第七十二話
「んんー。まだ東か。このまま行くと帝国領を抜けちゃうねー」
風を切りながら進む黄土色の騎馬の上で、ヒルドは呑気な声を上げた。
アルの持つ指輪の指す方角に向かって突き進んでいるが、この先は帝国領の外だ。
ヒルドの記憶によれば、そろそろ関所が見えてきてもおかしくない。
「…だとすれば、アルファルがいるのは東の果て『ラプチャー』か」
「そうだねー。もうすぐ関所が見える筈だよー」
「関所の騎士に見つかるのは面倒だな…」
そう言うとアルは地面を滑るように進む騎馬に手を触れた。
「『魔力付与』」
柔らかい質感の騎馬の表面に新たな陣が刻まれ、緑色の光を放つ。
騎馬のデザインが変化し、足の数が倍の八本になった。
「どうするのー?」
「こうする。飛べ『スレイプニル』」
八本足の騎馬が大地を蹴りつける。
瞬間、騎馬の身体が宙に浮かび、空を駆けだした。
「え、ええー! 飛んでる!? 馬が飛んでるよー!?」
流石に予想外だったのか、本気で驚くヒルド。
何もない虚空を踏み締め、騎馬は変わらない速度で走り続ける。
段々と高度を増していく騎馬を恐れてもおかしくはないが、ヒルドは無邪気に空の旅を喜んでいた。
「…そう言えば」
関所を軽く飛び越えて進みながら、アルは思い出したように呟く。
「お前はラプチャーに行ったことがあるのか?」
「あるよー。グニタヘイズにいた時には何度か出入りしていたねー」
「どんな町なんだ?」
アルの疑問に、ヒルドは思い出すように小首を傾げて唸った。
「帝国法から逃れた無法者の町…だけど、グルーミィとかよりはずっと栄えているよー」
「グルーミィ…」
疫病と貧困が蔓延する寂れた町を思い出し、アルは言う。
無法者の町と聞くと廃れた町を思い浮かべるが、そうではないようだ。
「活気はあって、健康な人も沢山いる。物だっていっぱいある…けど」
「けど?」
「グルーミィよりも、ずっと危険な町だよ」
不敵な笑みを浮かべてヒルドはそう告げた。
元々ラプチャーとは帝国領の外に出来た空白地帯だ。
様々な事情が重なり、帝国領に含まれなかった空間。
帝国法が適用されないその場所では、あらゆる罪が赦される。
それを逆手に取り、この場所ではかつて様々な非人道的な実験が行われていた。
あの『魔術実験』が行われたのもこの地であり、幼い頃にアルも一度来たことがある。
「随分と、変わったな」
ラプチャーを前にして、アルは驚きを隠さずに呟く。
かつてここを訪れた時は、研究施設のみが存在する殺風景な場所だった筈だ。
それが今では、立派な町になっていた。
道を歩く大勢の人々、その足を止めようと声を張り上げる商人達、宿屋や酒場も充実しており、昼間から酒を飲んでいる者もいる。
騎士の眼がない無法地帯とは思えない程、その町には活気があった。
他の町との違いがあるとすれば、多少人相の悪い人物が多いことと、住人のほぼ全員が杖を所持していることだろうか。
「この町に守ってくれる騎士はいないからねー。自分の身を自分で守る為に杖を持ち歩いているんだよ」
「なるほど。杖も使えない奴はこの町では生きていけないってことか」
「そういう事ー。弱肉強食。正しくファフニールの思想を体現した町だと思わない?」
グニタヘイズの本拠地がラプチャーである以上、ファフニールもこの町の設立に関わっているのだろう。
元々はただの実験場だった場所を犯罪者の楽園に変えたのは、彼女の手腕だ。
「この町には闘技場もあるんだよー? 後で行ってみる?」
「闘技場?」
「志願者同士の試合だよ。観客はそれを見て勝敗を賭けるのー。そう言えばファフニールに勧誘されたのもあそこで荒稼ぎしていた頃だったなー」
どこか懐かしそうに呟くヒルド。
騎士団を追放された後、あちこちをふらふらとした結果に辿り着いたのがここだったのだろう。
自衛手段は十分に持っているとは言え、二十代の女が好んで来る場所ではない筈だが。
「おい、杖も持っていない余所者が闘技場に何の用だ?」
「ん?」
その時、周囲を歩いていたごろつきの数人がアルに声をかけた。
酒に酔っているのか、若干顔が赤らんで興奮しているように見える。
「どうせ闘技場で死ぬなら、ここで死んでも一緒だよなぁ?」
「死にたくなければ身包み全部置いて、さっさと町から出ていけ!」
杖を所持していない二人を見て、格下と判断したのだろう。
握り締めた杖を向けながら血気盛んに叫ぶ。
「コレもこの町の風物詩ってやつだよねー! 本当に仕方ないなー☆」
「やめろ、目を輝かせながら構えるな。お前が暴れると死人が出る」
ルンルン気分で魔術を使おうとしたヒルドを抑え、アルは静かに指を鳴らす。
その瞬間、ごろつきたちの立っていた地面が盛り上がり、地中からゴーレムが現れた。
「な、何だコレは!?」
「杖も使わずに魔術を…!」
このリアクションも久しぶりだ、と思いながらアルはゴーレムを操る。
驚いているごろつき達をゴーレムで抱き締め、拘束する。
多少硬い抱擁になってしまったので結構痛いかもしれないが、そこは自業自得と思って貰おう。
「ぶー。何で私に譲ってくれなかったのー」
「お前に任せると流血沙汰になるだろう。絶対」
戦闘狂のきらいがあるヒルドに呆れながら、アルは周囲を見渡す。
魔術を使った争いなどいつも通りのことなのか、周囲の人々は目も向けていなかった。
例えそれで死人が出ても、それを気に留める人間はいないのだろう。
活気はあるが、人に冷たい町だ。
「…カモフラージュに杖でも作るかね」
杖職人の本懐を思い出し、アルは一人呟く。
ふと懐に仕舞っていた深緑色の宝玉を握り締める。
「材料も沢山あることだし」
悪い笑みを浮かべてアルは言った。




