第二話
ワールウインド。
それがアルが滞在している町の名前だった。
帝国の南西に位置する小さな町で、季節問わず強い風が吹くことからその名が付いた。
「臨時収入、臨時収入っと」
機嫌良さそうな様子でアルは町を歩いていた。
懐に手を入れ、金貨の入った袋を確認する。
それは先程宿屋にやってきたガラールが忘れていった物だった。
お試し用の杖をガラールに持ち去られてしまった為、アルはその代金として貰っていた。
歩き慣れた道を進み、表通りから裏へと入る。
道に散らばったゴミやネズミを避けながら、奥へ奥へと進んでいく。
「…開いてるみたいだな」
路地裏の奥にある汚れた扉を開けながらアルは呟いた。
そこは表通りには構えられない店の一つ。
奴隷商だった。
薄暗い店内に並ぶ鉄の檻と簡素な服を着せられた人間達。
変わらない風景に、アルは眉を顰めた。
「おや? おやおや? 旦那ではないですか」
コツコツと音を立てながら店の奥から男が近づいて来る。
年齢はアルの倍程ありそうなのに、身長はアルの肩までしかない小男だった。
手には懲罰用の鞭を握っており、僅かに汗をかいている。
「珍しいですね。こんなに早く訪れるなんて」
「臨時収入があってな。また奴隷を買いに来たよ」
「それはありがとうございます。ですが、先週買った奴隷はどうされたので?」
愛想の良い笑みを浮かべながら奴隷商は聞く。
それに対し、アルは口ごもりながら頬を掻いた。
「あー………ちょっと、はしゃぎすぎて死んじまったよ」
「それはそれは…」
「俺も若くない筈なのにねぇ。まあ、そう言う訳だから新しいのを頼むよ」
照れたようにしながら残酷なことを口にするアル。
奴隷商もアルを非難することなく、笑みを浮かべた。
商人にとって、奴隷とは人ではなく物なのだ。
売った先でどうなろうと興味はないのだろう。
「それでは新しい奴隷を用意させていただきます。ご希望はありますか?」
「特にないよ。いつも通り、弱っていて安そうな子を買えるだけお願い」
金貨の入った袋を放り投げながらアルは言った。
「安くなった商品ばかり狙って買うとは。商人泣かせな客ですよ、旦那は」
「弱った売れ残りを纏めて買ってくれるんだから、良い客でしょ?」
「それは確かに」
握り締めた袋の中身を数えながら奴隷商は頷いた。
奴隷商が金貨を数える音が店内に響く中、アルは暇潰しに辺りを見回す。
檻に入れられた奴隷達は皆、やせ細っており瞳に光が無い。
憐れだとは思うが、それを全て救うことは誰にも出来ないことなのだ。
(…ん?)
ふと目についた物にアルは首を傾げる。
錆び付いた檻の横に石で出来た箱が置いてあった。
縦長の形をした石の箱であり、棺のようにも見える。
「店主。コレは何だ?」
「え? ああ、それですか? 知り合いに貰ったんですよ」
どうでも良さそうに店主は呟いた。
「何か魔術が込められているらしいのですが、重いし邪魔なんですよね」
「ふーん…」
奴隷商の声を聞きながら、アルは汚れた表面を撫でる。
冷たい石の表面に文字が刻まれていた。
(…コレは、陣に使う文字に似ているな)
「旦那。読めるんですか?」
いつの間にか金貨を数える手を止め、奴隷商が近付いてきていた。
「ああ、えーと…この文字は…エル?………いや…『アルファル』か?」
そこに刻まれた文字を読み上げた瞬間、石の棺が青い光を放った。
アルの触れていた部分が開き、中から水が溢れ出す。
「ちょ、ちょっと! 何が起こっているんですか!」
「俺にも分からん! 名前を読んだだけだぞ!」
噴水のように湧き出る水にパニックになる二人。
十秒ほど経つと噴き出していた水が止まり、光も収まっていった。
異常事態は終わったことで二人は安堵の息を吐く。
「全く、何がどうなって…」
言いかけて、アルは言葉を失った。
先程まで水を噴き出していた石の棺の中に、眠るように横たわる少女がいた。
新緑のような輝く髪。
髪飾りのように付けられた白い花。
落ち葉を集めて作ったような独特なワンピース。
腰には植物だけで作られた水筒を幾つも下げている。
そして、種族特有の尖った耳と妖精のような端正な顔立ち。
「…エルフ、だと?」
そこにいたのは、人間ではなかった。
この帝国に住む人間以外の種族。
人間よりも長い寿命を持ち、森と共に生きる種族。
エルフと呼ばれる存在が、そこに眠っていた。
「………」
エルフと言う名前が帝国で聞かれなくなってしばらく経つ。
それは十二年前の戦争でエルフが人間に敗北したからだった。
それまでエルフだけの特権だった魔術を使うようになった人間にエルフは敗北し、遂に滅ぼされた。
その時の戦いで殆どのエルフは死に絶え、絶滅したと思われていたが…
まさか、こんな形で出会うとは夢にも思わなかった。
「ん…」
エルフの少女はゆっくりと目を開ける。
寝ぼけたように周囲を見渡し、やがてアルに視線を止めた。
「ッ! 人間…!」
その眼に憤怒が宿る。
急いで立ち上がろうとするが、眠り続けていた反動か転んでしまった。
「おい…」
「近寄らないで下さい!」
思わず駆け寄ろうとしたアルにエルフは叫んだ。
荒い息を吐くエルフの眼には怒りと同時に、恐怖が宿っていた。
今にも泣きそうなエルフを見て、アルは足を止めてしまう。
どうするべきか、と混乱した頭でアルはエルフを見つめる。
「ぐ、ふふふ…ぐふふふふ」
二人が睨み合っていた時、不気味な笑い声が聞こえた。
二人は同時に声の主の方を向く。
「エルフ、エルフですって! 貴族に売れば、幾らになるか…! ぐふふふ!」
「…店主?」
「ああ、ただのガラクタがこんな宝物に変わるなんて…ぐふふふ」
不気味に笑いながら奴隷商は歓喜に震える。
希少なエルフの奴隷など、値段が付けられない。
どんな貴族がどれ程の金額で買い取ってくれるか。
考えるだけで、奴隷商は震えが止まらなかった。
「おい、店主。まさかこの子を売るつもりか?」
「何か不都合でも? 心配しなくても、旦那にも儲けの半分は差し上げますよ」
「そうじゃねえよ。この子はアンタの奴隷じゃないだろうが」
アルはエルフが入っていた石の棺を指差した。
「この石はアンタの物だが、この子は別にアンタに売られた奴隷って訳ではないだろう」
アルは奴隷制度自体を否定する気はない。
この店の中には身持ちを崩し、飢え死にするより奴隷になることを選んだ者もいるだろう。
残った家族を守る為に自分を売った者もいるだろう。
他者が奴隷になると選択したことを、アルは否定しない。
「………」
アルは様子を窺っているエルフを一瞥した。
このエルフは他の奴隷とは違う。
眠り続けていたエルフは恐らく、何故ここにいるのか分かっていない。
奴隷になることなど、選択した筈がない。
「何を言っているんですか? そこの娘は、エルフですよ?」
「エルフでも関係ない。何も知らない娘を売り買いするなど、人攫いと何も変わらないじゃないか」
「………はぁ」
奴隷商は深いため息をつき、近くに置いてあったベルを取った。
片手でベルを振りながら、残念そうにアルを見る。
「今更、人攫い程度でギャーギャーと。知らなかったんですか? 旦那に売った奴隷の中には、近くの村から浚ってきた娘も沢山いたんですよ?」
ガランガラン、と言う音に反応して店の奥から黒い犬が走ってきた。
狼にも似た大型の犬は涎を垂らしながら、奴隷商の足下に寄る。
「裏ルートで手に入れた訓練犬です。死体の処理まで残さずしてくれる便利な護衛達ですよ」
獰猛な息を吐きながら狂犬は血走った眼をアルに向ける。
「本当に残念です。旦那は良い商売相手だったのに」
「…一回だけ聞いとくぞ」
アルは無表情で奴隷商を見つめた。
「全ての奴隷を解放して、人生をやり直すつもりはないか?」
「…何を言うかと思えば」
苛立ったように奴隷商は舌打ちをした。
そんな言葉を聞くくらいなら、まだ命乞いの方がマシだ。
「殺せ!」
鞭を打つ音に合わせ、狂犬がアルに飛び掛かる。
頭蓋骨すら噛み砕きそうな顎をアルは冷めた目で見ていた。
「それが答えだな」
静かに言うと、腰に下げていた杖を抜いた。
盾にするように自分の前に突き出す。
大口を開けた狂犬が杖に喰らい付く。
「なっ…」
その寸前で、狂犬の動きが止まった。
ガチガチと悔し気に歯を鳴らす音が響くが、その牙が獲物に届くことはない。
飛び上がった狂犬を受け止めたのは、土で出来た人形だった。
地面が盛り上がるように現れた二メートル程の土人形は、抱きしめるように止めていた。
「創生術式『ミストカーフ』」
杖で地面を突きながらアルは呟くように言った。
「ま、魔術…! アンタ、魔術師だったのか…!」
ベキベキと木々をへし折るような音が響き、狂犬の口から悲鳴が上がった。
土人形の抱擁は段々と強くなり、狂犬の骨をゆっくりと潰していく。
「あ、アンタ、杖が使えないって…言ってたじゃないですか!」
ゴキッと致命的な音を発てて、狂犬の身体が動かなくなった。
その死骸さえ自分の一部として取り込み、土人形は新たな獲物へ近づく。
狂犬は死んだ。
残る獲物は、目の前の男のみ。
「わ、分かった…! 言われた通りにしよう! 奴隷は全部解放する! 罪を償う! だから…!」
土人形の腕が緩慢な動きで振り上げられる。
それは罪人を裁くギロチンに似ていた。
「もう遅い」
短い一言と共に、腕は振り下ろされた。
果実を潰すような水っぽい音を立てて、奴隷商の男は絶命した。