよ。特に地の」
「違いねぇ!」
マルコさんは豪快に笑いだす。クシャッと笑い皺が出来ている彼の顔を見ていると、チンピラ顔もなんだか愛嬌があるように見えてきた。
袖なしの上衣に、ダボダボの下衣。筋肉があり、胸筋はふっくらとしていて逞しい身体つき。
屈強、という言葉がピッタリな人だった。
「破魔士とハーレには世話になりっぱなしさ」
それからまた知り合いなのか、買い物袋を持ったおばあさんがペトロスさんに話かけてきた。薬師だからなのか、顔が広いのかもしれない。
「王国騎士団と同じくらい、ありがたい存在だねぇ」
そのおばあさんの友人か知り合いか、はたまた近所の人らしきおじいさんが、おばあさんの後ろから私に向かってそう言い握手を求めてきた。一体誰なんだと思いながら、握手に応じる。
市場というのは、良い意味で見境がない。
「やっぱ王国騎士団と破魔士達にゃ頭が上がんねーな」
「騎士様がたは王国のあちこちで魔物の調査をしてくれているし、他国からの侵略も防いでくれてる。破魔士達は個人的な仕事も受けてくれるし、魔物退治はしてくれるしで大助かりよ」
いつの間にか、周りではそんな話が水面の波紋のように広がっていく。賑やかな市場が更に賑やかになった。
「あぁほら、噂をすりゃ空に騎士が舞ってるぜ」
マルコさんの言葉に、市場にいる人達が空を見上げる。
その視線の先では、黒い騎士団の衣装に身を包んだ騎士達が天馬に乗って隊列を組み空を飛んでいた。純白の翼を持った美しい神の馬は、太陽に照らされて眩しく光っている。
市場の人達は騎士達に向かって、おーい、と叫び、手を振っていた。
まるで国民の人気者だ。……いいや、まるでじゃない。国民の、正真正銘人気者だった。
天馬とは違い、黒い騎士服に身を包んでいる彼らは、私から見てもどことなく頼もしい。
そんな騎士達を薄目で見ていると、その集団の中に懐かしい色を見つけた。ブロンドの綺麗な髪が、風に揺られて靡いている。
「ニケ!」
大きな声で友人の名前を叫んだ。間違っていたらどうしようかと心配になったけど、思わず叫んでしまったので仕方がない。間違っていたら素知らぬ顔で市場から走って逃げよう。
そもそも私の声があそこまで聞こえているのかも怪しいが。
すると空にある集団がその場で停留し、一頭の天馬が外れて、この市場に向かってやってくる。その天馬に乗っているのは私が先ほど声をかけた人物で、どうやら私の考えは間違っていなかったようだ。
「ナナリー!」
天馬の背中から片手が上がる。
「ニケ! 久しぶり」
彼女が降りようとしているところまで走っていく。市場だけど屋台も何もない通り。さっきのところは人が多かったので、広い場所に降り立とうとしているようだった。
私の走りと天馬の翼では、天馬のほうが早い。そこに一足早く着いたニケは、一呼吸おいて天馬と共に地面へ降り立った。
「会いたかったわ!」
自分が乗っていた天馬の頭をひと撫ですると、走って来た私に向けて腕を広げてくれる。私は迷わずその中に飛び込んで、ニケの背中に思い切り腕を回した。騎士服がゴツゴツしていて抱き心地はあまり良くないけれど、それも気にならないくらい再会は嬉しいことである。
「あなたの髪色って妙に目立つから、空から見ていて良い目印になるわね! すぐにナナリーだって分かったわよ」
「そ、そう」
首元にある私の髪の毛に、顔をン~、と埋められて更に抱き締められた。
妙に目立つ髪の毛にまたもや舌打ちしたい気持ちだが、ニケが嬉しそうに楽しそうに言うので、まぁ良いかと思い直す。
「でもごめんね。仕事中に大声で名前呼んじゃって」
「良いのよ別に。定期的な見回りで、そんなに忙しいものでもないのよ実際」
「そうなの?」
名前を呼んだ私が言うのもなんだけれど、こんな易々と隊から外れてここに来ても良かったのだろうか。戻らなくても大丈夫なのかと聞けば、全然大丈夫よ、と自信満々に言うのでそれ以上突っ込むのはやめる。
お互いに腕を離して、顔が見やすい距離にした。
「それに私が所属している隊なんて、強者揃いで正直気が滅入るわ」
「強者?」
彼女が人差し指を上に向けるので、空にいる騎士団を目を凝らして良く見てみる。皆同じ騎士服を着ているから、全員が強そうに見えた。いや実際強いのだろう。ニケもそう言っているし。
先頭にいる、他の人達よりも一回り身体が大きい人は、あれは確か見覚えのある……騎士団長だ。うちの所長が何故だか敵視している強面の人。あの髭面に今度会うようなことがあったら塩でも巻いといてちょうだい、なんて前に所長から言われたことがあったけど、本物を目の前にした今、そんな勇気も塩も持ち合わせていないので早々に所長の顔を脳裏から消す。ごめんなさい所長。私塩がなかったんです。
そして騎士団長の後ろには黒髪の……。
あれはもしかして。
「えっ、ゼノン王子?」
「一緒なの」
これは驚いた。ニケと王子がまさか一緒の隊だったとは。そんなことは手紙に一言も書いてなかったので、私はビックリする。友人とはいえ一国の王子だからか、内容を避けたのかもしれない。
いつものあの軍服姿ではなかったので、一目見ただけでは気づかなかった。騎士服姿の彼だけど、王子特有の高貴な雰囲気が布を突き破っている。
天馬に乗っている王子が、私に向かってなのか手を上げる。つられて私も手を上げれば、ゼノン王子の天馬が頭を下げた。気高き天馬が私に向かって首を垂れる姿に一瞬疑問を持つが、頭を下げられない王子の代わりに会釈してくれたのかなと一人納得する。しかしあの天馬、頭から一角獣のように角が生えているみたいだけど、種類が違うのかな。
それについてもニケにそれとなく聞いてみれば、天馬と一角獣の間から生まれた、ただ一頭の存在なのだと聞かされる。成程。半分の血が入っているのか。
騎士は使い魔ではなく、天馬に乗っていることが殆ど。他の王国では使い魔に乗る騎士のほうが多いらしいのだけど、私のいるドーランは天馬に乗ることが騎士としての誇りであり象徴であるとされている。
しかしニケがいるというあの隊。騎士団長がいてゼノン王子もいる隊なんて、彼女の所属する隊って結構なモノなんじゃ……。
ならばそこにはもしかして。
「……?」
「ナナリー? どうしたの?」
あれ、いない。いると思った奴がいない。
なんだ、いつも王子と一緒だったからてっきり今回もどうせ同じ隊なのだろうと思ったのに。損してないけど、損した気分になる。
「ううん、なんでもない」
「ロックマンなら別の隊の隊長よ」
「いや別に……。は?」
いや別にアイツのことは……と言おうとしたけど、それよりも今何と。
口をあんぐりと開けた私を見て、ニケは気まずそうな顔をする。
「第一小隊の隊長に空きが出来て。そこを埋める人材として、ロックマンが入ったの」
私の口は開いたまま塞がらなかった。ニケの声がだんだん耳から遠ざかる。
私はハーレで新人として下積みをし、黙々と仕事をこなす日々。
かたやアイツは、卒業してからまだ三か月だというのに、いち隊の隊長になるとはどういうことなんだ。確かに魔法使いとしての腕は良いし、馬鹿じゃないし寧ろ頭は良い。私より成績は良いし(不本意だが)。
天地の差。
それは天馬で空を駆ける騎士であるロックマンと、地べたに這いつくばって空を見上げる私を上手く表す言葉だと思った。
「でも早過ぎじゃない!?」
出世街道まっしぐらとは、こういうこと。
「でも腕は確かだし、家柄もね。まぁもうなっちゃってるし、団長が言うのだもの。しょうがないわ」
そう言うと、ニケが空を見て、あ、と声を出した。
私もつられて空を見ると、別の隊らしき天馬の集団が此方にやってくるのが見える。
「いずれはゼノン王子が副団長に任命されるの。別にロックマンが団の上に立つんじゃないんだから、そんなに焦ることは無いわよ」
「……それもそれで、微妙というか」
「え?」
隊長になったと聞いて息巻いていた私だが、そう言われると、なんというか複雑だ。ニケにこうもハッキリと『上に立たない』とアイツが言われると。なんでだろう。競ってきた身としては(一方的かもしれないけど)微妙な気持ちになる。うまく言い表せないけれど、心境としたらそんな感じだ。
「合流したみたいだから、もう行くわね」
「合流?」
「他の隊を待っていたの。だから団長も待っている間は友人と話してきても良いって許可くれたのよ」
「そうだったんだ」
「また手紙を送るわ。お互い中々会えないけれど、休みが合えば一緒にどこかへ遊びに行きましょ。ベンジャミンやマリスも誘ってね」
「うん。私も手紙送るよ、またね」
「またね。大好きよ」
そうして互いに手を振り合って、ニケは空へと帰り、私は肉を買いに戻った。一部始終を見ていたペトロスさんからは、騎士団に友達がいるのかい? と聞かれて、市場にいる間はその話に花を咲かせた。
ララとの散歩も出来て、久々に充実した休みをおくれたと思う。




