第四十話
「…はぁ」
しばらく深い穴の底を眺め続けた後、安心した様にアルは息を吐いた。
力に溺れた魔術師にしては、異様に手強い相手だった。
高い能力を持ちながらも単純で直情的な性格だったことが幸いした。
あのまま戦いが長引けば、どうなっていたか分からない。
「………」
アルは無言で木の根元に寝かせていたアルファルを見た。
戦いの騒音でも目を覚まさなかったようだ。
元々疲労も溜まっていたからだろうか、眠りが深い。
「…それも当然、か」
アルの視線に悲哀が込められる。
突然、人間の中に放り込まれてから今まで必死に頑張ってきたのだ。
何度も命を狙われ、当てもなく生き続けた。
心が休まることなど、一度もなかっただろう。
アルファルは対等の関係を望んでいたが、それでもアルは同情を抑えることが出来なかった。
エルフだから、ではない。
彼女が人間にさえ手を差し伸べる程に優しいから。
他でもない、アルファルだからこそ守りたいと思った。
「…今だけは、寝ていてくれた良かった」
最後に優しい笑みを向け、アルはアルファルに背を向けた。
周囲に立ち込めていた霧が段々と晴れていく。
もう真夜中だと言うのに、前から明るい光を感じた。
フェンリルとの戦いで魔力を使い過ぎた。
アレだけ派手に戦えば、気付かれるのも当然だろう。
「よう。思ったより早かったな」
「………」
アルと対峙するレヴァンは、何も答えなかった。
ただ夜を照らす炎を身に纏いながら、静かにアルを見ている。
ゴッと炎が強い光を放つと周囲に残っていた霧が全て消え去った。
どこにも隠れる場所は無い。
「アルヴィース………『剣なき秤は無力』と言う言葉を知っているか?」
「…何の話だ?」
「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力。法を守る上で必要なのは剣と秤の両方であり、どちらが欠けていてもいけないと言う意味だ」
淡々とした口調でレヴァンは言った。
その眼に、身に纏う炎以上に熱い感情が宿る。
「俺は『剣』だ」
静かにレヴァンは告げる。
「俺はあらゆる悪を焼き尽くす。そこに例外は無い」
剣が人を斬らなくなれば、秤(正義)が無力となるが故に。
全ては秩序を守る為に。
「侵略術式『ムスペルヘイム』」
燃え上がる火柱から焔の巨人が出現する。
目と口から黒煙を吹きながら、虚空に真っ赤な陣が展開されていく。
「出ろ! ミストカーフ!」
アルは残った魔力を振り絞り、自身を守る壁を作り出す。
レヴァンの視界からアルを完全に覆い隠す程の岩の壁。
「無意味だ。壁も、盾も、鎧も…」
展開された陣から炎の槍が放たれる。
「俺の炎は、全てを焼き尽くす」
炎の槍に触れた岩の壁が、まるで干し草のように勢いよく燃え上がった。
壁を破った炎は少しも勢いを衰えずにアル自身を狙う。
レヴァンの眼に、炎の中で燃え盛る人影が映った。
「…チッ」
ドロドロと形を崩し、溶けていく人影を見てレヴァンは大きく舌打ちをした。
その人影はアルと同じ背格好だが、アル本人ではない。
粘土で作ったダミーだ。
「本体はどこに…」
言いかけてレヴァンは足下が盛り上がっていることに気付いた。
アルは土属性の魔術師。
ダミーに気を取られている内に大地を掘り進んで接近してきたのだ。
「下か…!」
ボコッと地面から槍を握り締めた腕が突き出る。
その瞬間、レヴァンは全ての炎を解き放った。
地中から姿を現すと同時に全身を焼き払う。
「残念。それもダミーだ」
レヴァンの背後から声がした。
地面から現れた二つ目のゴーレムを攻撃している隙をつき、槍を構えて迫る。
「放て、巨人!」
「なっ…」
その叫び声と共に、虚空から顔を出していた巨人が炎を放った。
レヴァンごとアルを焼き尽くすように、加減無しの炎が空から降り注ぎ、アルは慌てて後退した。
風景すら歪む程の地獄の中で平然としているレヴァンを見て、アルは舌打ちをする。
「敵対者のみを燃やす炎。自爆覚悟で放っても、自分は火傷一つ負わないのか」
炎が燃え移った槍を投げ捨てながら、アルは呟く。
接近戦なら有利だと思ったが、考えが甘かった。
どれだけ近くで炎を使っても自傷することがない為、接近戦はむしろ不利だろう。
このまま戦っても勝機は無い。
「…レヴァン。俺と取引しないか?」
「言った筈だ。悪に例外は無いと」
「その俺が悪ってのは、誰が決めたんだ?」
アルの疑問に、レヴァンの表情が僅かに歪んだ。
無表情を貫いていた顔が、苦虫を噛み潰したような顔になり、アルを睨む。
「『秤』はアンドヴァリの担当だ。エルフを擁護したお前は、罪人と認められた」
「…但し、生け捕りとすることってか?」
「ッ!」
その言葉に、今度こそレヴァンの仮面が崩れた。
驚いたように目を見開き、アルの顔を見ている。
本気で驚いているレヴァンに苦笑し、アルは熱で溶けたゴーレムへ視線を向けた。
「お前が本気で放った炎なら、ダミーが溶け残るなんてことがある訳ない。死なない程度に俺を痛めつけて確保するつもりだったんだろう?」
「…その通りだ。エルフを擁護するのは重罪だが、お前は英雄としての功績も残している」
「おいおい、例外は無いんじゃなかったのか?」
「秤はアンドヴァリの担当だと言っただろう。お前は一度拘束し、改心させると命じられた」
「改心、ね………俺が無抵抗で捕まったらアルファルはどうなる?」
アルは懐から大きめのパイプを取り出しながら言った。
紫色の煙を不味そうに吸い、視線をアルファルへ向ける。
「俺が見逃すと思うか?」
「…だよなぁ。それじゃ、仕方ない。交渉の時間だ」
アルの片方しかない眼が鈍い光を放った。
「俺は抵抗するぜ、レヴァン。この子を守る為なら死ぬまで抵抗する」
「………」
「本当に死んじまうかもしれないな。俺とお前の戦いだ、どちらかが死ぬまで続くだろうよ」
不敵な笑みを浮かべながらアルは言う。
そうなればお前も困るだろう、と言っているのだ。
「そこで一つ提案だ」
笑みを浮かべたまま、アルは毒々しい紫煙を吐き出す。
「『一騎打ち』をしないか? 俺とお前で」
「…どう言う意味だ?」
「簡単な話さ。互いに全力で魔術を放ち、打ち破られた方の負け。俺が負ければ、生きていようが死んでいようが大人しく捕まるぜ」
「お前が勝った場合は?」
「その時は今だけで良いから、アルファルのことを諦めてくれ」
その取引は、レヴァンにとって有利に思えた。
正面からの打ち合いはレヴァンの得意分野である上、勝てば無傷でアルを捕らえることが出来る。
負けてもそれほどデメリットは無く、何より負ける要素が無い。
連戦でアルの魔力は殆ど残っていない。
魔力量自体はアルに劣るレヴァンだが、今のアルなら容易く超えている。
「…良いだろう。一騎打ちを受けよう」
「二言は無いな?」
「無論だ」
レヴァンの返事を聞き、アルは笑顔で咥えていたパイプを放り捨てた。
そのまま大地へ手で触れる。
「創生『ヘルブリンディの壁』」
瞬間、アルの全身に陣が浮かび上がり、膨大な魔力が解き放たれた。
大地が迫り上がり、地形が変化する。
天を衝く様な壁が、次々と立ち並んでいく。
地図に線を引くように築かれたのは、途方もなく巨大な岩の壁。
切り取った城壁にも見えるそれは、レヴァンの巨人よりも規模が大きかった。
そんな物をアルが築いた理由は一つ。
「コレで、向こう側には行かせないぜ」
壁の反対側に置いてきたアルファルを護る為だ。
「まだ、それほど魔力が残っていたのか?」
レヴァンはそう言ってから、アルの異常に気付いた。
荒い息を吐くアルの身体は僅かに痙攣し、顔色が悪い。
レヴァンの視線は地面に落ちたパイプへ向けられた。
あの毒々しい紫煙はドーピングの類だったのだろう。
身体を傷付けて魔力を強引に回復させる薬は幾つかある。
「…そこまでしてあの娘を助けるのは………罪悪感からか?」
「ハッ、違うね! エルフだからでも、罪悪感からでも無い。アイツがアイツだからだ!」
アールヴの森を見た時にアルファルが流した涙を忘れることが出来ない。
変わり果てた故郷の涙するアルファルの顔は未だ脳裏に焼き付いている。
罪悪感や責任感ではない。
助けなければならない、ではない。
ただ、助けたいのだ。
「俺は誰に否定されようとアルファルを護る。それが俺の正義だからだ!」
正義とは、誰かを救った時に救えた命を共に喜べる者で無ければならない。
罪悪感から生じる行為は全て偽善だ。
本当に人を救いたいのなら、自分の不幸ではなく他人の幸福に目を向けなければならない。
「俺は今、初めて自分が正しいことをしていると自信を持って言える。お前はどうだ、レヴァン!」
無力な少女一人を虐殺することで喜ぶ人間が本当にいるのか。
その喜びを、分かち合うことが出来るのか。
「……ッ」
レヴァンは何かに堪える様な表情を浮かべ、軽く手を振った。
それを合図に宙に浮いていた巨人が姿を消す。
アルを見逃す決断をした………訳ではない。
むしろ、その逆だった。
「『枝の破滅』」
どす黒い炎がレヴァンの手に集まっていく。
煮え滾る溶岩のような赤黒い色をしたそれは、一本の剣。
巨人を具現化することに使っていた全魔力を集めて鍛え上げた剣の形をした地獄。
「…自分の行動が正しいと思えるかどうかではないんだ、アルヴィース」
苦悩に満ちた表情で、レヴァンは血を吐くように呟く。
「俺は、誰よりも正しくなければならないんだ!」
「それが答えかよ」
レヴァンの言葉に苦笑しながらもアルもまた、一本の槍を作り出す。
先端が丸みを帯びた翡翠の槍。
薬によって増幅させていた全魔力を注ぎ込み創造した軍神の槍。
「創生『グングニル』」
アルは完成した槍を向け、笑みを浮かべた。
それはこれから戦う相手に向ける物とは思えない、穏やかな笑みだった。




