第四十三話
穏やかな夢を見ていた。
それはまだ森が荒らされる前の時代。
アールヴの森は、平穏に包まれていた。
エルフは皆、樹木から生まれる。
森そのものが自分達の親であり、同族は全て親を同じくする家族だ。
故に千年間、エルフは同族同士でも争いことがなかった。
生物は飢えるからこそ争う。
安全な住処があり、豊富な食料があり、着る物にも困らなければ、争う理由が無い。
ここは既に楽園であり、皆がそれを受け入れていた。
『この森の外には、何があるのですか?』
本を読みながら、アルファルは呟いた。
閉じた楽園の外には、何があるのか。
この森で最も若いアルファルは外の世界を知らなかった。
『外には人間の国があるわ。そこには沢山の人間が住んでいるのですよ』
幼い子供の疑問に、族長は微笑みながら答える。
それは、木漏れ日のような暖かな笑みを浮かべた女性だった。
重ねた年月を連想させるような長い髪はアルファルと同じ新緑色。
エルフ特有の紅葉のような色合いのドレスを纏っている。
理知的な容姿をしているが、冷たい感じはせず、穏やかな雰囲気を持っていた。
『とは言っても、私も外に出たことはないんですけどね』
そう言ってエルフの族長、ベイラは子供っぽい笑みを浮かべた。
『森の外は危険ですからね。外に出ることは掟で禁じられているの』
『…やっぱり、人間は怖い生物なんですか?』
『人間全てがそう言う訳じゃないけど、どうして?』
『この前ロプトルが、人間は凶暴だって…』
『…またあの子は怖がらせるようなことを。大丈夫よー、結界がある限り、人間が森に入ってくることはありませんから』
怯えるアルファルの頭をベイラは優しく撫でる。
アルファルを慰めながらも弟のような存在であるロプトルを思い出し、ため息をついた。
ロプトルはエルフにしては珍しく『向上心』のような物を持っていた。
満ち足りた現状に満足せず、より良い生活を求め、常に努力している。
最近では大陸の大半を支配する人間を敵視し、エルフの領土を増やすことに固執していた。
長い歴史を生きていると、稀にそのような変わり者が現れることがあるのだ。
『人とエルフは関わるべきじゃないの。関わればきっと、どちらも幸せにはなれない』
『それは、人間が悪人だからですか?』
『そう言う訳ではありません。でも、種族の違いは、大きな壁となるわ』
『エルフと人間の、違い…』
『どちらが優れていると言う話ではないわ。ただ自分と違うことを受け入れることは、人間にもエルフにも難しいことです』
同じエルフ同士であっても、ロプトルとベイラは意見が食い違っている。
種族すら違う相手と分かり合うことは、非常に難しいことなのだ。
『私達はね、人間が怖いの。怖いから結界を張って森に閉じ込もっているの』
当初はエルフよりずっと少なかった人間は、この数百年で何十倍もの数に増加した。
短いサイクルで増え続けることは、長命なエルフには無い特徴だ。
人間を嫌悪しているロプトルも、本当は誰よりも人間を恐れているのだ。
『それでね。人間もエルフが怖いのよ』
『え…?』
『人間には魔術が使えない。百年も生きることが出来ない。だから長生きで魔術も使えるエルフのことが怖くてしょうがないの』
違うことは恐ろしい。
どちらかが強い訳ではなく、互いが互いを恐れている。
『それじゃあ…エルフも人間も同じではないですか』
『………そうね。本当はそうなのかもしれない』
ただどちらも認めないだけで。
どちらも相手を受け入れようとしないだけで。
『これだけは忘れないで。この世に優れた種族なんてどこにもいないのです』
ベイラは穏やかな笑みを浮かべながらそう告げた。
エルフ共通の思想を否定する言葉だったが、アルファルにはそれが間違っているように思えなかった。
『ベイラー! どこだァー! もうすぐ会議だってのに、どこ行きやがったァー!』
『あ、ロプトルの声だ。そう言えば、今日は会議の日だったかしら?』
遠くから聞こえる大声に、のんびりとした調子でベイラが呟いた。
『毎度毎度探すボクの身にもなりやがれ、あのババア!』
『バ…!? 妙齢の女性に向かって何てこと言うのよ!』
そう言うと怒るようにベイラは声の方へ走っていった。
遠くから口喧嘩が聞こえるが、その声に本気の怒りはない。
いつものように楽しく会話をして、たまに喧嘩をして、それでも森は平和だった。
ずっと、この平穏が続くと思っていた。
「…あ」
肌寒さを感じ、アルファルはぼんやりと目を覚ました。
無言で視線を動かすと、すぐ傍に巨大な壁が見えた。
(アレは…? それに、私は何で)
段々と意識がハッキリとしてくると、気を失う前のことを思い出してきた。
レヴァンに追われている途中、ファフニールの仲間に襲われ、気絶してしまったのだ。
「アル…? どこ、ですか?」
呟きながら辺りを見回すが、アルの姿はどこにもなかった。
再び巨大な壁に目を移す。
気絶する前に、このような物はなかった。
コレはアルファルが意識を失っている間に作られた物だ。
このような物を短時間で作れる者は、限られている。
「…まさか、この壁の向こうに?」
何があったのかは分からないが、アルの性格は分かっているつもりだ。
理由もなくアルファルの前から姿を消すことはないだろう。
黙って姿を消したなら、相応の理由がある筈。
「あの人は…!」
アレだけ言ったのに。
何度も対等な友人だと言ったのに。
アルは一人で背負って、レヴァンと戦ったのだ。
全てアルファルの為に。
「…何だ。意外と元気ではないか」
「ッ! 誰ですか?」
近くから聞こえた声に、アルファルは警戒した目を向けた。
声は、地面にぽっかりと空いた穴から聞こえてきた。
「もっと泣き叫ぶと思っていたのだがな」
穴から這い出てきたのは、野性染みた白髪の巨漢…フェンリルだった。
その姿を確認し、アルファルは警戒を強める。
地面に水を撒き、今度は不意打ちにも耐えられるように結界を展開した。
「くはは! 俺様とやり合うつもりか? 別に構わんが、良いのか?」
「…何がですか?」
「英雄アルヴィースは死んだぞ?」
その言葉に、アルファルは思考が止まった。
顔から表情が抜け落ち、フェンリルの顔を見つめる。
「…何を、言っているんですか?」
「俺様も戦いを見ていた訳ではないが、この距離なら魔力の匂いを嗅ぎ分けることは出来る」
フェンリルは壁を指差しながら言葉を続ける。
「この壁の向こうでアルヴィースとレヴァンがやり合っていたのは分かった。その勝敗もな」
「………」
アルファルの脳裏にレヴァンの姿が過ぎる。
騎士隊長に相応しい、強大な火の魔術。
その力の前に、アルは苦戦していたように見えた。
退路を壁で絶った状態で真っ向から戦えば、どうなるか。
「……ッ」
また、なのか。
また、騎士団は自分から大切な人を奪っていくのか。
十二年前はベイラを、そして今度はアルを。
「ハッ、男が死んだ程度でその様か。これだから女は脆い」
興味を失ったようにフェンリルはアルファルに背を向けた。
元々アルファルに話しかけたのも気まぐれだったのだろう。
「…ああ、そうだ。もし、騎士団へ復讐するつもりなら東の果てに向かえ」
思い出したようにフェンリルは呟く。
「グニタヘイズは貴様を『歓迎』するぞ」
そう言い残すと返答を待たずにフェンリルは去って行った。




