第五十六話
「エルフ達は我々に臆しているぞ! 進め進めェー!」
先行するアルヴィース達を追いかける様に、騎士達は隊列を組んで行進する。
三英雄が取り零したエルフに数名がかりで確実に仕留め、森を突き進む騎士達。
「………」
その中には、シグルズの姿もあった。
(ヒルド、それにアルヴィースにレヴァン…皆、無事だと良いけど…)
シグルズのいる場所から先頭を進む三人の姿は見えない。
度々騎士達から歓声が上がっている為、怪我はないと思うが、少し心配だった。
特にヒルドは後方支援の筈が、今は最前線で戦っている。
そのことを思うと、シグルズは不安を感じるのだった。
「…?」
物憂げな顔で前を向いたシグルズの視界が、ぼんやりと霞んで見えた。
思わず眼を擦るが、何も変わらない。
他の騎士達も同じ物を感じているのか、訝し気な表情を浮かべていた。
シグルズの視界を埋め尽くす、薄っすらとした白い靄のような。
「霧、か?」
濡れた手の平を見て、シグルズは呟いた。
「軍神アルヴィース! お見事です!」
「…その軍神っての、やめてくれねえかな。何か、気恥ずかしいし」
段々と回復してきた魔力を確認しながらアルヴィースは頬を掻いた。
英雄と呼ばれるのはまだ良いとして、流石に神と呼ばれるのは気恥ずかしかった。
「ねえ、ヒルドはー? ヒルドのことは皆、何て呼んでいるのー?」
「あ? ああ…『戦乙女』ヒルドだとよ」
「むー。可愛くない! どうせなら好戦乙女とかの方が良い!」
「戦場に可愛さを求めてどうする」
「レヴァン、うるさい!」
「まだ一言しか話していないぞ!?」
相変わらず仲の悪い二人にアルヴィースはため息をつく。
仲間が殺され、敵を殺す戦場にあってもヒルドは普段通りだった。
ヒルドは無邪気故にエルフを殺すことに躊躇いが無い。
そのことをレヴァンは危ぶんでいるようだったが、その明るさがアルヴィースは有り難かった。
「………」
アルヴィースはエルフに同情するようなことはなかったが、物足りなさを感じていた。
最初の戦いが終わってから、エルフは逃げるばかりだ。
故郷を滅ぼされてからずっと憎んでいた相手は、この程度なのか。
全身に陣を刻む苦痛に耐えていた頃からずっと望んでいた復讐は、こんなにも呆気ないのか。
「………」
エルフはもっと手強いと思っていた。
悪魔と称されるエルフは、人知の及ばない化物だと思っていた。
だが、結界を破壊して見たエルフ達は、
侵略する人間に恐怖し、逃げ惑う姿はまるで…
「何、アレ?」
物思いに耽るアルヴィースの隣で、唐突にヒルドが呟いた。
視線の先は、アルヴィース達の後方。
三英雄を追う騎士達がいる方向だった。
先程まで見えていた隊列を組んだ騎士達の姿が今は見えない。
森に立ち込める濃い霧の中に消えていた。
「…おかしいぞ。あんな局地的に霧が出る筈がない」
「まさか、エルフの魔術か?」
そうアルヴィースが呟いた瞬間、霧の中から悲鳴が聞こえた。
混乱する声と、武器と武器がぶつかるような音が響く。
襲われている。
エルフはアルヴィース達に敵わないと判断し、後方の騎士達から先に潰そうと判断したのだ。
「くっそ、俺達も助けに戻った方が良いのか? つーか、アンドヴァリはどこだ!」
「先程別動隊と共に別れてから戻っていない。とにかく、まずは霧を…」
レヴァンが魔術を使おうとした時、ヒルドがその手を叩いて中断させた。
そして、そのまま足を止めずにヒルドは霧の中へ走っていく。
「おい、ヒルド! どこへ行く!」
「こんな混戦の中でレヴァンの魔術なんか使ったら、皆死んじゃうでしょー! あそこには、シグルズだっているんだよー!」
「ッ! だからと言って、霧の中に入ったら…!」
レヴァンの言葉には耳を傾けず、ヒルドは霧の中に消えていった。
思わずそれを追いかけようとするレヴァンの肩をアルヴィースが掴む。
「お前まで行くんじゃねえぞ、レヴァン。アイツが注意を引き付けている間に、霧を生み出しているエルフを探すんだよ!」
「…あ、ああ。分かった」
不安そうな表情をしながら、レヴァンは頷いた。
「どこ…? どこにいるの、シグルズ!」
前も後ろも見えない濃い霧の中、ヒルドは叫び続ける。
鉄同士がぶつかる金属音と共に、悲鳴や怒号が聞こえた。
地面に倒れる死体の一つ一つ駆け寄り、それがシグルズでないことを確認してまた走り出す。
「ッ! 邪魔しないで!」
霧に紛れて襲い掛かるエルフに血の棘を放つ。
棘を胸に受けたエルフはあっさりと倒れたが、霧は未だに晴れない。
「…シグルズ」
死体を見る度に、ヒルドは両親のことを思い出す。
エルフに殺され、自分の目の前で冷たくなっていった両親の身体。
シグルズまでそうなってしまうのは、絶対に嫌だった。
「―――――」
ゆらりと霧の中で影が動いた。
叫び声と共に向かってくるそれに向かって、ヒルドは先程と同じように血の棘を放った。
「ぐっ、あああああああァ!」
痛みに呻きながら影が放った剣が、ヒルドの胸に突き刺さった。
身体から血が溢れるが、問題はない。
ヒルドの魔術を使えば、この程度の傷はすぐに治る。
(…剣?)
傷口から剣を引き抜きながら、ヒルドは訝し気な顔をした。
エルフがどうして剣を使っているのか。
それは、人間の武器である筈。
(…そうか、霧で相手が見えないから)
先程から聞こえていた金属音を思い出し、ヒルドは納得した。
アレは霧で錯乱した騎士同士が争う音だったのだ。
今、襲ってきた者も恐らく錯乱した人間。
思わず人間を手にかけてしまったことに、ヒルドは顔を歪める。
せめて、相手の顔だけでも確認しようと遺体に近付く…
「…………………………嘘」
ズキン、と治した筈の胸に痛みを感じた。
自分に襲い掛かってきた騎士は、若い男だった。
少し頼りない雰囲気もあるが、優し気な顔立ちをした男。
そこに倒れていたのは、シグルズだった。
ズギン、と先程よりも強く胸が痛む。
「あ………ああ…」
痛い。痛い。痛い。
こんな物は知らない。
とっくに傷は治っている筈なのに、この痛みは少しも消えない。
パキン、と何かが壊れる音が聞こえた。
「あ、ああああああああァァァ!」
霧の中を血が蠢き、そこにいる全ての者を貫く。
エルフも人間も関係なかった。
シグルズの遺体さえ次々と棘が貫いていく。
アルヴィース達の活躍により霧が晴れた時、そこに生きている者は誰もいなかった。
ただ一人、ヒルドを除いて。




