第六十三話
「………」
騎士団本部の二階に用意されている騎士隊長室にて、レヴァンは無言で座っていた。
本部を離れている間に溜まっていた書類に眼を通しているが、全く頭に入ってこない。
頭に浮かぶのは、自らの手で監獄に送ったアルヴィースのことだ。
アンドヴァリは私情で甘い判断を下す人物ではない。
否、以前のアンドヴァリなら多少の情があったかもしれないが、現在のアンドヴァリは別だ。
「………」
大戦が終わってから十二年、アンドヴァリは段々と変わっていった。
騎士団の正義の為、大衆の平和の為、と言う目的自体は変わっていないが、その為の手段が変化した。
まるで天秤のように命を見て、不要と判断すればそれが誰であろうと処刑する。
『フリズスキャルヴ』を完成させてからは滅多に姿も見せなくなった。
それは恐らく、誰も信用していないからだろう。
騎士の杖と繋がり、杖を通じて全ての騎士が見ている風景や聞いている音を集める広範囲術式。
アレは帝国全土の情報を得る一方で、騎士自体を監視する役割もある。
部下である騎士ですら、アンドヴァリは信用していないのだ。
「…アンドヴァリ」
彼は英雄だ、とレヴァンは思っている。
この十二年、冷酷な判断を下すこともあったがアンドヴァリが間違ったことはなかった。
だが、それでも時々アンドヴァリの考えが分からなくなる。
人としての情が、アンドヴァリに従うことを拒むことがある。
「…何だ?」
その時、床が揺れるような破壊音が響いた。
それは一度や二度ではなく、段々と近付いてくる。
「まさか、な」
「退け退け退けぇー! 早く道を開けないとぶっ刺しちゃうぞ☆」
「「「ぎゃああああああああ!」」」
ヒルドの無駄に可愛らしい声の直後、窓のない地下通路に騎士達の悲鳴が木霊する。
赤い棘の矢が次々と放たれ、逃げ惑う騎士達の背中を貫く。
「さっきも言ったが、本当に手加減しているんだろうな!?」
「勿論! 治癒を込めた矢だから刺さっても出血すらしないよー? ただ物凄く痛いけどー!」
「…すまん。若人達よ」
背中に矢が刺さったまま気絶している騎士達に合掌しながらアルは地下通路を走る。
ヒルドの力技で鉄格子を破壊し、地下牢を抜け出した二人は地上を目指して走っていた。
脱獄を聞き付けた騎士が現れる度にヒルドが迎撃し、二人の進む道には大勢の騎士が倒れている。
ぴくぴくと痙攣しているので多分、生きているだろう。
ついでに騎士の手から落ちた杖を拾い上げる。
「…陣の彫が浅いな。柄も短すぎる。何よりデザインが気に食わない」
杖を睨みながらぶつぶつと不満を言うアル。
潰れた陣の代用品に使おうと思ったが、どうやら杖職人の琴線に触れてしまったようだ。
自前の陣が使えれば、こんな物を使う必要はないのだが…
「アルヴィース、まだ陣が治らないの?」
「お前と違って、俺に自己修復機能はついていないんだよ」
いつの間にか完全に傷が治っているヒルドを見て、アルはぼやく様に言った。
それを聞いて何を思ったのか、ヒルドは少し考えて自分の親指を嚙み切った。
結構深く切ったのか、親指から垂れる血を口に含み、アルに視線を向ける。
「ん…」
何をやっている、とアルが呟く前にヒルドは勢いよくアルに口付けた。
頭突きでもするように無理矢理唇を奪われたアルは目を白黒させる。
「ぷはっ! どうだったー? ヒルドのファーストキスの味は?」
「………血の味がしたよ」
色んな意味で脱力するアルの身体が青い光に包まれる。
口移しで飲まされたヒルドの血液が作用し、アルの身体に刻まれた火傷を癒しているのだ。
「…傷口に塗るだけで良かったんじゃないか?」
「体内に取り込んだ方がすぐに治るだってばー。まあ、ちょっとチューしてみたくなったと言うのも事実だけどねー! キハハ!」
「はぁ………そういう事は、誰彼構わずする物じゃないぞ?」
「アルヴィースにしかしないよー?」
「…俺にもするな」
子供がそのまま大人になったようなヒルドに頭を痛めながらアルは深いため息をついた。
それが不満だったのか、ヒルドは少しムッとした顔でアルに近付く。
「何か嫌そうだねー。こーんな可愛い子にキスされて嬉しくないのー?」
「そういう事は自分で言うな」
「むむぅー! 森で戦った時は私の身体に夢中で槍を刺してきたくせにー!」
「誤解を招く様な言い方をするな! 夢中じゃねえ!」
言い争いながら走っていると、二人の眼に上へと続く階段が見えてきた。
アレを上れば地上へ脱出できる、と二人は足を速める。
それに立ち塞がるように、一人の少女が立っていた。
「軍神、アルヴィース…」
少女は身の丈程の杖を掲げ、氷の盾を作り出す。
「騎士団長補佐エイトリ。その名に於いて、ここは通しませんよ!」
「脱獄か。大人しくしていて欲しかったのだがな…!」
報告を受けたレヴァンは苛立ちながら通路を走る。
ヒルドとアルが囚われている特殊監獄は騎士団本部の地下に存在する。
本部二階の騎士隊長室にいたレヴァンは、一階へ降りる為の階段を目指して走っていた。
「ッ…何だ?」
ようやく階段を見つけた所で、レヴァンは異常事態に気付いた。
血の臭いだ。
二階から一階へ続く階段に夥しい数の騎士の死体が転がり、その先に白髪の巨漢が立っていた。
「こ、コイツ一体……ゴふッ!」
「脆い! 脆すぎるぞ! コレが天下の帝国騎士団か!」
怯えた騎士の胸を男の右腕が貫き、その心臓を直接握り潰す。
事切れた騎士を嗤っていた男は向けられる視線に気づいたのか、ゆっくりとレヴァンへ視線を向けた。
「おお! 魔剣レヴァンか。丁度良い所に来たな!」
「…狂犬め。一体どこから入り込んだ」
部下を殺された怒りに震えながら、レヴァンはその手に炎を生み出す。
脱獄したアルを捕えなければならないが、目の前の外道を見過ごす訳にはいかない。
「我が名はフェンリル。英雄レヴァン。相手にとって不足無し!」




