第八十八話
それは『誤算』だった。
魔術師を作り出す為、エルフの脅威を人々に知らしめる必要があった。
幾つかの小さな村を襲撃し、エルフの仕業に見せかける。
多くを殺す必要はない。
辺境の村とは言え、守るべき国民に変わりはない。
多少『騒ぎ』を起こすだけでいい、と部下には命じていた。
『………』
見誤っていた。
私の命令を重く受け止めた部下は、その村を滅ぼした。
全ての人間を殺し、全ての家を壊した。
駆け付けた時には全てが遅かった。
生き残ったのは、たった一人の少年だけ。
『………』
その少年の眼を忘れてはならない。
犠牲は払った、もう後戻りは出来ない。
立ち止まることがあってはならない。
故郷を滅ぼされた少年の眼が、私を駆り立てる。
全てを救え、と。
『………』
制御を失った雷霆を浴び、右腕を完全に失ったアンドヴァリが立ち上がる。
ドロドロと溶ける肩から壊れた義手が零れ落ちる。
既に魔力は失った筈。
にも拘わらず、アンドヴァリの魔術は解除されない。
「ヴェルンド。玉座から送られる魔力が失われれば、解除されるんじゃなかったのか…?」
「その筈ですが…」
放たれる魔力は以前、変わらないまま。
杖代わりだった義手以外にも、玉座と接続する物を持っている。
「エルフの骨………まさか、体内に埋め込んで…?」
思えば、エルフではないアンドヴァリが年を取らないのは不自然だ。
その現象をアンドヴァリは『エルフ化』と呼んでいた。
人体実験の影響で変化したファフニールとは違う理由でアンドヴァリがエルフ化したのだとしたら。
『…骨を埋め込めばエルフの肉体を得られると思ったのだが、そう上手くはいかない物だ』
今までどんな人間も試さなかったことをあっさりと告げる。
どんな拒絶反応が出るか分からない。
埋め込んだ瞬間に絶命してもおかしくない。
それを理解しながらも、アンドヴァリは真っ先に自分で試した。
他者に犠牲を強いる前に、まず自分を犠牲にした。
少数の犠牲を許容し、多数の成果を得る。
それが、アンドヴァリの正義であるが故に。
『義手がなくなり玉座から情報を得ることは出来なくなったが、体内の骨と接続することで魔力は依然維持されている』
ドロドロに溶けていた肉塊が集まり、アンドヴァリの右腕を再構成する。
『さあ、救済を続けようか』
「これで止めだァ!」
騎士団本部にて、フェンリルは獣のような咆哮を上げる。
振り下ろされる腕は、触れるだけで人体を破壊する一撃。
「………」
魔術は封じられた。
風穴の空いた身体では躱せない。
ボロボロのレヴァンにはそれを見ていることしか出来なかった。
「…む」
レヴァンは死を覚悟した時、フェンリルの身体が急に停止した。
その腕をレヴァンに振り下ろす直前に、何かに気付いたように距離を取る。
瞬間、二人を隔てるように頭上から瓦礫が落ちてきた。
「チッ、暴れ過ぎたか」
崩れた天井を見上げながらフェンリルが舌打ちをした。
フェンリルとレヴァンの戦いで既に周囲は崩壊寸前だった。
故に、天井が崩れていても不思議ではない。
(…奇妙だ)
レヴァンは腹に空いた傷口を抑えながらフェンリルを見た。
フェンリルの魔術は万物の破壊。
人間だろうと、魔術だろうと、触れただけで破壊する魔術。
触れた物全てを脆くする能力。
なら、何故…
(何故、瓦礫を躱した…?)
フェンリルにとって強度も質量も関係ない筈だ。
例え瓦礫が降ってきても、身体に触れた途端に自壊しなければおかしい。
(…考えて見れば、全てを破壊すると言うなら地面に立っていることすら不自然だ)
本当に万物を破壊する魔術なら、その場に立ってなどいられない。
床も壁を全て破壊し、どこまでも沈んでいく筈だ。
「今度こそ、止めを刺してやるぞ! 英雄!」
フェンリルが獣のように地面を駆ける。
レヴァンは落ちてきた瓦礫を壁にしながら、周囲を見渡した。
(破壊できる対象は限られている! フェンリルが破壊して見せたのは、人間と魔術…!)
それは、どちらも魔力を宿した物体。
フェンリルの魔術は全てを破壊する能力ではない。
魔力を宿した物体を、非常に脆い物体に変えるだけの魔術。
(…あった!)
レヴァンは目的の物を見つけて走り出す。
「逃げるか! 英雄が敵前逃亡とは笑わせる!」
それを見たフェンリルは嘲笑しながら追いかける。
地面を走る速度は圧倒的にフェンリルが速い。
すぐにレヴァンに追いつき、その背に腕を振り下ろす。
「―――――これで終わりだ。フェンリル」
レヴァンは急に立ち止まり、振り向き様に手に持った物を突き出した。
それは反撃されることなど考えもしなかったフェンリルの胸を貫く。
「な、に………がふっ…」
フェンリルの心臓を貫き、その血で刃を濡らしたのは一本の剣。
何の変哲もない、鉄の剣だった。
「魔力すら込めていない、ただの剣だ。お前の魔術で破壊することは出来ない」
「き、さま…ど、うして…」
レヴァンは普段魔術に頼り切っている。
剣など、持ち歩いていない筈だった。
「…この剣は若い騎士達に最初に配られる剣だ。杖をまともに使えない者が、護身用に持ち歩く物だ」
レヴァンはそう言い、視線を足元へ向けた。
少しだけ悲し気な目で、この剣の本来の持ち主を見る。
フェンリルに虫のように潰され殺された、若き騎士を。
「あの、騎士が…!」
「そうだ。お前が無意味に殺した若者が、お前に止めを刺したのだ」
「ぐ、うおおおおおおお!」
心臓を潰され、致命傷を負いながらもフェンリルは絶叫する。
死ぬことなど分かり切っていた。
それでも、自分の人生に価値を見つけようと悪足掻きをする。
「何故…勝てないんだ…! 全て、捨てた。全て、諦めた…なのに、どうして…俺は…!」
フェンリルの魔術が解除される。
変色していた身体は元に戻り、残るのは死を待つ身体のみ。
「…英雄とは一人では成れない」
フェンリルの手の平に炎が出現する。
既に肉体は限界だが、一撃分くらいは力が残っている。
「お前はただ、誰かを受け入れれば良かった。誰か一人でも、お前を理解してくれる者がいれば、それだけで英雄になれた」
フェンリルの身体が炎に包まれる。
孤独な破壊者は、誰にも何の言葉も残さず、消えていった。
『我が内に収まれ! それで人類は再生する!』
アンドヴァリの身体から次々と雷霆が放たれる。
雷霆に触れた部分から建物も人間も溶けていく。
溶けた者達は死んだのではない。
魔力に変換され、アンドヴァリの体内に収まっているのだ。
それを使えば新たな生命を生み出すことも可能だろうが、それは決して人間ではない。
再生された人類は決して、元の形では生まれない。
それがアンドヴァリの救済である。
「もう! 魔力にはまだまだ余裕はあるけど、これじゃジリ貧よー!」
血の棘を雨のように降らせながらヒルドが叫ぶ。
棘の何本かは雷霆を超えてアンドヴァリに届いているが、効いているようには見えない。
「こっちの攻撃を食べて魔力に変えているんだから、あっちが魔力切れを起こす訳ないしー!」
「喚くな! 油断すると死ぬぞ!」
「アルヴィースの方こそ、前に出すぎ! もし、溶けちゃったら私の魔術でも治せないからねー!」
「分かっているよ!」
叫びながらアルは大地に手を置く。
大地に魔力を通し、アンドヴァリの周囲を岩石の壁で取り囲む。
完全な立方体が完成する前に、それは段々と溶け始めた。
「くそっ、時間稼ぎにもならないか!」
「出来るだけ硬く、出来るだけ丈夫に! 赤錆の鎖!」
立方体を破ったアンドヴァリに今度はヒルドが魔術を放つ。
大樹のような太さを持つ頑強な鎖が、アンドヴァリを拘束する。
「アルヴィースのグングニルを真似して造った超高密度の鎖! 簡単には壊せないよー!」
『………』
アンドヴァリの身体から放たれる雷霆に触れても、赤錆の鎖はビクともしない。
元々アルを超える魔力量を持つヒルドの作った鎖。
壊すには相応の魔力が必要だ。
『…もう良い。遊びは終わりだ』
アンドヴァリは拘束されたまま、腕を天へ翳した。
立ち込める暗雲がそれに応え、帯電する。
「自分諸共、消し飛ばすつもりか…!」
『この雷霆は私自身には作用しない。消えるのはお前達だけだ』
天に膨大な魔力が収束していく。
今まで放った雷鎚よりも溜めが長い。
『土に潜れば助かると思うな。この一撃で、大地ごとお前達を消し飛ばす』
「…ッ」
アルは絶望したように天を仰ぐ。
あの一撃は、助からない。
人間に放つには過剰すぎる一撃。
あらゆる生命を消し、建物を壊し、文明の痕跡すら地表から消し去る暴力。
『さらばだ、アルヴィース。私の罪悪感よ』
極光が落ちてくる。
全てを終わらせる光が、地表に降り注ぐ。
『――――――ッ』
パキン、と何かが割れる音が聞こえた。




