第五十七話
「キハハハ! ほらほら、もっと早く逃げないと死んじゃうよー!」
逃げるエルフを追いかけながら、ヒルドは楽し気な笑みを浮かべた。
エルフの足を棘を打ち込み、それでも逃げようとするエルフに追いついて止めを刺す。
一撃では決して殺さず、虫の足を捥ぐ子供のように嬲り殺している。
「………」
シグルズが死んでから、ヒルドの様子が変わった。
あの霧の中から現れた時、ヒルドは笑っていた。
これまでも辛い境遇でありながら笑い続ける少女だったが、その笑みはこれまでとは明らかに違った。
自身が傷付くことすら躊躇わずに病的にエルフを殺し続ける姿に、アルヴィースは顔を歪める。
「あ! アルヴィース! そっちに行ったよー!」
「…ッ」
唐突に聞こえたヒルドの声に、アルヴィースはハッとなった。
エルフを殺し続けるヒルドから逃れようと、一人のエルフがアルヴィースの方へ走ってきていた。
それはまだ幼い、少女のエルフだった。
「ゴーレム…」
アルヴィースは無表情で足下からゴーレムを作り上げる。
突然現れたゴーレムに驚いたのか、エルフの少女は足を縺れさせて転んでいる。
その隙を逃さないように、ゴーレムは大きな腕を振り上げた。
『―――――ッ』
ゴーレムが腕を振り下ろす直前、アルヴィースはエルフと眼が合った。
涙に濡れ、それでも怒りを込めて何かを叫ぶ幼いエルフ。
故郷を侵略され、家族を殺されたそのエルフの眼は、かつてアルヴィースと同じ物だった。
ゴーレムの拳が振り下ろされる。
果実を潰すような音と共に、そのエルフは絶命した。
「………」
アレは、明らかに非戦闘員の少女だった。
自分が殺される瞬間になっても、魔術一つ使えない少女だった。
あんな子供まで殺す必要があったのだろうか。
(…余計なことを考えるな)
何を考えているんだ、とアルヴィースはその考えを捨てる。
エルフは自分の故郷を滅ぼした仇だ。
家族を、友人を、全て奪った悪魔だ。
同じように復讐する為に、ここへ来たのだ。
(…俺は何も間違っていない。間違っていない、筈だ)
エルフと人間の戦いは、既に終わりに近づいていた。
結界を破られた後のエルフは殆ど無抵抗であり、戦いは既に虐殺へ変わっていた。
騎士達は森に隠れたエルフ達を探し、見つけ次第一人ずつ殺害していた。
「…もう勝敗は決した。これ以上、戦いを続ける必要があるのか?」
見つけ出した生き残りを焼き払いながら、レヴァンは疑問を口にした。
もうエルフに戦う力はない。
それは誰もが分かり切っていたが、アンドヴァリは撤退を認めなかった。
エルフに降伏勧告をすることもなく、まるでその種を根絶させるように虐殺を命じた。
「もう、もう十分だろう? 魔術が使えるエルフは殆どが死んだ。残っているのは、戦うことも出来ない少数のエルフだけだ! それを殺す必要がどこにある!」
「…知らねえよ」
レヴァンの言葉に、アルヴィースは無表情で答えた。
最早、復讐を果たす喜びも、エルフに対する憎しみもなかった。
そんな物を味わうには、エルフを殺し過ぎた。
レヴァンに言われるまでもなく、既にこの戦いに正当性がないことは分かっていた。
抵抗さえしない弱ったエルフを殺した所で、得る物は何もない筈だった。
それでも、戦いが終わらない限りはアルヴィースは殺し続けた。
「…あ」
その時、二人の前に一人のエルフが現れた。
怪我しているのか片足を引き摺ったエルフの少女は、二人の顔を見て涙を浮かべる。
「た、助けて! お、お願いだから殺さないで!」
エルフの少女は人間の言葉で懇願する。
レヴァンはそれに震えながら、剣を向けていた。
「こ、こんな子供も殺さないといけないのか?」
「…エルフは、こんな子供でも十分に危険だ。それは分かっているだろう」
苦虫を嚙み潰したような表情でアルヴィースは吐き捨てた。
少しでも自分達を正当化しようとした嘘だった。
レヴァンは何かに堪える様に震えた剣を振り上げる。
「…すまない」
しばらく迷った後、レヴァンはその剣を下ろした。
少女を手にかけることなく、剣を腰の鞘に戻す。
「お、おい! レヴァン!」
慌てたように叫ぶアルヴィースにレヴァンが苦渋に満ちた顔を向ける。
「もう限界だ。俺にはこの子を殺すことは出来ない。見逃してやってくれ」
「…分かったよ。俺も見なかったことにする」
口ではそう言いながらも、どこかホッとしたようにアルヴィースは言った。
その判断は騎士としては失格だが、人としては間違っていないと思っていた。
「殺さないで、くれるの?」
「ああ、他の騎士に見つからないように森の外に逃げるんだ」
「ありがとう………キヒヒ!」
その瞬間、少女の笑顔が悪辣に歪んだ物に変化した。
一瞬で少女から細身の男へ姿を変えたエルフは、ナイフを握り締めてレヴァンに迫る。
「レヴァン!」
それを気付いたアルヴィースは駆けだす。
咄嗟のことに反応できないレヴァンを庇い、盾になるように前に出る。
ナイフが煌めき、鮮血が宙を舞う。
その血は、レヴァンの物ではなく庇った少年の物だった。
「キヒヒヒ! 作戦成功!」
「おい! 大丈夫か! しっかりしろ!」
満足げに笑うエルフを余所に、レヴァンは血を流す少年に駆け寄る。
左目を抉るように切られた少年は、ぴくりとも動かない。
「頼むから答えてくれ! アルヴィース!」
叫ぶレヴァンの前でエルフ、ロプトルはナイフを再び構える。
既に勝敗は決しているが、この二人だけは道連れにする。
そんな思いを抱き、動揺しているレヴァンを狙う。
「…そこのエルフ」
片目を失ったアルヴィースが残った眼で睨み付ける。
周囲の大地が蠢き、ロプトルは背筋が凍るような殺気を感じた。
「俺の前から、消え失せろ!」
「ッ!」
降り注ぐ剣や槍から逃れるように、ロプトルは走り出した。
小さくなっていくロプトルの背が見えなくなるまで、次々と魔術を放った。
「…はぁ」
その姿が完全に見えなくなるのを確認し、アルヴィースは息を吐く。
斬り付けられた左目が痛む。
痛みと共に冷たい喪失感を感じた。
この傷ではもう物を見ることは出来ないだろう、とどこか他人事のようにアルヴィースは考えていた。
「アルヴィース…!」
「…そんな顔をするんじゃねえよ。何で怪我した俺より痛そうな顔をしてるんだよ」
「だけど、お前の眼が!…すまない。俺のせいだ! 俺が油断したから…!」
「もういい。もういいから、ここは任せたぞ」
左目を抑えながらアルヴィースは立ち上がった。
この傷ではもう戦い続けることは出来ないだろう。
一度森を出て治療を受ける必要がある。
今は別行動を取っているヒルドを見つけて、応急措置だけでもしてもらった方が良いかもしれない。
「………」
ある意味、これで良かったのだ。
こうすれば、もう戦わなくていい。
これ以上、無抵抗のエルフを虐殺しなくて済む。
そんなことを考えながら、アルヴィースは他の騎士に連れられて戦線を離脱した。




