第六十二話
「――――――――」
アルは、頭が真っ白になった。
ヒルドの口から語られた一つの真実。
アルが故郷を失い、エルフ大戦のきっかけにもなったグリーフ村の虐殺。
それが、アンドヴァリの仕業だと言うのだ。
「…ファフニールに聞いたのか」
動揺するアルを余所に、アンドヴァリはあっさりとそれを肯定した。
訳が分からなかった。
それでは全ての前提が覆されてしまう。
アルが騎士団に入ったのは故郷を滅ぼした仇を討つ為だ。
実験に耐えて魔術師となり、その力でエルフを虐殺したのは復讐の為だ。
それなのに。
グリーフ村を滅ぼしたのは、エルフではない…
「何、で…」
あの大戦はエルフが始めた筈だった。
エルフがグリーフ村を含む、幾つかの村を滅ぼしたことが発端だった筈だ。
だが、それがもし偽りだったなら。
エルフはただ、人類の侵略に抵抗しただけだったことになる。
あの戦いの正当性が、完全に失われる。
「何で…! 何で、俺の村をお前が滅ぼしたんだ! 何もない平凡な村だった筈だろう!」
嘘だと思いたかった。
あの日、あの時に自分が憧れたアンドヴァリが、全て偽りだったと思いたくなかった。
「だからこそ、だ。何もない村だからこそ、無くなっても帝国に然程影響を与えなかった」
かつて憧れた騎士は、冷酷に告げる。
「臆病な愚物共の危機感を煽ってやる必要があった。その為に、アールヴの森に近い幾つかの村を滅ぼしたのは必要な犠牲だった」
エルフの侵略に見せかけて軍の上層部を煽る為、魔術実験の許可を得る為、それは必要な犠牲だったとアンドヴァリは感情も込めずに呟く。
自身の行いを何ら恥じることなく、かと言って誇示することもなく、無感動にアルを見た。
「何故、そこまでしてエルフを虐殺する必要があったんだ…!」
「…魔術を手に入れる為だ。国を蝕む疫病の治療するにはエルフの知識を奪う必要があった」
激昂するアルに対し、アンドヴァリはどこまでも冷静だった。
その冷徹な視線は、いつの間にかアルの知らない物に変化していた。
「小さな村々と、異種族の命、たったそれだけの犠牲で帝国中の疫病で苦しむ者を救うことが出来る。それのどこか間違いだ?」
「………」
「全てを救うことが出来ないのなら、少数を犠牲を出してでも多数を救うのが正義だ。それはお前も分かっていることだろう?」
確かに、アンドヴァリは多くの人間を救った。
百年以上前から帝国を蝕んできた疫病の特効薬を開発し、騎士団と共に民衆の希望となった。
アンドヴァリが殺した命よりも、救った命の方が遥かに多いだろう。
それは、犠牲として切り捨てられたアルも理解していることだった。
「…アンドヴァリ。少数を犠牲にして多数を救うと言ったな?」
「その通りだ。手を汚すことを恐れ、傷付くことを恐れる者に、正義を語る資格はない。私は自身の手を汚すことを躊躇わない」
「その多数ってのは………『誰』の事だ?」
「…何?」
無表情を装っていたアンドヴァリの顔が僅かに曇る。
アルは熱くなっていた頭を落ち着け、冷静になった眼でアンドヴァリを睨んだ。
「お前は誰か救いたい人間がいるのか? その人が救われ、そのことを心から喜べるような相手が一人でもいるのか?」
アルの頭に浮かぶのは、グリーフ村で初めて会った時のアンドヴァリの顔。
助けられなかった命に涙し、この手で助けられた命に笑みを浮かべた顔。
例えそれが欺瞞に満ちた物であったとしても、アルはそこに正義を見た。
グルーミィの町でアルファルが子供を治療した時に浮かべた顔と同じ。
「救おうとした命に、この手で救えた命に目を向けて喜べる心こそが、正義だ!」
感情も込めずに少数を切り捨て、救えた命を書類の上でしか見ない者は決して正義ではない。
帝国全土を見渡し、常に犠牲を最小限に抑え続ける行動は、確かに完璧な騎士だ。
現状に満足することなく、助けた命にすら眼を向けることすらなく、突き進み続ける完全な騎士だ。
完全過ぎて、人として不完全だ。
そこには人としての情が、心が無い。
「人を殺しても、人を救っても顔色一つ変えない者は、騎士でも人間でもない! 人を救いたいと言う思いすら抱いていないと言うなら、例えどれだけ命を救おうとそれは正義じゃない!」
「………」
アルの糾弾にアンドヴァリは何も答えない。
ただ細い眼が完全に開き、冷たく暗い瞳がアルを見つめる。
「く…はは…!」
閉じていた口から抑えきれない笑みが零れた。
「はは、はははははははははは! そうか、私の正義を否定するのか! アルヴィースちゃん! よりにもよって君が!」
唐突に、アンドヴァリの纏う雰囲気ががらりと変化した。
外見は全く変わっていないが、口調と雰囲気が別人のように変わったのだ。
「良いだろう。好きにすると良い! だが私は止まらないよ! 今やこの帝国は全て私の支配下だ! 私を敵に回すということの意味をよく考え給え!」
一見感情的になったように見えるが、それは表面だけだ。
豹変してもアンドヴァリの本質は何も変わらない。
偽りの仮面を何枚も被り、本心を見せない。
「…覚悟の上だ」
「そうかね! ならば仕方ない。君の協力は諦め………アルファルと言うエルフに頼むとするよ!」
「ッ!」
アンドヴァリの言葉に咄嗟に掴み掛ろうとするが、鉄格子がそれを阻んだ。
そんなアルに背を向け、アンドヴァリは監獄を立ち去る。
その背が完全に見えなくなるまで、アルはそれを睨み続けていた。
「…どうするのー?」
「安い挑発だ。恐らく、アルファルを人質にして俺を従わせるつもりだろう」
声をかけてきたヒルドにアルは冷静に返す。
アンドヴァリの言葉に怒りながらも、頭では冷静に状況を分析していた。
当初は彼に協力し、アルファルの助命を願うつもりだったが、それはもう考えていない。
アンドヴァリは真実を隠し、アルを利用していた。
他にもまだ何か隠している可能性がある。
(ユグドラシルの種子、とか言ったか)
それを探していると言っていたが、何の為だ。
本当にエルフの脅威を封印する為か。
それとも、ファフニールのようにその力を利用しようと企んでいるのか。
「…どちらにせよ。真実を知る為には行動する必要があるな」
そう言うと、アルは先程まで看守がいた方へ目を向けた。
アンドヴァリが人払いをしたのか、そこには誰もいない。
「もうここを出るか」
「…え? 出れないんじゃなかったのー!?」
「陣が潰れて魔術は使えないと言ったが、脱獄する手段が無いとは言っていないぞ」
言いながらアルは手枷の付いた手を動かし、自身の顔に触れる。
鎖が擦れる音を聞きながら顔の左半分を覆う眼帯に手をかけた。
「こんなこともあろうかと、ってやつだ」
眼帯の下に隠されていたのは生々しい傷跡と、赤く光る眼。
「…義眼?」
それは木製の義眼だった。
アルは無機質な左眼で自身の手枷を見つめる。
「破戒術式『ミーミル』」
ふわり、と左目から赤い光が放たれた。
赤い視線に見つめられた手枷に亀裂が入り、段々と壊れていく。
「普段は陣を同時に二つ使うことは出来ないが、万が一『ミストカーフ』が使えなくなった時用に左目に『杖』を仕込んでいたんだよ」
手枷が完全に壊れて腕が自由になったことを確認しながら、アルは左右異なる眼でヒルドを見た。
「さて、今度はお前はどうする。脱出手段を得たとは言え、騎士団を相手にするには義眼一つだと心許ない………お前が協力してくれるなら、助かるんだが」
「…私に、助けて欲しいのー?」
「ああ、助けて欲しい」
素直に答えたアルの言葉に、ヒルドはにんまりとした表情を浮かべた。
頼られることを喜ぶ子供のような無垢な笑みだ。
「オッケー! それじゃ、私の手枷も壊しちゃってよー!」
「了解。言われて大人しくしている程、俺達は利口じゃないってことをアイツに教えてやろうぜ」
「おー!」
悪事を企んでいるような表情を浮かべ、二人は立ち上がった。




