ハーレ就業編・2
「ようこそヘルさん。改めて自己紹介します、私はドーラン王国ハーレ・モーレン魔導所、所長のテオドラ・ロクティスよ」
「ナナリー・ヘルです。本日からよろしくお願いします」
ハーレ魔導所の一室。
小さな木彫りのリュンクスが机の上に置いてある。目の部分に青い石が嵌め込まれているけど、あれは宝石なのかな。高そうだし絶対に触らないようにしよう。隣にある火のついた蝋燭も。
床の敷物は赤に緑の模様で、木材で出来た壁や床に似合う色味だった。部屋の中にある本棚は、私の部屋にあるボロボロの本棚と違って大きいし、中の本が触られないように硝子板もついている。本の量も桁違いだ。
そんな部屋の中で、茶髪の背の高い女の人が私の前で微笑んでいる。
つい先ほどハーレに着いた私は、ララの背中から降りたあと、建物の前にいた男性職員に案内されて中に入った。職員の人は皆制服を着ていて、男の人は黒、女の人は白、と服の色が分かれている。でも衣服の造形はそれぞれ違うようで、女の人は一枚着のワンピースだったり二股に分かれた下衣を着ていたりと、色以外は個性豊かな制服になっていた。
私を案内してくれた男性は、丈が長めのゆったりとした黒い上衣を着ていて、それだけでは流石に一発じゃ当てられないけど、肩に三本の白い縦線が入っていたので直ぐに職員だと分かった。
色に限らず制服の何処かには必ず三本の線が入っていて、それにもちゃんと意味がある。
線はハーレの魔導三か条、
『一つ・常に先を見据え』
『二つ・線を越すことなく』
『三つ・己の心を真っ直ぐに持つこと』
その三つの線を心に刻み魔法を扱いなさい、というハーレ・モーレンの教えを表していた。
全体的な意味としては、魔法を扱う際はそれによって起きる物事を予測し、その範疇を超えることなく、また異常な力を行使することもせず、正義の心を持って魔法を駆使しろ。ということらしい。要は魔法を悪いことに使うな、ってことだ。
これは送ってもらっていた資料の中に書いてあったので、学校で読んだときはホホウ~と一人頷いていたものである。
「働いてもらうのは明日からになるから、今日は寮に荷物を置いて、魔導所の中を色々案内するわね」
「はい!」
美人な所長を前にシャキッと背筋を伸ばす。
今私はハーレの所長へ挨拶するために、所長室へとお邪魔しているところだった。荷物はあとでということで、早めにここへ通されている。緊張は最初に会った時よりしなかったけれど、身の引き締まる思いだった。
「じゃあ、はい。これが寮の部屋の鍵よ。無くさないでね」
「分かりました」
「いまどき鍵なんて古いから呪文制にしろって皆に言われるけど、鍵には鍵の良さがあるのよね~」
所長はそう言うと、金色の小さな鍵を赤い紐に括り付けて渡してくれた。
「ありがとうございます、所長」
ロクティス所長。
この人には三回会ったことがある。今日を含めればこれで四回目だ。
一度目は五年生の対戦のとき、二度目は六年生の長期休暇のとき、三度目は卒業してからすぐのこと。
私と最初に会ったとき対戦を観てくれていた所長は、貴女みたいな人がハーレを希望してくれるのなら早めが良いと思ってね、と手を握ってくれた。なんでも、ハーレに就職希望を出していたのは私だけのようで、人手も昔より足りないらしい。しかもそのほとんどが騎士団に流れていっているみたいで、その時遠くにいた騎士団長を、所長が憎々しげに睨み付けていたのを覚えている。色々ありそうだ。
ニケもハーレじゃなくて騎士団を選んだし、騎士団希望者が多いのは知っていたけど、まさか私一人だったとは。
私が受付のお姉さんに憧れていることも先生から聞いて知っていたようで、会って開口一番の言葉が『ああぁあ~受付にようこそー!!』だった。
鬼気迫る感じで一瞬逃げの体勢に入った私は悪くない。
ハーレ魔導所の総括である所長は、『現代の崇高なる魔法使い百選』にも選ばれている程凄い人だった。名だたる世界の英雄達と名前を並べている彼女は、私の憧れでもある。
「でもその前に、貴女用の制服と魔具を作らなければならないわ」
「?」
所長が顎に手をあてて、うーんと唸る。
さっそく荷物を置いて案内してもらおうとしていたのに、どうやらまだその段階に行けない雰囲気。
木彫りの横にある蝋燭の火が、ゆらゆらと揺れていた。
「制服と魔具、ですか?」
「ええ。貴女のね」
ん? 制服?
制服はてっきり支給制で用意されるのだと思っていたのだけど、作るって今から? 確かに皆服の造形は違っていたけど、自分でこういうのが良い~とか、ああいうのが良い~とか、決めてから作って貰えるのかな。だとしたら凄いなハーレ。職員への待遇が良すぎる。そういえばお給料もなかなか良かったような……あくまで資料に書いてあった金額だけど。
それに魔具って、何に使うモノなんだろう。しかもそれも今から作るって……。そこら辺の説明は資料に全然書いてなかったから、ちょっと不安になる。
いやいや、私は受付のお姉さんになるのが夢なんだから平常心、平常心。どんなことが起きても笑顔でさらっと流せるような人間にならなければ。
「ヘルさん。この球体に両手で触ってみて」
首を傾げている私を見てフフフと笑うロクティス所長は、部屋にあった赤い戸棚の縦に長い扉を開いた。本棚のすぐ隣。
「……水?」
するとその中から出てきたのは水の球体で、高さ大きさは私の身長くらいある。ポヨン、ピチャ、と音を立てて私の前まで出てきたそれは、ふよふよと浮いてまるで硝子の無い水槽のようだった。
「……?」
私は恐る恐るそれへ片手を伸ばす。
所長は触ってみてって言ったけど……。
思わず扉の近くにいる男の人を見た。四十代くらいの眼鏡をかけたその人は、私をここまで連れてきてくれたあの男の人で、一緒に中まで入って来てくれている。彼は私に見られていることに気がつくと、両手を球体に向けて、さぁさぁ早く、と笑って催促してきた。
「本当に触ってもいいのですか?」
前を向いて所長に聞く。
「これはギグネスタイ・ネロ(生成水)と言って、初代所長のハーレ・モーレンが作ったものなの。これに私が認めた魔法使いが触ると、その魔法使いに適した防具と武器を与えてくれるわ」
「防具と武器ですか?」
「防具はここの皆が着ている制服。武器は外の仕事へ行くときに役立てたらいいわ」
防具と武器を装備した職員……。
仕事内容は危険なものもあると分かっているので驚きはしないけど、ここまで備えがあると思うと感心と同時に戸惑いもある。
というかあの制服って防具だったんだ。
私は球体に両手で触る。ひんやりとして、普通の水に触れている感じがした。濡れている感覚もある。
ロクティス所長に目を向けると、所長は何やら口元をモゴモゴさせて呪文みたいなものを唱え始めた。
「!」
すると球体の中から、棒の端っこ? がニョキっと出てくる。
な、なんだこれは。と私の首は後ろに下がった。
けれど所長が私に、取ってみて、と言うので球体から手を離した私は、その棒を握って引っ張り出す。感触は鉄のように硬くて冷たい。
そうして引っ張りだしたそれは、これまた私の背を越すほどの長さの、ちょっと値段が高そうな銀色の長い棒だった。
棒だ、棒。
よく見てみると、美しい模様が施されているのが分かったけど、よく見ても見なくてもこれはただの棒だ。
「あら、デア・ラブドス(女神の棍棒)?」
「……棒?」
「ただの棒じゃなくて、女神の棍棒よ」
棍棒。
女神は良いけど棍棒って物騒だな。今私の頭の中には、棍棒を振り回して口から火を噴く女の人の絵面しか思い浮かばない。しかも物凄い速さで走ってる。女神が棍棒持って走ってる。
両手でその棒を持つ私だけど、どうしたらいいのか分からなくて、おずおずと棍棒を所長に差し出した。
しかしそれは貴女のよ、と言われて突き返されてしまう。
「その棍棒は自分で書いた魔法陣を吸収させたりできるのよ。魔法陣を手で書かなくとも地面をそれで突けば一発で陣を出せるようになるわ」
「魔法陣ですか……」
魔法陣は一般的に地面や紙に手でいちいち書かなければ魔法が発動しない。呪文を唱えて魔法陣が出現するなんてことはなく、魔法陣を書かないでも魔法を発動出来るのが魔法の呪文なのだ。だからあまり好まれる魔法ではないし、もし書く手間を省き使いたいという人がいるならば、前もって魔法陣を書いた紙を装備しておくに限る。
それにしてもその厄介な魔法陣をこの女神の棍棒が吸収するって、もしかしたら結構いい道具なのかもしれない。
「あとはそうねぇ、それで敵をバッタバッタと殴ったり叩いたりとかかしら」
「棍棒ですね」
それ以外の使い道はそんなもんだった。神よ。
「良い武器よ。振れば剣、払えば矛、突けば槍になるのだから」
あとで練習してみると良いわ、と所長が言っている内に、今度は球体が光りだす。目を丸くしていると、私の身体、というか服が光り出して形や色がみるみる変化していった。
ワンピースの色は茶色から白になっていって、袖や襟元も徐々に変形していく。
「これが、制服ですか?」
大きな頭巾付きの膝丈の白いワンピース。腕まわりは締まっているものの袖口はヒラヒラと膨らんでいて、裾など所々に青色の蔓模様が入っていた。靴は脹脛より少し下くらいまでの長さで、白いブーツ。腰には茶色い皮のベルトが巻かれていた。
「あら? これは、ちょっとごめんなさいね」
所長は一言私に謝ると、手に雷をバチバチ纏わせはじめる。こっちに向かって構える仕草は、まるで今から私に攻撃でも仕掛けようとしているみたいで……。
え?
「しょ、しょしょ所長!? なんですかその手のバチバチは!!」
「大丈夫よ」
「何が!?」
会話をしている間にも、所長が私に向かって閃光を放ってくる。
もうダメだ。もしかしてここはハーレではなく悪の組織で、誰かに幻覚でも見せられて間違えて来てしまったのかもしれない。やられる!
「なるほど、ウーデン・スケウエーね(無効化衣装)」
と目を瞑って思ったのもつかの間。しばらくしても痛みは全く来なくて、何かに押されたような気はしたけれど、ただそれだけで変化はなかった。
うっすらと目を開けて自分の身体を確認しても、傷もないし、服も汚れてはいない。
それに所長が納得したように『ウーデン・スケウエー』と言う。
ウーデン・スケウエー?
無効化衣装って、魔法を無効化する服ってこと? つまり所長の雷をこの服が無効化したということなのだろうか。
服をペタペタ触ってみるけど、別に特別感は感じない。元の服よりさわり心地は格段に良いけど。
しかし無効化衣裳、か。
私の気分は少し重くなる。
「あのう、これって魔法使いの能力とかを見て与えてくれるんですよね」
「ええそうよ」
「じゃあ私って、もしかして能力が無いのでしょうか」
「どうして?」
「……。能力が優れていたら、こんな身を完全に守ってくれる凄いもの、出さないじゃないですか。実力がないと判断されたのでしょうか」
もし本当にこれが無効化衣裳なら、私の身には余るこの防具。可愛らしさとは裏腹に、強力な守りを発動してくれている。
でもそれは、ギグネスタイ・ネロが私を弱っちい魔法使いだと認識したから、こんな凄い防具を与えたのかもしれない。
これをいただけた心境としては、嬉しいというより、悔しいという気持ちが大半だ。自惚れじゃないけれど、そこそこ魔法の腕は良いと思っていた。男に負けないくらい、誰にも負けないくらい強くなりたいとも思ってやってきた。
だからこんな防具を貰っても素直に喜べない。
「そんなことはないわよ」
「ですが……」
「貴女、たまに無茶したりするわよね」
「?」
「五学年のときの対戦、ヘルさんは皮膚が焼け焦げようとも友達を救おうとしたでしょう? しかもほとんどの子達を。客席にいた騎士団長とあの子はウチの子にします!って言い合ったものよ」
懐かしいわねぇ、と笑う。
「これは性格も判断して作ってくれるの。ギグネスタイ・ネロは魔法使いの魔法型や性質、性格さえも見通して装具を作り出す。女神の棍棒や無効化衣装を与えたのは、貴女にとってそれが一番の装具だと判断したから。だからたぶん実力じゃなくて、貴女の性格を考慮した上でウーデン・スケウエーを出したのだと思うわ。これからもそういう場面になったとき、無茶して突っ込むだろうから、それゆえにね」
「無茶……」
「だから実力がないとかじゃないわよ。自分の力に誇りを持ちなさいな」
頭を軽く撫でられた。
「それとね。このギグネスタイ・ネロについては、口外禁止としているわ」
「口外禁止?」
「私が認めた者とは言ったけれど、本当はある呪文を唱えれば誰でも使えてしまう物なのよ。他にはまたとない、伝説にあるような武器を作り出す魔法だから、とても貴重。悪用されてはいけいから、ハーレの皆には箝口令をしいてあります」
「そ、そうなんですか」
了解です。と言った私に所長はニッコリ笑って椅子に座った。
「デア・ラブドスはそのままじゃあ邪魔でしょうから、呪文で小さくして腰にでも引っ掻けておきなさい。たぶんそのためのベルトよ」
「魔法使いに合った装具でしたっけ」
縮小呪文をかけてベルトの穴に通す。穴にはピッタリと入って、鞘に収まったような気分だった。
「これでようやく、ハーレでの仕事を教えてあげる準備が出来たわ。まずは荷物を運びましょうか。さっきも言った通り、今日は場所の案内や説明だけになるけど、明日からは覚悟してね」
「はい」
置いていた荷物を肩にかける。
ニケやアイツに、皆は今頃どうしているのだろう。
ベンジャミンとサタナースは破魔士だから、いつかハーレで見かける機会があるかもしれない。
新しい場所での生活になれてきたら、マリス嬢やニケ辺りに手紙でも送ってみようかな。