ハーレ就業編・3
食事や雑談をするための四脚の卓子。それに備えた椅子。入り口の重厚な鉄の扉。紙が沢山貼られた掲示板、天井で回る黒い板で出来た羽根。木材をふんだんに使った床と壁。肉が焼けた匂いと香辛料の香りに、破魔士達の話し声。職員の相槌。
「ええと、ヘル、さん?」
「はい。よろしくお願いします」
「依頼をするのは初めてなんだけどね、こっちもよろしく頼むよ」
そんな空間に置かれて。
初めて依頼をしに来たという男の人を前に、私はテーブルを挟み笑顔で紙をさし出した。
ハーレで働き始めて約二週間。
依頼人専用の受付で、私は先輩の指導のもと依頼人相手の対応術を学んでいる。指導してくれる先輩は私の隣に座っていて、困った時には横から助け船を出してくれたりしていた。
受付に座るのはもっぱら女の人なので、先輩も当然女の人。今隣にいるのはゾゾ・パラスタという褐色肌の可愛らしい人で、私よりも背の小さなお姉さんだった。働き始めて五年くらい経つそうで、年齢は23歳。学校を卒業して直ぐにハーレへ就職したと聞いている。
「鋼山に咲いているクランの花が五つ必要なんです。私は薬師なのですが、昔片足を無くしてこの通りで。それでも行ける場所には自分でも行っていたんです。けれどクランの花は、最近は魔物が多いと言われるあの鋼山にしかなくて」
「取りに行って欲しいと?」
「はい」
男の人が持ってきた、依頼内容が箇条書きに書かれているメモを読む。とにかくあれやこれやと十行くらいビッシリ書かれているけれど、ようはそのクランの花が欲しいということであった。
メモから目を離して相手を見る。
「でしたら、手練れた地の魔法型である破魔士に頼むのが良いかもしれませんね」
「地のですか? 私の知り合いに地の魔法型の人がいたので咲かせてもらえるように頼んだことはありましたが、出来ないと言われたことが過去に……」
「きちんと学んでいなければ出来ませんが、彼等破魔士は魔法植物を自らの力で咲かせる事が出来ます。そのための勉強を学校でしっかりと学んでいますから。勿論呪文は植物ごとに違いますが、『地の書』という物にはクランの花の呪文もありましたので、鋼山へ破魔士を行かせることなく依頼を終えることが出来るかと。そうすれば、我々が鋼山へ事前調査に行く手間が無い分、仲介報酬も少なくて済みますよ」
「そうですか!ありがとうございます」
喜ぶ男の人を前に、私は早速依頼書を書き上げて彼にサインを貰う。よほど安心したのかサインの文字は枠からはみ出るくらい大きくて、書き上げる勢いも凄かった。
出来た依頼書を魔法で複製したあとは、複製したほうの紙を建物内の掲示板に貼りつける。
それをカウンターで見届けていた男の人は、一連の作業が終わったあと、もう一度お礼を言って帰って行った。
「だいぶ慣れてきたわね。その調子よ」
「先輩達のおかげです。ありがとうございます」
依頼人の男の人が帰って一息ついていると、ゾゾ先輩が白い歯をニカッと見せて肩を叩いてきた。衝撃で椅子から腰が落ちそうになる。
先輩の肩パンは結構力が強いので毎回ウッとなるけれど、親しくしてくれている証拠だぞ、と他の先輩方にも言われているので良いことだと思うことにした。それに可愛いからぜんぜん良い。
こうやって依頼人専用の受付に座っている私だけれど、私の夢は叶ったわけじゃない。私がやりたいのは破魔士達が依頼を受けにくるあの受付であって、けして今座っている場所ではないのだ。
あそこに座るにはハーレの仕事全般を制している女の人でなくてはいけなく、もちろん先輩であるゾゾ・パラスタさんもあそこに座れる女の人。ハーレの人は依頼を持ってきた依頼人の情報管理から、依頼内容の確認、確認のための外仕事、それを得ての値段交渉、破魔士への能力に合った仕事紹介が出来て初めて一人前になれる。受付に座るのもそれから。
今更ながら、私の見る目は間違っていなかったのだと思った。やはりあのお姉さんは尊敬するに値する人物だったのだ、と拳を握ってウンウン頷く。
「もうすぐ夜間担当と交代ね。今日は気分転換に外へ食べに行きましょ!」
「はい!」
「うふふ、良い返事ね」
ゾゾさんは依頼の紙を木の板に挟むと、卓上台の下に置いて上着を取った。
夜間と日間勤務とに時間は分かれていて、日間勤務は朝から夕方まで、夜間勤務は夕方から朝までとなっている。私はまだ日間だけの勤務で、夜間はやっていない。ゾゾさんは私の担当についているので、当分の間は夜間勤務はしないらしい。私のせいですみませんと言ったら、夜間嫌いだからむしろ助かるわ、と言ってくれたのでありがたかった。優しい人。
「お財布持ってくるわね~」
「はい」
私はまだ気が抜けないので、ゾゾさんみたいにさっさと帰る支度は出来ない。就業時間がまだ来ていないのに、そんなことがおいそれと出来る領域に達していないので受付に座り続ける。私があんな風に砕けた感じになれるのはまだまだ先の話だ。
「ヘルさん、お疲れ様」
「おはようごさいます」
そうやって気を引き締めなおしていれば、夜間担当の人が肩を叩いてお疲れ様、と話しかけてきてくれる。眼鏡のお姉さんは髪を一つに縛ると、制服の白い帽子を被って(いや防具か)私の隣にあった椅子に座った。
「夕飯食べてらっしゃいな」
「ありがとうございます。あ、これ引継ぎお願いします」
「了解」
ゾゾさんは私の分の上着を取って来てくれたようで、私が席を立つとカウンターの横に立って手を振ってくれていた。ゾゾさんの制服は二股の短い下衣に、丈の短い靴、袖が長めの上衣で、全体的に元気な女の子というような感じの造形をしていた。頭につける物は特にないそうで、艶のある黒い綺麗な髪は惜しげもなく外に晒されている。
私も髪の色がこんなことにならなければ……と、色素が薄い自分の髪をつまみ上げた。ゾゾさんくらいに綺麗にならなくとも、こんな色になる前は美しい色素のある髪を持っていたというのに……。魔法で焦げ茶色に染めてしまおうかとも思ったことはあるけれど、なぜかそれだと変に負けた気がしてしまい結局染めることはしなかった。
「どうかした?」
「なんでもないです」
自分のところまで来た私の表情が暗かったのか、心配される。
ええい、やめだやめだ。
「先輩は今日何が食べたいですか?」
「今日は肉より野菜をいっぱい食べたいかも」
「じゃあ草食狼の店ですかね」
「行きましょ!」
寮に住み始めて、こちらも約二週間になるけれど、最近では先輩に付き合っての外食が多くなってきている。なのでせっかく覚えた料理の腕がこのまま落ちていく危機に瀕していた。ゾゾさんは料理をしないタチだそうで、手料理なんか一人で虚しくて作ってらんないわよ、と言っている。
また恋人持ちの人をハーレ内で見かけてはペッ、と人知れず床に唾を飛ばしていた。ゾゾさんは見た目は可愛いけどガラが少々悪い。
ガラ……というか、そのような性格は私も人のことは全く言えないけど、こんなに開けっ広げにされているといっそ清々しいものを感じる。
それからは草食狼のお店に行って夕飯を食べ、ふらふらと寄り道なんかをしながらも、給料もまだ出ていない私は自分の寮の部屋へと帰った。
部屋の間取りは、一人用の寝台が八台くらい余裕で置ける広さ。家にある私の部屋より断然広い。家賃は給料から差し引かれるけど、台所から寝台から何から何まで揃っているので贅沢なものだった。
湯浴び処も一部屋に一個ついている。温かいお湯に浸かりたい時は、公共の浴場に行くしかないけれど。
「ふぅー……」
部屋着に着替えないまま、ふかふかの枕に顔を埋める。息が苦しくなるくらいグリグリと押し付けたあとは、身体を反転させて天井を向いた。
今日こなした仕事はといえば、依頼者が持ってきた依頼内容をひたすら確認して、ハーレの掲示板に貼りつけていく仕事。確認しては貼って、確認しては貼っていく。その繰り返し。
この受付の仕事は、主に一年目の新人が担当することになっているらしく、まさにその新人である私は今年一年の間、そこから絶対に動くことはない。外の仕事に行く先輩や、破魔士達を相手に仕事の相談や依頼の受理を行う受付の先輩達の背中を、一日中温かい椅子の上で(ずっと座ってるからか温かい)見ている毎日。
とは言っても私が今やっている仕事も重要なことには変わりなく、まぁ新人がやるくらいだから多少難易度は低いものの、大切な作業であるのには違いなかった。それにこの受付がなければそもそもの話、破魔士達に仕事を与えてあげられないのだから。
「そうだ」
私は寝転がったまま寝台の横にある机に手を伸ばして、小さな突起が付いた引き出しを開ける。ガサゴソと手の感触だけで中を物色し、目的の物を直ぐに見つけた。目当ての物は、空色の薄い封筒に入った手紙。
私は仰向けになって天井に手紙をかざす。
この手紙は、つい昨日私宛に届いたベンジャミンからの手紙。私へこの手紙を手渡してきた寮母さんには『あらぁ隅に置けないわね』などとベンジャミンの名前を見ただけで男の子だと思われ、その上恋人だと間違われていた。
全然違います乙女の中の乙女な子なんです、と丁寧に否定させてもらったけれど、照れ隠しだと思われて誤解は未だ解けずにいる。
私や他の寮に住む人達への届け物は、寮母さんがいる寮母室に届く。手紙配達をする人がそこへ届ける手筈となっていて、届いた物は寮母さんが直々に寮の人へ手渡しをしていた。無事に、かつ安全に。
差出人が手紙に魔法をかければ宛名の主のところへ送ることも可能だけれど、途中で木に引っ掛かったり水溜まりに落ちたりすることもあるので、正確さを求める人は配達の人に頼んで届けてもらっている。魔法は便利だけど、そういう面では人間の手のほうが信用があるってことだ。
「ベンジャミンからかー」
まだ開けて読んでいなかった私は、その封筒を開いて中身を広げる。
「私も手紙出さなきゃ」
手紙を皆に出そう出そうとしていたけれど、中々実行に移せない内に彼女から手紙が来たので、いい機会だと思った。これを機に皆へ手紙を書いてみよう。
小花柄の紙にびっしりと詰まっているベンジャミンの綺麗な文字が、私の目に映った。
『 親愛なるナナリーへ。もう、私のこと忘れちゃったの? 卒業してから三週間も経ったのに、手紙の一つも寄越さないんだから。全く呆れるわ。……なんてね、嘘よ嘘。三週間しか経っていないのに手紙を書いちゃった私のほうが呆れられるわね。ニケやナル君にも手紙を送ったのだけど、ため息を吐かれないか心配だわ。だってあんなに一緒にいたのに、離れるなんて寂し過ぎるじゃない。なんならもう六年通うのも悪くないんじゃないかしら。こんなに人恋しくなるなんて自分でも驚いているのよ。私ってもしかして、恋人とかが出来たら重くなる女なのかしら。嫌だわ自分が怖い。――――ああ、でもねでもね、聞いてくれる? ナル君と卒業前に約束したことがあるんだけど、私と彼って同じ破魔士になるじゃない? 皆と会えなくなるのが寂しいって溢してたら「じゃあ、なんなら一緒に仕事する?」って言ってくれたの。もう、もう、すぐに手を上げて返事したわ! だってこんな機会そんな頻繁にあると思う? いいえ無いわ! ナル君は少し気分屋なところがあるから、直ぐに返事をしないと捕まえられないの。あの卒業パーティのダンスだって皆より早く約束を取り付けたんだから。彼が乗り気の内にね。それが私が勉強より何より六年間で学んだことよ。……けど、それからは何の音沙汰もなくて。つい手紙をナナリー達に出すのと同時に出しちゃったんだけど……大丈夫だと思う?』
「……」
『大丈夫なんじゃないですかね』
久しぶりに送られてきた友人の手紙へ、そう一言書いて返信した。




