第三十三話
「急げ! 急いで森を抜けるんだ!」
焦った表情でアルはアルファルを急かす。
背後から追いかけてくる気配はない。
アルが時間稼ぎに作り出したゴーレムを破壊する音が響いた後は、何も聞こえない。
十分に距離は離した筈だが、少しも安心できなかった。
『レヴァンの視界に入っている間』は安全地帯はない。
「チッ!」
走りながらアルは横にあった大岩に触れる。
流し込まれた魔力が岩から地面に伝達し、二人が駆け抜けた所から岩の壁が形成されていく。
「…コレで少しでも時間を稼げればいいが」
「あの人は、そんなに強いのですか?」
呼吸を荒げながら走っていたアルファルが尋ねる。
アルは足を止めずに顔だけアルファルへ向けた。
「強い。正面から戦えば、俺では一分と持たない」
「…嘘。いくら相手が英雄とはいえ、アルもそれは同じでしょう?」
信じられない、と言った表情を浮かべるアルファル。
一般的な魔術師の実力は知らないが、同じ英雄でそこまで差がある物なのか。
「アイツの炎は万物を焼き尽くす破壊の炎だ。盾を構えようと、鎧を着ようと、城に逃げ込もうと全て破壊し尽す」
その炎に燃やせない物は無い。
あらゆる防御は意味を成さない。
レヴァンの『敵』となった瞬間から、地獄の炎から逃れることは出来ない。
その脅威は、隣で戦ってきたアルが最も知っている。
「…もうすぐ森の外だ。森を抜けたら、東へ逃げるぞ!」
「東って?」
「この大陸の東の果てには、帝国の支配域ではない場所がある。一先ずそこへ…」
そう言っている内に、アルの足は森を抜けた。
アールヴの森の外へ辿り着き、視界に荒れ果てた大地が広がっている。
「そこの二人。止まって下さい」
何もない殺風景な大地の上に、一人の少女が立っていた。
まるで森から出てくる二人を待っていたかのように、褐色肌の少女が佇んでいる。
「私は騎士隊長補佐のエイトリです。あなた達はファフニールの部下…『グニタヘイズ』ですか?」
飛び跳ねた黒髪と動物の爪の装飾から、どこか原始的な印象を受ける少女はアル達へ杖を向ける。
「…いや、違う。俺はファフニールの仲間じゃない」
「失礼ですが、それを証明する物は?」
訝し気な表情を浮かべるエイトリにアルは全身に陣を浮かび上がらせて答える。
「俺は、アルヴィースだ」
「なっ…!」
その名に驚いた隙をつき、アルは魔術を発動させた。
地面から土塊の巨人が出現し、エイトリを背後から拘束する。
「あ…くっ…不意打ちとは、卑怯な…!」
「悪いね。将来有望な後輩にこんな手は使いたくないんだが、こっちは怖い鬼に追われているんだ」
「この力、まさか本当に…」
その時、森の方角から熱風が吹いた。
風景が歪んで見える程の熱気。
喉が焼き付くような熱量を感じ、アルは舌打ちをして振り返った。
「もう来たのかよ」
「…これでも現役の騎士隊長だからな。エルフの小娘と引退した元騎士などに負けん」
「言うじゃねえか。この筋肉ハゲ」
アルファルを背に庇いながら、アルは呟く。
それに気付き、アルファルが隣に並ぼうとする。
「私も戦いますよ、アル」
「いや、下がっていろ」
「またそんな…」
「違う。お前が味方しても『意味がないんだ』」
アルの言葉はどこか確信めいた物を感じた。
アルファルが足手纏いだと言っている訳ではない。
レヴァン相手に数の優位など関係ないのだ。
「俺の魔術は敵対者に比例して威力を増していく。敵対者の魔力、武力、兵力、あらゆる力に合わせ、我が炎は大きくなる」
例え、誰が相手であっても関係ない。
敵が強ければ強い程にその魔術は強大になっていく。
敵の数が多ければ多い程にその地獄は広がっていく。
アルの魔術が『個人で軍を創る力』なら、レヴァンの魔術は『個人で軍を滅ぼす力』
「―――起きろ、焔の巨人」
レヴァンを飲み込むように炎の渦が吹き荒れる。
呼吸をするだけで喉が焼き切れそうな高熱の中、レヴァンは口を開く。
「侵略術式『ムスペルヘイム』」
大気を歪ませる炎の渦の中心から、真っ赤に焼ける鋼鉄のような巨人が顔を出した。
顔に空いた目の部分と口から黒煙を吹きながら、汗のようにドロドロとタールのような物を流している。
融解する巨人に身体は無く、ただ巨大な首だけが蜃気楼のようにぼんやりと虚空に浮かんでいた。
まるで別の世界の巨人がこの世界を覗き込んでいるような、現実離れした光景だった。
「いきなり、それかよ。容赦ねえな…!」
巨人の顔の前に、赤い文字で描かれた陣が浮かび上がる。
ペンで虚空に描くように、次々と真っ赤な陣が展開されていく。
その全てから一斉に炎の矢が放たれた。
「ッ! 結界術式『ウルザブルン』」
合わせる様にアルファルが結界を展開した。
アルとアルファルを護る青の結界。
その結界内ではあらゆる魔術は消滅する。
「…エルフの魔術か。巨人、出力を上げろ」
『ゴガァァァァァァ!』
巨人が雄叫びを上げ、展開されていた陣の数が増大する。
一発が大樹を焼き尽くす業火が、雨のように地上に降り注ぐ。
炎の矢が結界に触れ、消える度に結界が悲鳴を上げた。
バチバチと音を発てて、地面に描かれていた水の陣が消えていく。
「そん、な…! 結界を、力押しで、破るなんて…!」
「――終わりだ」
虚空に展開されていた無数の陣が消え、一つの巨大な陣が新たに展開される。
陣の中心から現れたのは、巨大な剣。
大陸を切り分ける程の巨大な炎の剣が、地上へと向けられる。
「魔力付与!」
アルファルの結界が完全に破壊されると同時に、アルは地面から一本の槍を作り出す。
たった一本の槍に全魔力を込め、構える。
「創生『グングニル』」
完成した翡翠の槍を天へ掲げた時、巨剣が振り下ろされた。
太陽が落ちてきたような衝撃が大地を揺らした。
「………」
「レヴァン、隊長」
燃え続ける大地を見ていたレヴァンの背後から声がかけられる。
視線は前に向けたまま、自身の副官であるエイトリへ意識を向けた。
「あの人は…」
「アルヴィースだ。三英雄の」
「やっぱり…! で、でしたらどうしてレヴァン隊長と?」
混乱した様子でエイトリは尋ねた。
無理もないだろう。
何の事情も知らないエイトリにとっては、アルヴィースもレヴァンと同じ人類の英雄。
騎士団の憧れである二人が殺し合うなど、訳が分からないのだろう。
「騎士アルヴィースは、レヴァン隊長と親友であると聞いていましたが…」
「親友だからこそだ」
燃え盛る炎に手を翳し、レヴァンは何かを掃うような仕草をする。
意思を持つかのように燃え続けていた炎の勢いが止まり、瞬く間に鎮火した。
「安心しろ。アルヴィースはまだ生きている」
「え…?」
レヴァンに言われ、エイトリは前を向く。
「…くっ」
炎が消えた先に、槍を構えたアルが立っていた。
手足には火傷があり、無傷とは言えないが致命傷は負っていない。
穂先が丸みを帯びた翡翠の槍を握り、背に隠したアルファルの盾となっていた。
「ムスペルヘイムを、耐えたのですか…!」
「耐えて当然だろう。その槍は『グングニル』…大量の魔力を圧縮した創った超質量の槍だ。込められた魔力を全て焼き尽くすのは俺でも骨が折れる」
レヴァンは懐かしむように翡翠の槍を見た。
外見は一メートル程の槍だが、圧縮された魔力はレヴァンの巨人すら凌駕する。
物理法則を無視した質量を持つこの世に存在しない槍。
それは防衛戦を得意とするアルの唯一の武装だった。
「…懐かしいだろう。『必中』の異名を持つ神槍………お前も味わってみるか!」
翡翠の槍にびっしりと刻まれた陣が赤い光を放ち、込められた膨大な魔力が溢れ出す。
大気が失われたような重圧を感じ、巨人が威嚇するように遠吠えを上げた。
レヴァンを包む炎が一層激しさを増し、焔の巨人の身体が膨張する。
「巨人が………そうか、お前の魔力に合わせて、魔力が増大しているのか」
未だ殺せない、と巨人は判断した。
アルの持つ槍を壊し、その身を滅ぼすには力が足りない。
ならば殺せるだけの力を手に入れるまで。
敵が『必中の槍』なら、こちらは『必殺の剣』
周囲にどれだけ被害をもたらそうと、ただ敵を殺す為だけに力を蓄える。
「駄目です…!」
そう呟いたのは、アルファルだった。
巨人が放とうとしている魔力は、この大地を、森を全て焼き払っても尚足りぬ程の地獄。
アルでは耐えられない。
あの攻撃が放たれれば、誰も生き残れない。
それを自覚しながらも、アルは槍を構える。
万に一つ、アルファルだけでも守ろうと。
「巨人よ、放………ッ!」
攻撃指令を出そうとした時、レヴァンは言葉を止めた。
ザァァ…とアルの姿を隠すように、赤い霧のような物が出現したのだ。
深く濃い霧は、アルもアルファルも全てを包み隠し、レヴァンはその姿を見失う。
「霧だと、馬鹿な。この場所にそんな物が…」
困惑するレヴァンの鼻が、不快な臭いを感じ取る。
慣れ親しみながらも、忌み嫌う戦場の臭い。
血の臭いだった。
コレは…『血の霧』だ。
「全く、二人共好き放題に暴れちゃってさー」
聞き覚えのある声だった。
特に、アルとレヴァンにとっては。
「どうせなら、私も混ぜてくれなーい?」
「ヒルドか…!」
「お前、生きてたのかよ!」
姿が見えないまま、アルとレヴァンが同時に叫ぶ。
互いに驚きの声を上げたが、アルは少し感情が違う。
何故なら先程、ヒルドを手にかけたのはアルなのだから。
「そうそう、アルヴィースってば、槍なんか刺してくれちゃってさー! 物凄く痛くて! 癖になっちゃったらどうしてくれるのさー! キハハハハ!」
責める様な口調の割に、楽しそうに笑いながらヒルドは言った。
変わらない口調や態度に、レヴァンは舌打ちをする。
この状況は良くない。
レヴァンの魔術は、敵対者を必ず焼き殺す力だ。
強力過ぎる故にレヴァンはその力に制限をかけている。
即ち、敵対者のみを焼き尽くすようにと。
敵の位置がハッキリしない状況では、ムスペルヘイムは無力だ。
例えこの一帯を滅ぼす力を以てしても、闇雲に撃つことは出来ない。
「って、いつまでそうしているの? アルヴィース、早く逃げなよー」
「…お前、どうして?」
「どうしてって? キハハ! 私は昔から口煩いレヴァンが大嫌いで、優しいアルヴィースが大好きだったの………理由なんて、それだけよー」
善悪には拘らず、好悪で人を判断する。
ヒルドらしい正直な言葉だった。
「二人が喧嘩しているなら、迷わずアルヴィースの味方をするわー」
「…分かった。ありがとう」
アルの声と共に、走り去るような足音が聞こえた。
霧に隠された視界の向こう側。
段々と遠ざかっていく音を聞きながら、レヴァンは息を吐く。
「…やってくれたな。お陰で面倒が増えた」
「キハハ! 私の次はアルヴィース? 本当にあなたは、昔の仲間を殺すのが好きなのねー?」
「この狂犬が。お前が大戦時代に殺した騎士のこと、まさか忘れたとは言うまい」
「………ああ、アイツのこと」
ヒルドの声のトーンが下がり、吐き捨てる様に言った。
冷え切った殺意に呼応するように霧状になっていた血が凝固し、虚空に棘の矢が展開されていく。
「お前は秩序を乱す。騎士団の作る正義に、お前は不要だった」
「はっ、そんな物こっちから願い下げよ。正義なんて言葉、口にした時点でそいつは偽善者よ」
「俺の正義を否定するか。焼き殺すぞ」
「上等…ッ!」
世界を救った英雄同士の戦いが、始まった。




