第五十話
樹齢千年を超える大樹が並ぶ広大な森。
その範囲は、帝国中の樹木を集めても尚上回る程の広さだ。
森の中からは獣の鳴き声が響き、空には鳥が羽搏いているが、決して森の外へ出ることはない。
芸術的な美しさを見せながらも、侵入を拒む威圧感を放っている。
「コレが、アールヴの森…」
初めて見るアールヴの森にアルヴィースは呟く。
憎い相手の住む故郷でありながら、その美しさに言葉を失った。
「あの木に刻まれている陣が見えるか?」
アンドヴァリは近くに見える一本の木を指差しながら言った。
人間の作るどんな建物よりも高い樹木には、黒い液体で文字や記号が刻まれていた。
細部は違うが、それはアルヴィース達の身体に刻まれている陣に酷似している。
「エルフはあのように木に陣を刻むことで魔術を使う。だから森の中でこそ、その力を十全に発揮することが出来る」
スッとアンドヴァリは指先を動かした。
この場から見える幾つかの木々を指差し、それぞれに刻まれている陣を示す。
「あの五つが大結界を作り出している。一先ず、アレを破壊しないことにはアールヴの森に攻め込むことすら出来ない」
「…しかし、騎士団長。それは本当に可能なのでしょうか? これまで幾度となく人類が挑戦し、敗北し続けてきた結界ですよ」
不安そうな表情を浮かべたレヴァンが言った。
人類とエルフが争ったのは一度や二度ではない。
帝国が建国されてから千年。
何度も人類はこの森を侵略しようとしたが、全て結界によって阻まれていた。
千年前にエルフが森に張った大結界。
それは決して、人間を通すことはなかった。
「大丈夫だ、今の人類には君達がいる。ヒルドが到着したら作戦を伝えよう」
「ヒルドも作戦に参加するのか?」
アルヴィースは幼い妹分を思い浮かべながら首を傾げた。
先行したアルヴィース達とは違い、ヒルドはシグルズと共に少し遅れて騎士団本部を出発していた。
アルヴィースはヒルドが戦闘要員ではないからだと思っていたが、どうやら違うようだ。
「そうだ、あの子の…」
「ッ!」
アンドヴァリが続きを言おうとした時、アルヴィースは急に悪寒を感じた。
背筋が凍るような冷たい風が吹く。
周囲に展開していた騎士の一人が思わず身を竦めた。
次の瞬間、その騎士の首がゴロリと大地に転がった。
「…え?」
噴水のように跳ねる血の中に倒れる死体に、騎士達の時が止まる。
『キヒヒヒ…』
吹き荒れる風の中、嘲笑が聞こえた。
「て、敵襲だ! エルフの攻撃を受けているぞ!」
誰かが叫び声を上げ、全員が一斉に武器を構えて辺りを見回す。
アルヴィース達も油断せず、周囲へ目を向けたが、敵を見つけることは出来なかった。
『劣等なる蛆虫共が、またエルフの神秘を求めるか』
人間の耳には聞き取れない言葉を使い、姿なきエルフは語る。
言葉の意味は伝わらずとも、その言葉に込めた感情は伝わった。
激しい侮蔑と嫌悪感。
隠すの気の無い殺意が、全ての者に向けられる。
「くそっ、どこにいやがる!」
「…そこだ」
姿の見えない相手に激怒するアルヴィースに、アンドヴァリは抜いた剣で前を差した。
剣が向けられた先は、何もない大地。
しかし、虚空に色を塗るように段々とその姿が現れる。
『悲しいなァ』
それは線が細く女性と見間違えるような容姿の男だった。
夏の葉を思わせる色の長い髪の間から、特徴的な尖った耳が突き出ている。
手には木製のナイフが握られ、返り血に濡れていた。
「エルフ…!」
『その服、見覚えがあるぜ』
憎悪を込めて睨むアルヴィースには目もくれず、エルフは真っすぐ視線をアンドヴァリへ向けた。
身に纏う騎士服を見て、嘲笑を浮かべる。
『腕一本では懲りず、またここへ来たのか。全く、人間は愚か愚か…』
「………」
エルフの言葉を受け、アンドヴァリは古傷が疼くように失った右腕を抑えた。
アルヴィースに言葉の意味は分からなかったが、エルフとアンドヴァリの間に何やら因縁があることだけは分かった。
「敵は一人だ! 迂闊に近寄るな、矢を構えよ!」
「騎士団長! お下がり下さい!」
エルフの姿を確認した騎士達が奮い立ち、声を上げる。
エルフに対する恐怖は残っているが、自分達には騎士団長と魔術師が付いている。
その思いが騎士達の勇気となり、力となった。
『キヒヒヒ! 今度は沢山連れてきたみたいだけど、それはこちらも同じさァ』
パチン、とエルフが指を鳴らすと森の中から次々と新たなエルフが現れた。
数は全部で十人。
騎士達の数に比べれば、圧倒的に少ないが、魔術を使える者の数で言えば人間側が少ない。
「ひ、怯むな! 数では我々が勝っている! 矢を放て!」
『水よ。天より降り注ぎ、森を荒らす侵略者を洗い流せ』
その時、エルフの一人が歌うように呟いた。
同時に森の中から大量の水が巻き上がり、雨となって地上へ降り注いだ。
目も開けていられない程の豪雨。
命令する声は雨音に遮られ、雨水を含んだ服は動きを阻害する。
このような状態で矢を放つことなど出来ない。
『悲しいなァ。どれだけ数を集めても縮まらない、種族の差ってやつは…』
「アンドヴァリ!」
雨で混乱する騎士達を見ながら、アルヴィースは騎士団長を呼んだ。
この状況を覆す手を思いつくと信じて。
それを受け、エルフが現れてからずっと無言で佇んでいたアンドヴァリは静かに口を開く。
「―――ロプトル」
様々な激情を押し殺し、冷たい殺気を向けながらその名を呼ぶ。
『人間をいつまでも見下せると思うな!』
万感の思いを込めて叫ぶ言葉は、エルフの言葉。
それにロプトルが呆気に取られた時、周囲を強い熱風が包み込んだ。
雨の湿気を吹き飛ばすような熱。
降り注ぐ雨が地に届く前に蒸発する。
それは、紅蓮の業火だった。
「侵略術式『ムスペルヘイム』」
炎を操るレヴァンが声高らかに叫ぶ。
その炎は雨と共に騎士達も包み込んでいるにも関わらず、騎士達の身体には傷一つなかった。
『なっ…何故、人間が魔術を…!』
驚くロプトルへ炎の波が襲い掛かる。
咄嗟に風を操り、ロプトルはそれを防ぐが他のエルフはそうはいかなかった。
最初に雨を降らせたエルフを含め、殆どのエルフが炎の波に飲み込まれ、消えていく。
『ぐ…! おのれ、人間め!』
仲間の死に顔を憤怒に歪め、ロプトルはナイフを構える。
その姿が段々と消えていくのを見て、アルヴィースは急いで石の槍を投擲した。
「させるか!」
『チィ! 邪魔をするなァ!』
飛んできた石の槍をナイフで切り裂き、ロプトルは後退する。
状況が悪いと判断し、森へ逃げ込むつもりだった。
「逃がしてたまるか…創生術式『ミストカーフ』」
追いかけながらアルヴィースは粘土を生み出し、一つの槍を創造する。
エルフを倒すべく自身が作った最高傑作。
決して敵を逃さない『必中』の意味を込めて作った槍を。
「創生『グングニル』…ぶち抜け!」
『馬鹿な…』
その込められた魔力を見て、ロプトルは絶句した。
エルフに魔力と言う概念は無いが、それでも扱える力には限界がある。
アルヴィースのそれは、エルフの魔術を遥かに超えた破壊の力だ。
翡翠の槍がロプトルを貫く。
「何…!」
その寸前で、槍は見えない何かに阻まれて爆散した。
爆発の衝撃は大地を揺らす程だったが、森の中へ逃げ込んだロプトルには傷一つない。
付近の大地は深く抉れているにも関わらず、森の木々は葉っぱ一つ落ちていなかった。
「まさか、コレが結界…?」
見えない壁に阻まれたように、槍は森の中へ届かなかった。
コレが千年、エルフを守り続けた大結界。
アルヴィースの最高傑作であっても、それを打ち破ることは出来ないのか。
「アルヴィース!」
唐突に聞こえたレヴァンの声に、アルヴィースはハッとなる。
結界の中に逃れたロプトルが好機と言わんばかりにナイフを投擲していた。
呆然としていたアルヴィースへ向かって一直線に、ナイフが飛んでくる。
「油断するなといつも言っているだろう」
だが、そのナイフは即座に焼け落ち、アルヴィースには届かなかった。
「わ、悪い」
「一人で深追いするな。それに、敵は一人だった。グングニルまで使うのは過剰だと思うぞ」
「それも悪かったよ。つい熱くなっちまって」
罰が悪そうにアルヴィースは視線を森へ向けた。
先程までそこにいたロプトルの姿が消えていた。
「そ、それよりもさ。あの結界、思ってたより頑丈だな」
「当たり前だろう。千年も破られなかった結界がそう簡単に壊れるか」
変わらず不機嫌そうなレヴァンに、アルヴィースは委縮する。
「英雄達が喧嘩をする物じゃない。騎士達が不安がるだろう」
そんな二人の間に立つように、アンドヴァリは口を出した。
二人はその言葉に首を傾げる。
「英雄…? 誰が?」
「お前達に決まっている。気付いていないのか? 今、お前達は騎士達が手も足も出なかったエルフを真っ向から打ち破って見せたんだ」
そう言うと、アンドヴァリは二人を見つめる騎士達へ目を向けた。
ここへ来るまではどこか不安と期待が合わさった眼を向けていた騎士達だったが、今その眼にあるのは大きな期待だけだった。
この二人がいれば、自分達はエルフに勝てると言う期待。
期待は自信になり、自信は結果を生む。
エルフの奇襲と言う災難を受けながら、アンドヴァリは士気がより高まるように誘導していた。
「我々には魔術師が! 英雄がついている!」
「エルフなど相手にならない! 今、それが証明された!」
熱狂する騎士達を眺めていると、遠くの方から近付いてくる影が見えた。
身軽な格好をしているその騎士は、伝令兵だ。
すぐにアンドヴァリは顔色を変えて、報告を受ける。
「ほ、報告します! 物資を運んでいた部隊がエルフの襲撃を受けました!」
それは凶報だった。
アンドヴァリの部隊よりも少し遅れて本部を発った部隊。
この場の襲撃に合わせるように、そちらでも襲撃があったと。
その部隊はこの場にいないシグルズが所属していた部隊であり、
ヒルドも共にいた筈だった。




