受付嬢になれるまで・1
青い空を見上げれば、島がぷかぷかと当たり前のように浮いている。
私がここから見る景色は、産まれたときから何も変わらない。
さらにそのまた遠くを見てみれば、大きさの違う島が同じように浮いているのが見える。もちろん、それも変わらない。
そして私が将来なりたいものも、小さい頃から変わることはない。
●●●●●●●●●●●●
産まれたときから、私の周りは魔法で溢れていた。
お母さんが弧を描くように指を振れば、たちまち物が浮くし、お父さんが呪文を唱えれば、指先から炎が出てきて悪い魔物をやっつけてしまう。とっても格好良い。
それから隣に住んでるおばあさんは、花壇の花に魔法をかけて、毎朝歌を歌わせたりと随分賑やかだ。向かいに住むおじいさんはそれに対抗してか、自分の畑の野菜に魔法をかけて、毎朝おばあさんへ当てつけるように歌を歌わせている。
けれどおばあさん家の花よりいくらか低い声になっているので、予想に反して良い合唱になってしまっていることに本人は気がついていない。
じゃあ、と私も皆のマネをして指を思いきって振るわせてみる。えいっ、と右に左に上に下にブンブン振ってみる。跳び跳ねてもみる。その甲斐あってか、よし、どうにか風は起こせているみたい。……だって前髪が浮いたもん。
でも物は浮かないし、炎は出ない。花は歌わないし、合唱はできない。
というかそもそもあの頃の私は、呪文なんてまともに知らなかった。
*
「ナナリー、そろそろ出るわよー」
「はーい!」
部屋の窓から空に浮かぶ島を眺めていた私は、お母さんの声を聞いて窓から顔を離す。
今日から王国の魔法学校に行かなくてはならないので、私は今その準備をしている最中だった。荷造りはついさっき済ませたが、寮制の学校なのでおいそれと家には帰ってこられない。忘れ物がないか、見落としがないか心配だ。
でもまぁ忘れてもそんなに重要そうなものは無かったので、気にしなくても良いのかもしれない。
それに、帰ってこられないとは言っても長期休暇があるらしいので、一度も帰ってこられないわけではない。
何か必要なものが出来たらその時に調達すれば良い。
私は今12歳だ。そして18歳までの六年間その学校に通わなくてはいけない。
「さてと」
薄汚れた白い壁。けして綺麗だとは言い難いガタガタの木製の本棚。窓の近くにある机の上には、村の学舎でお世話になった教科書達が箱に入れられている。
簡易な寝台の上からは、昔お姫様みたいな天門の寝台に憧れていた私のためにと、お父さんが錆び付いた釘で天井に貼り付けたシーツが垂れ下がっていた。
母に昔ねだった熊のぬいぐるみは、茶色い衣装箪笥の上から私を見下ろしている。
纏めていた荷物を持って部屋から出て、一枚布で出来た青いワンピースの裾をパンと伸ばす。
それからクルリと反転し、暫く部屋の主がいなくなるこの空間を目に焼き付けて、私は母の元へと急いだ。
ドーランという王国にある小さな村。
お母さんは考古学者で、お父さんは破魔士という組み合わせのもと、私ことナナリー・ヘルはそこで産まれて育った。
貴族でも商家でもない、ごく一般的な家庭で、まわりもだいたいそんな感じだった。
ただ一つ珍しいところがあるとすれば、お母さんが考古学者という点ぐらい。最近はそうでもないけれど、昔はけっこうあちこちを回って遺跡などを調査していたらしい。
一方でお父さんの職業、破魔士というのはこの国、この世界ではごく一般的な職業で、ハーレという魔導所で魔物退治やその他雑搬関係の仕事の依頼を受けては、報酬を受け取るということを主としている。一定以上の魔法を使えなければなれなくて、その実けっこう危険な職業でもあった。依頼によって簡単な仕事だったり難しい仕事だったりするけれど、難しいほど報酬は高い。
昔、お母さんのほうは一度もないけれど、お父さんの仕事には二度くっついて行ったことがある。
いつも何してるの、どこに行ってるの、あれは何の島なの、何のお仕事なの、とチビッ子特有のなになに病が発病していた時期だった。世界のなにもかもが知りたくなって、近くの大人に聞いて回っては随分困らせていたと思う。隠すのが上手いのか、お父さんはぜんぜん顔に出さなかったけれど。今思えばかなりうっとおしい子供だった、と自分でも思っている。
ついて行ったのは比較的簡単なお仕事の時で、報酬は20ペガロとかそのくらいの依頼の時だった。20ペガロがどのくらいかと聞かれたら、1日の食費分くらいというところ。
ハーレというのは仕事を提供している役所みたいなところで、破魔士達が日々出入している場所だった。
初めての場所にワクワクしていた私は、ハーレの中の内装に夢中だった。だって真面目でカッチカチとしたところなのかと思えば、お父さんが良く行く酒場のような雰囲気で全くの逆。床も壁も木の板で、温かみのある情景。食事をするところもあるのか、香辛料の香りが混ざったお肉の良い匂いもしていた。
そんな私が色々なものに気をとられている中、お父さんは仕事の依頼を受付のお姉さん?に探してもらっていた。随分時間がかかっていたけれど、お荷物の子供を抱えて仕事しなきゃならないのだから、選定は難しかったんだろう。と今は思う。
そして決まったのか、お父さんに手を引かれた私は受付の人に『いってらっしゃい、お気をつけて』とお決まりの文句を言われながら、笑顔で手を振り返した。
依頼内容は、確かおばあさんの畑仕事の手伝いで簡単なものだった気がする。
意外にも早く終わってしまい、もっと凄いことを想像していた私はちょっと落胆していた。
家でやっていることと、なんら変わりがなかったから。
『お帰りなさい、お疲れ様ですね。小っちゃなお姉さんも、お仕事お疲れ様でしたね』
それで依頼をこなしたお父さんとハーレに帰ってきた時だった。
私達に向かって、事務的にだろうけれど挨拶をして迎えてくれたこの受付の人の笑顔が、なぜか私の中で一瞬酷く反芻された。
『? どうされました?』
『ナナリー?』
詳しく説明しろと言われても自分自身よくわからない。一目惚れみたいなものに近かったのだと思う。
とにかく小さい私にはお姉さんが輝いて見えた。
危険な依頼であろうとチンケな依頼だろうとなんだろうと、顔色を変えず書類を渡す凛々しい姿。
行く時は『いってらっしゃい』と、報告しに帰ってきた時は『お帰りなさい、お疲れ様です』と笑顔で迎えてくれる。
そしてそれを目の当たりにした私は、キラキラした瞳でお姉さんを見ていた。
依頼内容を必死でこなしてきた父ではない。
隣のカウンターで、難しい依頼をこなしたと自慢している大男にでもない。
ただ、いつも変わらずそこに座って待っている彼女を見て、ふつふつと私の中に沸き上がったのは憧れの感情。
ハーレのカウンターでお姉さんを見たままピクリともしなかった私を、ズルズルという効果音を背景に引き摺って帰ったお父さんには、お前疲れたのか、と勘違いされた。
憧れとかというものは、憧れたいから憧れるわけじゃない。
気づいたら憧れているのであって、急に湧いてくるものなのだと思っている。
やりたいことだってそうだ。
だから将来の夢が花屋さんだったとしても、何かの拍子で料理人を目指したくなったりすることもあるだろうし、違う何かを選択することもあるだろう。
それが私は、たまたまあの受付の人のようになりたい、ということだっただけ。不思議に思うこともなにもない。ただなりたいだけ。
それから私は将来のなりたいものが『受付のお姉さん』になった。けして派手じゃない、けれどいなくてはならない存在。
お父さんとお母さんにその事を話せば、なぜか必死に止められた。
理由は、魔法から勉学すべてにおいて優秀じゃなきゃいけないからだと言う。魔法での戦いが出来て、王国の魔法学校で上位に入れるくらい頭も良くて、全てを兼ね備えた人だけがあそこの働き手になれるのだと。
でも私はそれを聞いて、より一層憧れてしまった。
だってあんな淑やかなお姉さんが魔法で戦えるすべも持っていて、尚且つ頭が良いなんて、かなり格好いい。
だから私は二人を納得させるために、たとえ村の学舎と言えど一番になれるように頑張った。目標があるというだけで、勉強への身の入り方が随分違っていた気がする。
おかげで学舎ではいつも成績は一番になれていたし、魔法については子供が学ばなければならない一般教養は身に付けられた。
「あんたはまだ使い魔もってないから、この馬車に乗りなさい」
「うん」
「風邪ひくんじゃないわよ?」
「わかってるって」
学校に行くために、無人の空飛ぶ馬車に乗る。
空に浮かぶ島に行くにはそれしか方法がない。使い魔をもっている人は別なのだが、持ってる人はある方法を使ってひょいっと行けてしまう。お父さんは使い魔をもっているけれど、親が子供を島に送るのは許可されていないので出来ない。
それにこれはお母さんがこの日のために、と魔法で作ってくれたモノだ。
一見すれば馬が箱車に繋がれた、何の変哲もない茶っこくて汚ならしい馬車。だけど目的地を書いた紙を馬に食べさせれば、その四肢は宙を舞って乗った者をその場所へと送り届けてくれる、という立派な魔法の馬車だ。
帰りは馬に家へ帰るようにという紙を食べさせればいいので、けっこう便利。
「行ってきます!」
馬車に紙を食べさせて出発する。
下に視線をやれば、手を振るお母さんがだんだん小さくなっていくのが見えた。
ドーラン王国の上には王様の住む島、『王の島』が浮いている。
どこの王国もそうで、王様の城はその島にあり、国の上空に浮いているのが当たり前だった。
だけどその、浮いている理由は詳しく知らない。
大人達に聞いても皆曖昧で、皆意見が違う。
私が村の学舎で習った一説では、魔物が今より膨大な数で好き勝手に暴れ回っていた時代に、国の誇りである王族を少しでも遠ざけようとして、昔の偉大な魔法使い達が地ごと城を空中へ飛ばして守ったから、なのだと教えてもらっていた。
一説だから他にも諸説があるのだけれど、だいたいはこんなもんだった。
そしてその王の島には今や、魔法学校なるモノができている。歴史はそう浅くなく、お父さんも行っていた所。破魔士になるためにはこの学校を出ていなくてはならないし、それを目指していた彼が行くのは当然のことだった。
それに王国の騎士になりたい人や、魔法を本格的に学びたいっていう人が、ここにはやって来る。ハーレみたいな所で働くにも、ここの学校の卒業資格がいる。
普通の学舎でも魔法はある程度学べるけれど、その規模は全く別物だ。言ってしまえば、家庭料理を習うのではなく超一流高級料理を習いに行くようなもの。
中でも学びに行くのが多いのは貴族の子供達で、親が公爵、伯爵など階級のある人達だった。
そんな彼らは、半強制的に魔法学校へ行かされると聞いている。行きたい者も行きたくない者も。
貴族は自分達の領地を他からの侵略から守る義務を持っていて、言ってしまえば軍事的な仕事を担っている。経済領地運営ももちろん仕事だけれど、主にやらなければならないのはそういうことだ。魔物も少なくない昨今、領地の王である彼らは強くならなければいけないらしい。
貴族ってたいへんだ。
ただピラピラした服を着ているだけじゃないんだ。
「わー!」
馬車から王の島のお城が見えた。
白亜の宮殿は、絵で見ていた物よりもずっと美しかった。あそこに王様やお妃様が住んでいるんだなぁ、と思うとそれだけでワクワクする。
そしてその手前には城よりもまた幾分か小さい、けど自分の家より遥かに大きい建物があった。おそらくあれが魔法学校なのだとお見受けする。
母から渡された島の地図によれば、城を中心にしたこの島は、それを囲むように建造物が建っていて、円状に臣下達の一部が住む城下、その脇に魔法学校の校舎があると記されていた。
いよいよ受付のお姉さんに近づける第一歩を踏み出せる。
これからの学校生活に思いを馳せながら、私は胸の前で手を握った。




