第八十七話
「ヒルド、少しで良い。時間稼げ!」
「了解だよー!」
ラプチャーにて、ヒルドは血の茨を展開する。
ヒルドの魔力量は三英雄最高だ。
魔力の続く限り、どこまでも茨の森は広がっていく。
『鬱陶しいわ!』
アンドヴァリの放つ雷霆に触れた茨が消し飛ぶが、それは全体の一部に過ぎない。
破壊されるよりも早い速度で増幅した血の茨がアンドヴァリの身体を縛り上げる。
「その姿になってから妙にイライラしているみたいねー。神様ってそんなに疲れるの?」
『ハッ。確かにそうだ。術式の影響で、常に人類への憎悪を感じる』
アンドヴァリの身体が紫電を纏い、茨を弾き飛ばす。
砕けた茨を踏みしめながら、アンドヴァリは右腕をヒルドへ向けた。
『油断すると、世界を壊しそうになる程の破壊衝動だ!』
「マズ…!」
アンドヴァリの手の中に光る雷光を見て、ヒルドはその場から飛び退く。
直後、ヒルドが先程までいた場所を雷霆が突き抜けた。
巻き上げられた瓦礫を躱しながら、ヒルドは安堵の息を吐く。
「ああ、こんな化物一人で相手出来ないってばー! アルヴィース、まだー!?」
「…もういいぞ。準備完了だ」
そう言うと、アルは前に出た。
その手にはグングニルを手にしているが、雰囲気が普段とは違う。
半透明の翡翠色をしていた槍は赤く変色し、反転するように刻まれた陣が翡翠色になっている。
丸みを帯びていた穂先も棘のように尖っており、全体的に禍々しい風貌をしている。
『何だ、それは…?』
「新生『グングニル』とでも呼ぼうか。強度に回す分の魔力を全て破壊力に特化させたグングニルだ」
大量の魔力を圧縮して創造する超質量の槍。
その強度を削り、代わりに殺傷力を増した兵器だ。
喋りながらアルは投擲の体勢に入る。
「軍神の槍。その身で味わえ!」
赤いグングニルがアルの手から離れる。
真っ赤な流星となったグングニルは、空気を裂きながらアンドヴァリへ向かった。
『軍神か。所詮は人の軍。人の神…』
アンドヴァリは迫るグングニルへ右腕を翳す。
『世界を救う神の力に及ぶ筈もない!』
槍を撃ち落とそうと、雷霆が放たれる。
この雷霆は触れた物全てを溶かし、魔力に還元する。
例え魔術であっても、触れた途端に跡形もなく溶解する。
その筈だった。
『何…』
ジジジ…と表面が削られる音を発てながらもグングニルは壊れなかった。
グングニルに込められた魔力が削り切れない。
雷霆と正面からぶつかり、拮抗している。
『…ハハッ! 少しはやるようだな!』
それを見て、アンドヴァリは腕を下ろした。
拮抗していた雷霆が消え、勢い良く向かってくるグングニルへ酷薄な笑みを浮かべる。
その開いた口の中で、紫電が走った。
『だが、無価値だ! 雷鎚!』
ぽっかりと空いた口から『極光』が放たれた。
先程まで雷霆と拮抗していたグングニルが溶解する。
炎に触れた蝋のように。
或いは神の怒りに触れた人間のように、崩れていく。
「ッ!」
それは後ろで見ていたアルも例外ではない。
岩の壁など、時間稼ぎにもならなかった。
避け損なったアルの身体が光に包まれる。
「アルヴィースッ!」
『お前の力は確かに素晴らしかったよ、アルヴィース。英雄と呼ぶに相応しい』
ドロドロと溶けていくアルの身体を見下ろしながら、アンドヴァリは告げる。
『だがな、英雄に人は救えないんだ。足りないんだよ。全てを救うには、神になるしかないんだ』
かつて命を救った者の死に思うところあるのか、その声は穏やかだった。
まるで十二年前に戻ったかのように、懐かしい声だった。
『お前の犠牲は無駄にしない。私は…』
「勝手に、終わらせるんじゃねえよ!」
バチッと溶けた粘土の中で何かが光った。
油断したアンドヴァリの頭を貫くように、赤い流星が空を駆ける。
『くっ…!』
雷霆を出す余裕もなく、アンドヴァリは強引に身を屈めた。
紙一重で槍を躱したアンドヴァリの前で、ドロドロに溶けた粘土の塊が起き上がる。
「…咄嗟に地中に潜って正解だった。直撃していたら、どうやっても生き残れなかったぜ」
『フン。泥に塗れて惨めに生き延びたか………何故そこまで私の救済を拒絶する、アルヴィース』
アンドヴァリは苛立ちを隠さずにそう告げた。
『全ての人間が病めることなく、死することのない世界。それこそが楽園だ。それこそが、誰もが願う幸福の形と言う物だろうが! それを何故否定する!』
「………」
その質問に、アルは呆れたように息を吐く。
「本当にそう思っているのか?」
『当然だ! あの忌々しい疫病を根絶する! 病めることのない新たな人類を生み出す! その為に私はここまで来たのだ!』
術式の影響か、アンドヴァリは自身の感情を偽ることなく本音を語る。
十二年以上前から胸の内に抱え続けた、激情を。
『多くの者を犠牲にしてきた! 多くの物を見捨ててきた! ならば、残る全人類を救わなければ『採算』が合わない!』
エルフ大戦を終えて、疫病の特効薬を手に入れた。
それにより、帝国の多くの人間を救った。
だが、まだ足りない。
あのエルフ大戦では大勢の者が犠牲となった。
戦いの中で多くの騎士が殺された。
エルフに宣戦布告する為に村々が滅んだ。
魔術師を作り出す為に無数の子供が死んだ。
これでは採算が合わない。
これでは犠牲になった者達が報われない。
『私は! 私の殺した全ての命を背負っている! だから私は全ての人類を救わなければならない! それが私の使命だ!』
犠牲となった命を軽く見ていた訳ではなかった。
むしろ、命の重さを知るが故に止まれなかった。
「…救われないな、アンドヴァリ」
どこか同情したような目で、アルは言った。
『何だと…?』
「救われないって言ったんだ。どれだけ人を救っても、お前自身が救われない。それじゃ、誰一人本当に救うことは出来ない!」
自分を救えない人間に誰も救うことは出来ない。
アルファルの言葉がアルの心に浮かぶ。
アンドヴァリを突き動かすのは、罪悪感。
自身を幸福よりも他者の幸福を優先する贖罪。
だからこそ、幸福が何なのか分からない。
客観的にしか人の幸福が理解できず、救済の方法を間違える。
病めることなく、死ぬこともない、生きているだけの存在。
人間でもエルフでもない、生物ですらない動く屍。
そんな物が人類の幸福だと思い込む程、心が壊れている。
『英雄とて所詮は個人。玉座によって群となった私の救済は理解できないか…!』
アンドヴァリは全てを終わらせようと両腕を天へ翳した。
立ち込める暗雲が雷を内包する。
ラプチャーを滅ぼした神の一撃が、再び装填される。
『私は群だ。その私が選ぶ。生かすべき命を! 死すべき命を!』
「…ッ!」
『墜ちろ、雷鎚!』
暗雲から雷霆が放たれる。
振り下ろされた鎚のようにも見える破壊の光。
地上の人間を全て滅ぼし、大地すら消し飛ばす神の雷。
「ッ…来い! グングニル!」
『なっ…』
瞬間、振り上げていたアンドヴァリの右腕が赤い流星に貫かれた。
それは、先程アルが放った赤きグングニル。
アンドヴァリが一度躱したグングニルが、空中で独りでに方向を変えて再びアンドヴァリを狙ったのだ。
「俺の槍は必中の槍だ。例え躱されても、魔力の続く限り敵を狙い続ける…!」
『私の、右腕を…!』
「右腕の義手で玉座を操っているんだったよな…!」
騎士達から掻き集めた魔力がなければ、この魔術は維持できない。
玉座自体を破壊すれば魔術を解除できるが、それは義手も同様だ。
玉座から魔力を受け取る義手が破壊されれば、魔力は失われる。
バチバチと音を発てて、暗雲が弾ける。
制御を失った神の力が、拡散しながら地上へ落ちてくる。
『――――――――――』
雷光が全てを包み込んだ。




