第八話
「食料は何日分買っておいた方が良いかな」
ガラールの一件の翌日、アルは町を歩いていた。
長旅に備えて日持ちする食料を求め、きょろきょろと店を見回す。
「アルファル。君は何か食べたい物ある?」
「…贅沢は言いませんが、肉は嫌いです」
肉屋に並んだ新鮮な肉を見て、アルファルは顔を顰めた。
「あまり私のことはお気になさらず。いざとなればコレがあります」
そう言うとアルファルはワンピースのポケットから小さな袋を取り出した。
袋の中に大量に詰まった何かの種を見て、アルは首を傾げる。
「君には種を食べる文化でもあるの?」
「…何でそうなるんですか。種は食べる物ではなく、地に蒔く物です」
淡々と言いながら種の入った袋をポケットに戻しながらアルファルは言う。
「私が得意な属性は、水属性と土属性だと言ったでしょう」
「…まさか、蒔いてすぐに成長させることが出来るのか?」
「ええ。森で生活するエルフにとってこれくらいは初歩です」
少しだけ種族を誇るようにアルファルは胸を逸らした。
「あなたには出来ないのですか?」
「俺? 俺が出来るのは土属性の中でも、粘土を生み出すことだけだよ」
アルは腰に下げたエメラルドの杖を撫でた。
「魔術師は予め杖に陣を刻んでいるから、一種類しか魔術が使えないんだ」
アルファルのようにその場に陣を描くのではなく予め刻んでおく為、複数の魔術を必要に応じて使い分けることが出来ない。
陣を刻む手間が無い分、状況に柔軟に対応することは難しい。
「杖を複数持ったら良いじゃないですか」
「それは無理だ。杖ってのは同時に二つ以上使うと陣同士が反発しちまう。複数持ち歩いた所で一度に使えるのは一本までだ」
それに魔術師には魔力と言う制限もある。
大量の杖を持ち歩いて状況によって使い分けた所で、無駄に魔力を消耗してしまっては元子もない。
「人間の魔術は複雑なんですね」
「そうさ。だから、それぞれの術式の弱点を補う為に騎士団が…」
言いかけて、アルは足を止めた。
風に乗って懐かしさを感じる臭いがした。
「…路地裏。あの奴隷商の店の近くか」
それは、血の臭いだった。
滅多に人が通りがからない暗い道。
ゴミの腐敗した臭いが漂う路地裏。
アルファルと出会った奴隷商の店の前に、それは転がっていた。
「…惨いな」
死体を見慣れたアルでも、そう零す程にその死体は酷かった。
体つきから若い男であることは辛うじて分かるが、それには頭部が無かった。
手も足も無残に切り刻まれ、真っ赤に染まっている。
ただ殺すだけならこんなにも傷を刻む必要はない。
男が死んだ後も殺人犯は死体を切り刻み続けたのだ。
どう見ても、狂人の仕業だ。
「この文字…」
凄惨な死体を共に眺めていたアルファルの口から声が零れた。
思わずアルはアルファルの視線を追いかける。
頭部を失った死体の腹を抉るように、赤い文字が刻まれていた。
見たこともない文字だが、どこか陣に使われる言語に似ている。
「…コレはエルフ語です。それもかなり古い物」
冷たい表情を浮かべてアルファルは言った。
「『エルヴンダート』…意味は、エルフの一撃」
その文字は、人間に対するエルフの復讐を意味していた。
「………」
アルは女将が言っていた言葉を思い出していた。
付近の村を騒がせている連続殺人犯『ダストデビル』
正体はエルフであると噂されていたが、それは真実かもしれない。
犠牲者に刻まれたエルフ語は、多少エルフ語を読めるアルにも読めない高度な物だった。
それを刻んだ者がエルフだとしても、不思議ではない。
「………」
残る問題は、このエルフが人間を憎んでいると言うことだ。
遺体は無残な有り様だった。
相当人間を憎んでなければ、あんな風に殺すことは出来ないだろう。
(…憎んで、当然だよなぁ)
十二年前の戦いでエルフは全てを失った。
魔術と言う力を手に入れ、エルフと対等になった帝国騎士団はアールヴの森を破壊し、そこに住むエルフを虐殺した。
泣き叫ぶ少女がいた。
命乞いをする少年がいた。
神に祈る老人がいた。
その全てを、騎士団は余すことなく殺し尽した。
「…ッ」
ズキ、と鋭い痛みを感じてアルは眼帯を抑えた。
もう存在しない筈の左目が痛む。
まるで、忘れようとしていた過去を思い出させるように。
「…どうか、しました?」
「いや…何でもないよ」
少し後ろを歩いていたアルファルに声をかけられ、アルは曖昧に笑顔を浮かべた。
もし、殺人犯が現れたとして。
エルフの復讐を果たすべく、アルに襲い掛かってきた時、
アルファルはどちらの味方をするだろうか。
(…考えるまでもない、か)
それは当然、エルフの味方をするだろう。
彼らの復讐には正当性がある。
アルファルには人を憎む理由がある。
当然のことだろう。
「アル!」
突然、アルファルは大声を出した。
驚いて俯いていた顔を上げると、すぐ目の前まで馬車が迫っていた。
「うおっ…!」
慌てて馬を避ける為、アルは飛び退く。
馬車は速度を落とすことなくアルの真横を走っていった。
「え…?」
声が漏れた。
馬車がアルファルの横を通る瞬間に客室の扉が開き、そこから伸びた手がアルファルを掴んだのだ。
そのまま引き摺り込まれるようにアルファルの身体は客室の中に消えていった。
「な…」
走り去っていく馬車を眺めながら絶句するアル。
白昼堂々とアルファルが誘拐されたことに驚きながらも、冷静な頭で馬車の形を思い出していた。
この田舎町で馬車を利用する者は多くない上に、あれだけの速い馬を買える人間は限られている。
「あのガキ…!」
心当たりのある人物を思い出し、アルは舌打ちをした。
どうやら、昨夜の一件はまるで堪えていなかったようだ。
腰に差したエメラルドの杖を握り締め、振り上げる。
「今はそれどころじゃねえってのに!」
怒りと共に杖で地面を殴りつける。
砕けた地面の一部が粘土に変わり、膨らんでいく。
やがてそれは一頭の馬を形成した。
「追え」
その背に飛び乗ってアルは短い命令を告げる。
それに応えるように黄土色の馬は地面を滑るように走り出した。