第七十七話
「中々起きないねー」
ヒルドは簡素なベッドに眠るレヴァンを見下ろしながら退屈そうに呟く。
意識の戻らないレヴァンをそのままにはしていられない、とグニタヘイズのコネを使って用意させた隠れ家に連れてきたのだ。
ラプチャーには騎士に恨みを抱く人間が多い。
そうでなくても、レヴァンがラプチャーを襲撃したことは多くの人間が知っている。
人の目につく所に置いていれば、無事では済まないだろう。
「私もアルヴィース達と一緒に行きたかったのにー。留守番なんてつまらなーい」
正直な所、ヒルドとしてはレヴァンのことなどどうでもいい。
頼まれれば治療ぐらいはしたかもしれないが、レヴァンが傷付こうが死のうが興味はない。
騎士団を追放されたことを今でも憎んでいる訳ではないが、元々そんなに好きでもない。
ヒルドは好悪がはっきりとした性格をしているのだ。
「…まあ、本当に死んじゃったらエイトリちゃんが可哀想だけど」
想い人が死んでしまう悲しみは、誰よりもよく知っている。
アルに頼まれたからと言う理由もあったが、そのこともあってヒルドはレヴァンを助けると決めた。
「でも、アルファルちゃんのお陰でもうすっかり身体は元気なのよねー」
このまま放って置いてもレヴァンが勝手に目を覚ますだろう。
起きたら多少混乱しているかもしれないが、その程度だ。
ヒルドとしてはこれ以上レヴァンなんかに付き合ってられず、アルの下へ行きたかった。
「レヴァン隊長がいるのは、ここですかァ?」
ヒルドが退屈そうに息を吐いた時、扉の向こうから声が聞こえた。
ゆっくりと開かれた扉から現れた顔に、ヒルドは首を傾げる。
特徴的な格好をした浅黒い肌の少年。
「ああ、ここにいたのは貴女の方でしたか。どうも、直接会うのは初めてですね」
「…誰?」
「自分はヴェルンド。グニタヘイズの一員です」
その名前に、ヒルドは聞き覚えがあった。
ファフニールの下に送り込まれたアンドヴァリのスパイ。
今では逆にアンドヴァリのスパイ活動をしている裏切り者だと聞かされていた。
同じ組織に所属しながらも直接会ったことはなかったが…
「あなたがヴェルンドねー。思っていたより、全然若いわねー」
「これでも十九歳なんですがね。年齢よりも若く見られることが多くて…」
自分の低い背と童顔を気にしているのか、ヴェルンドは疲れたような息を吐く。
「それで、騎士団のスパイさんが何の用?」
「それよりも、少し良いですか?」
パカパカと厚底のブーツを鳴らしながらヴェルンドは眠り続けるレヴァンに近寄る。
顔を覗き込んだり、服の触り心地を確かめたりしている。
「…何やっているの?」
まるで不審者を見るような眼でヒルドが呟く。
「いえ、可能性は低いと思いましたが、もしかしたらアンドヴァリが小型の杖なんかを仕込んでいるかもしれませんから…一応調べました」
人間不信気味のアンドヴァリのことだから、監視役の騎士以外にも用意していてもおかしくない。
だが、それをレヴァンの身体に仕込むのは無理があるとヴェルンドも薄々感じていた。
レヴァンの魔術の性質上、真っ先に焼き払われてしまうからだ。
「どうやら杞憂だったようです。監視役はあの騎士達のみ。つまり、今のアンドヴァリはこちらの現状を全く把握できていないと言う事…」
何やらブツブツと呟きだすヴェルンド。
それを見て、理解することを諦めたのかヒルドは座っていた椅子から立ち上がる。
「よく分かんないけど、まあいいや! 折角だから、そのままレヴァンの様子を見てて! 私はちょっと出かけてくるから!」
「それならば…って、え?」
思考に集中していたヴェルンドは弾んだヒルドの声に我に返る。
気が付いた時には、ヒルドが部屋の扉に手をかけていた。
「行ってきまーす!」
「ちょ、俺が見てないといけないんですかァ!? レヴァン隊長を!? 目を覚ましたら俺、絶対焼き殺されるんですけど!?」
以前からヴェルンドは騎士団を裏切っており、アンドヴァリと敵対しているも同然だ。
前々から衝突することの多かったレヴァンが自分を見逃す訳がない。
冷や汗を流しながら叫ぶヴェルンドの声はヒルドには届かず、すぐに気配まで消えてしまった。
「…どうしよう」
「レヴァンが起きたらどうするつもりですか?」
適当に買い込んだ食料を持ちながらアルファルは気になっていたことを尋ねる。
「説得する。出来ることなら味方に付けるつもりだ」
味方、とアルは口に出して答えた。
味方に加えると言うなら、敵は一体誰だろう。
目を背けてきた敵。
アルやレヴァン、アルファルを苦しめている張本人。
「騎士団と戦うつもりですか?」
「…逃げ回ろうとも考えていたけど、レヴァンがこちらにいれば流石にアンドヴァリも見逃してはくれないだろうさ」
苦い表情を浮かべながらアルは言う。
いい加減に覚悟を決めなければならない。
恩人であるアンドヴァリと戦う覚悟を。
「騎士団の全てを潰すつもりはない。だが、アンドヴァリだけは止めなければならない」
アンドヴァリは『種子』を狙っていた。
人類を滅ぼすことが出来る兵器を手に入れた時、アンドヴァリは何をするだろうか。
エルフの残党を全て滅ぼす? この世から犯罪者を全て粛清する?
否、もっとアルの想像以上の出来事を引き起こすような気がする。
アンドヴァリはラプチャーを粛清しようとしていた。
同じことがまた起こっても不思議ではない。
「俺の手で、アンドヴァリを止める」
「止める? 殺すの間違いでしょう?」
沈痛な面持ちで呟いたアルの言葉に、背後から現れたヒルドが続けた。
「前に言った筈よ。自分の行動が正しいと信じているなら、加減などするなって」
ヒルドは少し怒ったような声色で言った。
「アンドヴァリは言葉で止まるような人間じゃない。アイツの独善を止めるつもりなら、命を奪う覚悟もしておいた方がいいわー」
「…そうだな。分かっているよ」
「ん。分かっているならいいの」
すぐにいつも通りの笑みを浮かべてヒルドは言った。
「ヒルドさん。レヴァンは目を覚ましましたか?」
「ヒルドでいいよー。レヴァンはまだ眠ったままだね。今はヴェルンドが様子を見てるー」
ヴェルンド? と話を聞いていたアルは首を傾げる。
「ここに来るまで協力してくれた人です。騎士ですが、グニタヘイズのスパイだそうで…」
それを見て、アルファルが思い出したように言葉を続けた。
「そうそう、何か弱そうだけど味方っぽいよー」
「味方っぽい奴にレヴァンの面倒を任せるんじゃねえよ」
ヒルドの頭を叩きながらアルは呆れる。
能天気なヒルドの言う事はともかく、アルファルが味方と言うなら味方なのだろう。
騎士でありながら、グニタヘイズのスパイ。
些か複雑な立場だが、今は味方が少しでも欲しい状況だ。
そう考え、アルはレヴァンの下へ戻る足を急がせた。




