第七十一話
「すまない。見苦しい物を見せた」
落ち着いたレヴァンは苦い表情を浮かべたまま言った。
十以上も年下の少女に自分は何を言っているのか、と自己嫌悪に陥る。
精神的に追い詰められていたとは言え、部下の前で弱音を吐くなど…
「いえ、レヴァン隊長の本音が聞けて嬉しかったです!」
満面の笑みを浮かべてエイトリは言う。
その眼に、先程まで浮かんでいた涙はない。
本当に嬉しそうに笑うエイトリをレヴァンは眩しそうに見ていた。
こんな風に心から笑えなくなったのは、いつからだろうか。
レヴァンにも、迷いなく自分の行動が正しいと思っていた時代があった。
だが、今の自分はどうだろうか。
本当に、胸を張って正しいことをしていると言えるだろうか。
「…レヴァン隊長。これからどうするのですか?」
「俺は、これまで通り騎士隊長でいるつもりだ」
レヴァンは正直に自分の思いを告げた。
「しかし、騎士団についてもっと知るべきだと考えている」
今まではアンドヴァリに全て任せ、愚直に従うばかりだった。
多少疑問に思うことがあってもアンドヴァリの考えは正しいと思い込み、考えることを放棄していた。
ファフニールの存在、ヴェルンドの言葉、不審に思う所は幾つもあった。
それを全て知った上で、レヴァンは自分の意思で騎士になりたい。
『騎士団について知りたいか。それは良い傾向だね、レヴァンちゃん』
その時、どこからともなく声が聞こえた。
レヴァンはその相手に思い至り、驚くことなく口を開く。
「騎士団長。やはり、聞いていましたか」
「え? 騎士団長? 何で、杖は使ってないのに…」
レヴァンの視線の先で、エイトリが混乱した様に杖を触っている。
アンドヴァリの玉座『フリズスキャルヴ』は全ての騎士の杖を媒介に声を届ける。
仮に本人が杖を使用していなくても強制的に発動させ、盗聴することすら可能なのだ。
『君にはこの機能は伝えてあったか。と言うことは、私にも聞こえる様に本音を語ってくれたのかな』
「そのつもりはありませんでしたが、聞こえても構わないとは思ってましたよ」
『…君は本当に正直だね。良いだろう、私も君の質問には正直に答えようじゃないか』
エイトリの持つ杖から弾むような声が聞こえる。
『っと、その前に…』
思い出したようにアンドヴァリが呟くと、杖を持っていたエイトリの身体が脱力した。
糸が切れる様にエイトリの意識が刈り取られ、床に倒れ伏す。
(…反乱防止の機能か)
直接手を下さずに意識を奪ったことに驚きながらも、レヴァンは動揺を顔に出さない。
これから先の話は、エイトリには出来ない話だと言うことだ。
「では最初に、あのヴェルンドと言う男にあなたは何をさせているんですか?」
『ヴェルンドかい? 彼には杖の製作と、グニタヘイズへのスパイをして貰っていたね』
「スパイ? 彼がですか?」
『連中は然程脅威ではなかったが、監視の意味も込めてヴェルンドを送り込んだんだよ』
ヴェルンドがスパイだったのなら、アールヴの森なんかに一人でいたことも納得がいく。
「…スパイから情報を得ていたのなら、もっと早くにファフニールを捕らえることも出来たのではないですか?」
恐らくだが、アンドヴァリはファフニールの動向を以前から把握していた。
ファフニールがアールヴの森にいるタイミングに合わせてレヴァンを派遣したことがその証拠だ。
少なくとも、五年も野放しにしたのは故意に違いない。
『ふむ。確かにそれも可能だった。その気になればグニタヘイズと言う組織が出来る前にファフニールを抑えることも容易かった』
「では、何故?」
『…撒き餌だよ』
アンドヴァリはあっさりと言った。
言葉の意味が、レヴァンには分からなかった。
『ファフニールは騎士団に不満を持つ者に片っ端から声をかけて行った。それはこの国に潜む不穏分子を炙り出すのに都合が良かった』
「不穏、分子…?」
『騎士団を敵視する者。騎士団に反乱を企む者。そんな者は帝国には不要だ。しかし、罪を犯す前に罰することは出来ないだろう?』
アンドヴァリの声色が変わったことにレヴァンは気付いた。
今まで親し気に聞こえた声が、冷酷な支配者の声に変わっている。
「…まさか、その為に? 邪魔な人間を殺す為に、罪を犯すように唆したと言うのですか!」
『唆したのは、ファフニールだろう?』
「ッ! それを放置したのはあなたでしょう! ファフニールが起こした事件で一体どれだけの人間が…どれだけの騎士が命を落としたと…!」
『些細な犠牲だ。魔術実験の時に理解しただろう? 百人を殺しても、千人を救えば正義なのだと』
「………」
違う。
大戦時代のアンドヴァリは、
子供の犠牲を無駄にしないと悲壮の決意を持っていたアンドヴァリは、そんなことは言わなかった。
確かに冷酷だったが、ここまで心無い人物ではなかった。
「救う命を選ぶと言うのか。あなたは、人の命を切り捨てる権利を持っていると言うのか!」
『それが正義と言う物だ。所詮、お前達は人の心を持った正義の味方に過ぎない。私は人の心を、一切の私情を無くした正義そのものだ』
その言葉からは、一切の感情が感じられなかった。
心を殺して仮面を被っていたレヴァンとは違う。
コレは本当の意味で、心が無い『秤』だ。
人の命を計るだけの、天秤だ。
「…あなたは、独裁者だ」
『それの何が悪い? この帝国に必要なのは絶対的な独善者。揺ぎ無き力を持つ独裁者だ。無能な善人など何の役にも立たないと、私は十二年も前に思い知らされたよ』
ゆっくりと倒れていたエイトリの身体が起き上がる。
その手に杖をしっかりと握りしめたまま、エイトリの顔がレヴァンの方を向いた。
開いた眼に感情はない。
『「私は独善者だ。故に、全ての者に私の正義を強要する。私が法となり、私が秩序となる。そうすることで帝国は救われる」』
エイトリの口が開き、アンドヴァリと同様の言葉を紡ぐ。
杖を媒介しにして身体を操っているのだ。
レヴァンさえも聞かされていなかった玉座の機能だ。
全ての騎士の自由すらも奪い去る絶対的な力。
「それで作られるのは自由なき独裁国家だ! そんな物は平和とは呼べない!」
『「平和だとも。常に正しい選択を与えてくれるなら選択権など要らない。そう考えている愚民が何人いる?」』
救うべき市民を『愚民』と嘲り、アンドヴァリは独善を語る。
『「平和があれば自由など不要。私が大衆を導いてやる」』
どこまでも傲慢に、アンドヴァリは告げた。
この帝国の全ては自分の手の平の上だと。
自身の手中で生き続けることが、真の意味での平和なのだと迷いなく告げる。
「…あなたにはもう、従えない」
『「君なら理解してくれると思ったから全て話したんだがな…致し方あるまい」』
そう言うと、無表情のままエイトリは魔術を発動した。
手元に作り出した氷柱を握り締め、そのまま自身の首に突き付ける。
『「何の為に私がこの娘を君の近くに置いたと思っている? 杖を使わない君の手綱を握る為だよ」』
「…正義を謡いながら、人質を取るのか」
『「コレも必要犠牲さ。たかが小娘一人の命と騎士団。天秤にかけるまでもない」』
アンドヴァリの言葉に迷いはなかった。
この場でレヴァンが反抗的な態度を取れば、即座にエイトリを殺害するだろう。
人質は騎士団の所属する全ての騎士だ。
仮にどんな人間だろうと、アンドヴァリは手を下すことを躊躇わない。
『「では、答えを聞かせて貰おうか。レヴァン隊長」』
悪魔のように酷薄にアンドヴァリは告げた。




