第三話
「さて、どうするか」
奴隷商の死体を土人形に取り込ませながらアルは面倒臭そうに呟く。
知人を殺害したにも関わらず、その表情は普段通りだった。
突然の事態に檻の中で悲鳴を上げる奴隷達を見渡し、深いため息をつく。
「…はぁ、ゴーレム君」
死体を完全に身体の中に隠したゴーレムに声をかけるアル。
耳も顔もないゴーレムは緩慢な動きで近くにあった檻に近付く。
檻の中の悲鳴が先程よりも大きくなった。
それに構うことなく、ゴーレムは岩石のような拳を振り下ろして檻を叩き壊した。
「え…?」
誰かの声が上がった。
奴隷には傷付けず、檻の部分だけを破壊するとゴーレムは次の檻へ近づく。
「今から全ての檻を叩き壊す。残りたい奴は残れ。逃げたい奴は逃げろ」
杖を振りながらアルは冷めた口調で言う。
「俺はそれを追わないが、助けもしない。俺は正義の味方でも、貴族でもないからな」
コレは偽善だ、とアルは自虐する。
こんなボロボロの奴隷が外の世界に出た所で、一人で生きていける筈がない。
確実に半分は死ぬだろう。
この行為は、目の前で起きている不幸から目を背けたいアルの自己満足だ。
コレが正義の味方なら、国から奴隷商を根絶させるだろう。
コレが貴族なら、全ての奴隷を養うことが出来るだろう。
だが、リアリストのアルにはそのような手段を取れない。
「さあ、どうする? 奴隷としての人生も死ぬよりはマシかもしれないぞ」
このままここに残れば、先程殺した奴隷商の同業者に拾われることだろう。
裏社会は耳が早い、数日と経たずに新たな飼い主が現れる。
(…騎士や英雄って奴は、童話の中ほど都合良くは現れねえ物だ)
全ての檻を壊したゴーレムに死体を埋めさせてから土に戻す。
懐から取り出したパイプを咥えながら、檻から逃げていく奴隷を見ていた。
比較的体力に余裕があった者は急いで出てくるが、弱った奴隷は立ち上がることすら出来ていない。
(…アレは)
アルの視線の先で、初めに檻から出た奴隷が別の檻の前に立っていた。
足に怪我をした奴隷に肩を貸し、二人で歩き出す。
アルの方を向き、二人で頭を下げてから出ていった。
結局、檻の中に残った奴隷は一人もいなかった。
「…自分も命が危ないってのに、人を助けるか。いや、良い物見せて貰ったわぁ」
皮肉のような口調ながらも、顔には嬉しそうな笑みを浮かべてアルは言った。
「君もそう思わないか? エルフの君」
「………」
エルフの少女は一切動かずにアルを見ていた。
十代の少女のような幼い顔に似合わない、清流のように冷え切った表情を浮かべている。
「言葉。通じている筈だけど?」
「水よ…」
エルフは石の棺に向かって手を翳した。
棺の中に溜まっていた水が生き物のように動き、宙に浮かび上がる。
(杖無しで魔術を…!)
それを見てアルは思わず身構えたが、水がアルの方へ向かってくることはなかった。
不純物など一切ない冷たい水は、エルフが腰から下げている水筒の中へと入っていった。
水筒が完全に満たされるとエルフは腕を下ろし、水の動きが止まる。
「…この程度の魔術で、こんなに消耗するなんて。森からかなり離れてしまったようですね」
鈍った身体の具合を確かめるように腕を振りながらエルフは呟いた。
「えーと、エルフの君…?」
「アルファルです、人間。心配しなくても、大体の状況は把握してきました」
困惑するアルにエルフの少女『アルファル』は告げる。
アルの顔を見て、その次に手に握った杖を一瞥する。
「人間の魔術師。それが戦場で戦うことなく、こんな場所にいるのなら…」
アルファルの表情に暗い感情が宿った。
「戦争は終わったようですね。私達、エルフの負けと言う形で」
「…その通りだよ。十二年前にね」
「十二年………私は長く眠りすぎたようです」
しみじみと呟きながらアルファルはアルを見た。
その表情は読めない。
人間に対する憎しみを隠しているようにも、同族を全て失って無力感を感じているようにも見える。
「…君が良ければだが」
「?」
「おじさんと一緒に来ないか?」
安心させるように朗らかな笑みを浮かべながらアルは言った。
瞬間、アルファルの表情が一変する。
清流のように透明だった表情に冷たい怒りが宿り、アルを睨みつける。
「…それは、奴隷としてですか?」
言葉と共に冷水のような殺気がアルに向けられた。
肯定すれば容赦なく殺害する。
そんな殺意を向けられながら、アルは否定するように腕を振った。
「いや、違う。つーか、おじさんは別に奴隷商じゃねえし」
「…こんな店に顔を出す時点で、ろくな人物ではないと判断しますが」
「ぐっ! 違う違う、俺がここに通っていたのは事情があってだねぇ」
未だアルファルの視線は冷ややかだが、殺気が収まったことに安堵する。
アルファルは見た目よりもずっと賢い。
こんなどこかも分からない町で当てもなく行動する程に無謀ではない。
そう判断し、アルは言葉を続ける。
「まあ、その話はいいや。おじさんの旅に同行してくれるなら、森にまで案内するよ」
「………」
アルファルは口元に手を当てて、無言で考え込む。
一時の感情でその誘いを蹴る程にアルファルは愚かではない。
人間と行動を共にする危険性を考慮して断るか、感情を抑えてでも目的を果たすことを優先するか。
「…一つだけ答えて下さい。それであなたに何の得があるのですか?」
「得? そんな物、幾らでもあるよ」
へらっとアルは緩い笑みを浮かべた。
警戒してアルファルは一歩下がる。
「本場のエルフの魔術を見る機会なんて滅多にないからねぇ! 杖を使わずに魔術を使う所とか、陣の描き方とか知りたいことは沢山あるさぁ!」
「…そ、それだけですか?」
やや拍子抜けしながらアルファルは呟く。
人間の色欲的な願望を向けられると思っていたのだろう。
「おじさんはこれでも杖職人だからねぇ。エルフ直伝の杖職人となれば、帝国一の杖職人になるのだって夢じゃないさぁ!」
「………」
この男どこまで本気なのか、と思いながらアルファルは警戒を解いた。
「人間、それなら取引です。あなたは私をエルフの故郷『アールヴの森』まで連れていく。見返りに私の知っている知識を全て与えましょう」
「交渉成立だね。エルフの知識なんて千金に値するよ」
アルはそう言うと右腕を差し出した。
「…? 何ですか、この腕は?」
「握手だよ。エルフにはない文化かな? 友好の証として利き腕同士を繋ぐんだ」
言われてアルファルは自分の右腕を差しだした。
「それと俺の名前はアルヴィース。アルと呼んでくれ」
「…よろしくお願いします。アル」
慣れない仕草で握手をするアルファル。
その手は、冷水のように冷めたかった。
「さてと、そうと決まれば支度だな」
握手していた手を放し、アルは考え込む。
このワールウインドの町には長く滞在していたが、元々アルは旅の杖職人だ。
荷物もそう多くない為、準備はすぐに出来るが…問題はアルファルだ。
エルフであるアルファルはどうあっても注目を集めてしまう。
先程の奴隷商のような者に狙われるのは勿論、帝国騎士団に通報されてしまう可能性もある。
十二年前のエルフ大戦で活躍した帝国騎士団に見つかれば、アルファルがどうなるかは想像に難くない。
「…もしかして、私の容姿のことで悩んでいますか?」
無言になったアルの顔を下から覗き込みながらアルファルは言った。
「それなら大丈夫ですよ」
そう言うとアルファルは自分の耳に触れた。
エルフ特有の尖った耳を隠し、囁くように言葉を唱える。
隠していた手を放すと、その耳は人間の耳に変わっていた。
「水属性の魔術、か」
「ええ、万物の『変化』を司る水の魔術。私は四属性でそれが一番得意なんです」
気体となり、液体となり、固体となる流動的な水の属性。
元々自然に存在する物を変化させる水の魔術。
それがアルファルの得意とする魔術属性だった。
「他には土属性も得意なんですけど、あなたには劣るようですね」
アルの生み出した土人形を思い出し、アルファルは呟いた。
「人間のくせに、どうやってあんな魔術を身に着けたのですか?」
「…まあ、俺の話はその内な」
はぐらかすように言いながらアルは落ちていた袋を拾った。
奴隷の代金に持ってきていた金貨の入った袋を懐に入れ、扉を開ける。
「それじゃあ、まずは宿で飯でも食うか。十二年も寝ていればエルフでも腹は減るだろう?」
「…そうですね。出来れば野菜をお願いします」
「菜食主義か。エルフらしいなぁ」
予想通りの答えに苦笑しながらアルは店の外へと出ていった。