ベンジャミン・フェルティーナの秘密の友達
私はズルくて、とっても性格が悪い。
今日の授業はもうおしまい。教室から皆が出て行く。遠くの席に着いていたニケが一緒に寮へ帰ろうと誘ってくれたが、進路の書類を出すからと断って、私は一人教室に残っていた。
諸々の記入を終えて用紙をまとめたあと、廊下に出た私は隣の教室を覗く。
ここのところ残っていることが多いので、今日もだろうかと思っていたが、やはり愛しの彼は教室に残っていた。女の子と二人で。
六年生はあと少しで卒業なので、進路も固まっていた生徒たちはダンスパーティーに浮かれていた。私もその内の一人だ。パーティーなんて普通に暮らしていたら滅多にお目にかかれないものだ。
けれど浮かれてもいられない子達もたくさんいた。
なぜなら結婚がきまっている子達は、卒業したらすぐに学生生活とはまるきり離れた環境に戻らなければならないからだ。早い子は妊娠出産も視野に入れなければならない。年上の男性と婚約している子もいる。
だから最後にと必死になる生徒が多かった。
学校も酷なことをする。
貴族と平民の男女を同じ箱庭に入れて教育するものの、けして結婚が許されないもの同士がいるとわかって青春を送らせるなんて、なんて鬼畜な所業であろうか。
幸い私は貴族の男を好きにはならなかったが、そうじゃない男女には苦しみしかないのに。
「サタナースあなた今期の記録記入しておりませんわよね!?」
「うるせぇなぁ。やるよやるよ、お前は俺のオカンかよ」
「おかん?!」
教室で言い合う二人。
しれっとしている男の子に、怒る女の子。
「あなたダンスとか出来ますの?」
「おーおー。俺の技術なめんなよ」
「強がり言っちゃってまぁ」
「お前と踊る訳じゃねぇんだからいいだろうが」
「べ、別に貴方となんて誰が!」
一瞬静まり返る。
私にはとても長く思えた。
彼女もきっとそう思ったろう。
「練習相手にならなって差し上げますわよ」
「ええー。足踏んだら怒るじゃん。絶対」
こういう物語を、読んだことがある。
気のおけないくらい軽口がたたけて、たぶんお似合いなんだけど、身分差がありけして結ばれない二人。でも状況が許せば結ばれてもおかしくない恋物語。
王子様と平民女の恋物語なんて世の中に沢山ありふれている。お姫様と平民男の話だってないわけではない。
皆大好きなお話だ。一度は夢見ることがあるだろう。
でも現実は違う。
教室の扉口から一度顔を離して、廊下の壁に背中を預ける。
大きく息を吸って、静かに息を吐いた。
下唇を前歯で噛む。
今から自分がすることに待ったをかけようとして噛んだ唇の痛みも虚しく、動かした足は止まらなかった。
「ナル君! 破魔士の申請書出しに行くわよ~!」
教室の入り口から大きく手を振って叫ぶ。
中にいた二人は私のほうを向いた。
「ベンジャミン!! っく、忘れてたぁ!!」
額をおさえて、彼は苦い顔をした。
ナル君はうっかりな所があるので、こうしたことはザラにある。
「一緒に行くって言ったのにー。先に行ってるからねぇ~」
「すぐ行くから待っとけ!」
「はいはいすぐ来てね~」
教室を去る瞬間、横目で見えた彼女の切なげな顔が、私の心を揺さぶった。どうしてそんな顔をするのか、自分がよく分かっているからだ。
私は物語に登場する、男の子に恋をして邪魔をする脇役の女の子だ。
ズルくて卑しい、誰にも好かれない女の子。
必死にならないと選ばれない女の子。
女の子が大嫌いな女の子だ。
*
ずっと昔、私を可愛がってくれていたお兄ちゃんがいた。母の弟で叔父にあたる人だったが、とても綺麗な顔をした人で、癖っ毛で、いつも跳ねている髪を気にしている、ちょっと可愛い人だった。叔父はセレイナに住んでいたのでなかなか会えない人だった。
けれど内緒で突然会いに来てくれたり、花の季節になると母親に断わって私を近くの川岸に遊びに連れて行ってくれた。
まだセレイナに連れて行くことが出来ないからと、海はこんな所だぞと、いつかセレイナに連れて行って海を見せてあげると、私の脇下を両手で抱えてちゃぷちゃぷと川の水に足を浸けては楽しそうに語ってくれた。
笑顔が本当にかわいくて、私はそんな叔父が大好きだった。母や父にしている秘密(食器を割って隠したとか)も叔父にならペラペラと話せてしまう。秘密の友達みたいな、居心地のよい人だった。
でも彼は病気で早くに亡くなってしまった。
学校に入学する三年前のことだった。
『ベイにいちゃん、ベイにいちゃん。ベンジーね、にいちゃんとケッコンするんだからね、ぜったいのぜったいよ』
『嬉しいなぁ。でもねベンジャミン、お兄ちゃん楽しみにしてるんだ。いつか君が大好きな人を連れて、お花をいっぱい持って笑顔で僕を訪ねてくれるのを』
最後にしたのはそんな会話だった。
セレイナに住んでいたので、駆けつけたときにはもう息を引き取っていた。
それから時は流れて、私はドーランの学校へ入学した。特に目標を持って入ったわけではなかった。叔父は海洋学者だったが、本当は破魔士になりたかったのだと生前は語っていた。
私の両親は二人共破魔士だったので、どちらかといえば身近でない海洋学者のほうに憧れはあったのだが、両親も破魔士だし叔父さんがなりたかったものならなってみるのも良いのかもと、両親の後押しもあり、なんとなくで学校に入った。
当時入学の儀に遅れそうになっていた私は、学校内で早速迷ってしまっていた。
急いでいる時ほどから回ってしまう。
この広い学校でこの先やっていけるのだろうかと一気に不安になっていた。
迷いこんだ場所は学校の裏庭なのか、人気がなく噴水がしゃばしゃばと静かに音を立てている。
『こいつぁすげーや!!』
『!!』
大きな声に肩が跳ねた。
声が聞こえたほうへ視線を向ける。
『兎鳥めっちゃいる……。これ持って帰ったら売れんじゃね』
生徒と思わしき銀髪の男の子がいた。
どうやら学校の庭にいた兎鳥を捕まえようとしているらしい。黒いローブを着ているので、同じ入学者だと分かる。
私は自分が迷子であることを忘れ、庭の柱の影に隠れて様子をうかがった。
『? 怪我してるじゃん。お前大丈夫かよ~』
男の子は小鳥を抱え上げて、右手をかざし、治癒魔法をかけ始めた。
詠唱なしで魔法をかけているのに驚いたが、横顔を見て更にびっくりした。
大好きな叔父と、そっくりな顔をしていたのだ。
生き写しかと思うくらいで、叔父が子供の頃はきっとあんな姿だったに違いない。
私は彼の知らないところで、勝手に運命を感じてはしゃいでいた。
それからというもの、私は彼を目で追うようになった。
性格は叔父と全く逆なようだけれど、それでも目が離せなかった。
「サタナース! 喧嘩は駄目って言っただろう? まったく……」
「はーい」
「サタナース!! これ割ったでしょう?! 片付けなさい」
「はぁい」
「サタナース、またお前か……」
怒られている姿が多かった。
けれど疑問に思う。
なんで自分じゃないと言わないのだろうと。
喧嘩は相手からだったし、花瓶を割ったのは廊下を走っていた違う生徒だ。
「ねぇ、サタナース君」
「ん? 誰?」
「なんで違うって言わないの? 怒られちゃうのよ?」
入学してしばらく、噴水のある裏庭で兎鳥と戯れていた彼を発見した私は、ここぞとばかりに声をかけた。
初めて話しかけたので、緊張のせいか声が裏返っていた。
目をパチパチさせた彼は、なんの事だかさっぱり分からないようで、何が? と聞き返してくる。
私は今まで見てきたことを話した。
「ああそれね。俺もわかんねーのよ。いつのまにかオレ!? になってるしさ。訂正しても面倒くさいし、貴族対オレなら、オレってなるんじゃね?」
「そんなの駄目よ! ちゃんと全部、自分じゃないって言わなきゃ!!」
「えっ」
「はっきりとぉ!!」
私の勢いに兎鳥がびっくりして、羽音を立てて飛び去った。
彼もまた瞼を瞬かせていた。
「プライクルの餌やりだって、他の子が忘れてた時にナル君が餌あげてたじゃない! なのによく成長したとか言って褒められてる子達見て、あたし、あたし」
「おまっ、ぷっ……お前よく見てんのなぁ!」
「!」
「ナル君ってあまり呼ばれないし、変な感じ」
「えっ、あっ、私ったらつい」
「良いよ、呼びやすいほうで。お前の名前は?」
そう言ってはにかんだ笑顔に、キュンと胸が高鳴った。
私と彼の初めての接触は、そんな感じだった。
*
つま先を見つめてトボトボと廊下を歩く。
彼の良さは私だけが知っていればいいと思う反面、皆に知れて嬉しいとも思う。だけどその分だけどんどん遠くに行ってしまうようで、嫌だ。
こんなことを思う自分は正直好きじゃない。うじうじしているのは好きじゃない。
だからと言って笑顔でいるのも無理なのだ。
寮に帰る前には気持ちを切り替えなければ。
「フェルティーナ!」
「ロックマン?」
「ちょうどよかった」
反対方向から歩いてきたロックマンが、上着の襟を直しながら勇み足で声を掛けてくる。
「サタナースってどこにいる? まだ教室にいた?」
「え、ええ。いたわよ」
たまにこうしてナル君の居場所を誰彼構わず聞かれることがある。
まるで当然のように聞かれるので、何だか恥ずかしいような嬉しいような、困った気持ちになる。
ハァと小さく息を吐いた。
じゃあ、と互いに手を振って歩き出す。
けれどすれ違う瞬間、肩を叩かれた。
後ろを振り返ると、ロックマンがほんの少し眉尻を下げて首を捻っていた。
「何かあった?」
「ヘ……」
「急ぎじゃないし、時間あれば聞くよ?」
目をぱちくりさせる私に、彼は口許を綻ばせる。
こういうところだよなぁ、と、ロックマンを慕う女の子達を思った。
人通りの少ない階段へ行く。
互いの顔が見えないように段違いの所に腰を下ろした。
私はさっきのことを話した。
「こうバッていっちゃって」
「うんうん」
こうして恋の相談を誰かにするのは初めてじゃない。ナナリーやニケにも耳の鼓膜を破ってしまいそうなほど聞いてもらっている。
ただそれを男の子にしたことはない。
だって勘違いされたら困るもの。
けれど何故か、ロックマンには普通に話せていることに自分でびっくりしている。たぶん、そういう心配が一切なさそうなのと、彼自身他人の心の中に入り込むのがうまいせいだと、階段下を眺めては頭の隅で感じていた。
五年生の時も確か、たまには焼きもちをやかせろ、など助言をもらった覚えがある。
「人生恋だけじゃないっていうのに、卒業近くなってまでこれって、ちょっと自分でも呆れちゃって……」
私の人生少女小説でできているのかというくらい、恋の悩みが尽きない。ナナリーのように魔法や夢にまっしぐら、ニケのように騎士になって強く、という目標もない。
膝に頬杖をついて、こめかみ辺りを引っ掻いた。
「そう? けっこう重大だと思うけどな、恋って」
間が開かないうちにロックマンはそう言って続けた。
「結局独り身でいる人間なんて世界の半分はいるし、結婚している人もその分いる。フェルティーナが最終的にそういう人生を選ぶんだとしたら、若いうちに全力で恋して、その後の人生に活かしていけばいいと思うし、見極めて、悩んで、必死になって。皆が先送りにしていることを、君は今全力で取り組んでいるだけだよ」
あっけらかんと言い放つロックマンの言葉に、頬杖をついていた顔を上げて、踊り場の窓の外に目をやる。
「でも私、ずるいし」
「ズルくて何がいけないの?」
ロックマンは不思議そうに首を傾げて、微笑んだ。
「譲れないものがあったんだろう?」
「…あ……」
「なら譲れなくて当然だ。それに相手に同情して一時だけでも譲るとか、何様? って思うし」
私の行動を当然だと言ってくれるロックマンに、少しだけ鼻先がツンとなった。
やり過ぎだとか相手の立場だとか、色々考えてしまう自分を、ほんの少しだけ好きになれそうな気がしたのだ。
「僕たちちょっと似てるかもね」
「私と、ロックマンが?」
彼は目を閉じて小さく息を吐く。
「本当に好きになった人からは、最終的に選ばれ難い感じ?」
「……なんか、わかるかも」
ロックマンに限ってそんなことはないのではと言おうとしたが、思い当たる節がなくもない。彼を好きだと公言する女の子の中には、好きな人を嫉妬させるためにわざとロックマンの取り巻きになっている子もいると聞く。いいように使われている気がしなくもないその噂に、大変だなと他人事のように思っていたが、本人がまさかそう感じていたとは驚きだった。
「フェルティーナは好かれない訳じゃないよね、男の子から」
「本当に、本命に限っては難しいんですよねぇ……」
「だからフェルティーナが頑張っている姿見てると、僕もなんだか元気になれるんだ」
いたずらっ子のように笑うロックマンに、私もつられて笑う。
「それナナリーにも前に言われたことあるなぁ」
「ヘルに?」
「恋であれ何であれ全力な私を見てると、気力が湧くって」
他人に影響を与えるほど良いことはしていないけれど、そう言ってくれる友達がいるということは、私は少なくとも幸せであると言える。
「ロックマンて、神殿で働いてもやっていけそうよね」
人の悩みを聞いたり、そういうのが上手いから良い神官になりそうだ。
「鋭いな。実は騎士団か神官かで迷ってたんだ」
「え!! そうなんですか!?」
「内緒ね」
彼は唇に人差し指を当てて、茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
「神官になれるんですか?」
「なろうと思えばなれる。この学校に通っているしね。クライケンが神殿から声が掛かってそこに行くって言っていたし、ここでの成績が良ければ見習いからいけるよ。僕にも一応声があったから、たぶんヘルもあったんじゃないかな?」
「はぇ~。そうなんですね。クライケンも頭いいし……そっかぁ……」
「あそこは唯一身分に関係なく貴族王族と渡り合える地位が与えられるから、そういうのに興味がある人は一度は働いてみてもいいもんね」
「でも神殿って恋愛禁止ですよねー。私は目指したくはないかも」
「三十歳過ぎたら敷地内で所帯持っても大丈夫だよ?」
「えええ~。……でも、なんで神殿と迷ってたんですか? 貴族だから結婚の問題とか色々あるでしょう?」
「ああ。まぁ……人探し? かな」
「人探し?」
「結婚は正直、しなくてもいいかなって思ってるんだ。ほら僕次男だし」
自分を指差して、彼は天井を仰ぐ。
「ずっと昔、僕に夢をくれた人がいるんだ。その人に会いたくて」
目を薄く開いて懐かしむような横顔に、恋とは違う胸の高鳴りがした。
この表情はきっとその辺の女の子では引き出せない。
「でも騎士団に行ったのは、その人の言葉を信じてみようかなと思って。それで決めたよ」
「そうなんですね……」
「だから。もし自分が平民でその人も同じ学校に通っていて、大事な、何かが変わってしまうような場面で誰かに取られそうになったら、僕は邪魔ばっかりすると思う」
「!」
「だって退く理由なんてないだろう?」
首を傾げて真剣な表情をする彼に、心が引き締まる。
「元気出ました」
「それは何より」
拳を握って胸元に置く。
階段から立ち上がって気合いを入れ直した。
彼はそんな私を見て、良かった良かった、と手を叩いた。
以前から感じていた、妙な安心感。
秘密や悩みをついつい話せてしまうような雰囲気。
たぶんロックマンは私の叔父に似ているのだ。
だから男の子なのに、こんなにも話せてしまうのだろう。
「ベンジャミン! こんなところにいたのか」
「ナル君!」
安心感の正体を分析していると、階段の上から声がした。
そこにはナル君が例の書類を片手に肩で息をしている姿があった。早く来てねと言った本人がこんなところで道草していたのだから、探し回ってくれたに違いない。
「ごめん~!」
上にいる彼へ向けて両手を合わせて謝る私だったが、数段上から降りてきたロックマンにすれ違い様コソッと耳打ちされる。
「フェルティーナが知らないだけで、皆ズルいことしてるんだよ」
「え?」
「アルウェス君邪魔。ほら行くぞ」
ナル君に背中を押されて、廊下を歩く。
私は慌てて背中越しに振り返ったが、ロックマンは階段前で親指を立ててつつこちらに手を振っていた。
なんだかわからないが、一応私も親指を立ててみた。