第三十二話
「どうやら、上手くいったようですね…」
「ああ、助かったよ」
森の奥から現れたアルファルを見て、アルは安堵の息を吐いた。
最後にワームが放った雷霆には内心肝が冷えたが、相殺することが出来て助かった。
グングニルに頭部を貫かれたワームの身体は、二人の前でドロドロと溶け始めている。
「はぁ…はぁ…」
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」
「え、ええ、流石に結界をこの規模で張るのは、少しきつかったですね」
アルファルの身体が僅かにグラついた時、森を照らしていた青い光が消えた。
結界を維持できなくなったのだろう。
いくら魔力を消耗しないエルフの魔術とはいえ、森を全て覆う程の規模は桁外れだ。
僅かな時間でも維持できたことに驚く程だ。
「結局、コレは何だったんだろうな」
「…ユグドラシルの番人」
頭部を失った黄金の生物を見上げながらアルファルは呟く。
「何だって?」
「ユグドラシル。エルフの創世神話に出てくる『はじまりの大樹』の名前です。また、その神話では人間はエルフの骸から生まれたと言われています」
人間を蛆虫と蔑むワームの言動とも一致する。
アルファルが大樹こそがエルフの神であると言った時、ワームはこう答えた。
我こそが大樹であると。
「なら、俺達は本当の神様を殺しちまったってことか?」
尤も、あくまで器であるファフニールを殺しただけであり、中身を殺したとは限らないが。
この世界の支配者である神様が、あんなレイシストだとは信じたくない。
「分かりません。いくら名前が同じとはいえ、大樹はあくまで大樹です。こんな怪物ではない筈」
神話では、人間はエルフの骸から湧いた蛆虫であると言われている。
故にエルフは皆、少なからず人間を見下しており、劣等種と呼んでいる。
だが、それは種族的な優越感から来る感情であり、そこに憐憫はあっても憎悪は無い。
ロプトルのように人間を憎むエルフは例外で、殆どのエルフは人間に関心を持っていなかった。
「なのに、どうして私達の神は、アレほど人間を…」
『理由など、ない』
「ッ! アルファル! そいつから離れろ!」
突然の声に、アルは大声で叫んだ。
ドロドロと溶けた黄金と化した身体がゆっくりと動く。
最早、輪郭すらもはっきりしない灼熱の黄金がアルファルの方を向いていた。
『自身の住処に蟲が入り込めば、不快に感じるであろう。それが、我が人類を滅ぼす理由だ』
「その程度の、理由で…?」
『蛆虫に生きる価値など無し。貴様らこそ、この世界に必要ない!』
崩れかけた身体を動かし、憎しみに満ちた眼がアルを捉える。
既に致命傷を受けていると言うのに、ワームは止まらない。
その憎悪と殺意は、留まることを知らない。
『我は、我は憎悪に満ちて打つ者! この世界の神だ!』
溶けた身体がばっくりと開き、そこに光が収束していく。
ワームの身体が帯電し、雷鳴が轟く。
それは攻撃ではなく、自爆。
自身の生存を諦めてでも、一人でも多くの人間を殺そうとする狂気。
「く、そ…! 間に合え…!」
急いで防壁を展開しようとするが、遅すぎる。
すぐに展開できる防壁では、強度が足りない。
雷光と衝撃が森を包み込む。
その時だった。
「『焼き尽くせ』」
短い一言と共に、ワームの身体が紅蓮の炎に包まれた。
溶けた黄金のような身体が油のように勢いよく燃え上がり、雷光さえも炎の中に消える。
『ガァァァァァァ! き、貴様ァ! この、我を…!』
灼熱に苦しみながらワームは憎悪の声を上げた。
その前に、一人の男が立つ。
赤い髭を蓄えた、巨人のように大柄な男。
眉も髪も全て剃り落した顔には、厳めしい表情が浮かんでいる。
鍛え上げられた岩肌のような屈強な肉体を騎士服に身を包み、その上から赤いマントを羽織っている。
「…喋る獣か。不快だ」
赤髭の男はそう言うと、見えない剣を振るような動作を取った。
それに呼応するように、炎の勢いが増し、ワームの身体がみるみるうちに小さくなっていく。
『…ッ……ァ…』
遂には何事か呟いた後に、跡形もなく溶けてしまった。
敵対者を焼き尽くすと炎は独りでに消え、森に燃え移ることはなかった。
「一撃で…」
地獄の一端のような光景に、アルファルは息を飲む。
弱っていたとはいえ、アレほどの質量を持つ怪物を飲み込む業火。
万物の『破壊』を司る火属性。
その頂点に君臨する魔術だ。
「…久しぶりだな、レヴァン」
苦々しい表情でアルはかつての戦友に告げた。
その言葉を聞き、レヴァンは少しだけ驚いたように目を見開く。
「…まさかとは思ったが、やはりお前だったか。アルヴィース」
表情はあまり変わらなかったが、その声は穏やかな響きだった。
懐かしさから僅かに口元が緩み、レヴァンは旧友との再会を喜んでいた。
「お前の噂は聞いているぜ。上手くやっているみたいじゃないか」
「…よせ。俺に出来ることなど、犯罪者退治くらいだ。殆どは騎士団長の手腕だよ」
「騎士団長…アンドヴァリか?」
「ああ。俺と違って、あの人は頭が回る。時々何を考えているのか分からなくなるがな」
「その辺りも昔と変わらないか」
懐かしそうに会話をしながらも、二人は一切歩み寄ろうとしない。
互いに理解しているのだろう。
どう言う理由でこの場にいるのか。
これから何が起ころうとしているのか。
「なあ、兄弟。久しぶりついでにお願いがあるんだが、良いか?」
「…内容にもよるな。お前はたまに、とんでもない無茶を言う」
「一緒に騎士団を抜けようと誘った時は悪かったよ。あの時は俺も色々あってな…」
ははは、と力なく笑いながらアルはレヴァンの眼を見た。
口元には笑みを浮かべているが、その眼は真剣だった。
「親友として、見逃してくれねえかな?」
「断る。親友として、見逃すことは出来ない」
レヴァンの視線が、アルファルへ向けられた。
穏やかだった視線に明確な殺意が宿っている。
「お前は元々違う任務でここへ来たんだろう?」
「そうだ。だが、騎士法に則りエルフは粛清する」
「何故だ。戦争はもう終わったんだぞ?」
「戦争を繰り返さない為だ。エルフは火種だ。残しておけば、また人間に戦争を仕掛ける」
その殺意には、強い意思が込められていた。
ファフニールのような利己でも、ワームのような憎悪でもない。
この殺戮が、多くの人々の平和に繋がると信じ、手を汚すことを恐れない覚悟があった。
「お前の考えは分かる。お前は優しい男だ。抵抗する力を失ったエルフに同情してしまったのだろう」
「………」
「だがな、正義とは勝利者が口にする物だ。あの戦争で我々は勝利した。エルフにはエルフの正義があったのだろうが、力なき正義は悪だ」
レヴァンは人間がエルフより優れているとは考えていない。
エルフを悪辣な化物だと嫌悪していない。
エルフに知性があると認めながらも、敗北者故に粛清する。
それが、あの戦争に勝利した者の義務と権利であると信じて。
「俺は正義を妥協しない。俺は帝国騎士団の『魔剣』レヴァンだ。一度抜き放たれれば、何が起ころうと敵対者を焼き尽くす炎だ」
レヴァンが選んだのは正道の剣ではなく、魔剣。
敵のあらゆる事情を無視し、容赦なく焼き尽くす必要悪。
ただ帝国の平和の為だけに使い潰される一本の剣。
「…子供でも、殺すのか?」
「ッ…!」
ギリ、とレヴァンの口から音がした。
レヴァンの脳裏に、忘れ難い記憶が過ぎる。
幼い子供を殺すことを躊躇った自身の未熟を。
その結末を。
「無論だ…!」
ゴォっとレヴァンの周囲に炎が揺らめく。
その手から離れた業火がアルファルに届く前に、形成されたゴーレムに遮られた。
「…お前は、正しいと思うぜ。騎士として正しい」
アルは穏やかな表情で親友を見る。
レヴァンは、自分の正義を貫いているだけだ。
エルフを倒し、人類を救う。
かつて共に掲げた理想を、愚直なまでに貫き続けているのだ。
迷ってばかりのアルと違って…
ヒルドにも言われたことだ。
自分の正義を妥協するな、と。
自分が正しいと思うなら、どれだけ死体を積み上げようと、どれだけ血を浴びようと、手を抜くなと。
「だが、俺はもう騎士じゃねえ」
「そうか………そうだったな」
少しだけ悲し気な声でレヴァンは息を吐いた。
かつての戦友と道を違えてしまったことを嘆くように。
「俺はこの力を、この命を! 守りたい者を守る為に使う! それはお前にも壊させないぞ! レヴァン!」
ダン、とアルは大地を踏み締めた。
大地が震え、地中から一匹の蛇が這い出てくる。
それは先程のワームを模した巨大な粘土の蛇だった。
鉄のように硬質化させた身体をくねらせ、粘土の蛇はレヴァンに纏わり付く。
「走れ、アルファル!」
「は、はい…!」
アルファルの手を取り、アルは一目散にその場から走り出した。
レヴァンと真っ向から戦うつもりはなかった。
それぞれ違う属性を得意とする三英雄の内、レヴァンが得意とするのは『火属性』
破壊や攻撃、侵略に於いて彼に勝てる魔術師は帝国にはいない。
アルが防衛戦『最高の魔術師』なら、レヴァンは侵略戦『最強の魔術師』
アルとレヴァンは古い親友だ。
しかし、アルがレヴァンに勝てたことは一度もなかったのだ。




