第十九話
『グルーミィ』
帝国の南部に位置する町であり、人が住んでいる区域の最南部である。
騎士団の本拠地である北部から南下する程に騎士が減り、治安が悪くなる帝国の性質上、最も治安の悪い町であるとされ、駐在する騎士は存在しない。
町は全体的に寂れており、ワールウインド以上に人気が少ない。
騎士の少ない環境を狙う奴隷商すら存在せず、営業している店も殆どなかった。
「コレが、人の住む町なんですか…?」
廃墟同然の町には、平然と死体が転がっていた。
餓死した死体の中には、子供にしか見えない体格の死体もある。
想像を絶する光景にアルファルは言葉を失う。
「…昔来た時よりも酷くなっているな」
誘拐された少女達を別の村に置いてきて良かった、とアルは安堵した。
こんな町を大所帯で歩けば、狙ってくれと言っているような物だ。
「どうしてここまで…」
「エルフ大戦の影響だろうね。大戦前にエルフが周囲の村を滅ぼした、と言うのは言っただろう。その影響で滅ぼされなかった村や町からも人が逃げて行ってね」
いつエルフが襲ってくるか分からない。
その恐怖に怯える人々は、出来るだけアールヴの森から離れようと移っていった。
残ったのは移住する金の無かった者達だけ。
大戦が終わっても、騎士の庇護がない町を訪れる者は少なく、寂れるばかりだった。
「ゴホッ…ゴホゴホッ!」
その時、アルの横を通った少年が激しく咳き込んだ。
苦しそうに喉を抑えて、意識を失ったようにその場に倒れる。
「ッ!」
蹲った身体を起こし、その顔を見たアルは息を飲んだ。
苦し気に歪む少年の顔には、色濃い発疹が浮かび上がっていた。
「その子、どうしたんですか…?」
「『疫病』だ。悪いが、俺には助けられない」
少年を優しく路上に寝かせ、アルは吐き捨てた。
「え、疫病…?」
「かなり前から帝国で流行している伝染病だよ。大戦後は騎士団が魔術で特効薬を開発して、配布している筈なのに…!」
アルは苛立ちを隠さずに言った。
騎士団の手の届かない南部だから特効薬が配布されていないのだろうか。
不治の病であるこの疫病を治す特効薬は、どの地域も欲しがっている。
騎士団の力が強い北部から優先的に配布しているとなると、このグルーミィには…
「…結界術式『ウルザブルン』」
囁くような声と共に思考に耽るアルの足下が青く光った。
「あ、アルファル? 何をして…」
「退いて下さい」
困惑するアルを押し退け、アルファルは気絶した少年に向かって水筒の中身を零す。
青い光を放つ水は少年の眠る路上に水の陣を刻み、優しい光でその身体を包み込んだ。
「その病は、エルフもよく知る病です」
光がじわじわと少年の身体から発疹を消し、苦し気だった呼吸を整えていく。
「ですが、エルフの間ではそれほど深刻な病とは認識されていません。何故なら」
少年を包んでいた光が消える。
「この病は、水の魔術で簡単に治る物だからです」
そう言ったアルファルの視線の先には、穏やかな表情で眠る少年の姿があった。
少年の顔には、もうどこにも発疹はない。
(特効薬を使わないと治らない難病を、いとも簡単に…)
エルフの魔術が優れていることは理解していたつもりだったが、また驚かされた。
無病長寿であるエルフは病を治したり、傷を癒したりする魔術に長けているのかもしれない。
(…それにしても)
アルは視線を少年からアルファルへ向ける。
「はぁ、人間にも上手く効いて良かった…」
そう言うアルファルは安堵したような笑みを浮かべていた。
心から少年の病気を治せたことを喜んでいるような表情だ。
エルフの魔術にも驚いたが、アルファルが人間の子供を治療したことにも驚いた。
人間に対する恨みは抑えているようだったが、極力人間に関わらないように振る舞っていたアルファルが自分から見ず知らずの子供を助けた。
そのことがアルにとっては驚きで、同時に少し嬉しかった。
憎しみを捨てろ、とは口が裂けても言えないアルだが、せめて戦争を知らない世代の人間とは仲良くできた方が人生を生きやすいと思う。
「…どうかしました?」
「いや、何でもない。とにかく今日の宿を探そうか」
そう言うと、アルは上機嫌で町を歩き出した。
「一体いつまでこの町で待機なんでしょうか?」
同じ頃、ワールウィンドの宿屋でエイトリが呟く。
テーブルに置かれた夕食に手を付けながら、目の前の隊長に声をかける。
「…分からん。元々は噂のエルフを確認次第、本部へ帰還する筈だったのだ」
パンを手で千切りながら、レヴァンは答えた。
「騎士団長の命令はいつも唐突ですが、今回は少しおかしくないですか?」
「………」
「他の騎士も連れていないのに。私達二人だけこんな所で待機なんて」
エイトリの言葉にレヴァンはパンを置いて、考え込む。
確かにその通りだった。
騎士団でも重要な役職についているレヴァンをこんな南部に派遣し、滞在期間を延ばすなどおかしい。
騎士団長の考えはいつもレヴァンには理解できないが、今度は何を考えているのだろうか。
「はいはーい! 追加の料理だよ。テーブルを開けて!」
考え込むレヴァンの前に、荒い音を発てて料理が置かれる。
驚いて視線を向けると、恰幅の良い女将が親しみやすい笑みを浮かべていた。
「こんな町だけど、良い所もあるんだよ? 騎士様」
二人の会話を聞いていたのか、女将は笑顔で言った。
どうやら、この田舎町で足止めを食らっていることに愚痴を零していると思われたようだ。
「…こんな町、なんて卑下することはない」
レヴァンは訂正するように告げる。
「この町には、北部にはない安心感がある。あまりこの町に長居していると本部へ帰ることを躊躇うようになってしまうのでは、と心配している程だ」
「あはははは! こんな田舎に嬉しいことを言ってくれるじゃない! アンタ、山賊みたいな怖い顔をしているけど、紳士だねぇ!」
そう言うと機嫌良さそうに女将は歩いて行った。
それを見送ってから、レヴァンは食事を再会する。
「そんなに気に入っていたのですか?」
千切ったパンを口に運んでいるとエイトリが不思議そうに呟く。
「ん。噓偽りない本心だ。騎士の眼が少ないことが、逆に安心をもたらすこともある」
普段、周囲から向けられる羨望や憧れの視線。
それが少ないと言うだけで、こんなにも心が安らぐ。
そう思ってしまう自分は英雄になど向いていないのだろう、とレヴァンは自虐した。
「…むぐ? レヴァン隊長、通信です」
硬い肉に食らい付いていたエイトリが背負っていた杖を軽く振った。
その瞬間、弱い風が吹き、場の空気が一変した。
『やあやあ。二人共、元気かい?』
どこからともなく男の声が聞こえた。
姿は見えないが、剽軽さを感じさせるような明るい声だ。
『騎士団長のアンドヴァリだよ。レヴァンちゃん、そこにいるかい?』
「…はい」
『ワールウィンドは良い息抜きになったろう。最近の君は働き過ぎだからね、何ならもう少しゆっくりしていても…』
「騎士団長。要件をお願いします」
『チェッ、君は本当にノリが悪いなぁ。もっとユーモアにならないと嫁が来ないぞ?』
アンドヴァリはつまらなそうに呟く。
それに対し、レヴァンは一切表情を変えなかった。
『エイトリちゃんとは仲良くやっているかね? 君もいい歳だ。何なら彼女でも…』
「騎士団長」
『やれやれ、お父さんはレヴァンちゃんの将来が心配です…』
通信越しにアンドヴァリのため息が聞こえた。
『君に待機命令を出したのは当然、慰安目的ではない。君には今から南部、アールヴの森へ向かってもらうつもりだ』
「アールヴの森…? 何故ですか?」
騎士団の隊長を任せられているレヴァンは南部に来ること自体珍しい。
アールヴの森へ行くことなど、大戦以来だった。
『数日前、アールヴの森付近でファフニールの目撃情報があったからだよ』
「ファフニールって…国家反逆者の、あのファフニールですか!」
黙って聞いていたエイトリが椅子を倒して叫んだ。
予想を超える大物の名前に、思わず表情が強張る。
『そうそう。そのファフニール。いやぁ、エイトリちゃんは素直にリアクションしてくれるから話し甲斐があるよ! それに比べてこの堅物は…』
「ファフニールは、アールヴの森にいるのですか?」
『恐らくね。奴が騎士団の機密を盗んで行方を眩ませてからもう五年だ。やっと掴んだチャンスだからどうしても仕留めておきたい』
慣れているのか、無視されたことも気にせずアンドヴァリは答えた。
特に気分を害した様子もなく、普段通りの穏やかな口調で続ける。
『行ってくれるよね?』
「生け捕りには、しなくていいのですか?』
『出来れば生け捕りが良いけど、無理なら殺しても構わない。ファフニールが死ねば、彼女の組織も自然消滅するだろうし』
ここで逃がすことだけは避けたい、とアンドヴァリは深刻そうに言った。
五年の年月をかけてファフニールは自分の手足となって働く者を集め、組織を拡大していた。
その殆どは騎士団の存在に不利益を感じるならず者達であり、これまで何人もの犠牲者が出ている。
チリチリとレヴァンの周囲に火花が散った。
開いた掌に炎を揺らめかせながら、レヴァンは答える。
「悪は、滅ぼす。それが俺の正義だ」
『その返事が聞けて安心したよ。人類の平穏と幸福の為、よろしくね』
そう言うと、もう一度小さな風が吹き、アンドヴァリの声は聞こえなくなった。




