第六十四話
パキパキと軽い音を発てて氷の盾が次々と展開される。
不純物の無い透明な壁の向こう側で、エイトリは脱獄者を睨んでいた。
「水属性の術式?…ただの氷、って訳でも無さそうねー」
肌寒さを感じながら同じ属性の魔術師であるヒルドは呟く。
珍しい物を見るようなヒルドの視線は気にせず、エイトリは真っ直ぐアルへ目を向けていた。
「軍神アルヴィース。どうして罪を重ねるんですか?」
「…アルファルを助ける為だ。ここで大人しく捕まっている訳にはいかない」
「あのエルフのことですか? エルフなんかの為に、レヴァン隊長を裏切るんですか…!」
ショックを受けたような顔でエイトリは叫んだ。
エイトリは人類を救った三英雄を尊敬していた。
憧れていたレヴァンからアルは親友であると何度も聞かされていた。
だからこそ、そのレヴァンを裏切ったアルのことが許せなかった。
「レヴァン隊長は…! 自分が傷付くことも躊躇わず、貴方を助けようとしたのに…!」
火傷を負いながらもアルを助ける様に言ったレヴァンの顔は苦痛に歪んでいた。
アンドヴァリの命令があったからではない。
例え自身の命を捨ててでも、レヴァンはアルの命を優先しただろう。
「…俺は今でもアイツのことを親友だと思っているよ」
「だったら何で…!」
「エルフなんかに、か?」
アルは透明な壁越しにエイトリの顔を見た。
「なら聞くが、お前の眼で見たアルファルはどんな風に見えた? すぐにでも殺さないといけないような悪魔に見えたか?」
「エルフは幾つもの村を滅ぼし、人類を侵略しようとした悪魔です! 人間を超えた力を操る危険な生き物だと言われています!」
教えられた偽りを叫ぶエイトリの顔は、既に真実を知ってしまったアルには痛ましく見えた。
エルフは人間の村など滅ぼしていない。
侵略しようとしたのは、人類の方だ。
「話を間違えるな。お前の眼で見た、エルフのことを言っているんだ」
「ッ…!」
エイトリのような戦後に騎士団に入った者はエルフを見たことが無い。
彼女らにとってエルフとは騎士団から伝えられた悪としてのイメージそのものなのだろう。
だから、実際のアルファルと想像していたエルフが結びつかない。
「騎士団の正義が、世界の正義じゃない。正義とは個人的な物。何が正義で何が悪か、それは自分の眼で見て自分の意思で決めるんだ」
「自分の、意思で…?」
「騎士団に逆らえとは言わない。だが、何も考えずに従うのではなく、自分の中の正義と騎士団の正義が何なのか理解しろ」
そうしなければ、恐らくエイトリは大きな間違いを犯すだろう。
エルフが復讐相手であると語った騎士団を信じ、無関係なエルフを虐殺したアルのように。
「俺は与えられた正義なんて信じない。俺は俺の正しいと思った道を行く」
「壱陣『レージング』…解放!」
フェンリルの両腕が赤く変色し、荒々しい魔力を噴き出す。
獣の遠吠えのような魔力を感じ取りながら、レヴァンは冷めた表情を浮かべた。
(この魔力…思ったよりも大したことはない。この程度の魔力でどうやって騎士を…)
肌で感じる魔力の低さに訝し気な顔をするレヴァンの前で、フェンリルは両腕を地面につく。
「今回は出し惜しみは無しだ! 最初から俺様の本気を見せてやる! 弐陣『ドローミ』…解放!」
獣のように四本足となったフェンリルの全身が真っ赤に変色する。
苦し気な呻き声を上げながらも、フェンリルは獰猛な笑みを浮かべてレヴァンを見ていた。
(魔力が、増幅した…?)
放たれる魔力が急激に膨れ上がったことにレヴァンは驚愕する。
先程までの魔力は一般的な騎士とあまり変わらない程度だったと言うのに、今感じる魔力はレヴァンと大差ない程だ。
レヴァンのように抑えていた魔力を解放した、と言う訳でもない。
フェンリルの扱う魔力の総量自体が倍増している。
「お前、何者だ」
「くくく…宴の始まりだァ!」
床を蹴り砕き、フェンリルの身体が跳躍する。
全身が赤く染まったその姿は、血に飢えた獣そのものだった。
「焼き尽くせ…」
飛び掛かるフェンリルに対し、レヴァンは冷静に対処する。
空中で身動きの取れない隙を狙い、腕から生み出した炎を放つ。
「ぬっ…!」
フェンリルはそれを避けることも出来ず、自ら炎に飛び込んだ。
全身を覆う炎に包まれ、骨も残さず焼き尽くされる。
その筈だった。
「ははは! コレがエルフを滅ぼした炎か! 英雄よ!」
「なっ…」
身体を炎に包まれながらも、フェンリルは止まらない。
笑みすら浮かべて向かってくるフェンリルを警戒し、レヴァンは咄嗟に距離を取った。
先程までレヴァンの立っていた場所にフェンリルの拳が振り下ろされ、その衝撃で床が砕ける。
「くははは! いいぞ! これこそが俺様の待ち望んでいた戦いだ!」
腕で何かを薙ぎ払うような動作と共にフェンリルの纏っていた炎が消える。
炎の中から現れたフェンリルの身体には、火傷一つなかった。
(炎を、無効化した…?)
火属性最強を自負する自身の魔術が打ち破られたことに驚きながら、レヴァンはフェンリルを見る。
振り上げられたフェンリルの両拳には火属性の陣が刻まれた手錠が付けられていた。
(いや、違う。力で破った。火属性の魔術で、炎を『破壊』したのか…!)
フェンリルの魔術はあらゆる物体を脆くし、破壊する魔術。
それは例え、同じ火属性の魔術であっても変わらない。
「さあ、レヴァン! 共に全てを破壊し尽そうではないか!」
砕けた床を持ち上げながら、フェンリルは獰猛に笑う。
自重を超えた重量を持つ巨大な瓦礫を軽々と振り回し、レヴァンへと投擲した。
「侵略術式『ムスペルヘイム』」
迫る石の砲弾へ向かってレヴァンは手を翳した。
その瞬間、レヴァンから熱気が放たれ、周囲の風景が歪む。
足下より燃え上がる火柱に触れた石の砲弾が、燃えることなくドロドロに融解した。
「…破壊などさせない」
燃え盛る炎の渦から灼熱の鋼鉄のような物が這い出る。
ドロドロとタールのような汗をかくそれは、焔の巨人の腕だった。
「ここは騎士団本部だ。全ての騎士が帰る場所だ。お前のような狂犬が傷付けて良い場所ではない!」
「…くはは! そんなに守りたいなら、この俺様を殺して見せろ!」
振り上げられる巨人の拳を見ても、フェンリルの笑みが絶えることはなかった。




