第十一話
『人間に干渉しては駄目よ。それがエルフの掟です』
エルフの族長と呼ばれた女は言った。
『アールヴの森はこれまで人間に干渉しないことで平穏を保ってきました。これからも変わりません』
千年の平穏があれば、その先の千年の平穏であることを無条件で信じるような女だった。
人間が段々と知恵を付け始めたことにも気付かず、変化を恐れていた。
エルフには戦争の歴史が無い。
だからこそ、どのエルフも楽観的で危機感に欠けていた。
魔術を持たない人間に森に張った結界が破れる筈がない。
短命な人間が長命なエルフに戦いを挑む筈がない。
種族としての優劣以前に、エルフは人間に脅威を感じていなかった。
故に大戦が始まった時、高齢のエルフが真っ先に命を落とした。
結界を破られたエルフ達は戦うこともせず、逃げ惑うばかり。
命を奪い、奪われる覚悟など誰も抱いていなかった。
『ボクは違う』
いつだってエルフの為に、種族の為に自分を犠牲に出来る覚悟を持っていた。
大勢の人間を道連れにして死んでやる。
そう考え、危険の高い囮を買って出た。
少女に化け、油断した若い騎士を殺す。
そしてそのまま死ぬまで騎士と戦い続ける。
そのつもりだった。
『…そこのエルフ』
片目を失った騎士が残った眼で睨み付ける。
周囲の大地が蠢き、背筋が凍るような殺気を感じた。
『俺の前から、消え失せろ!』
『ッ!』
降り注ぐ剣や槍から逃れるように、走り出した。
逃げる先の大地からも棘が飛び出し、足を傷付けた。
その魔術が、その殺気が怖くて、ただ逃げ続けた。
森を抜け、エルフの気配も騎士の気配も感じられなくなって、その場に倒れ込んだ。
『…良かった』
思わず口から出た言葉に、絶望した。
自分は今、安堵してしまったのか。
人間を恐れ、殺されなかったことに安堵したのか。
あれだけ覚悟が出来ていると言いながら、命惜しさにエルフを見捨てたのか。
『…あの人間』
あの人間は、仲間である男を庇っていた。
自分を犠牲にしてでも、同族を守る覚悟が出来ていた。
それに比べ、どうして自分はこんなにも弱い。
『く、そおおおおおおおおおォォ!』
「………」
戦いの決着がついた。
ロプトルはゴーレムの拳の下に消え、沈黙した。
岩石のような巨大な腕の下からじんわりと赤い血が地面に広がる。
アルファルを守る為とは言え、再びエルフを手にかけたことにアルは沈痛な表情を浮かべていた。
「その腕…」
アルの右腕に視線を向けながらアルファルが呟いた。
その腕に刻まれた陣を見つめ、説明を求めるようにアルの顔を見る。
「…全部、話すよ。この腕のことも、俺が騎士団にいた頃のことも、全部ね」
「………」
「全部聞いて俺のことが許せないと思ったなら、君の手で殺してくれ」
深い悔恨を顔に浮かべながらアルは言った。
命乞いをする気は毛頭ない。
ロプトルからアルファルを守ったのは、彼女を助けることが贖罪になると思っていたから。
もし、その彼女が憎悪を以て復讐すると言うのなら抵抗する気などない。
この少女は聡い子だ。
恨むべき相手であるアルに復讐しても、無関係な人間にまで手をかけないだろう。
「…分かりました」
複雑そうな表情でアルファルは頷いた。
アルは力のない笑みを浮かべ、口を開く。
「何を甘いことを抜かしているんだ、アルファル!」
それを遮るように、憎々しい声が響いた。
地の底から叫ぶような声の主は、血塗れの身体でゴーレムの拳の下から這い出る。
「ロプトル…」
「殺せ! 早く殺せよ! 人間なんかに情を持つんじゃねえぞ!」
身体の大半を押し潰されたまま、顔と腕だけを出してロプトルは吠えた。
生きてはいるが、その傷はどう見ても致命傷で助からない。
それを本人も理解しながら、ロプトルは憎悪だけで叫ぶ。
「………」
「あァ? ボクが憎いか? 左目を奪ったボクが憎いかよ、人間! 今度は右目も抉ってやろうか!」
血を吐きながら叫ぶロプトルを見るアルの眼は、何の感情も込められてなかった。
確かに左目を奪ったことは事実だが、アルもまた多くの命を奪った。
死にかけの身体に止めを刺す程、アルはロプトルを憎むことが出来なかった。
「俺はもう、お前に何もしない」
「ッ…くそが!」
骨が砕けた手を握り締め、ロプトルは憎悪の眼でアルを睨んだ。
十二年前もそうだった。
自分の左目を奪った相手を、騙し討ちした相手を、アルは逃がした。
ロプトルの命を、見逃した。
まるで取るに足らない者を相手にするように。
「くそが! ボクを、見下してるんじゃねえぞ! この劣等種がァァ!」
怒り狂った叫びと共に、ロプトルを押さえつけるゴーレムをバラバラに引き裂かれた。
「血で陣を…!」
ロプトルの這い蹲っていた地面に、小さな陣が描いてあった。
唯一動く腕を無理に動かし、自らの血で陣を描いていたのだ。
自由になった手で転がっていたナイフを取る。
咄嗟のことに反応できないアルを嗤いながら、渾身の力でナイフを突き刺した。
「き、キヒヒヒヒヒ!」
自らの心臓に。
「何を…」
呆然とするアルの前で、ロプトルの身体が崩れ落ちた。
「き、キヒヒ…もう、生き恥を晒すのは、嫌なん、だよ…」
血溜まりに沈みながら、ロプトルは笑みを浮かべる。
もっと早く、こうするべきだった。
十二年前、ロプトルも他のエルフ達のように、森と共に死ぬべきだったのだ。
種族を守る為に、戦いの中で死ぬべきだったのだ。
仲間を見捨てて逃げ出した罪悪感。
人間に対して感じた劣等感。
それを誤魔化すように殺戮を続ける日々。
十二年は、長すぎた。
「あ、あの時、お前がボクを殺していて、くれれば、良かったのに、さ…」
「………」
アルは答えない。
最後まで顔色一つ変えない姿に不満そうにしながら、ロプトルは目を閉じた。
戦争によって歪んでしまった一人のエルフは、その命を失った。
「彼は、ロプトルは…私の兄のような方でした」
アルファルは動かなくなったロプトルを悲し気に見つめた。
「人間を嫌っていたけれど、エルフには優しく、いつも種族のことを心配していました…」
間違っても、同族に手を上げるような男ではなかった。
意見が食い違うことはあっても、殺そうとすることなど考えもしない男だった。
「だ、だから…」
「…ああ、分かっている」
声を震えさせるアルファルに、アルは深く頷いた。
ロプトルを一方的に悪だと決めつける気はない。
人を殺すことが悪だと言うなら、アルもまた悪なのだ。
「ご協力、感謝します」
ロプトルの遺体を前に佇んでいると、二人の男が引き取りに現れた。
白地に金色の刺繍が付いた制服と、腰に差した短いタイプの杖。
近隣の町から来た、帝国騎士団だった。
「コイツがダストデビル…本当にエルフだったのですね」
「ああ、残念だがこちらにも被害が出てしまったよ」
思わず顔が強張ったアルファルを庇うように、アルは前に出た。
騎士達が現れてすぐに耳を変化させたが、万が一と言うこともある為、その背に隠す。
「騎士団にも被害が出る程の相手でした。彼を守れなかったことに責任があるとするなら、間に合わなかった我々の方にあるでしょう」
二人の騎士の内、若く優し気な容姿の男が言った。
ガラールを守れなかったことを悔いているような表情だった。
人命を救うことを第一に考える騎士にとって、一般人に犠牲者を出してしまったことはあってはならない失態だった。
「…それはそうと。このエルフは、アンタだけで倒したのか?」
二人の騎士のもう片方の男が言った。
相方とは違い、少し礼儀に欠いた様子で訝し気にアルを見る。
「そうだけど」
「相手は騎士も敵わなかった程のエルフだ。アンタ一人で倒せるとは思えないが…名前は?」
その騎士は、アルが何か報奨を求めて虚偽の報告をしていると思い込んだようだった。
そう考えるのも無理はないか、と息を吐いてアルは右腕の袖を捲る。
「アルヴィースだ。コレが、その証明にならないかな?」
最初は何の変化もなかった右腕に、陣が浮かび上がっていく。
アルの右腕を見て、騎士は顔色を変えた。
人間の皮膚に直に描かれた陣。
それは、騎士団の中のある人物を差していた。
「アルヴィース、って…! ま、まさか、アンタ…いや、貴方は…!」
「…この方、そんなに有名な方だったのですか? 先輩」
「馬鹿! アルヴィースって言ったら、エルフ大戦を終わらせたアルフヘイムの英雄の一人だぞ!」
アルフヘイムの英雄。
その響きに、懐かしさと悔恨を感じてアルは苦い顔を浮かべる。
「…レヴァンは、元気にしているかい?」
「は、はい! 隊長は依然変わらず、我々の面倒を見てくれています!」
「そうか…」
取り出したパイプを咥えながらアルは複雑な表情を浮かべた。
どこか興奮したような騎士達の羨望に耐えきれず、顔を背ける。
「…もう行っていいかな?」
「え? は、はい、構いません。こちらの方も我々が責任を以て供養させていただきます」
二人の騎士にガラールとロプトルの遺体を任せ、アルは歩き出す。
思い出すのは、騎士団に入ったばかりの頃の自分。
あの頃は、自分のしていることが全て正しいことだと信じることが出来た。
彼らのように真っ直ぐな目で相手を見ることが出来た。
それが今では、これだ。
英雄と呼ばれる程の実力を手に入れたが、代わりに多くの物を失った。
「アル」
「ああ、歩きながら話そう。俺の全てを」
そう言うと、アルは語り出した。
その過去と罪を。




