第四話
「奴隷をウチに連れてくるなと言ったでしょうが!」
宿に帰って早々に怒鳴り声が響いた。
顔を真っ赤にした女将はアルの隣に立つアルファルを指差す。
「そりゃあ、アンタが卑猥な目的で奴隷を買っている訳じゃないってことは知っているよ? 売れなくて処分されそうな奴隷を買い取って治療してから逃がしているのは知っているさ」
「あ、あのねぇ。女将さん」
「でもね! ここに連れてくるのはルール違反だよ! 何? 今度は随分と綺麗で健康そうな子供じゃないか! ウチの宿に連れ込んで何をしようと…」
怒鳴り続けようとした女将の前にアルファルが立った。
耳を変化させている為、エルフであることは分からない筈だが言い知れない迫力に女将は呻く。
「私は奴隷ではありません。子供でもありません。こう見えても今年で二十八歳です」
「嘘っ!?」
「本当です。レディです。なので自分の身くらい自分で守れます」
冷ややかな目で女将を一瞥し、アルファルは視線をアルに移す。
「さあ、一先ず部屋に行きましょうか。ここは落ち着きませんので」
「あ、ああ、そうだね。案内するよ」
ぎこちない笑みを浮かべながらアルは先を歩き出した。
ギシギシと音を立てながら階段を上るアルの後に、アルファルが続く。
「…大人びた子だとは思ってたけど、歳近かったんだね」
女将には聞こえないようにアルは呟く。
エルフは人間に比べて長命である。
その成長速度も老化速度もかなり遅いことは知っていたが、改めて驚いた。
「ああ言いましたが、エルフは百年生きてようやく成人と認められるので子供であると言うのも間違いではないのですけど」
「へえ。見た目はそんなに違う所ないのに、寿命はかなり違うんだな」
「エルフは優れた種族ですからね。魔術も肉体も、劣等種である人間とは違うんですよ」
ごく自然な雰囲気でアルファルは言った。
エルフと人間でどちらが優れているかと言えば、それは確かにエルフだろう。
寿命も長く、生きてきた歴史も長い。
魔術も元々はエルフの技術である為、実力は完全に向こうが上だ。
十二年前の戦争で人類が勝利したのは単に、数で勝っていたからに過ぎない。
「…見た目だけではなく、言葉も人間のふりをしないといけないな」
「?…ああ、そうですね。今の私は人間でした。人間が人間を劣等種と言うのはおかしいですね」
魔術で変えた自分の耳を撫でながらアルファルは思い出したように言う。
「すいませんね。あなた方を蔑んでいるつもりはないんです。森では、人間をそのように呼ぶように教育されてきたもので」
素直に謝罪するアルファルを見て、アルは本当に礼儀正しい少女だと思った。
エルフの常識と人間の常識の差異を理解し、自分の非をすぐに認められる。
例え相手が、自分の種族を滅ぼした憎い仇敵だろうと。
「ここだよ。まあ、散らかっているけど適当に座ってくれ」
壊れかけた扉を開きながら、アルは言った。
最初は何もなかった部屋だったが、今では私物が増えて生活感が出てきた。
作りかけの杖や工具が散らばった部屋を見て、アルファルは眉を動かした。
「…本当に散らかってますね」
「まあまあ、寛いでくれ」
汚れたベッドに座り、パイプを咥えるアル。
パイプから噴き出る白い煙をアルファルは興味深そうに見つめていた。
「さっきも吸ってましたけど、それは?」
「調合したハーブを燻しているのさ。身体に悪い物は一切入っていないよ」
アルは白い煙を吐きながら答えた。
ミントのような爽やかな香りは部屋を包み込む。
「魔術を使って消耗した魔力の回復も兼ねているんだよ。魔力の回復方法は人それぞれだけど、俺の場合はこうやってリラックスするのが一番良い」
「魔力を回復?」
「何だ? エルフはそう言うのってないのか? 何度も魔術を使ったら使えなくなったりしない?」
「…そんなことは一度もありませんね。そもそもエルフの魔術は使うと言うよりも、森が力を貸してくれるような感じですし」
「…ふーん」
(やっぱり、エルフと人間では魔術に対する考え方から違うみたいだな。森を守る為に魔術を求めるエルフと領土を増やす為に魔術を求める人間の違いか)
一般的にエルフは争いを好まない種族であると言われる。
人類よりも長い歴史を持ちながらも、エルフは常にアールヴの森の中でひっそりと暮らしていた。
少数ながらもエルフは高い実力を持っていた為、帝国はアールヴの森を侵略できず、エルフもまた自分達の領土を増やそうとはしなかった。
それが変わったのは十二年前だ。
「…さて、取り敢えずこの地図を見てくれ」
気を取り直すように言ってアルは古ぼけた地図を広げた。
帝国全土を記した地図の南西部を指差す。
「今いるワールウインドがこの辺りだ。そんで、ここからずっと南に行って…」
地図の上で指を滑らせ、帝国の最南部を叩く。
付近に町や村が存在しない森林地帯。
「ここがアールヴの森だ」
かつての戦乱の地。
エルフの故郷である場所だった。
「もう日も落ちたから、出発は明日だな」
女将に用意して貰った夕食を食べながらアルは言った。
硬い肉を噛み切ってワインで流し込む。
「そうですね。急いで森に戻りたい所ですが、夜は危険です」
アルの提案に頷いてアルファルも食事に取り掛かる。
テーブルに広げられた肉やパンには興味を持たず、ひたすら付け合わせのサラダを食べていた。
「何だい急な話だね、アル。寂しくなるじゃないか」
女将はそう言ってテーブルに追加の料理を置いた。
「元々続けていた旅を再開するだけさぁ。この町の居心地が良かったから少し長居し過ぎた」
「もう何年前になるかねぇ。ボロボロのアンタと店の前で会ったのは」
「懐かしいなぁ。あの時は女将さん、ぎっくり腰で倒れたんだっけ?」
「そうそう。それで杖を握らせたと思ったら急に腰が治っちゃったから驚いたわよ」
懐かしそうに笑う女将に、似たような笑みを浮かべるアル。
「こんな田舎町に魔術師なんていなかったから、アンタがエルフかと思って警戒しちゃったわよ」
ぴくっとアルファルが反応したが、アルは気付かないふりをした。
アルファルも二人の会話に加わることなく、黙々とサラダを食べている。
「…エルフと言えば、旅に出るなら『ダストデビル』には気を付けなさいよ」
「ダスト…何それ?」
「新聞とか読んでないの? 最近、近くの村々を騒がせている連続殺人犯………その正体は、生き残りのエルフだって噂よ」
カチャンと金属が鳴る音がした。
その音に気付いて女将が視線を向けると、アルファルがサラダを完食していた。
「あら、お代わりいるかしら?」
「…お願いします」
空になった器を差し出すアルファル。
それを受け取ると女将は厨房へと引っ込んだ。
女将が完全に見えなくなってから、アルファルは視線をアルに向ける。
「あまり期待しない方が良い。殺人犯や犯罪者なんかをエルフに例えるのは最近では珍しくない」
「………」
「…悪い。気分の良い話じゃねえよな」
「いえ、あなたが悪い訳ではありません。それがそちらの常識なのでしょう?」
エルフが人間を劣等種と蔑むように、人間はエルフを犯罪者と蔑む。
それは互いが生み出した価値観であり、常識だ。
特定の誰かが悪いと言う訳ではないのだ。
(…ままならないよなぁ。何事も)