第八十六話
「おらおらァ! どうしたァ、英雄よ!」
騎士団本部にて、フェンリルは獰猛な笑みを浮かべて拳を振るう。
レヴァンの放つ炎を生身で振り払いながら、レヴァンを追いかける。
迫るフェンリルに対し、レヴァンは防戦一方だった。
「俺様の力に恐怖しているのか!」
「………」
牽制で炎を放ちながら、レヴァンは冷静にフェンリルを分析していた。
フェンリルは『レージング』『ドローミ』と口にした。
それは以前、レヴァンと敵対した時に使用した術式と同じ。
その時は、レヴァンと大差ない程の魔力を放っていたフェンリルだったが…
(魔力が以前より減少している…?)
明らかに、フェンリルは弱体化していた。
手加減をしているようには見えない。
なら、一体…
「くっ…ちょこまかと! 英雄の名が泣くぞ!」
回避に専念して反撃しないレヴァンに焦れたように、フェンリルは吐き捨てる。
触れた物全てを破壊するフェンリルに魔術は通用しないが、目晦まし程度にはなる。
武器を持たないフェンリルにリーチは短く、一定距離を保つレヴァンを捉えることが出来なかった。
「ぐゥゥ…! くそがァ!」
どこか焦ったようにも見える表情で、フェンリルは叫んだ。
そもそも、魔力が増幅すると言う現象自体が不可解だ。
魔力とは人間に備わっている魔術の素質のような物。
それを後から増やすことは出来ない。
レヴァン達のような例外を除けば…
「…そうか。お前も俺達と同じなのか」
「あぁ?」
「お前も、俺達と同じ実験を受けた被験者なのか?」
後天的に魔力を増やす方法は一つだけ。
肉体に直接陣を刻む魔術実験に耐えること。
致死率の高い地獄に耐えることさえ出来れば、膨大な魔力を得られる。
「…くはは。同じ、だと?」
ピタリ、とフェンリルの動きが止まった。
あらゆる激情を抑えるように、口元に壮絶な笑みを浮かべる。
「同じじゃねえよ! 俺様は魔術を得られなかった! 英雄の成り損ないだ!」
深い憎悪を秘めた眼がレヴァンを睨みつけた。
「英雄レヴァン! その名はよく知っている! あの実験場でモルモットになりながら聞かされ続けたからな! 成功例だと!」
魔術実験を生き延びたフェンリルは、更なる地獄を味わった。
魔術を持たず、戦場に送られなかったフェンリルは、ただその強靭な生命力だけを期待された。
中々死ねない身体を思うままに嬲られ続けた。
地獄の日々を過ごすフェンリルが耳にするのは、三英雄の活躍。
自分とは違い、成功例となった者達の話。
「俺様以外に六人の生き残りがいたが全て死んだ! そして、俺様はそいつらの肉を喰らい、その魔力を自らに取り込んだ!」
「馬鹿な…他人の魔力を奪うだと? そんなことが出来る筈が…!」
「無論だ。どれだけ同じ実験を受けて体質が似ていようと他人の魔力。使えば使う程に命を削り、やがて肉体は崩壊する」
言わば、ドーピングのような物。
使えば一時的に魔力を増幅できるが、代償は大きい。
壱陣までなら耐えられるが、弐陣では著しく寿命を消耗する。
「それでも構わん! この俺様の力が、英雄に勝っていると証明できるのなら! それで朽ち果てても何ら悔いはない!」
それは狂気だった。
無価値だと言われた自分の命を。
無意味だと言われた自分の人生を。
覆す為なら、何を失っても構わないと言う狂気だった。
「ッ…侵略術式『ムスペルヘイム』」
フェンリルの狂気を危険視したレヴァンは全力で魔術を行使する。
廊下の壁を溶かすように出現したのは、焔の巨人。
「巨人!」
目と口から黒煙を吹きながら、虚空に真っ赤な陣が展開されていく。
フェンリルはその場から動かない。
ただ獰猛な笑みを浮かべて、巨人を見ているだけだ。
「放て!」
陣から放たれるのは巨大な炎の槍。
視界全てを埋め尽くす炎を見ながらも、フェンリルは嗤い続ける。
「くはははは! この程度か! こんな炎で俺様を焼くことは出来んぞ!」
フェンリルの身体に触れた部分から炎が消えていく。
全てを破壊する魔術の前には、例え炎だろうと無効化されてしまう。
「今度はこちらの………む」
反撃しようとしていたフェンリルの身体を巨人の腕が掴んだ。
マグマのように焼け爛れた腕に握られ、フェンリルの身体が熱気に包まれる。
「炎の槍は囮。本命はこちらだ」
鋼鉄すら溶解しそうな地獄を味わい、フェンリルの顔が僅かに歪む。
「多少は熱いな。だが、それだけだ。この程度では…」
「『掴んだぞ』」
余裕そうな表情のフェンリルを前に、レヴァンは宣言した。
「全ての魔術を破壊すると言うなら、お前に触れた途端に巨人は崩壊してもおかしくない。だが、魔力が拮抗しているのか、今は掴んだままだ」
「…それがどうした」
「分からないか。このままお前を拘束し続ければどうなる?」
決して逃がさぬように、もう一方の腕でもフェンリルを掴む。
フェンリルの魔術は巨人の放つ熱を全て無効化しているが、その巨体までは消滅出来ない。
自身を拘束する巨人の腕を壊すことが出来ない。
「持久力に乏しいお前の魔術はいずれ解除され、その瞬間、巨人の炎に焼き尽くされる」
「き、貴様ァ!」
フェンリルが叫び、力を込める程に巨人の腕に亀裂が走る。
その度にレヴァンは巨人に魔力を注ぎ、傷を修復させた。
「くそがァ! 緩やかな死など認めん! 認めねえぞ!」
怒り狂うフェンリルの身体に薄っすらと陣が浮かび上がる。
「――――――参陣」
陣が真っ赤な光を放ち、フェンリルの身体を包む。
巨人の腕の中で、段々とフェンリルの輪郭が変貌していく。
「『グレイプニル』…解放!」
瞬間、巨人の腕が内側から破壊された。
フェンリルから放たれる深紅の光に触れた部分から、ボロボロと巨人の身体が崩れていく。
「炎、が…」
巨人だけではない。
レヴァンの放っていた炎が全て『破壊』された。
無形の筈の炎をまるでガラスでも砕くように、粉々に粉砕した。
「ウオオオオオォォォォ!」
「な…」
光の中から赤黒い獣が飛び出す。
風のような速度で走る獣は、咄嗟に反応できなかったレヴァンへ容赦なく拳を振るった。
肉も骨も容易く砕き、拳がレヴァンの身体を貫いた。
「が、ごふッ…!」
「脆い。脆い脆い脆い脆いィ! コレが英雄か! この程度が英雄か! くは、ははははは!」
全身から赤い光を放つフェンリルはレヴァンから拳を引き抜き、その身体を放り投げた。
「さあ、立て! まだ死んでねえだろ! 参陣まで解放してやったんだ! たったこの程度で終わるなんて認めねえぞ!」
参陣『グレイプニル』は最後のリミッターだ。
限界を超えると言えば聞こえは良いが、要は自殺行為だ。
フェンリルの肉体が耐えられる最後のリミッターを解除した。
もう、フェンリルの命は一刻と持たないだろう。
「ごほごほッ…くっ…侵略術式『ムスペルヘイム』」
血の混ざった咳をしながらレヴァンは再び魔術を行使する。
レヴァンの手元に炎の剣が生み出されるが、それは先程よりずっと小さかった。
「くはははは! それが限界か?」
「…この光が、原因か」
レヴァンはフェンリルの身体から放たれる赤い光を睨んだ。
今までは全身を覆うだけだったフェンリルの魔術が周囲に展開されている。
この光に触れている限り、レヴァンの魔術は絶えず破壊されてしまうのだ。
「コレが貴様ら英雄を殺す為に作り上げた術式だ。この光の中では俺様以外の物、全てが脆くなる」
「………」
「戦いに於いて重要なのは才能ではない。どれだけ犠牲を払えるかだ!」
フェンリルの筋肉が軋み、ブチブチと嫌な音を発てる。
気を失いそうな激痛を味わいながらも、狂った笑みを浮かべ続ける。
「死ねェ! 過去の英雄!」
フェンリルは獣のような四本足でレヴァンへと飛び掛かった。




